2024年04月15日

映画「自立への道」の書籍化

以下、読んでみてください。

高校の授業

ものすごい新鮮でしたね。授業めっちゃいろいろ学ぶ機会じゃないですか。で、どんどん入ってくるじゃないですか?でも案外それを周りの子たちは、受け流したままにしている感じがすごい不思議だった。何でそんなに面白いのに、受け流すの?みたいな。

まあ、苦労もしましたけど、だいぶ。愛真の3年間は結構ずっと書くことの訓練な感じはありましたよ。

競争

競争する必要はあるだろうかっていう感じのイメージはありました。愛真高校もそんなに競争させるような場所でもなかったし。

種発言「それに、競争が嫌いな子が来るのかもしれない」

そうそう。割とそういう学校だったので、競争社会だみたいな話は聞くけど、実感としては、そういう場にいた記憶はあんまりないので・・・。

人間関係

まあ、そんなに苦労した印象はないですね。今まで大人の人としか話してなかったから、逆に浅い話ができないというか、いわゆる同年代の人たちが話す話題はうまくは入れずに。

でもまあ、逆に言うと伝える力は僕は弱かったと思います。やっぱり大人の人は聞いてくれるじゃないですか?子供のことってね。たとえ、おどおどした伝え方が下手な人でもうんうんって聞いてくれる人ばっかりだった。むしろ、こっちから伝えようとしなくても聞いてくれるみたいな環境だったので。だからこっちから伝えなきゃいけないという時は今でも苦労しますね、それはね。

苦手は苦手です。人と交わるの。苦手は苦手なんだけど、それでいいかなあと思うし。だって、僕なので。後は、必要になれば関わるし。まあ、関わらざるを得ない時もあるし、そういう時は、関われるぐらいのコミュニケーション力はついたし。まあ、それで十分だなあっていう感じですね。

社会科系に進んだ理由

何で原発あるんだろうとか、何で政治って、ぼくらの周りの声とは全然違う形の政治だったので、何で政治ってそうなっちゃうんだろうっていうのを知りたくて大学行ったんですね。京都精華大学の人文学部っていうところでしたけど。

大学入試

まずまずの学力だったので。
AO入試でした。

京都精華大学を選んだ理由

一風変わった先生たちが多くて、ずっと反原発運動続けてきてた先生だとか、アボリジニーの研究してた先生だとか、ごみ問題とか環境教育とかそういうの研究している先生とか面白い先生たちが多かったので、だから選んだんですけど。(転載おわり)

種蒔夫より

映画「自立への道」を見た方は、記憶している方もおられるでしょう。これは、桝本草平さんという元不登校児童だった人が質問に答えているシーンです。草平さんは、幼稚園時代からそういう場所が苦手で、結局小学校・中学校は全休不登校という華々しい経歴!不登校時代はサッカーのゲームに夢中で、いまでも相当な腕前で自分の子どもがびっくりするほど。
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                草平さん

それでも、両親がやっていたハム・ソーセージの工場には手伝いに行っていたそうです。なので、文中の

「やっぱり大人の人は聞いてくれるじゃないですか?子供のことってね。たとえ、おどおどした伝え方が下手な人でもうんうんって聞いてくれる人ばっかりだった。むしろ、こっちから伝えようとしなくても聞いてくれるみたいな環境だったので。」

それは工場の方々との触れ合いを意味しています。不登校の子どもたちは時間があるんだから、他の人と触れ合える場所があれば、積極的に行くのはいいことだと思います。学校では学べないことがけっこうあり、人生勉強にもなると思うのです。いろいろな職種の人と触れ合うことはお勧めです。ただ、不登校の理解者の方がより望ましいのは無論ですが、だからこそ居場所とか、子ども食堂とかは大事だと思います。

文中「今まで大人の人としか話してなかったから、逆に浅い話ができないというか、いわゆる同年代の人たちが話す話題はうまくは入れずに。」

この言葉もあることを示唆しています。つまり、不登校の時期に大人と話す機会が圧倒的に多くて、早くに大人になってしまった。それで、幼い同学年のレベルについていけないことを言っています。子どもは環境次第で、早くに大人になれるのです。国際的に見ても、日本人は精神年齢が低い(社会的関心が薄い)ので、これも教育問題の一つだと思います。私の経験ではフランスの中高生が日本の大学生くらいでした。

登校児童の欠点の一つは、いつまでも同じレベルの子どもとしか付き合わないのでいつまでたっても「チイチイパッパ」しているのです。

それにしても、驚くのは学校へ行かなかったにもかかわらず社会のことに関心を示していることです。学校へ行くと社会のことは「社会」という学問として受け取りますが、不登校の場合はもっとストレートに入ってくるのだと思います。

学校は「社会」という形から学びますが、草平さんの場合は、例えば大人の会話の中に出てくる「原発」とか、「選挙」とか、「政治家」とかが「生の声」として、実感を込めて入ってくると思うのです。それはかなり違うことだと思います。親も「勉強しなさい」というよりは夫婦で環境問題を話したりとか、そういう社会に対する意識が強くないと、本当の社会の有り様は見えてこないと思います。なので、不登校児童を抱える親は、それを心配するよりは、我々の社会自体のことを話す方が将来的にその子どものためになっていくと思います。

保護者も社会の一員としての自覚とか、納税者としての権利とか、そういうものが意識されていないと子どももやっぱり選挙には無関心だったり、社会をより良くする国民にはなれないと思います。

結局、草平さんはお姉さんが行っていた愛真高校を見学に行き「ここで学びたい」と強く思い、1年浪人して合格し、入学します。文中の

「ものすごい新鮮でしたね。授業めっちゃいろいろ学ぶ機会じゃないですか。で、どんどん入ってくるじゃないですか?でも案外それを周りの子たちは、受け流したままにしている感じがすごい不思議だった。何でそんなに面白いのに、受け流すの?みたいな。」

学校という社会を知らなかった草平さんには、授業というもの自体がとても新鮮だったのです。だから、吸収力もすごかったと思います。完全不登校というのは、こういう利点もあるのです。そもそも人間は「学びたい」「知りたい」という欲求が備わっているのだと思います。学校はその人間本来の欲を上手に使いこなせていないのだと思います。無理矢理、頭に詰め込ませるのが通常のやりかたです。それでは嫌になります。最後にはテストをして、できるとかできないとかレッテルを張る。本当の理解とはそういうものではないということも、草平さんは暗に語っていると思います。

草平さんは大学を卒業した後に、高校の社会の先生になります。小中学校へ行かなかった人が高校の社会の先生!それだけでも衝撃的です。しかし、そこに安住しないのもまたすごいです。つまり、彼が最後に選んだのは農業でした。なぜか?

別なシーンでこんな発言があります。

「どんなに勉強しても、まずは自分でしっかり生きてることが大事なんだなって思って。で、しっかり生きるってどういうことかなって思ったら、自分に必要なものぐらいは作れる人かなと思って、、、、」

草平さんの言葉は何から何まで、いろいろ考えさせますが、この会話はたったの3分ほどの間ですが、それだけでも示唆することが盛りだくさんです。

実は映画「自立への道」の書籍化を考えています。上映会後に書籍化の要望があちこちから出ていたので、計画はしていました。しかし、なかなか着手できずにいたら、ある時にそのチャンスが来ました。

昨年10月に岐阜県内で上映会をした際に、風邪をひいてしまい辛い思いをしながら上映会を続けていました。しかし、上映会をしてくださる方々は本当に優しい人が多くて「休んだください」といって宿泊させてくださるところが二軒もありました。二軒目に行った高田さんというお宅に泊まった際に、男の子が3人(長男は他県の中学寮生活)いて、小学生が二人いました。

彼らは帰国子女でした。なので、十分に日本語がわからない。僕もフランスに長い間いたので、語学に関する苦労はよくわかります。学校でも先生の言うことがわからない場面もあるだろうなあと想像しました。そうなると授業も難儀するだろうと。それも不登校の原因になります。日本語の語彙やニュアンスを増やす。漢字を覚える。音声、語彙、漢字、、、難しい日本語。それらを習得するには?

一方で上映会後の座談会で、その子どものおかあさんから「ゲームに夢中になる子ども」の相談がありました。彼はゲームが大好きでした。そこでわたしはピーンと来たのです。

「ゲームを餌に、日本語を勉強する」

映画「自立への道」の文字起こしのご褒美にゲームをする。

私は使わないパソコンがあったので、それを使って

「文字起こしをして、やった分だけゲームができる。」というルールを作って、実行してもらいました。完了した暁には、パソコン進呈!

日本語が苦手なのに、それに耐えられるか?

私にはとっておきの方法がありました。

「少しずつだけど、毎日」

これはすべてに通用することなので、みなさんにもお勧めです。

たとえば

一日目 パソコンを開けるだけ。
二日目 映像を見たい分だけ見るだけ。
三日目 最初の一言を書いてみる。「わたしは」だけでもいい。
四日目 それに続く二言目「不登校です」
こういう風に、負担がない程度にしかしないのが鉄則です。何故なら、負担になることはだれでも嫌ですし、長続きしません。しかし、少しずつわかってくると、費やす時間はおのずと長くなります。それで、可能ならば一日にインタビュの中の一つの質問と一つの返事をノルマにする。

こうして、「少しずつ毎日」を提案したら、思った以上にはかどり、1年かかるとおもっていたところが、すでに9割終わっており、5ヶ月くらいで完了する感じです。今回の文字起こし部分は、全て彼がしてくれた仕事です。

しかも副産物がありました。彼は単に文字起こしするだけではありませんでした。ちゃんと内容を把握していました。それが文中の「AO入試」という言葉でした。

「これ何?」ピンと来たのでしょう。彼は調べて、自分に適応できると思いました。

検索すると以下のように書いてあります。

AO入試

「テストの点数だけではわからない、志願者の能力を様々な側面から評価し、合否を決定します。」

自分の個性や強みがあって、それをうまく表現できれば、合格する可能性は高まります。彼にはすでに「帰国子女」「英語」という特性があります。

(種蒔夫注:実は「不登校」も特性に入ると思います。自己主張の強さ、個を曲げない。安易に同調しない。「不登校」実は利点、長所盛りだくさん!しかも、年々理解は深まっています!「不登校から見えた世界」を言葉や絵画、映像で表現すれば、登校生徒を圧倒するはず!)

その上に彼は想像しました。

書籍「自立への道」の「文字起こし係」という大役を果たす、という特性。しかも、小学生でやり通したその根気強さは他に類を見ない!

なので、そのためにもこれは書籍化しなければなりません。😊

しかし、書籍化はとてもお金がかかることなので、簡単にはできません。どこかにこの映画を書籍化したいという会社なり、組織、個人はいないでしょうか。先に示したように、元不登校児童の一言一言が示唆に富んだものばかりです。不登校問題をかかえる本人、両親、そして教師、教育委員会、文科省に大きな影響を与えると思います。ぜひ、ご協力ください。

 



posted by 種蒔夫 at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画「自立への道」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月12日

豊田市での上映会報告2ー天才はどこにいるのか?

豊田市は世界のトヨタがある都市です。上映会とは関係ないなあと思っていたら、会場にトヨタの研究員の方が来られて座談会後に雑談しました。その際に、新入社員の採用に関して話がありました。世界の大会社と言えども、能力のある人間をどうして見出すかは難しい問題のようです。

トヨタに限らず、どこの会社も「研究員」は会社の新製品の核になる人材ですから、もっとも重要なことの一つでしょう。もし、現在の日本の会社において、研究員の人材難に見舞われているとしたら、原因の一つは日本の公立学校の教育にあると思います。

日本の公立学校ではADHD(注意欠陥・多動性障害)・ASD(自閉症スペクトラム障害)・LD(学習障害)に対して十分な理解がされていません。理解するどころか、排除するような方向に思えます。

そういう人たちの中には能力が高い人が含まれていることが、最近専門家の中で言われ始めています。先日のNHKの視点論点という番組でも「天才をいかせる社会に」というタイトルで岩波明氏(精神科医、著書「文豪はみんな、うつ」「どこからが心の病ですか?」「天才と発達障害」など著書多数)から、興味深い報告がありました。

例えば、世界的にも評価され、ゴッホに影響を与えた葛飾北斎。極端な転居癖(93回)があり、頻繁に改名(30以上)しています。絵を描くことに過剰に集中し、全ての精力を注ぎ込み、連日、画作に明け暮れ、それ以外一切しない生活でした。ルーズでだらしなく、片付けもできず、掃除もせず、いつも破れた衣服を着、食器もなく、料理は買うか、もうらうかで、食い散らして、片付けもせず。そうして部屋が汚くなると、生活困難になり転居を繰り返したのです。金銭にも無頓着、収入があるにも関わらず、常に貧しく、衣類にも不自由しました。岩波氏の判断では葛飾北斎はADHDが疑われるようです。
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ネットで検索すると、各職種で天才的な働きをした人の中には精神障害を抱えた人がかなり見受けられます。以下のサイトより転載します。
https://tokyo-brain.clinic/psychiatric-illness/dd/1689#i-4
https://nemnocafe.com/bill-gates/

ADHD(注意欠陥・多動性障害)を抱えながら活動している有名人

ウィル・スミスさんは失語症、黒柳徹子さんは計算障害とADHD(注意欠陥・多動性障害)だけでなくLD(学習障害)も併発しています。このように発達障害えも何個もの症状を併発している人も少なくありません。

長嶋さんはなにか一つのことに集中すると他が見えなくなったり、相手チームの顔色が読めないと困惑していたことから、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の特徴と合致する部分があります。

海洋生物の知識が豊富なさかなクンですが、学生時代絵や図工が得意だったが他の勉強は全くだめという発達障害の特徴が全面にでていたそうです。そしてさかなクンの場合お母様が素晴らしく、魚の絵ばかりを書く息子を止めず個性を理解し活かす教育をしていたそうです。

ジミー大西さんはなんと言っても絵の才能です。ジミーさんの絵は数百万で取引されるほど価値のあるそうで、特に色彩感覚はずば抜けた才能があるそうです。ジミーさんのようなある分野に天才的な才能を見せる人はサヴァン症候群(左脳が損傷し、右脳だけが補うように発達する)とも言われています。

SEKAI NO OWARI深瀬さんは、ADHD(注意欠陥・多動性障害)を公表しており、小さい頃は喧嘩が多く、集中力がなく成績も悪かったそうです。学生時代は二次的障害でひどいパニック障害を患い、精神科に入院していたという壮絶な過去も公表しています。深瀬さんのように発達障害の人の中には、精神疾患を合併症として発症する方も多く、二次的障害に苦しんでる方もいます。

その他
マコなり(真子 就有)

ASD(自閉症スペクトラム障害・アスペルガー症候群)の有名人・芸能人・スポーツ選手

イチローさんは公表していないですが、毎朝カレーを食べる、飯は絶対炊きたてやいつもと違う調味料を使うとすぐに気づくなど、食へのこだわりや味覚が過敏なエピソードや、球場入りまでの行動が決まっているこだわりの強さから、アスペルガー症候群の特徴が垣間見えます。(種注:マリナーズ時代、同僚たちからの袋叩きをかろうじて回避したことがありますが、自分の成績への固執が災いしたか。活躍の割に仲間がいないようです。)

米津玄師さんは発達障害を公表しており、昔組んでいたバンド仲間とのコミュニケーションが上手く取れず解散してしまったり、他人が何を言っているのか理解できないこともあったそうです。また、音楽を作る際のこだわりが強いためミリオン再生回数を叩き出すほどの曲を作り出せるのでしょう。

栗原類さんは「ネガティブすぎるモデル」としてテレビや雑誌にと活躍されてます。発達障害もカミングアウトされています。栗原さんもやはりこだわりが強く、物の位置が少しでもずれていると気持ち悪く直してしまったり、人の怒鳴り声や大きな声、テレビの大きな音がとても苦手という聴覚過敏の特性もあります。

スティーブ・ジョブズさんは子どもの頃から、興味を示したことは全てやらないと気がすまない子どもだったそうで、勉強にはとことんのめり込んでいたため飛び級するほど成績が伸びたそう。アップル製品の芸術性の高さはデザインに対して頑なに主張を曲げないこだわりの強さから来ているかもしれません。

イーロン・マスク氏も自身がアスペルガー症候群であることをアメリカの人気番組で公表しました。電気自動車を考案したり、火星に人類を送り込もうと計画している稀代の起業家として知られる彼は、人とは違う感性やこだわりを持っているからこそ、世界を驚かせるような事業を展開しているのでしょう。イーロン・マスク氏は次から次に新しいことが思い浮かんでしまい、シャツのボタンが上手く留められないという逸話もあることから、ADHDの特性も持ち合わせているかもしれません。

その他

ビル・ゲイツ

LD(学習障害)を抱えながら活動している有名人

ミッツ・マングローブさんの場合、字が認識できないため読むことが困難だそうです。そのため全て絵にしてイメージで捉えるという勉強法を行い、慶応義塾大学法学部に合格。”女装家”として、バラエティ番組で活躍されております。

トム・クルーズさんは難読症です。字が読みにくい、または全く読めないためセリフは録音したものを聞いて覚えるという独自のやり方で克服し、ハリウッドスターとして数々の映画に出演しております。

その他
スティーヴン・スピルバーグ
ウォルト・ディズニー


発達障害だったのではとされる偉人

坂本竜馬⇒ADHD
遠慮がなく、人の話を聞かずに、よく居眠りしていたという同時代人の記録があることから、ADHDだった可能性があります。

織田信長⇒ASD
織田信長は坊主の教義に耳を傾けるような従順な人間ではなく、自分の衝動を抑えられない問題児だっと記録に残っていますが、戦国時代では、型破りな戦略が功を奏しました。

レオナルド・ダヴィンチ⇒ASD
一つの物事に異常に執着し、集中し、没頭するという性格が、絵だけではなく、医学・建築・天文学で生かされました。

トーマス・エジソン⇒ADHD
子供時代、授業の途中で疑問が浮かぶと、学校の先生をを質問攻めにして授業を中断よく中断させたいう逸話があります。衝動性が『発明王』と言われる原動力となったようです。

アルバート・アインシュタイン⇒ASD
5歳までほとんど話すことが出来ず、読み書きが苦手で、数学以外のことにはあまり関心を示さなかったと言われています。しかし、物理、数学で圧倒的な能力を発揮されました。

モーツァルト⇒ADHD
作曲家のモーツァルトは多動性や衝動性、特定のものへのこだわりといった特徴から、発達障害の可能性があったといわれます。(転載おわり)

岩波氏によれば、主要な発達障害はADHDとASDであり、その傾向を以下のように分析しています。

ADHD(注意欠陥・多動性障害)

小児期から多動性、衝動性、不注意が持続的に認められる。多動性というよりは「じっとしているのが苦手」「手足をもじもじする」傾向。「忘れ物、失くしものが多い。片付けが苦手」は小児期も思春期以降も頻度が高い。対人関係を得意とする例が多いが、失敗を繰り返すことで長続きしない傾向がある。衝動的の影響で「一方的にしゃべる」「一言多い」ことで、孤立する場合もある。

ASD(自閉症スペクトラム障害・アスペルガーや自閉症を含む)

対人関係、社会性の障害、常同的、強迫的行動、同一性へのこだわり。空気が読めない、場の雰囲気が理解できないために、集団の中で孤立する場合もある。一方的な言動を繰り返すこともある。興味の偏りにより、マニアックな行動パターンを示し、特定のものを収集したり、詳しく記憶する場合が見られる。行動パターンに独自のルールを持つ場合あり。生涯友人がまったくいない例もある。物静かでおとなしい存在として受け入れられているケースもある。

岩波氏は最後に以下のように指摘されました。

「彼らは社会的枠組みに適応できないことで、無視されたり、排除されやすい。各個人の特性に合わせて、柔軟に対応することが求められる。決められた枠組みを突破し、新しい価値を生み出すのはこうした特性を持つ天才たちであり、彼らの力を利用することは社会にとっても大きな価値を持つ。」

種蒔夫より

こういう人はレベルの差はあれ、クラスに一人、学校に一人くらいは存在していると思われます。しかし、学校側は病名だけつけて、「だから、これこれだ」と否定的に判断しておわり。彼らに人並外れた才能があると想像してくれる教師はなかなかいないでしょう。それが彼らを世の中に役立つような人材にすることを妨げているように思います。できれば、各学校に一人は、ADHD、ASD、LDなどの専門家がいれば、本人にとっては無論のこと、日本の将来、あるいは人類の未来にとっても非常に有効だと思います。こういう専門家は才能を成績だけに固執する教師と違うので、他の生徒にとっても役立つ人だと思います。

個人の能力の見極めができない現在の学校からはみ出した不登校児童生徒の中には、こういう傾向の人もいる可能性が高いので、ぜひとも注意を払ってみていただきたいと思います。

関連ページ
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/501198469.html?seesaa_related=category
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/501207274.html




posted by 種蒔夫 at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画「自立への道」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月11日

水原一平博打問題について

大谷が1000億円で契約した時より、水原が7億近い金をネコババしたことの方が衝撃が大きいように思います。

この問題を二つの場合に分けて、考えてみたいと思います。二つとは、水原が金を引き出した場合と大谷が引き出した場合の二つです。その点に関しては、まだはっきりしていません。大谷、水原の証言は別にして、真実はまだ出ていません。

水原が引き出した場合

これは金の出し入れまで水原が管理していたことになります。相当な信頼関係があったということです。これは、日本人ならばありそうなことです。日本では「落とした財布は出てくる」と国際的にも驚かれていますが、こういう国はあまり無いでしょう。それが意味するのは、「人のものを盗んではいけない」という道徳心です。日本人ならば、当たり前でしょうけど、これが一億人に浸透するのは難しいことです。しかし「盗んではいけない」というより、拾った瞬間に「やった!儲けた!」という意識より「無くした人の気持ちになれる」という点が他の国の人との違いかなと思います。

「振り込み詐欺」も同様で、こういう手口で金を盗み取ることができるのは日本くらい、いや日本だけかもしれません。これだけ社会問題になっていても、いまだに被害者がいるんですから、日本人というのは本当に騙されやすいというか、人を信じるというか、良いことなのに悪用されるこの現代社会。ただし、これが通用しにくい地区があるのです。大阪のおばちゃんたちは騙されないそうです。それだけ金にシビアで現実的なんでしょう。

話を戻して、大谷も「人のものを盗んではいけない」と思っている日本人の一人で、さらに「信頼している人が盗むわけがない」と思うので、財布を預ける、カードを預ける、小切手を預ける、貯金通帳を預ける、、、ということが行われていてもおかしくないでしょう。大谷が大阪人なら、こうはしなかったかもしれませんが。笑

私自身も信頼関係のあった人に盗癖(被害者は他者)があることを8年後くらいにわかって、その衝撃はいまでもあります。何の衝撃が残るかと言えば、なぜ裏と表の顔を使い分けることができたのかが、理解できないのです。この場合の水原もそうですが、大谷に寄り添う水原と、大谷の口座から大金を抜き出す水原はどうしても一致しません。大谷は今後も活躍するでしょうけど、水原を理解することは一生できず、その部分だけは空白のまま過ごすことでしょう。

人間はだれでも二面性を持っていますが、これほど極端に違う人も珍しいでしょう。元々病的に二面生を持っていたという可能性もありますが、本人(あるいは他者)が証言しない限りわからないことです。また、人生の中で大金を目にする状況、あるいは近くにある状況、使える状況になったときに人間が変わるのはよくあることです。高給取りのスポーツ選手はいいなあとみんな羨みますが、実は以下のようなこともあると指摘されています。

「昔から、メジャーリーガーは若くして大金を得るので、お金の使い道を誤るケースは多々、ありますし、億単位のお金を稼いでいても、引退後に自己破産する元選手は多いんです。これは野球に限らず、米4大スポーツ(野球のほかアメリカンフットボール、バスケットボール、アイスホッケー)の元選手たちに顕著にみられ、社会問題にもなっています。」(転載終わり)
https://news.yahoo.co.jp/articles/3a4d01c2bcb635589f4f43b0027c2db4c05c618c

今回の場合は、本人でなく、周囲が金の力で人生を棒に振った形です。本人、周囲の違いはあれ、結局金の集まるところには、有象無象が集まるのは常のことで、大谷のようにいい人でも避けられないことなのです。みなさんも宝くじが当たった時には、気をつけましょう!

2、大谷自ら口座から金を送金した場合

大谷は野球グラブを全国の小学校に送ったくらいですから、自分の金を独占する欲張りではないし、人のためにも使える人です。こういう人格ならば、友人が困った場合に助けるのは当然でしょう。ありうる話だと思います。しかも、水原は今後の活動になくてはならない存在ですから、7億は大きいですが、あと1000億ありますし、広告塔としての稼ぎを入れたら、もしかして生涯に2000億くらいはもっている可能性があるので、7億くらいはそれに使ってもいいと思うでしょう。(余談ですが、大谷が引退後に莫大な財産で何をするのでしょうか。記録以上に、スポーツ界に大きな痕跡を残すように思います。)

しかし、落とし穴があった。

例えば、パチンコで負けて、その肩代わりをした場合に「友人の借金を返して、それで一件落着なら、まあいいか」という風に、簡単に考えていたとしても不思議はないです。額は大きくても、単なる借金を返しただけですから。

しかし、そうは単純なもんじゃなかった。単なる借金ではなく、博打に違法性があった。そこまで大谷に考えが及ばなかった。確認もしなかった。もともと人を疑う人ではないし、世間にうといであろうスーパースターですから、ありそうなことです。「世間にうとい」とか「大人でない」とか、大谷に対して否定的に非難をする人もいますが、あれほどの成績を残す人間が、人間社会の汚いところまで目をやって神経をすり減らすのは、本人にとっては損なことですし、疑い深い人間になることで、こういう選手の存在がなくなるとしたら、われわれ庶民にとっても、夢を奪われることになります。科学者、アスリート、芸術家など特殊な職に就く人は、そういう人(雑用が下手)が多いし、それでこそいい仕事ができるわけですから。

今まで通りの彼であってほしいし、本当に信頼できる人がそばにいてほしいですね。金に支配されない人間自体が、野球の天才を探すくらいに難しいのかもしれません。大谷はアスリートとして多大なる影響がありますが、金銭という問題に関しても、我々に考えさせたという点で大きな影響がありました。できれば、水原に真実を明かす手記を出してほしいです。金と人間関係に関して、いろいろ学べることでしょう。それで大谷への借金を返せれば、一石二鳥ですが。
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2024年04月08日

横浜の上映会報告

昨日の横浜の上映会主催者からメールが来ました。

映画を見ながら、気になる単語を書き留めてもらい、上映会のあとにテキストマイニングで表してみました。
同じ単語が何度も出ていると、文字が大きく表されるのですが、
「生きる」が一番大きかったのが印象的でした。

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その後、感想シェア会を行いました。

私個人の感想としては、

映画に出てくる方は皆さん、生きる力がすごくたくましいと感じましたし、「生まれながらにして自分で生きていく力を持っている」と話していたお母さんの言葉も印象的でした。「得意は得意、苦手があっても良い、それが自分」と自分を丸ごと受け止められているのは、周りの大人からの信頼感や受容されてきた体験、また自分と向き合ってきたからこその言葉だなと感じました。視野を広げてくれる映画だと感じました。(転載終わり)

種蒔夫より

こういう形で映画から受ける印象を表したもの(図)をはじめて見ました。とても納得いきます。学校とか、行くとか行かないとか、勉強云々とかいうよりも、何よりも大事なのは「生きる」ことそのもの!なるほどです。そういう映画です。確かに!ちゃんと伝わっていてうれしいなあ!



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2024年04月05日

上映会・横浜市・4月7日 + 豊田市の若者の家 + うずまきファミリーと“子育て村”

4月7日(日)横浜市内で上映会があります。以下。

クリックで拡大、明瞭!
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若者の家

豊田市での上映会後に夕食を共にしたのが、若者の自立支援の宿泊所「若者の家」でした。18歳から45歳までの様々な人が共同生活をしていました。6時頃から12時頃まで様々な人と色々な話をして有意義な時間を過ごしました。貴重な新しいタイプの居場所だと思いました。

上映会が終わって家に帰ったら、以下の番組の紹介がありました。これもまた違ったタイプの住み込みの居場所だと思いました。今は、家族でもない赤の他人が一緒に生活することが、新たな生活スタイルになってきたように思います。

うずまきファミリーと“子育て村”

昨年10月に長野県伊那市で上映会をした時に、来場者の中の一人がこのファミリーを紹介してくださって、翌日実際にお会いしました。その活動に感激しました。また、この村には移住者が多いのにも驚きました。今週末土曜日にテレビで紹介されるので、ぜひ見てください。

NHK紹介文
「長野県伊那市の三義地区。少子高齢化に直面してきた過疎の集落で、いま子育て世代の移住者が増えている。その輪の中心にいるのはファミリーホームを運営する里親・宇津孝子さん。実の親と暮らせない子どもたちを育てながら“地域づくり”にも力を入れてきた。きっかけは夫に先立たれ、自身の子育てにも悩んだことだった。どうすればひとり息子をここで育てていけるのか?その問いから始まった取り組みの行方をみつめる。」

NHK Eテレ 4月11日(木) 午前0:00 〜 午前1:00 「うずまきファミリーと“子育て村”」
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2024年04月02日

上映会・横浜市・4月7日 + 豊田市内での上映会報告1

4月7日(日)横浜市内で上映会があります。以下。

クリックで拡大、明瞭!
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豊田市内での上映会報告 1

3月31日の豊田市内での上映会では100人以上の来場者があり、いままでに無い市民の関心の高さを物語っていました。

まず、驚かされたのは以下の映像とともに、子ども(生徒)たちが、歌を披露したことです。不登校の子どもたちの生活は当然個々別々なので、交わることがほとんどありません。フリースクールや居場所、子ども食堂での交わりがあるかもしれませんが、まだまだ多くの子どもたちは家の中で過ごすことが多いと思います。

このグループは音楽でつながったのです。作詞・作曲・伴奏する人、イラスト描く人、録画・編集する人、そして歌う人が揃って、一つのビデオができたのです。こういう事例は見たことがありませんでしたが、非常に面白い試みだと思いました。音楽が好きな人が揃えば、こういう活動はどこででも可能です。また、オンラインを使えば遠距離で他県の人とつながることもできます。とても、将来性のある活動だと思いました。他の地域でも広まるといいと思います。

ビデオの前半はこのプロジェクトの軌跡とともに不登校の子どもたちや親の気持ちを文字にしており、興味深いです。歌は後半です。


「とよたこどものけんりフレンズ」
https://www.facebook.com/profile.php?id=100095634187765


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2024年03月27日

上映会・愛知県豊田市・3月31日 + 不登校の原因(いじめについて)

以下のチラシをクリックすれば、鮮明画像に移行します。
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不登校の原因(いじめについて)

文科省によって、不登校の原因の調査が行われました。
その要点だけ、以下に転載します。

文部科学省が不登校の原因について調査

小学3年生から高校1年生およそ2万人と保護者、担任教師などを対象


不登校のきっかけを「いじめ」と回答したのは児童生徒が26.2%で、保護者は29.2%。

不登校のきっかけを「いじめ」と回答した教師は4.2%.

認識に大きな差がある。

「先生と合わなかった」という回答が一定数あったことから、教師の態度や指導方法が不登校に結び付く(転載おわり)」

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000342347.html

種蒔夫の一言

いじめが原因で不登校になると答えた子どもは4人に一人。親はおよそ3人に一人。教師は25人に一人。親は子どものことをよく見ている、あるいはよく話し合っていると思われます。しかし、教師には理解者が少ないです。そもそもいじめがあることを実感できない教師が多いのではないかと思います。

目の前でいじめていれば、だれでもわかりますが、いじめは人前ではしません。いじめの現行犯目撃は至難の技です。

いじめという「見えないものが見える」そんな神技できるわけがない。だから、教師は見えないんだ。ということになりますが、

だからこそ、教師には想像力が必要なんです。たとえば、「今日は様子がおかしいぞ」とか「一人でいることがおおい」あるいは「友達がいない」とか「ある特定の子どもの前では、おびえている or 態度が変わる」とか「授業中と部活では態度が変わる」とか「教師の姿が見えたと同時に集団の態度が変わった」あるいはいじめる側は「変に威勢がいい」とか「満足げ」だとか、、、、

見える範囲で想像できることはいろいろあります。そもそも、それに注意を払わない教師もいますし、それを見ても想像力が追いつかない教師も多いと思います。

それはなぜか?彼ら=教師の側がいじめられた体験がないからです。深刻ないじめの体験があればあるほど、その想像力は鋭敏になります。だれがいじめられそうで、だれがいじめる側になるかも、だいたいわかります。どういう場所で、どういう時間に、どういう理由で、、、、そういう具体的なところまで想像が及びます。しかし、そういう体験をした人は学校に対するイメージが悪くて、教師になりません。なりたくありません。

ということは、いじめられた体験の無い人ばかりが先生として校内にいるわけです。逆にいじめた側や傍観者だった人が多いのではないかと思います。

子どもの頃に、自分に対するいじめやあるいは友人、同級生に対するいじめを見つけて、指導して、いじめを撲滅してくれた先生がありましたか?担任をしてくれれば、いじめの心配はないような先生がいましたか?私の体験上では、いい先生はいましたが、いじめに敏感な先生は皆無でした。それが一般的だと思います。

学生時代に教育学部でいじめ問題を徹底的に教わるわけでもなく、専門家もほとんどいません。しかし、教わったり、研究したところで、それは学問であっても、実際には役立つものではありません。なぜなら、いじめには嗅覚のようなものが必要だからです。

もし、突然空襲があったら、昔体験した人は逃げ方を知ってますが、体験のない現代人ほどぼんやりしていると思います。それと同じです。体験しないと、その恐ろしさも対処の仕方もわかりません。

長年ひどいいじめにあった人に「いじめられた体験の無い教師のいじめ対応はどう思う?」と聞いたら「それは偽善です」と即答しました。彼は教師になりませんでしたが、彼はいじめがわかるからこそ、人助けをしたことがあります。その壮絶な実話は以下です。彼のような人が教師になれば、絶大な効果が期待できますが、そういう人ほど教師にならないんです。私自身の体験も書いていますので、合わせて読んでみてください。
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/461739642.html

学校のいじめ問題を根本的に解決するには、教師を選ぶ側(面接官)にもいじめられた体験が必要でしょう。しかし、そもそもいじめられた人は教育学部にはごくわずかしかいない(あるいは皆無)と思いますので、文科省が根本的な問題解決(いじめる側の問題)を考えない限り、この状況は続くでしょう。

なので、早い話が学校のいじめ問題の解決は非常に難しいので、期待しない方がいいということです。ひどければ、不登校が最良の選択になるのです。



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2024年03月15日

上映会・愛知県豊田市・3月31日 + 映画「オッペンハイマー」

以下のチラシをクリックすれば、鮮明画像に移行します。
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映画「オッペンハイマー」

アメリカ映画「オッペンハイマー」がアカデミー「作品賞」「監督賞」など7部門で受賞しました。しかし、映画の中に広島・長崎の惨状が描かれていないと物議を醸しています。

当初、私も「何故?」と訝しく思いました。

アメリカ人に配慮して、、あるいは興行収入のために、、とか思いましたが、見た人の感想や監督のインタビューを聞くうちに、それは大きな問題ではないと思いました。

第一に、これほど世界に注目される原爆映画は過去には無かったでしょう。そういう点では、原爆使用が現実味を帯びている今現在においては、重要なことです。そうでなくても、原爆の存在自体が地球人の意識にはそれほど上らない日常生活の中に、映画によって思い起こさせた功績は大きいです。被曝状況を入れる、入れないという前に、そういう点は評価されるべきでしょう。この映画によって、今後核兵器(原爆水爆)の存在に対して人類がどう向き合うべきかが問われるならば、制作した意味は大きいです。

実際の被曝状況を入れれば、日本人は納得するでしょうけど、問題はそのことよりも、世界中の人間が関心を向ける映画になるかどうかの方が大事です。被曝した人たちの願いは二度と原爆を使用しないこと、この世界から核兵器を無くすことだとすれば、映画作りというのはさまざまな手法が考えられます。被曝状況を入れるのは、その選択肢の一つに過ぎず、入れればいいというものでもありません。

監督のインタビューの中に「若い人に見てほしい」という言葉が二度、三度出てきます。「みんなに」とか「全国民に」「全人類に」とかではなくて、「若い人に」という言葉には意味があると思いました。というのは、昔のアメリカは原爆投下肯定派が多かったです。ところが最近は、否定派がだんだん増えています。しかも、それは30歳以下の人たちが中心です。彼らは現実を知ろうとするし、まともな判断をするのでしょう。年寄りほど、過去にこだわり、頭も硬くなって、何を見せてもアメリカ第一主義でしょう。そういう人たちには、いくら悲惨な被曝状況を見せたところで、何も変わらないどころか非難しかしないと思います。

以下は原爆投下肯定派と否定派の割合(あとで紹介するビデオに出てきます)
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18歳から29歳では否定派が45% 肯定派が31%
65歳以上では   否定派が15% 肯定派が65%

この映画を若い世代に見せれば、柔軟性を持って、しかも想像力豊かに見るはずです。もし、核兵器を廃絶する可能性があるとすれば、彼らをおいてはあり得ないでしょうし、彼ら自身の未来がかかっているわけです。たぶん、そういう世代向けには、この映画で十分に悲惨さも伝わるのだろうし、オッペンハイマーの人間も見えてくるに違いないです。

「オッペンハイマー」という題名ですし、オッペンハイマーを捉えているのです。そこが大事なところだと思います。

彼は自分の欲に負けて人類初の原子爆弾を作った。それは当時大変に名誉なことだった。しかし、人類初のことは人類史上最悪のことでもあった。それに気づいたオッペンハイマーの苦痛の半生が描かれているのです。

彼の苦悩は我々人類の苦悩でもあるはずです。なぜなら、欲に負けて、この奇跡の星を台無しにしようとしているのは、人類全体の問題でもあります。彼はその代表格に過ぎないのです。見ようによっては、全人類が自分自身に置き換えてみることができる映画ではないかと思います。

5年間の間に核兵器関連のドキュメンタリーはNHKで20作品は作られています。それを録画して、私は繰り返し見ています。オッペンハイマーはたびたび登場するので、彼が何を考え、何を思い、何を感じ、何をしてきたかは、大きな関心を持っていました。

今月から日本でも上映されるそうです。繰り返し見ないと分かりにくいそうです。頑張って見てみましょう。





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2024年03月07日

上映会・愛知県豊田市・3月31日 + 不登校児童が見る景色

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不登校児童が見る景色

スポーツ番組を見ていると、「世界の8強という新しい景色」とか表現します。スポーツ観戦は好きですが、そういう立場になったことがないので、どういう景色なのか、、、さぞかし心地よい世界でしょう。

しかし、見える景色が変わるのはスポーツ選手に限りません。

「不登校児童が見る景色」とは一体どういうものなのか、想像してみました。

生まれて初めて、学校へ行きたくないので、行き渋ります。この段階では、まだ、親も休むことを許したり、単に怠けていると思って、無理矢理行かせたりするでしょう。

しかし、回数が増えるに従って親は「うちも不登校?」と思い始めます。そこから子どもの見える景色が変わるでしょう。味方だと思っていた親が自分の気持ちより、親の気持ちを優先する、あるいは学校の側の見方(or 味方)になる。子どもと親の間に壁ができる。兄弟がいて、普通に学校に行っていれば、兄弟とも今まではなかった壁が見え始める。もし、祖父母も同居ならば、彼らとの間にも壁ができる。

しかし、ここで、もし親のどちらかでも「学校が嫌いだった」「不登校だった」「不登校気味だった」場合は理解者になり、見える景色はそれほど変わらないかもしれません。しかし、親の立場になると気持ちが変わる場合もありますが。また、不登校を許すくらいの猫可愛がりの祖父母は救いになります。

だんだんと不登校日が増えて、親が不理解状態で本格的な不登校になれば、この世界の景色は完全に変わるでしょう。幼稚園まで(あるいは、それまでは)は天国みたいな世界だったこの世が、最悪の地獄のような世界に見えるかもしれません。子どもとしては当然の反応をしたまでなのに、自然な行為がこの世界では誰にも理解されないとすれば、あまりにかわいそうです。

人生経験が浅く、この世界がどうなっているのかもわからず、ただ親と教師からだけこの世界を教えてもらっている身としては、不安ばかりが募るでしょう。もし、希望が見えるとすれば、ネット社会の中だけかもしれないです。ゲーム三昧かもしれませんが、使い方次第で、そこには意外な世界が展開しています。色々な可能性も広がっている。ただ、彼らにはどうしてそこに行き着けるのか、新たな人生が送れるのかがわからない。現実の相談相手がいない。もし、ネット上にそういう人がいる場合もありますが、それが信頼できるか否かはわかりません。

広い視点を持った人生の相談者がいれば、どれほど助かるでしょう。町の居場所がそういう場になればと思いますし、親と教師以外の信頼できる大人がいるのは大事なことだと思います。


posted by 種蒔夫 at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画「自立への道」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月29日

上映会・愛知県豊田市・3月31日 + 卓球女子

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卓球女子

今回の世界卓球をご覧になりましたか?女子が決勝で中国に負けたことは、無念でなりませんが、そのことと同時に日本の卓球女子チームの様子に驚きました。勝っても負けても彼女たちは和気藹々で、それが最後まで絶えることがありませんでした。
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勝っている中国チームがお葬式みたいな雰囲気に対して、結婚式をしているような対象的な違いでした。中国は国技なのか、国を背負っているみたいなところもあるからかもしれませんが、日本女子はとにかく楽しんでいる空気が伝わって清々しさがありました。勝敗を忘れさせるくらいにインパクトのある雰囲気でした。

しかし、これが昔ならば「競技中に笑うな。ふざけるな」とか怒号が飛んだかもしれません。そもそもそれが日本のスポーツ競技にある雰囲気ですし、それが学校のスポーツ教育だったと思います。武道的、軍隊的スポーツ?

そもそも早田、伊藤、平野、張本(多分、その他も)たちは学校の卓球部で強くなったのではなく、家に卓球場があるか、町の卓球クラブで鍛えられて強くなっています。彼女たちが学校の卓球部だけで練習していたら、ここまでにはなれなかったでしょう。

学校はスポーツ選手の能力を伸ばすには限界があると思います。(スポーツ以外の他の分野でも飛び級もなく、優れた生徒を抑える傾向があると思います)なので、学校に部活がなくなり、町のスポーツクラブに行くという傾向は、今後の日本のスポーツ選手にはいいことであるし、さまざまなスポーツ分野で活躍すると思います。しかし、その分お金がかかるので、国の援助が不可欠だと思います。そうすれば、多種多様なスポーツが盛んになるでしょう。

それと、学校の部活にある特有のいじめ体質も町のクラブでは、無いとは言い切れませんが、学校に比較すれば無いに等しいと思います。そもそも校内にあるいじめ体質がそのまま放課後に持ち込まれるからです。いじめきれなかった不満が放課後の部活で発散されるのでしょう。教師が見ているようで、全く野放しの可能性もありますし、死角はいくらでもあります。

町のスポーツクラブは様々な学校の子どもが来ており、学校の上下関係も弱肉強食もなく、スポーツの世界での競い合いがあるだけです。第一に、いじめが好きな子はそういうところにはわざわざ来ないでしょう。

最近できたスポーツ、ブレイキン、クライミング、スケートボード、スノーボード、フラットランド(自転車ブレイキン)などなど、それらのスポーツはすべて学校の部活でなく、自分(たち)で楽しむところから発生しているし、しかも世界のトップクラスばかりです。「なんで、最近のスポーツなのに日本の子どもたちが知っていて、しかも上位なの?」

これ、不思議でなりませんでした。日本人はだいたい保守的で新しいものになかなか馴染みませんから。しかし、結局若者は違うようで、もともと日本人は好奇心旺盛です。それが子どもに出ただけでしょう。日本人もやれば、一生懸命だし、強い。逆に日本の経済は危ういですが、それも保守的で新しいことに馴染みにくい年寄りに任せているせいかもしれないです。

今後は、年寄りが牛耳っている学校教育からはみ出た日本人が日本を背負っていく可能性は高いと思っています。なので、不登校児童もその好例の一つですから、今後どういう活躍をしてくれるか楽しみです。


posted by 種蒔夫 at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画「自立への道」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする