2018年11月15日

2月12日 北中城村・那覇(沖縄)鹿児島・日置(鹿児島)10009ー10060

2月11日に沖縄で種蒔き1万人を達成した以降の種蒔き記録ノートを紛失して、続きを紹介できなかったのですが、そのノートが出てきたので、今日から継続して紹介します。

2月12日 コインランドリーで知り合ったタクシーの運転手・仲松さんに10009番を。
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地理に詳しい仲松さんから安いドミトリーを紹介してもらいました。ドミトリーの受付の方たち他に10010番〜10013番。
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休憩室に新聞がありました。昔の新聞にしては、表現がストレート!あれー?
これに関しては後日詳しく書きたいと思います。
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2月14日 宮古島

和田さん宅に行きました。偶然、和田さんの誕生日!和田御一家に10015番〜10018番
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翌日ベランダで種蒔きしました。
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その後、送られてきた写真
3月9日
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3月12日
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4月19日
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その後、音沙汰がなかったので、

7月1日
メールにて
種「米になったかい?」
「宮古島は暑すぎたのか、枯れてしまったよ」

種「田んぼみたいに、水田状態にしなかったんだろう?多分」
「水入れても、気づいたらカラカラになってるって感じだった」

種「毎日見る必要があったね。残念!」
「毎日あげても、すごい勢いで干からびるよー」

種「そうだったか!やっぱり宮古島は半端ないな!」

ということで、(もしかして)宮古島初のハッピーヒル栽培は不成功に終わりました。残念無念。2月中旬に、家の外の壁にこんな大きなゴキブリがいましたからね。別格の暑さなんでしょう。
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しかし、海の青さも別格でした!
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栽培の資材を買いに行ったホームセンターのおばさんに10019番。
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宮古島空港の売店の方に10020番

那覇に着いて、モノレールで中心部へ行き、さらにドミトリーまで歩いて行きましたが、途中で郵便局へ立ち寄りました。そこで私がお願いした郵送の仕方が特殊だった(何だったか忘れた)ために、局員が相当に手こずって時間ばかりが経ち、種蒔夫も相当にイライラ。それが伝わったのか、局員が「どうもすみませんでした」と飲み物を差し出して、平謝り。それに乗じて「それはいいんですけど、そこのドミトリーまで、荷物運び手伝ってもらえませんか?」と荷物運びをお願いする図々しさ。優しかった郵便局員さん全員分の10021番〜10030番を。
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ドミトリーのネパール人の受付嬢に10031番を。
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ドミトリーの経営者の方に10032番を。
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明日は那覇港から鹿児島へ。しかし、港までの距離が結構あって、荷物を持って移動するにはちょっと過酷です。「もし、台車があったなら、、」。すると奇跡が起こりました。受付で「この辺にホームセンターありませんか?」と聞いても、あるわけなく「おみやげ物屋なら、近くに」と言われて行ったところは、数時間前に覗いて「ここには無さそう」と諦めたところでした。

しかし、一応店内を一回り。すると袋が売っている場所に一台だけ、台車があるじゃないですか。さも、だれかが忘れて行った風でもあります。これ、売り物?忘れ物?半信半疑でレジに持って行くと、レジの人も初めて見る商品なのか戸惑い気味、しかも値段がわからなくて四苦八苦。結局割安で買わせてもらいました。「これ、奇跡でしょう!」そう思うくらいに嬉しい台車出現でした。
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ということで、荷物を台車にガムテープで縛り付けたら、こんな具合になりました。やっぱり沖縄での車無しの旅はきつかったですね。 
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2月17日 鹿児島着
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バス乗り場で男性に10033番。
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日置市へ

五郎八を預けてあるカフェ「風の丘」へ行きました。二週間ぶりの再会にちょっと心配げな、不満げな表情の五郎八。「ごめん、心配させたなあ、、」風の丘さん、ありがとうございました。
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店内で出会った谷山さんに10034番。
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同じく10035番をめぐみさんに。
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同じく内田さん一家に10036番〜10039番。
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中(あたり)さんに10040番。
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2月18日 鹿児島市内

コンビニ駐車場にて、おじさんに10041番
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膝の治療に鍼灸院に行き、鍼灸師吉丸さんに10042番

風の丘のお客さんに、10043番〜47番、51番〜60番(八人分カフェ預かり)
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大工の公三郎さん。
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公三郎さんが、元国鉄職員、現在ガーデンカフェ経営の松尾さんのところに連れて行ってくださいました。手作りの広く美しい庭園の中に素敵なカフェがありました。
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松尾さんに10048番。
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お客さんに10049番と50番。
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【関連する記事】
posted by 種蒔夫 at 10:53| Comment(0) | 種受取人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月11日

ほっとけ農法

私がみなさんに差し上げている種が実際に芽を出すのか、成長するのかどうか、それが私はとても心配です。何故なら、車での保存は時に車内が高温になるので、種には過酷です。それで今年の夏前くらいに、関東の某所で種を蒔いて苗になるくらいまで面倒を見て、再び旅立ちました。3ヶ月後、その結果がどうなっているのか。それを今見にきています。

驚いたのは、冬瓜でした。これほど勝手に成長するとは意外でした。すでに腐ったものも含めると、人間の頭部大5個、それ以外に20個ほどが生っていました。肥料は雑草とコンポストの土だけ。
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冬瓜オールスターズ
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腐り果てた冬瓜は種の大事さがわからない人には、いやーな腐敗野菜にしか見えないでしょうが、
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私には種の宝庫!
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冬瓜って、味も薄くて野菜としては価値がなさそうですが、おでんにすると美味しいです。それと塩もみして食べるとキュウリのような感じで食べることができます。しかし、何と言ってもその存在感です。こんな絵があります。

椿貞雄画伯  
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作者わからず
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昔、初めて冬瓜の絵を見た時に、世の中にこんな野菜があるのかと驚きました。冬瓜はその存在感故か、よく絵の題材になることがあります。私自身は描いたことはなかったですが、自ら育てるようになるとは!それがほったらかしで、あちこちにボコボコと出来ていたのですから、何だか描いたように嬉しい、楽しい!

他に、数粒ずつ蒔いた野菜類の種は半分くらいは成長していました。ピーナツ。
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キャベツ。玉にはなっていませんが、この青い葉の部分だけで私には食料品として十分です。白い玉より栄養ありそうですし、硬いですが煮込めば食えます。
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トマト。今の時期では青いですが、赤いのはもう落下したのでしょう。
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大豆
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シソ
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そば。例の100年持つ宇内ソバですが、種蒔きが遅すぎたのか、まだこの程度です。
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出羽香りは種になってました。
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ニンジン。細いのが一本だけ。
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米は数種類をバケツや箱で育てていましたが、今の季節に残っていたのはオクテのハッピーヒルだけで、他のものはスズメに食べられていたりして、収穫ナシ。
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というわけで、発芽率(水を入れた容器に放置)も全体の8割程度と悪くなかったですが、成長の方も「ほっとけ農法」で、一応蒔いた種のうちの半分くらいは成長していました。ちゃんと育てればまともに成長するんじゃないでしょうか。種をお渡しした人の中で、成長具合をお知らせ願えればありがたいです。


posted by 種蒔夫 at 11:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月10日

18・9、、、、

18・9・14・14・1・9・11・1・19・1・9
posted by 種蒔夫 at 10:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人間と犬のセキュリティーの違い

五郎八は旅の間のほとんどは、この車の中のケージにいます。可哀想に思うのは人間であって、犬にとってはこの方が安心です。何故なら、彼らに必要なのは安全に生きるという動物本来の本能であり、安全な巣以外のところでは警戒しています。
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この中にいれば、ケージで囲われ、さらに車の中にいるので二重に安全です。この中にいれば、トイレを要求する以外ではほとんど鳴くことがありません。ですから夜寝、昼寝が長いです。ただし、朝夕の散歩はできるだけ広い海岸や河原に行って思う存分運動します。

仮に、外にずっといたら、どうなるでしょうか。安心して寝る時間はないでしょう。臭覚、聴覚に優れ、視覚もありますから、それにいちいち反応して、それが安全なものかどうか確認(人間が安全だと思っても、彼らには不安なこともあります)しなくてはいけませんから、寝る暇はなくなるでしょう。それが本来の動物の姿だと思います。野生動物は安全だと思われる寝場所を探して、熟睡可能かもしれませんが、飼い犬は人間が確保してやらないといけません。

犬は安全第一。ところが人間はどうでしょうか。先日、「原発が狙われたら?」というタイトルの文章を掲載しましたが、それに関心を示す人がほとんどいませんでした。他の文章はともかく、これだけは読んでいて欲しかったのですが、本当に意外でした。

どうして、犬は警戒心が強いのに、人間は、というか日本人は警戒心が希薄なんでしょうか。一つは平和ボケはあるでしょう。しかし、戦後、日本同様自国が戦地にならなかったところは先進国には多いですが、そういう国でさえ、原発防衛をしています。しかし、日本は彼らほどの警戒心は無さそうです。情報化時代と言っても、隣り合う国のない離島だからですかね。

原発が攻撃を受けたら、日本は終わりかもしれないのにです。それがミサイルでなく、数人が原発に忍び込んで電気系統を破壊すれば日本は崩壊します。その当たり前のセキュリティーを他国はしているのに、日本はしていない現実。それにどうして反応しないのでしょうか。マスコミもどうして大きく報道しないのでしょう。

沢田研二主演で「太陽を盗んだ男」(2009年「オールタイム・ベスト映画遺産200(日本映画編)」〈日本映画史上ベストテン〉では歴代第7位)という映画がありますが、原発に単独忍び込んで核物質(液体プルトニウム)を盗む話です。興味深い映画です。ぜひ、見てください。






人間も動物なので、差し迫る危険に対しては防衛する本能があります。危険な場所、人には近づかないとか、夜道を警戒するとか、それは動物レベルです。縄文時代ならそれで済んだでしょうが、いまの時代は全く違います。昔にはなかった原発があったり、電磁波があったり、農薬、薬品、添加物の化学物質があったり、命を脅かすものであふれています。

それは本来の動物的な勘では防ぎきれないものです。動物的勘で「やばい!」と思った時には、すでに空気を吸っていたり、体の中に入っていたりするでしょう。情報を知り、事前に防衛するという動物世界ではなかった面倒なことをする必要があります。それが人によっては相当に苦手なのかもしれません。特に、日本人は。あるいは、残念なことですが、考えない国民を作るという教育が項を奏しているのかもしれません。

この点を無視すると、今の時代生き抜いていけないかもしれません。私だって苦手分野ですが、嫌だというより、腹立たしい気持ちです。

ところで、先日の伊勢崎賢治さんの話の中で気になる点をいくつか

日本国内で米軍が存在する地域の空は米軍に飛行する権利があり、日本は自由に使えない点。それは、事故の多いオスプレイなど不良飛行機の飛行を許すという危険なことでもありますが、日本側はそれを拒否できません。飛行頻度から言っても、北朝鮮のミサイルが落ちるより、米軍の飛行機が落ちる確率の方が高い。アメリカに他国だけに飛行を許すような空域が存在しない(当たり前です。自国ですから)のと同じように、当然日本も自国以外の国の飛行機だけが飛んでいいような空域を作ってはならない。同盟国だろうが同様です。アメリカがいざという時には防衛してくれてもです。そもそも防衛に関して他国を信じるなどというのは、非常に危険なことです。相手が「破棄します」と言えば、お終いです。破棄したところで、どれだけの制裁を受けるでしょうか。言い訳だってうまいでしょうし。

日本国内の米軍は日本の許可を得ずに、他国への攻撃が可能です。それが危険なのは、仮に北朝鮮を攻撃したら、その見返りに北朝鮮は遠いアメリカを攻撃するより、まず日本の米軍基地を攻撃するでしょう。攻撃を食い止めるためにもそうするのが妥当です。つまり日本が標的になり、一般市民も巻き添えになります。そうならないように、日本を飛び立つ米軍機、あるいは出港する米空母等から他国を自由に攻撃してはならないという取り決めをしておかなくてはいけません。いつになったら、そういうことをアメリカ側に要求するのか。他の国は当然そういう取り決めはあるのです。日本だけがアメリカに舐められているのか、総理、外務省等が弱腰なのか。

今のところ、ロシアは北方領土を返すつもりはありません。何故なら、北方四島が日本領土になれば、北方四島の何処かに米軍基地ができるからです。米軍は日本のどこにでも基地を作る権利を有しているようです。これも日本政府は拒否できないから、プーチンはそれを怖がって、返還するなどということは、口が裂けても言えないのです。

この三点が気になる点です。これは全て米軍が戦後から今までずっと日本に強いている事柄なのですが、これが改まらない限り、日本は非常に不利で危険な状態なのです。米軍は日本を守るというよりは、中国、ロシアの盾として日本を見ています。つまり最前線が韓国、日本です。そんな危険な存在になるより、ロシア、中国と仲良くなることでしょう。それをアメリカは恐れているのか。そもそもアメリカが率先して仲良くしてくれれば、なんの問題もないのです。

とにかくこれらの状況を全国民が知る必要があります。日本で安全に生活したければ、絶対に知っておくべきことなのです。が、、関心ありませんか?



posted by 種蒔夫 at 10:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月06日

原発が狙われたら?

昨日のビデオの中で「原発への攻撃に関して語られている部分」だけを文字起こししました。この現実を日本国民も政治家も官僚も自衛隊も無視して生きています。しかし、原発のある他の国はその嫌なことを想定して対処しています。考えさせられる問題です。

(文字起こし)

もう一つの国防の脅威は原発です。アメリカの緩衝国家(仮想敵国の進出を抑える防波堤)の位置付けの上に、島国なのに仮想敵国に向けてこれだけ原発を並べている島国はないと思う。アメリカにとっては究極の地雷です。

核物質は永久に残るんだから、原発を止めればいいという問題じゃない。逆に原子力産業が廃れて、廃炉になって、誰も注意を払うなくなって、警備を怠ったらどういうことになりますか?だから、反原発とか、原発推進派とか言っているけど、その垣根を越えなきゃいけない。

セイフテイーも安全神話だったけれど、同時に核セキュリテイの問題がある。世界は20年前から二つのSを重視している。一つはセイフテイー、これは自然災害とか津波とか、事故です。それとセキュリティー、つまり核施設が狙われる脅威です。特に911の後、世界はその体制を整えた。日本は批准しているけども、体制は全く取られていない。商業原発を国防の観点から、どうやってこれを攻撃から守るかという問題。

これは中央に特殊部隊を作ればいいという話ではない。まず、原発はそれぞれ複雑な仕組みだから、エンベット(組み込む)しなければならない。これが海外だったら、軽くできる。武装した警備会社がいっぱいあるから、商業原発が雇えばいいわけです。さらに国の責任としてちゃんと戦えるかという、抜き打ちの検査をする。そういうシステムが整っているんです。

これは10年、20年前の話です。日本はそんなことやってますか?狙われたらお終いですよ。敵対する組織が、いつこちらに注意を向けるか。パリ、ベルギーのテロでも、ISはある原子力技術者に目をつけてずっとモニターしていたという証拠があって、狙ってたという。それで、今は二重三重に防御の体制をとっている。

日本はイスラエルにもパレスチナにも組せず、中東外交はうまくやっていた。しかし、わざわざ安倍首相は「ISと戦う国のための支援」と言った。そこから我々が狙われ始めた。国のリーダーの余計な一言で我々は敵国を作ってしまうわけです。

彼らが我々を狙いだしたらどうしますか?これだけ原発を並べている島国で。NATO諸国と違うのです。孤立して誰も助けに来てくれません。テロリストの思考回路がわかっている私は「テロリストは日本の何を見ているか」という本を出したけど、全然売れなかった。誰もこんなこと聞きたくない。

その中で書いたのは、電源装置を破壊すればいい。ミサイルを撃つ必要はない。それで福島みたいに水素爆発が起こる。福一事故はテロリストにヒントを与えた。これを実行するのに必要な兵力は、今の日本の状況なら10人くらいの軽武装で簡単にできる。しかし、伊藤祐靖(元イージス艦みょうこう航海長。特殊部隊を創設)は「私だったら、完全非武装で5人でできます」と言う。

日本の原発には警察もいるし、特殊部隊が駆けつけるようになっているけれど、盲点がいっぱいある。アメリカがすごいのは、反原発運動の教会のシスターとファーザー達が2、3人でアメリカの最重要核拠点に潜り込んで、壁に落書きして、それをTwitterに載せるようなことをしている。逆に、アメリカの商業原発も警備会社が完全武装してやっている。(文字起こし終わり)

さらに詳しく以下より抜粋
軍事攻撃されると原発はどうなるか 藤岡 惇
http://www.peaceful.biz/contents/2-5.html

 東芝の原発技術者であった小倉志郎さんといえば、福一の建設に際して、原子炉系の機器のエンジニアリングに携わった人。小倉さんは、『季刊リプレーザ』という雑誌(第3号、リプレーザ社、2007年夏号)に山田太郎の筆名で「原発を並べて自衛戦争はできない」という卓抜なタイトルの論文を書き、次のように述べた。

「まず、一番先に知っておいてほしいことは、原発の設計条件に、武力攻撃を受けても安全でなければならない、などということは入っていないということである。・・・現在ある商業用原発55基は、いかに発電コストを小さくできるのかという経済性を最優先で設計されているから、武力攻撃を受けた場合、どうなるかは少なくとも設計上はわかっていない・・・。肝心の原子炉が停止の後に行わねばならない冷却は、武力攻撃を受けた場合にできるのだろうか。・・・(冷却系システムの)多くは、原子炉建屋の外の補機建屋、あるいは屋外にむき出しで置かれているものも多い。

屋外にあるこれらの機器は、小さな通常爆弾でほとんどが破壊されるか、機能停止に至るであろうし、補機建屋などは、危機を風雨から護る目的で、武力攻撃に対する強度などはもっていない。・・・原子炉建屋内の使用済み核燃料の貯蔵プールはどうなるであろうか。燃料プールは、原子炉建屋の最上階にある。つまり燃料プールの上には、建屋の天井があるのみである。この天井は、その上に機械を設置しないので、天井自体の重さを支える強度しかない。つまりごく小さな通常爆弾に対しても無防備と言ってよいであろう。・・・

 別のほとんど防御不可能な攻撃は、巡航ミサイルによる原発への攻撃である。これはレーダーに検知されない低空で飛んでくるもので、防ぎようがない。・・・自爆を覚悟すれば、ジェット戦闘機によっても巡航ミサイル的効果を得ることは可能である。仮想敵国の兵士が「自爆」を覚悟するほどの憎しみを日本に対して持つとすれば、こういう攻撃も可能性を否定できない。・・・最後に、次のことをおぼえておいてください。原発にたいする武力攻撃には、軍事力などでは護れないこと。したがって日本の海岸に並ぶ原発は、仮想敵(国)が引き金を握った核兵器であること。ひとたび原発が武力攻撃を受けたら、日本の土地は永久に人が住めない土地になり、再び人が住めるように戻る可能性はない」と。

福一の作業員として軍事要員が入り込む可能性

 5年間で100ミリシーベルト、または1年間で20ミリシーベルトの被曝線量を浴びた作業員は、原発の仕事を続けてはならないという規制があるために、福一の事故収束作業から離れることになった作業員が2012年3月の段階で167名となった。ベテランの原発労働者から離職する状況のなかで、毎日3千人の現場作業員が必要とされる状況が福一では続いている。

 もともと原発で危険な仕事に従事する作業員の確保は容易ではなく、暴力団関係企業から人材派遣をうけて必要人員を確保することが多かった。じっさい2012年秋に東電が調べたところ、福一で働く一般作業員2423名のうち47.9%にあたる1160名が、人材派遣業に雇われ、偽装請負の状況で働いていたことが判明した。

 事故収束作業員のリクルートが困難となるにしたがい、軍事攻撃を意図した要員が作業員を装い、福一原子炉に接近することが容易となるだろう。関連して、福一をはじめ日本の原発は、不法侵入者の予知や摘発の仕事を2001年に設立されたイスラエルのテロ摘発を業務とする軍事企業のマグナ(Magna B.S.P)社に委託しているという情報が流れているが、この点の真偽の調査も求められる。



posted by 種蒔夫 at 09:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月05日

2018年11月04日

自然と人間と

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(クリックで拡大します)
以下の文章は4年前に島根の田舎にいた時に書いたものです。

今は、買い物でも行かない限り、毎日ほとんどが自然の中にいる生活です。家の中にいても、目の前に見える風景は緑、外に出れば裏は山、前は田んぼと畑、その向こうは緑緑緑。隣の家は200mほど下って県道に行かないとありません。宅配や郵便配達人、近所の人等々が来ることがたまにある程度。となると、ほとんど人と接せず、自然とだけ向き合っているような生活になります。さぞかし寂しかろうなあと思われるかもしれませんが、ここに来てから寂しいと思ったことはありません。

人嫌いでもなく成り行きでそうなったのですが、人との関係よりも自然との関係の方が、楽だなあというのは今の実感です。ストレスはありませんし、気持ちが常に晴れやかです。人間社会は人間関係で成り立っており、私もそれだけで生きてきたように思います。しかし、ここで自然との関係という、いままでにない関係ができたわけです。

人間とのコミュニケーション以外のコミュニケーションがあることを初めて知りました。コミュニケーションといっても、莫大に与えられるものにどう答えるかという感じでしょうか。というか、与えれているものが余りに多くてそれを日々感じているだけかもしれません。

それは、経験の無い人にはわからないことだと思います。自然を無視して、ほとんどの人は生きているだろうと思います。しかし、自然が与えれくれるものは莫大です。

去年までの私はできるだけ沢山作って売れたらいいなあと思ってやっていましたが、そうするとどこかで焦りの気持ちが出てきて、何かせわしいのです。しかし、今年になって気持ちに変化が出てきて、方向性が変わりました。ちょっと開き直りでもありますが、「なるようになる」ということです。ここにいれば飢え死にすることはないと実感するようになったことも大きいかもしれません。それも自然があるお陰です。

それでどうなったかと言えば、畑や田んぼによく行くようになったことです。去年まではあちこちに作物を作り、どこに何を植えているのか忘れてしまうこともしばしばで結局収穫もなし、みたいなこともありました。

福岡正信さんや奇跡のリンゴの木村さん、不耕起栽培の岩澤さんの本を読むと、作物を観察しによく足を運ぶことがわかりますが、それが去年まではわかっていてもできませんでしたが、それを今年はしているのです。一日に二度も三度も畑に行くなんて!?と以前は思っていました。面倒だし、そんなに変化があるとも思えないからです。

しかし、実際やってみると、常に何らかの発見があるのです。天候次第で、微妙に変化もしているし、特に葉が開いていたりとか、芽が出ていたりとかもありますし、天候、気温、湿度の変化で周りの状況も込みでいろいろなものが見えてくるのです。雨の日なんて外に出ることさえ嫌な日ですが、そういう時でさえ、そういう時でしか見えないものがあるだろうと行ってみると、やっぱり見えなかったものが見えたりしました。ですから、日に二度も三度も畑に行くことが面倒などころか、常に楽しみになってしまうのです。そういう意味では、福岡さんや木村さんの気持ちがわかるようになりました。

農薬や化学肥料に頼らないことも大きいです。何故なら、それに代わるものとして自然が生み出す何かを探り出さなければならないので、また一歩自然に近づくのです。自然の仕組みがわかったり、そのシステムが人間の科学よりずっと先を行っているように思えます。ただ、時に時間がかかったりするので効率を重んじる現代にはそぐわないのです。しかし、自然に逆らうまでに効率を優先したら、自然にしっぺ返しを食らうだろうと思います。そこまで考えての現代の農業ではないところが問題で、自然とのバランスが優先されるべきだと思います。

自然への畏敬や感謝もますます起こってきますが、人間全体としては、自然に対して恩恵ばかり受けていて、何のお返しもしないどころか、迷惑ばかりかけているなあと思います。持ちこたえられなくなった時には、それなりの結果を生むだろうと思います。




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2018年11月03日

こんなドーベルマン初めて見た!

一昨日、オリータトリオの一人岡崎市在住の自称「まんなかたまこ」さんを尋ねました。ぶっ飛んだ人ですが、動物愛も並みじゃ無い!旅の中でも滅多に無い「家の中に入れていいよ」と言われて、五郎八も「お言葉に甘えて、、」
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でも、そこには猫が二匹いるのでした。
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「たまこさん、ありがとうごぜーます」
「まあ、いいってことよ!」
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そこへ旦那さんが帰ってこられました。旦那さんは捨てられた犬を躾ける仕事をして20年。犬のことなら何でもご存知でした。五郎八が馴れ馴れしく近づく様子に「何だ、このドーベルマンは?こんなタラタラしたドーベルマンは初めて見た」と驚かれました。ドーベルマンは通常警戒心が強くて、飼い主以外には吠えて威嚇し、それでダメなら噛付くそうです。
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一体、何を間違ってこうなっちゃったのか。半分人間だと思っているのか、、。しかし、そのお陰でお会いした日本中の皆さんに好かれてきました。旅には不可欠のタラタラドーベルマン。これからもよろしく。

まんなかたまこさんのFacebookは
https://www.facebook.com/profile.php?id=100003394516624





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2018年11月02日

いつか世界が一つになりますように



There comes a time when we hear a certain call
When the world must come together as one
There are people dying
And its time to lend a hand to life
The greatest gift of all

今こそ呼ぶ声を聴く時
世界が一つになるべき時
死にゆく人々がいるから
今こそ手を差し伸べる時なんだ
命という素晴らしい贈り物へ向けて

We can't go on pretending day by day
That someone, somewhere will soon make a change
We are all a part of Gods great big family
And the truth, you know,
Love is all we need

知らないふりをして日々を送るのはもう終わりさ
誰かが、どこかで変えてくれるなんてのは
僕らはみな神の一部であり家族なのだから
それが真実なんだ、わかるだろ
愛こそが本当に僕らが必要としているものなんだ

[Chorus]
We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So lets start giving
There's a choice we're making
We're saving our own lives
Its true we'll make a better day
Just you and me

僕らは世界とひとつ、僕らは子供
僕らこそが 輝ける明日を作り出せるんだ
だから与えることを始めよう
僕らの選択が創りだす
それは自分たちの人生を救うことで
それこそが真に良い日々を作るんだ
君と僕からはじめよう

Send them your heart so they'll know that someone cares
And their lives will be stronger and free
As God has shown us by turning stones to bread
So we all must lend a helping hand

君の心を伝えるのさ そうすれば彼らは誰かが助けてくれることを知るだろう
そして彼らの生は強く自由になってゆく
神が石をパンに変えることで示してくれたように
僕らも救いの手を差し伸べる時なんだ

[Chorus]
We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So lets start giving
There's a choice we're making
We're saving our own lives
Its true we'll make a better day
Just you and me

When you're down and out, there seems no hope at all
But if you just believe there's no way we can fall well well well well
Let us realize, oohh that a change can only come
When we stand together as one

君が疲れ果て、希望も見えなくなってしまったとしても
信じさえすれば 決して倒れることがないんだとしたら
一緒に実現しよう、変化こそがそれを成せるのさ
僕らがひとつになりさえすれば

[Chorus Repeat]
We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So lets start giving
There's a choice we're making
We're saving our own lives
Its true we'll make a better day
Just you and me

Just You and me

種蒔夫:これを聞くと、涙が出ます。これを聞くと、いつか世界は一つになるかもしれないと思わせてくれます。



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2018年10月31日

お金と種蒔き

すでに旅は「学校へ行かない子供たちを訪ねる旅」(種持参で)になっていますが、そこで度々訊かれるのが「旅のお金はどうしたの?」という問いかけ、あるいは種を渡そうとすると有料と思って金を出そうとする人がいたり。

活動自体よりも、お金の問題の方が先に気になる人がいたり、あるいは「無料のものなんかない」と常識的に考える人が結構いるようです。

そこで、改めてお金の問題について書いてみます。

私個人の人生の中でも、当然お金の問題はつきまといました。お金への執着や人間関係の問題です。不快なことが色々起こるのです。そこから「お金」というもの自体を客観視するようになりました。

世の中を見ても、戦争、農薬農業、核、原発、環境汚染、添加物食品、エネルギー、、、人間の命を最優先にしたら、すでに排除されてもいいものや、代替品にすべきものもたくさんあります。しかしお金が動くから、儲けたいから、存在し続けていないでしょうか。

また、何でもお金との交換で手に入る時代においては、お金中心の生き方になり、無料のものはない、という意識にもなります。特に見知らぬ人が無料でくれるわけがありません。それは害があるか、下心のある場合しか考えられません。

そういう中で無料の種蒔く旅人が現れると「怪しい」ということになるわけです。それは当初からあったので、いまでは何とも思いませんが、断っておくと、この活動のもう一つの目的は「無料のものはない」「何でもお金との交換」という意識に対する挑戦であり、提案なのです。

また、私自身が多少変人であり、人と同じことをしていると、あまり生き生きしません。違うことをして、「あれ?」と自ら思ったり、人に思わせたりすることが、生甲斐みたいなところがあるのです。それはまた私の元々の仕事である、アートの世界には不可欠のことでもあるからかもしれません。

しかし、アートとて同じです。アートは自由な世界と思われていますが、これもギャラリーに支配されています。美術館も自らアーティストを探すというより、ギャラリーの動向を見ています。そしてギャラリーから美術品を買うのです。ギャラリーは美術の理解者というより、第一に金儲けですから、極端な場合はアートでないものがアートになってしまったりもするでしょう。つまり、アートも金の下で商品になっていると思います。

もし、今の時代に優れたアートがあるとすれば、ギャラリストも買うことができないアートかもしれません。金で買えないアート、金の介入しないアート、ギャラリストが入り込めないアートの世界にしてこそ、自由を標榜するアートの役割でしょう。それじゃ、アーティストは食っていけないじゃないか、と言われるでしょうけど、極端な話、アートが食べるための手段になっては終わりだと思います。アーティストに貧乏人が多いのも、金を得るのが目的ではないからでしょう。「生きるってどういうこと?」という問いかけもアートの役割かもしれないとも思いますし。そういう意味では、この活動はアートパフォーマンスかもしれません。私にとっては、どうでもいいことなんですが。

この世からお金を排除することもできないし、私自身お金と無縁では過ごせません。必要なのは重々わかっています。しかし、タネを無料にすることで、多少でも風穴を開けてみよう、考えてみようとしているのでしょう。

旅の中でわかったことは、自給自足とか、自主的に貧しい人とか、金に多くを依存しない生活をしている人に限って「種蒔きの間のお金はどうしているの?」という質問はありません。彼らにとってそれは愚問なのです。その答えが「コンビニで稼ぎました」「寄付金です」「遺産です」「絵を売りました」「道で拾いました」何でもいいのですが、その答えを知って一体どうなるのでしょうか?

仮に「宝くじが当たりました」としたら、「なあんだ、それでできるんだ」と思うのでしょうか。苦労して得た金だとしたら、「偉い人だなあ」と思うでしょうか。

私にとっては、どう得たかではなくて、どう使うかの方が問題なのです。

お金を何に使うのか?自分の趣味に使う、家族のために使う、生活のために使う、、、人ぞれぞれ色々あるでしょう。通常はお金は自分や身内のために使うのが普通です。私も自分の創作のため、あるいは単なる旅のため、生活のためにお金を使うのがほとんどでした。これも旅ですが、タネを蒔く旅でなかったら、わざわざ日本一周はしません。日本一周には興味がありませんが、日本中にタネを蒔く(渡す)ことがしたかったのです。単に自分のための旅という範囲を逸脱しました。

何故、逸脱したかといえば、東北大震災あたりから、この世界は「一人一人が自分のためだけに生きることで人類は崩壊する」と感じたからです。「人のために生きてこそ、全体が生きる」と思いました。実際にこうして1万人に種を蒔いて旅したら、私から奪われたものは何もありませんでした。それどころか、学ぶことが多々でした。

種を蒔く旅、それを人は特殊なこととして見ます。何故なら、そういう生き方があることを誰も教えなかったからじゃないでしょうか。この世界に種蒔く旅人があちこちにいたら、珍しくも何ともないし、見た人は自分もしてみようかと思うかもしれません。

誰でも、もし、子供の頃から、人のために生きる人がそばにいたり、そういうことの大切さやそれが自分の幸せにもつながることを教える人がいれば、それは当たり前になるでしょう。

日本だけなのか、世界もそうなのか、わかりませんが、そういう教えをほとんどしません。たぶん一部の宗教系の学校とかならば、可能性はあるでしょうけど、普通の公立学校では、競争することや世間と合わせる生き方くらいしか教えてくれません。大部分の親だって、そうでしょう。

それがそもそも間違いじゃないかと思うのです。宗教者が言わなくても、そういうことは人類にとっては非常に大事なことのはずなんです。自分のために競争して、勝利者になって、そして不幸せになった人は案外多くないですか?

車を商っているあるお金持ちの実話ですが、阪神淡路大震災の時に、テレビで被災地の様子を見ていた時に「これで車が売れる。ふふふ」とほくそ笑んだそうです。お金だけが目的になっていけば、誰でもそういう気持ちになるでしょう。病気の人がいれば嬉しい医者、家が潰れれば喜ぶ建築家、飢餓で苦しむ人がいれば歓喜する食料品店、、、「他人の不幸が自分の幸福、不幸よ増えよ」本末転倒になってしまいます。「武器商人」とは他人のことではありません。

良心的な人ならば、災害時等には今まで儲けたお金で助けようとするかもしれませんが、少数派でしょう。自分中心、お金中心の生き方は人間を狂わせ、墓穴を掘ることになり、総崩れするでしょう。

この世界の全財産が仮に一京(1000兆の次の値)としましょう。それで世界中にあるものを買うとして、土地買って、金塊買って、石油買って、ウラン買って、あらゆる鉱物を買って、宇宙旅行切符を買って、食料品買って、自動車等機械類を買って、美術品買って、種を買って(一番安いかも、笑)、、、と全てを買っても、まだお金は残っていると思います。

多分地球上の全物質よりも多くの金が存在していると思います。つまりお金で株売買等のゲームをしているので、すでに地球上の物質の存在は無関係です。お金が欲しくなると欲深い生物(人間)はお金を転がしてお金を生むことまで考えるのです。

そういう人だけの世界を作って、その人たちだけで生活してくれていればいいですが、それが全ての人類に影響しています。何故なら、全ての人類が関係するお金が介在することで成り立つ仕組みだからです。我々は何もしていないのに、勝手にガソリン代金が高くなるのはそのせいでしょう。

であれば、そういう関係の中から脱すれば、彼らの影響を受けなくてすみます。それはつまりお金を使わない自給自足生活、あるいはできる限りお金を使わない生活でしか実現しません。世界で何が起こっても、明日には美味しい大根が畑で取れて、明日も大根を食べられます。しかし、お金の世界にいる人は明日のスーパーの大根は値上がりしているかもしれないので、買うことができなくて、大根無しの食卓になります。

「何だ、それだけのことか」と言うかもしれませんが、それが大根から始まって、キャベツも、キュウリも、豆類も、そして米も麦も、、、となるでしょう。でも、「うちの田畑には何でもあるよ」と言えるのが、自給自足している人をはじめとして、農業を営む人たちでしょう。しかし、農薬、化学肥料使用の人たちは困ります。何故なら、その根本である化学物質も品不足になり、手に入りません。

無農薬栽培、自然栽培の人だけは影響をほとんど受けないで済みます。そういう日がいつ来るかわかりません。その日のためにそうするのもなあ、と思うかもしれません。しかし、そういう生活がいいのは、そういう人たちの幸福度はすでにかなり高いからなんです。彼らの中では、すでにお金の量と幸せ度が比例していないのです。生きているだけで幸せなんです。

soul food「紅藜」(クレナイアカザ)の種(大鹿村・遠野さんより)
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posted by 種蒔夫 at 15:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする