2017年10月24日

9月6日 鶴岡市(山形県) 8402ー8409

小嶋さんが勧めてくれた羽黒山に行きました。
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驚いたのは神社の茅葺きの屋根の大きさ、その厚さ。
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厚さ2mはあります。
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神社に8402番
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巫女さんに8403番と8404番。
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出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)の出羽三山神社で行う女性の山伏修行=「神子(みこ)修行」に遭遇しました。資料より、以下解説。
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水ごり、雪解けの冷たい水に打たれる滝行、山越えなど仏教思想による「「十界(じっかい)」を体感。
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一番の苦行は「南蛮いぶし」=扉が閉ざされた中、米ぬかに唐辛子、乾燥したどくだみの葉を加えた“薬味”を火鉢でたかれ煙責めとなる。
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開山1400年の平成5年、すでに参拝客の3分の2が女性であったことなどから踏み切り、山伏ではなく、「神子(みこ)」と名付けた。(解説終わり)
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外人の姿も。女性があらゆる場所に登場するようになりましたが、山伏修行までするようになるとは、、、。もう、並みの男じゃ女性の相手はできなくなっています!相手にしてもらえるように、男は田畑で農耕修行しましょう。
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心地よい田んぼをドライブして
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米沢市の遠藤さんの紹介で鶴岡ユースホステルの菊地さんのところへ行きました。
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留守だったので、玄関に置いて帰りました。
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その夜に菊地さんから電話があり、大盛り食堂でご馳走になり、温泉に行かせてもらい、ユースに泊めて頂きました。有り難うございました。友人知人分の8407番〜8409番を。大の写真嫌いで、この好青年の写真がないのは残念!
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広々した西洋風ユースでした。
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「亀の尾」という品種を二袋頂きました。
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どこかで聞いた名称だと思ったら、千葉県いすみ市の「つるかめ農園」の鶴渕さんが探していた種もみでした。「我々が日頃食べているコメの先祖なんだ」みたいな話を何となく記憶していたのですが、コシヒカリ等の曾祖父母さんです。以下です。酒米の五百万石も子孫品種です。
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菊地さんはこの米を作った阿部亀治さん(1868−1928)の阿部家を訪ねて直接種もみを貰い受けて、その後10年間育てているそうです。以下、亀の尾に関するウィキペディアの記事です。

明治維新以来、以前の庄内藩の農政の影響もあって、山形県庄内地方は他地域では類を見ないほど民間での米に対する探究心は旺盛であった。そのような中、山形県東田川郡大和村の小出新田集落(現:庄内町)の篤農で、寺子屋程度の教養以外はすべて独学で農業を学んだ阿部亀治(あべ・かめじ:1868年-1928年)[9]が、1893年(明治26年)は、冷害の年に立谷沢(現:庄内町)の熊谷神社に参詣した際に、その近隣の田んぼで、在来品種「惣兵衛早生」の中で冷害にも耐えて実っている3本の穂を見出した。

亀治は、その田の所有者から穂を譲ってもらい、それを種子として翌年から翌々年にかけて生育させた。この二年間は、稈丈が伸びすぎたり倒れたりしたため、妥当な収穫を得るに至らなかった。

1896年(明治29年)に、水温が低い水口に植えたところ、多くは生育が不良であったが、1株だけ生育が良好な株があった。この株を抜穂選種し、作付けして足掛け三年の歳月を費やし収量を増やしたものが「亀ノ尾」である。強風に耐え冷害や病気に強く収量も上がることから、噂を訊いて尋ねてくる百姓に、亀治は金や欲にこだわらず、この種籾を無償で分け与えたという。篤農家である亀治は、品種創選のみならず、農法の研究を怠らず、当時としては画期的な技術であった「乾田馬耕」にも積極的に取り組み、熱心に農業改良に取り組んだ。亀治は、その功績により1927年(昭和2年)には藍綬褒章(らんじゅほうしょう))を受章した。亀治は俳号を「花酔」と称し、俳句をよくした。その一句に「思うまま/道はかどらぬ/稲見かな」とある。

当初は「新穂」「神穂」「新坊」などと呼ばれたが、友人の勧めにより阿部亀治の1字を取り亀ノ尾と命名された。一時期「亀ノ王」との命名案があったが、それではあまりに畏れ多いと阿部亀治自身が恐縮して「亀ノ尾」に落ち着いたとされる。

1925年(大正14年)には、東北地方・北陸地方を中心に、朝鮮半島・台湾を含めて19万ヘクタールに作付けされ、当時の代表的品種の一つとなった。飯米・酒米・寿司米のいずれの用途でも評価が高かった。

公立研究機関によって、純系分離法で「亀の尾1号」「亀の尾4号」などが育成され、さらに陸羽132号を通じて、ササニシキ・コシヒカリなど多くの品種にその系統が受け継がれている。育成当時としては耐冷性に優れる品種であったが、害虫に弱いなどの欠点もあった。また化学肥料で育てると極端に米がもろくなるので現代の農法には向かない。食管法時代に多収性の米とちがって環境的に冷遇され、次第にその子孫品種などに取って代わられた。(転載終わり)

亀の尾も皆さんに無料配布していますので、興味のある方は連絡をください。栽培者のパワー、誠実さが種に伝わるとすれば、この種もみは特上です。
連絡は daiki8822@yahoo.co.jp

現在地:福井県天空の城「大野城」直下
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今日は11時〜12時は福井市月見1−2−31の和草(高見さん)の展覧会場
13時半以降は福井市中手町16−25の萌叡塾 (ホウエイジュク)にいます。

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2017年10月23日

9月5日 鶴岡市(山形) 8390ー8401

パソコンの「か行」が出るようになりました。逆に車は再び動かなくなりました。2時間後には動きましたが、油断できません。パソコンも車も、どちらも何とか使えますが、いつ使用不能になるやら、、、。

さて、山澤さんの録音の文字起こしをしようと思ったら、山形弁がよくわからなくて、複雑な話ほど理解不可能です。2時間も話したので、文字起こし終了までに時間がかかりそうなので、後回しにして、種蒔きの続きをします。

8月5日、鶴岡市の板垣さんを北海道の「まほろば」さんの紹介で行きました。本人が不在で、板垣さんの田んぼで働いていた方に8390番。
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息子さんに8391番。
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8月6日、翌日にやっと会えました。板垣さんに8392番。
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広い田んぼの稲はよく実っていました。
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今現在は確か10ヘクタールほどでしたが、
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将来的には100ヘクタールに広げたいとか。
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お父さんに8393番。
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同じく、板垣さんの農場で働いていた元パン屋さんに8394番。
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田んぼの調査に来た方達に8395番〜8397番
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板垣さんのトラックにエンジンオイルを入れに行った先で8398番
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お気に入りのラーメン屋さんでご馳走になりました。チャーシューが食べきれないほど入っていたので、五郎八に持って帰りました。
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ラーメン屋さんに8399番。
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板垣さんのお友達に8400番。
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「愛情込めた味がする、農業一筋30年」
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美味しい枝豆を頂きました。
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訪問客の方に8401番
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板垣さん、映画の中の三船敏郎に似ていました。ぶっきらぼうで、男っぽい!18歳の時に、交通事故で重傷を負い入院中に行方不明になり、不自由な体に悲観して「自殺したんじゃないか」と騒然となったそうです。実はガールフレンドと楽しい時間を過ごしていたとか。エピソードに事欠かない人でした。
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ブログ掲載が1ヶ月以上遅れていますが、どの人も昨日会ったように鮮明に覚えています。印象が深い人ばかりです!

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2017年10月22日

パソコン不調

パソコンのKの文字だけが何十回も押して、やっと出てくる状況になり、「か行」だけが時間かかっています。無視すると「おんなふうになります。わありますあ?おまりました。パソオンはいらいだ。」
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これからは、ネットカフェでやるか、我慢してやるか、、、たまにしか更新できなくなりそうです。
悪しからず。車は最近調子いいんですけどね、、。

今現在、福井の勝山市です。福井情報、少ないです。誰か、情報を。
daiki8822@yahoo.co.jp




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2017年10月21日

祈りのコインでシンギングボールを

昨日は岐阜の石子さんの紹介で小坂さんに会いました。脳梗塞になり、自殺するつもりでインドへ行ったところが、インドの生活の中で改善し、さらに帰国してからディジュリドゥの練習によって完治させた人です!
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小坂さんの活動の一つを紹介します。「アレン ネルソン平和プロジェクト」
平和の祈りを込めた様々な国のコインでシンギングボールを作ろうというものです。並びにビデオ制作費支援。賛同される方は、チラシの住所かメルアドに連絡をしてください。チラシはクリック拡大すると鮮明になります。
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2017年10月20日

クリック一つで平和な世界に

(鶴岡市の山澤さんについての話は次回に回し、今日は別件です。)

「何故、種蒔きしているんですか?」とよく訊かれますが、こういう答え方もあります。

「理想の世界にするために」

「理想の世界」とは何か?と考えた時に、この世界の最も大きな問題は何か?という問いかけでもあります。それを、種蒔きしながら、この数ヶ月間ずっと考えていました。答えは「核爆弾」でした。それは7月に北海道で吉村さん(後述)に出会った1ヶ月後くらい、8月中旬でしょうか。そしてタイミング良くというか、8月29日に北朝鮮から、ミサイルがやって来ました。

災害、異常気象、温暖化、、、、いろいろ問題がありますが、人工的な問題では「核爆弾」が最上位でしょう。もし、仮にどこかが打ち上げれば、報復攻撃があり、惨憺たる世界が生まれます。世界の終わりかもしれません。

ときどき、愕然とするのは、日常的生活=楽天が勝った、広島が勝った、株が上がった、衆議院選挙、、、そういうことでザワザワしている姿です。核爆弾が落ちたら、すべて「灰燼に帰す」わけです。衆議院の候補者も「核爆弾をゼロにします」と公約する人は皆無です。国民も議員も一番の問題は常に先送り、いや永遠に何もしないかもしれません。使われるまでは、、。だから、どうでもいい問題に右往左往している姿に愕然とするのです。種蒔きしていても、作物が育ったとしても、爆弾が落ちたら、終わりです。

全世界の人は「核爆弾」が存在することを当たり前のこととして受け入れて生きています。核爆弾が無い世界は考えません。想像もしません。想像したって、どうにもならないのですから。

しかし、それをあえて私は想像してみました。すると、とてもいいんです。すごく安心できます。もしかしたら、それだけで世界中で病で苦しんでいる人の何割かが全快するかもしれません。それくらい目の上のたんこぶのようなものだなあと思ったのです。諸悪の根源かもしれないのです。

何故なら、人間が人間を信じない象徴的な人工的物質だからです。人間世界を自ら無にする道具です。自殺する道具をいつも持ち歩いているようなものです。そんな世界にいることが、人類全体にとって幸せであるはずがありません。ですから、徐々に人間を病的にしてしまう可能性は大ですから、癌になる人の原因の数%はそれが原因しているかもしれません。もしかすれば、全ての病の遠因になっているかもしれません。

つまり、核爆弾がなくならないうちは、人類は本当の幸せを手に入れられない、健康になれない。この世界が信頼関係で結ばれるには、核爆弾はあってはならない。

また、核爆弾に使われる莫大な金を他のことに転用できるならば、、、、まずこの世の中に飢餓はないでしょう。環境問題も解決するかもしれません。地球の浄化に使われ、地球はもっとまともだった時代に帰ることができるかもしれません。

じゃ、どうしたら無くすことができるか?核爆弾を無くそうという運動はありますし、デモもしているでしょう。すでに、何十年もしている団体もあるでしょう。表現活動で訴える人もいるでしょう。歌で、美術で、映画で、演劇で、バレエで、、、、。

しかし、核爆弾は増える一方で、効果が上がっているとは言えません。「言わせておけ」「やらせておけ」程度のもので、全く相手にされてないと言ってもいい。

そこで、私は今の時代だから、簡単にできることがあると思いました。ネットを利用することです。ネットで選択肢が二つだけあり「この世界に核爆弾が必要である」「この世界に核爆弾はいらない」この中の一つをクリックするだけで、その人の気持ちは反映されます。

誰かがクリックする度にカウントされて増えていきます。それが、どんどん増えていき「いらない」が圧倒的多数になったり、あるいは1億、10億票という数になった時に、あるいは20億、30億になった時に、それでも何も変わらないでしょうか。

我々はクリック以外何もする必要はありません。数だけが頼りです。しかし、それは絶大です。

元々、この世界を決定づけるのは、トランプやプーチンや、習近平やら、あるいはその裏で暗躍している人たちでしょうか。いいえ、我々地球市民一人一人の意思だと思います。我々こそ、決定する権利を持っています。その意識に帰るべきだと思います。「帰る」?いや、初めからあったのかどうか知りませんが、とにかく我々一人一人のものだと思うのです。

でも、その市民が犠牲になってはいけません。だから、気持ちだけを伝えるのです。その数の力が何の効力もなかったら、諦めるしかありません。

しかし、私はそれを信じられます。何故なら、この世界は意識が作っているだろうと思うからです。今、全人類の意識は「諦め」です。一人一人があまりに非力だからです。「私は何もできない」と諦めています。しかし、数が揃えば、莫大なパワーに変わります。それがクリック一つで可能です。

核を左右する人たちの気持ちが変わる以前に、我々の意識がクリック以前よりもさらに変わる可能性が高いのです。そこが大事なのです。例えば、世界平和を本当に望む人たちはどんどんクリックしていくでしょう。それがある程度増えていけば、少しは世界平和を考えている人も影響を受けて、クリックします。そうしてどんどん増えます。世界中で1億人に達したとします。すると、クリックした人も、そうでない人も「おーっ」てなると思います。それは連鎖して、さらにクリックする人は増えていくでしょう。

そして10億くらいになるとすれば、本当に世界の人々は「世界が平和であることを望んでいるんだ、自分と同じだ」とちょっと感動しないでしょうか。そうなっていくと、さらにその機運は高まるでしょう。無論どんな状況でも邪悪な人はいますから、反対票もある程度はあるでしょうけど、地球市民の普通の人は平和がいいに決まっていますから、まず90%は「不必要」と答えるでしょう。戦争がある度に、犠牲になるのは普通の市民です。あるいは、普通の市民から成り立つ軍隊です。普通の人は戦争をして死にたいなどとは思っていません。国の方針、グループの方針でしかたなくやるしかありません。そういう人が常に大多数なのです。そういう人たちこそが、数を増やしていくのです。それは多分地球市民の99%以上でしょう。

数を知ることによる人類全体の高揚感。これがさらに人類史上稀に見る大きな全体変化ー平和希求ーになるはずです。

ところで、ご存知でしょうか?人類の歴史の中で一度だけ数の力によって核爆弾投下を抑止したことがあります。「ストックホルム アピール」と言います。以下は、当ブログの中から抜粋します。

「ストックホルム・アピール」

徳村さんは戦時中、広島江田島の海軍兵学校の生徒でした。8月6日広島に原爆が落とされ、内部被曝しました。戦後は原爆関係の映画を作ろうとしていたグループに属していました。

その頃朝鮮戦争が起こり、アメリカ大統領トルーマンが朝鮮半島に再び原爆を落とすような動きがありました。それに対してキューリー夫人の娘婿であるジョリオ・キューリーが中心になって平和擁護世界大会委員会(のちに世界平和評議会)ができ、その動きを阻止しようとしました。

そのアピールの内容は

1、われわれは、人民にとっての恐怖と大量殺害の兵器である、原子兵器の絶対禁止を要求する。

2、われわれは、この禁止措置の履行を確保するための、厳格な国際管理の確立を要求する。

3、われわれは、どのような国に対してであれ、最初に原子兵器を使用する政府は、人道に対する罪を犯すものであり、戦争犯罪者として取り扱われるべきであると考える。

4、われわれは、世界中のすべての善意の人々に対し、このアピールに署名するよう求める。

―これらのアピールを採択、発表して、世界の人々に署名を呼びかけました。

その結果、世界中から5億人の署名が集められました。当時の世界総人口が25億人ですから約20%、70億人の今ならば14億人の署名です。日本からも639万人の署名が集まりました。当時の日本総人口8320万人の7.6%。今の人口ならば約1000万人になります。

1950年2月、平和擁護世界大会委員会書記局から日本の「平和を守る会」宛に委員会への招請があり、それを受けて大山郁夫・金子健太・川端康成の3人の派遣を決めパリの書記局へ返信をしましたが、連合国軍総司令部の渡航許可が得られず、出席は果たされませんでした。今回も同様ですが、アメリカの介入があり、日本の核兵器反対の意思表明は難しかったのです。

しかし、大山・金子・川端の代わりの人選が行われ、無許可であろうが、密航でもして日本から何人か送り出そうとしました。その一人として徳村さんが選ばれるのです。しかし、渡航許可がないので、徳村さん曰く「遣隋使、遣唐使の頃よりももっとひどい小さな漁船」での密航だったそうです。

                 吉村さん
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最初に着いたのが中国でした。その頃毛沢東が主席になって3年目で勢力がある時期で、中国共産党がトラック部隊を作り密航を担当していたのではないかと。北京ではアジアと太平洋地区の平和大会に参加し、それを終えると北京から飛行機でモスクワに向かったそうですが、吉村さん曰く「小さな飛行機で赤とんぼのように羽根をバタバタさせて飛び、生きた心地がしなかった」と。今でも飛行機だけはダメだそうです。

モスクワからは汽車に乗りウィーンに到着します。世界中から2000人が集まった大きな大会だったそうです。吉村さんは「そのアピールや会の影響はなく、国際関係、勢力関係からいえば、落とすことはできなかったのだろう。広島長崎を各国知っているーそれを後押ししたくらい」と言われましたが、ウィキペディアには

「アメリカ合衆国国務長官などを務めたヘンリー・キッシンジャーは、『この運動のために朝鮮戦争で核兵器を使うことができなくなった』旨回顧録に記している」とあるので、こうした運動はかなりの影響があったのだと思います。

ただ、この平和擁護世界大会委員会は「東側諸国の政府とその意を受けた西側諸国の社会主義者の主導で常設されていた」とあります。しかしその後、その社会主義国のロシア、中国、北朝鮮が核を持ち始めました。右も左も核保有をしている現状はよりひどい状況になっています。

しかし、ネットで個人が世界とつながる今の社会ならば、右左関係なく、各国の市民レベルの総意で反対表明ができるのではないかと思います。10億20億を超える署名が集まり、その機運が高まれば我々の力で核をなくすことも可能ではないかと思いますが、皆さんどう思われますか?(転載終わり)

当ブログの以下のページより転載しました。
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/452808127.html

「クリック一つで平和な世界」を思い描いてから、しばらくして「口に出して提案してみよう」と思い、ある日勇気を出して話してみました。最初は秋田県内での集まりでした。思った通り、ちょっとぼやけた反応でした。無論、反対はありませんが、想像外という感じでした。当然だと思います。「この地球に核爆弾あるのは当たり前」ですから、無い世界を創造することも、それを無くすことも想像外です。これが一般的反応だと思います。「無理だ」とは言いませんが、「無理だ、不可能だ」という言外の気持ちも若干伝わってきます。

しかし、各県で何度か話すうちに、すごくいい反応をしてくれる人に会うようになりました。その最初がこの人形を作った及川さんでした。これはタオル一つでできています。この人との遭遇も、路上での偶然の出会いでした。この方の話ではタオルで様々な動物が作れるのが伝わり、ある日突然タオルの会社から「すぐにニューヨークに来て、披露してほしい」と頼まれたとか、本当に面白い人生を歩んでいる人でした。こういう自由人は常識的な壁がないので、話はスムーズです。

             平和の使者「シロクマくん」
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そう、これは常識を超えた提案なのです。さらに、富山県の「くじら堂」で堀さんも酒井さんもこの非常識に賛成!新潟の嶋村さん宅でも同様でした。「意外に反応ありだ」と心強く思いました。

さて、今日この話をしたのは、少し進展があったからです。というのは、「話してみる」の様子見段階から「相談してみる」「助言を受ける」段階に入ったからです。その最初が羽咋市の高野さんでした。

高野さんはローマ法王に羽咋市のコメを食べさせたり、宇宙飛行士を地元に招待したり、本物の宇宙船を米ソから持って来て博物館を作ったり、、、、ちょっと図抜けた才能がある人だと感じ、提案してみることにしたのです。

しかし、会うこと自体が難しいと感じてはいました。というのは、すでに有名人で、講演会、大学での授業、僧侶としての仕事などなど、超多忙の人なので、会うのは難しいと何人もの人から言われたからです。しかし、いつものように、電話もせず、突然お寺「妙成寺」(能登随一の大伽藍あり)に行ってみました。

近くに食堂があったので覗くと「お昼食べて行きませんか」と話しかけられたので、高野さんのことを色々訊いてみました。そしてお寺の入り口の拝観料を払うところで、再び高野さんのことを訊くと「ここにはもういません」父親の後を継いで「妙法寺」の住職になったらしいのです。しかし、妙成寺は立派なお寺なので、見学だけして帰ろうと思いましたが、一周して40分かかると言います。

そろそろ12時、お腹も空いたので飯食ってからにしようと思い、食堂に帰りました。すると、おばさんが「高野さんのことで訊きたいことがあるなら、丁度いい人が来たよ」と、高野さんと役所で同僚だった女性を紹介してくださったのです。その女性に再び高野さんのことを根掘り葉掘り聞き出し、何となく輪郭が見えて来た頃に、その女性が「電話してあげよう」と予想外の展開ーというか、種の仕業!ーになったのです。

本人に電話しても出ません。ついで、息子さんに電話すると「宇宙科学博物館に父と一緒にいるけど、12時半までに来てもらえれば、会える」と聞いて、高野さんの尽力で生まれた「宇宙科学博物館」に向かいました。

                 高野さん
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博物館のエントランスでニューヨークから来た女性と歓談中でした。息子さんと私も会話の中に入り、12時半を過ぎて2時間も話していました。高野さんもこの世を憂えている人ですが、その解決策としては「黒船」だと言います。つまり、UFOという黒船が来ることで、地球人は一致団結してまともな世界になるだろうと。高野さんは学生時代からスタンフォード大学のUFO専門の先生のところへ訪問するほどUFO研究をしていて、筋金入りです。高野さんの話では、遠い星から地球にやって来るくらいだから、かなり高度な科学技術力を持ち、それに比べれば地球人は人間にとっての猿程度にしか見えないだろう。科学技術力も低い上に、自虐爆弾ともいうべき核爆弾を無数に作っている愚かな動物たち程度に見ているだろうと。彼らは地球人に攻撃的というより(もはや敵には成り得ない)、老婆心で見ているのが宇宙人だと。

そういう話を一通り聞いた後に、私の提案を話してみたのです。当初はポカーンとして「こいつ、バカじゃないか?」という感じでしたが、ストックホルムアピールの話などもしているうちに、「いいかもしれない。それは国連大学に提案してみよう。幸い親しい人がいるから」ということになったのです。

無論、どういう展開になるのかわかりません。ただ、高野さんが言うには、この提案は「権威が付く必要がある」ということでした。それによって関心が集まり、クリック数も増えるだろうと。

ローマ法王、宇宙飛行士、木村秋則、宇宙船、、有名な人、物、組織を使うのがこの人の特徴的なところです。それが今回のことでも、功を奏するかどうかはわかりません。また、国連という組織が一体どういう組織なのか、わかりません。本当に、世界平和のために存在するのか?

今回の旅は基本的な考えは変わりませんが、動き自体は「流されるまま、風の向くまま、気の向くまま」が基本になっています。そうすると、偶然が多いこと、意外な人に会うこと、面白い展開になることに気づきました。高野さんに会ったことも、その一つです。国連の話が出たのも流れの一つだと思います。国連大学が提案を受け入れて、この二者択一のアンケートをするに至るのかどうか、わかりませんが、流れがそこで止まれば、また別な方向に流す(流れる)ことになるでしょう。

ただ、どういう方法のアンケートであれ、問題は投票というのは改ざんの可能性があることです。それをいかに監視するか。これが大きな問題だと思います。

この提案に対して、何か意見があれば、ぜひコメントしてください。あるいは以下へメールください。また、共感できる方は、この文章を拡散してください。また、ネット上のアンケートに詳しい方、ネットの仕組みに詳しい方、良心的ハッカーの方等々もぜひ連絡をください。
daiki8822@yahoo.co.jp

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2017年10月18日

9月2・3・4日 鶴岡市(山形県) 8355ー8389

9月2日、小嶋さんと鶴岡市に向かいました。野菜だけを食べるレストラン「土遊農」に行きました。ここに面白い人がいるというので、ついて行くことにしました。「面白い人」=山澤さんのことは、明日詳しく書くとして、今日は種を蒔いた人を紹介します。8355番〜8370番。

レストランには野菜類のビニールハウスが隣接しており、そこにも訪問者が次々にやってきます。最初に出会ったのが、これも奇遇!「スパイバー」の外人部隊(笑)の皆さん。右、小嶋さん。
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「スパイバー」を知らない人も多いかもしれませんが、世界の未来を変えるかもしれない日本の企業です。山形県鶴岡市にあります。以下、紹介文の一部を転載しますので、詳細はサイトを覗いてください。

『クモの糸を人工的に作る―。そんな、世界の科学者たちが驚愕する技術を山形県鶴岡市の大学発ベンチャー・スパイバーが実現した。同社の「タンパク質の産業化」という構想は、世界の未来を変えるかもしれない。』

『米軍やNASAをはじめ、世界中の研究者たちが人工クモ糸の生産を目指したが、いずれも実用化に至ることはなかった。そんな前人未踏の領域に踏み込み、世界初の偉業を達成したスパイバー株式会社の関山和秀氏。化石燃料の枯渇が懸念される中、「人工クモ糸の産業化は、地球規模の課題を解決するカギになる」と言う。』
詳しくは以下
https://www.projectdesign.jp/201411/pn-yamagata/001713.php

種蒔きの続き
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野菜類から化粧品や石鹸を作り、商品になっていました。
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これが山澤さん。話し出すと止まらない。でも、面白い話ばかり!
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レストランのコックさん(ここはすべて女性)に
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野菜栽培の担当の方に
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9月3日、山沢さんのパワーに圧倒され疲労し、1日休養していました。山形県にはパワフルな人が多かったです。

9月4日、うどん屋で8371番
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いろいろ質問を用意して再び「土遊農」へ行きました。8372番〜8389番。
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レストランの設備設計施工を担当された和製イブモンタン、高山さん。
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(鶴岡市内種蒔きはここまで)

現在地:石川県羽咋市(これは「はくいし」と読みます。「白衣を着た羽咋市民」と覚えます)にいます。午後には津幡市に行く予定です。近場の人で、タネに興味ある人は以下へ。daiki8822@yahoo.co.jp

ところで、羽咋市で編み物の天才に出会いました。
これ、ただの半ボールですが、
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裏を返すと、ハリネズミの帽子。
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2017年10月17日

9月2日 真室川市(山形県) 8354

「湯の前おら家」の駐車場で目が覚めて、掃除のおじさんに8355番。
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昨夜知り合った小嶋さんと高橋さんのところで合流しました。高橋さんはすでに仕事中。
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畑に案内してもらいました。
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役場を辞めて、農業に専念しているそうです。
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作業場にはトウモロコシ、豆や花が干してありました。
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高橋さんにはマメ類をはじめとして、何種類ものタネを頂きましたが、このトウガラシはサヤに入っている状態でもらいました。数日後、しっかり乾燥してから、車の中でタネ採りをしました。目の上が痒かったので、種を取ったその手で掻きました。しかも、両目とも、、
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「あ、しまった!」しかし、時すでに遅し、、。瞼(まぶた)が焼けるように痛くなりました。何とか目をウエットティッシュで拭きましたが、逆に痛みが広がるばかり。「あああ、、うううう、、、」

車内でもがき苦しむ長髪にヒゲの男は覚醒剤でもやっているように見えたかもしれません。助けを呼ぶには、状況が怪しすぎる。トウガラシごときで「助けて!」も情けありません。

こういう時には「ネット検索だ!」と思いましたが、それをするにはあまりに痛すぎて、スマホやパソコンを長く見ることができません。

そうだ、電話で誰かに相談してみよう。何とか電話の画面が出たので、履歴の一番上はさっき電話したばかりの姉の番号!すかさずプッシュ!ところが、出ません。こういう時に限って、、、。

だんだんと目も開けられなくなって「失明するんじゃないか」と不安になりました。公園の駐車場だったので、トイレがありました。「そうだ、水で洗い流そう」

半失明者状態で、何とかトイレまでたどり着き水道で目を洗いました。ウエットティッシュで体験済みなのに、再び同じ過ちを犯しました。「うわー、ぎゃー」

近くで誰かが見ていたのかさえ、わかりませんでしたが、その時、私は「してはならないこと」をしていました。痛みが落ち着いてから、再びトイレに用足しに入った時に判明しました。私は慌てて、女子便所に入っていたのです。

私の叫び声以上の声は聞こえてこなかったので、誰もいなかったのでしょう。翌日の新聞に「種蒔夫、わいせつ罪で捕まる」と出なかったのは幸いでした。

ということで、トウガラシの種取りをする時には、くれぐれも注意してください。絶対、その手で繊細な皮膚には触らないように。

ただし、攻撃用にはいいです。夫婦喧嘩の際には「ちょっと、休憩しましょう。あなた目の上に何かついているわよ。取ってあげる!」勝ちは保証されます。ただし、痛くて目が開けられないのは約15分間くらいなので、その間に決着をつけてください。10センチはある大きなトウガラシです。山形県産・生産者高橋「攻撃用トウガラシ」として持ち歩いているので、欲しい方はぜひ!
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トウガラシ災難話が長くなりました。次に行きます。山形で最初に尋ねた佐藤さんの仕事場に行きました。佐藤さんはリンゴ栽培して、それをジュースにして売り出そうとしています。そのジュース工場兼売り場に行きました。作業中だったので、小嶋さんと手伝いました。お礼に頂いたのが、この数年寝かせた残りわずかな高級りんごジュース。早速飲みたくなったので、工具で開けて頂きました。マイルドな極上品でした!!
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2017年10月16日

9月1日 真室川町(山形) 8288ー8354

種蒔き報告の続きは、いよいよ9月1日になり、山形入りした日からです。この日、秋田県から山形県に入り、真室川町の「森の家」(佐藤さん=秋田「たそがれ」から紹介)を訪ねました。奥さんがおられたので、米と麦のタネと、その他諸々差し上げました。8288番と8289番。
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さらに「たそがれ」紹介の「工房ストロー」(高橋さん)さんをナビを頼りに行きました。ところがそこには家はありませんでした。ナビの完全なる間違いでしたが、意外なこと(種の仕業!)にその近くに「湯の前おら家」があったので、入ってみると、そこに高橋さんが展示の準備中でした。「種蒔夫です。、、、」と自己紹介すると「今日は勘次郎まつりですけど、参加しませんか?」
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山形県に入ったその日から、伝承野菜(胡瓜)の祭りとは、またもや「種の仕業」に違いありません!(笑)早速、準備中の皆さんに種蒔き。8290番〜8292番。
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高橋さん栽培の綺麗なマメ類が並んでいました。
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夜7時にいよいよ始まりました。私も挨拶させてもらいました。
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これが主役の勘次郎胡瓜。
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でも、こちらに目が行きます。
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いよいよ種蒔きです。右の方が佐藤さんでした。これより以下8293番〜8353番
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この日のシェフ。美味しかったです。ありがとうございました。
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翌日、この小嶋さんと行動を共にしたことで、意外な人に出会うことができました。また、その後小嶋さんの故郷・米沢市を案内してもらい、その時にも意外な展開があり、小嶋さんは私にとってのスペシャルガイドでした。ありがとうございました!
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机の上に種を並べて、農家のおばちゃんたちにお分けしました。その後、半月間のうちに243人の山形県人に種蒔きしましたが、さすが山形県、在来種も30種類くらい増えました。ありがとうございました。
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昨日の「のとじま手まつり」では100人に種蒔きしましたが、そのうちすでに種蒔夫の「米と麦の種」を手にした人が2組(3人、愛知県と群馬県で蒔かれた人たち)いました。日本人口14000人に一人なのに、そのうちの3人に会うとは、またもや種の仕業!


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2017年10月15日

8月30日 横手市・湯沢市・東成瀬村(秋田) 8271ー8287

横手町を目指して走りました。「ワオー ビューティフル ジャパニーズ タンボ!」
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北海道の「まほろば」さんの紹介で「羽場こうじ店」へ。
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社長夫人とお嬢様へ8271番〜8272番
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店の商品から生まれた漬物も、、
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和菓子も美味!
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ここの味噌を使用しているラーメン屋さんが来られて8273番を
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息子さんに8274番を
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同じく「まほろば」紹介の「日の丸醸造」さんへ8275番
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蔵の中には立派な生活空間があります。この辺りの蔵文化なんですね。この町には10〜20件くらいありました。
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「佐藤養助漆蔵資料館」に入りました。ここはうどん屋さんでもあります。
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美味しいうどんを頂きました。秋田県は他のどこよりも美を感じる県ですが、このうどんの寝かせ方!こういう配慮が秋田県なのです。8276番と8277番。
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ここにもありました。蔵の美。
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使い難いほどの日本の便所美!
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次に同じく「まほろば」紹介の醤油の石孫本店へ。8278番〜8280番。
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まほろばの醤油がありました。醤油というより、高級黒ワイン!
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同じ湯沢に岩手「タイマグラ」紹介のパン屋「パーノ」に行きました。普通の家屋がパン屋さんになってました。この道20年の姉妹パン屋さん。
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お客さんに8281番。額の絵はこのお客さんの子供の仏像画。
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仲のいいパン姉妹に8282番と8283番
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さらに、お客さんが来られて8284番と8285番
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東成瀬村に杉山さんを訪ねましたが、留守でした。8286番と8287番。
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どこの山でしょうか。富士山のようないい形でした。(高橋麻美さんより指摘あり、「鳥海山」でした。)
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今日はこれから「のとじま手まつり 2017」で種蒔きます。おいでください。
七尾市の能登島Weランドです。

posted by 種まく旅人 at 09:14| Comment(0) | 種受取人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月14日

種まき予定 のとじま手まつり2017 

明日 2017年10月15日 石川県七尾市能登島の「のとじま手まつり2017」で種蒔きします。ぜひ、おいでください。
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お金の無い方、もったいない方は、会場の外で車を見つけて待っていてください。これが目印!
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