原発を止めた町


今現在も旅は継続中で、一昨日は和歌山県の共生舎(日本一のニートを目指す)
http://banashi1.hatenablog.com/entry/2017/01/27/161414
そして、昨日は共育学舎
http://kyouiku-gakusya.org/npo/

にいました。その中の若者の一人は時々災害地にボランティアに行くそうですが、見舞うというよりレジャーだそうです。メリットはいろいろな人に出会えること、被災者に感謝されること。ボランティアを組織する側もボランティア側に被害者(怪我人、病人)を出さないように用心しているので、過酷な肉体労働もないそうです。

レジャーと言うと、不謹慎だと捉える真面目な人もいるかもしれませんが、その方が助けられる方も楽じゃないかと思うし、多くの人が参加しやすくなるんじゃないかと思います。しかし、逆の発想の若者も現れたんだなあと驚きでした。思考するレジャー、感情が揺さぶられるレジャー!人間関係が生まれるレジャー!異常気象が産む新たなレジャーです!

その後、和歌山を出て、今は三重県の大紀町にいます。ここは戦後の戦地の一つだからです。戦地と言っても、原発をめぐっての住民と国・県・電力会社との戦いですが。

住民 VS 国・県・電力会社の戦いはほとんどが住民側が負けているだろうと思ったら、意外にも住民が勝っている、あるいは勝った戦いも多いのです。その数なんと34箇所!それが以下のチラシです。番号が振ってあるのが阻止した町。名称だけの町は、原発所在地。残念ながら地元島根は完敗。
現在地は33番(芦原原発予定地)
(クリックすると拡大します)
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現地にはこういう石碑もあります。
(クリック拡大)
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「三重県に原発いらない県民署名」を行った1996年、集まった署名は81万人分。当時人口が約180万人なので、44%が署名したわけです。数の力!大きいですね。

この海が守られました。
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この円形は何かの養殖でしょうか。
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2018年09月22日

いじめられている子供(の親)に伝えたいこと 2

兄弟間のいじめ

今改めて考えてみると「学校では肉体的暴力は無いいじめだったなあ」と思うと同時に「肉体的いじめはあったのか?」と自問自答しました。すると、ひどいいじめにあっていたことに気づきました。それは兄からのいじめでした。私の兄は6歳上でしたから、小学一年時に兄は中学一年、大人と子供ほどの差があります。それなのに壮絶な戦いを日々やっていました。

私の頭をわしづかみにすると、硬い板の床に何度も叩きつけたり、重たいタンスに縛り付けて身動きができなくしたり、、、。親は仕事に忙しくて、誰も仲裁に入らないのですから、兄はやりたい放題。兄弟喧嘩と捉えればありふれたものになってしまいますが、これだけ歳が違っての喧嘩に仲裁が入らないとすれば、重大ないじめです。兄弟だから容赦すると思われがちですが、どちらかといえば、遠慮なくするんじゃないでしょうか。

私にとっては肉体的に叶わないのですから、苦肉の策で、報復として兄の大事なものを隠したりしました。兄は一年間、理科の教科書無しで学校へ行っていたこともありました。その悔しさで、兄の暴力もエスカレートしたかもしれません。一度だけ涙を拭う兄の姿を見た時には、こちらはすでに散々泣いているにも関わらず、勝利に似た至福感がありました。しかし、これを引き分けとしても最終結果は1分け10000敗以上。

問題はやっぱり親だったと思います。単なる兄弟喧嘩などと軽く思って放っておくのは、絶対によくありません。平等で質の高い裁定を下してやらないと、後々まで遺恨が残ります。兄が死ぬまで仲は悪いままでした。忙しい教師も同様ですが、忙しい親の欠点は悪い意味の放任です。仕事や金より、子育てにも時間を使うべきです。

後年、東京で浪人する際に、父は兄(すでに勤め人)と一緒に住むように言いましたが、私は自分だけのアパートを探し布団まで運びいれたのに、聞き入れられず、一緒に住む羽目になりました。案の定、結果的に1年しか持ちませんでした。しかし、何故それほどに兄との生活が嫌だったのか?それを「相性が悪い」程度の説明しかできず、父親を説得できる説明ができませんでした。しかし、今になって、やっとわかりました。

頭を硬い板の上に力一杯何度も叩きつける恐怖がトラウマとして深いところでいつまでも眠っていたのです。それ以前にも後にも誰からも受けたことのない強烈な暴力でしたし、脳を破壊しかねない、あるいは命も落としかねない行為でした。無論、大人になってからはそういうことはありませんが、恐怖や恨みは奥底で残るんだと思いました。

彼は普段は周りを愉快にさせる楽しい人間だったので、この話をしても誰も信じません。私だけが知る過去でした。だから、そういう外向きの兄の姿を見るにつけ「あれは偽善だ」と奥底で思っていた根底にはその暴力があったのです。深く遠い過去だったために、私自身その関連性を思いつきもせず、その悲惨な光景を見ることもなかった親には兄弟間の確執は想像もできないことだったのです。

そういえば、アーテイストの友人で子供の頃に、空手を習っていたお兄さんから、サンドバッグ代わりに散々殴られた悲惨な話を聞いたことがありました。兄弟とは思えない話に唖然としましたが、それは人のことじゃなかった自分の過去でもあったと気づきました。

意外と多く、かつ見過ごされている兄弟間のいじめだと思います。場合によっては死ぬまで付きまとうトラウマになりますから、育ち盛りの子供を持つ親御さんは御用心ください。事実(つまり、兄弟のいじめも見えないところでやるので、それを知らないと話になりません。密かに本当の兄弟間で起きていることを見ましょう。)に基づいた、平等で分け隔てのない裁定を。それは、弟、妹が負うトラウマ問題だけでなく、兄、姉にとっても将来の人間性を作る上に非常に重要な過去になります。


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2018年09月19日

いじめられている子供に伝えたいこと 1

今回「学校へ行かない子供達」訪問によって、問題点の一つである「いじめ問題」をさらに深く考えるようになりました。まず、自分の過去のいじめ問題を振り返るうちに、段々と体験がクローズアップされ、意外なことも見えて来ました。単なる遠い過去の記憶だったはずのものが、場合によっては確かに自分の傷として残っていると思いました。また、時間を経て本人に会って見ると、自分の中からこだわりが消えて行くようにも感じました。

まず、先日も書いたように、今夏、久しぶりに同窓会があり、私をいじめた4人のうちの3人が来ていて、それぞれに話を聞きました。だれ一人としていじめた意識はありませんでした。彼らには軽い遊び程度だったと思います。今では、それなりにいいおじさんになっており、憎もうにも憎めない存在でもありました。

一体どういういじめであったかと振り返ると、肉体的暴力ではなかったのです。単に自分の意思に反して「無理強い」されるいじめなのです。やりたくないことをさせられる。貸したくないものを貸せる程度。脅し取らることもなく、叩かれた記憶は一度くらいのものです。ただ、いじめは基本的に、自分の意に沿わないことをされたり、させられたりすることなので、自尊心を傷つけ不快感が後々まで残る明らかないじめでした。

しかも、彼らの「脅し」には迫力がありました。今回、彼らの一人が話した中で「それなりにやんちゃだったかもしれないけど、本格的になったのは高校生の時だ」と話し始めた過去はそのワルぶりを物語っていました。

彼の高校生時代の仲間の一人が電気店に泥棒に入りました。盗みは半端ではなく、冷蔵庫等大きな電化製品を何点も盗んだのです。リヤカーか軽トラで乗り付けて盗んだのでしょう。10代がやるにはスケールが大きいことでした。警察に捕まり、彼の下宿は家宅捜査されました。そして出て来たのが、各高校や専門学校等に通う校区、学校を超えた10代後半の若者たち30人余りのリストでした。それはミニヤクザともいうべき、組織図でした。そこから悪事が明らかになったのか、何人もの退学者や無期停学者を出したという話でした。彼も無期停学になりました。私をいじめた4人のうち、二人がその中に含まれていました。

なるほど彼らは筋金入りのワルだったんだなあと今更ながらに感心しました。ですから、小学、中学生程度とはいえ、脅しも半端じゃなかったんだと納得しました。子供ヤクザみたいなのが、同級生にいたのですから、戦々恐々の毎日だったわけです。殴られなくても「〜しろ」「〜貸せ」は普通の命令とは異なっていたのだと思います。

また、彼の話で興味深かったことは、逆に自分の子供がいじめにあった話でした。卓球部で活動していた彼の次男は、それほど上手でもなく、ある日後頭部に「へたくそ」と書かれたそうです。その日、本人はそれを隠すために頭を坊主にして帰宅したことでいじめが発覚し、いじめた子は両親とともに謝りに来たそうです。いじめの常習者の子がいじめるとは限らない、我が身に返って来た実例でした。

過去に戻りましょう。中学1年時の夏休みに美術部でスケッチに行った帰り、アップダウンの激しい国道を一列縦隊で30人程が自転車の列をなしていました。顧問の先生は「危ないから絶対に追い抜かないように」と注意していました。しかし、しばらくして私の後ろにいた同級生の某部員は「抜け」と命じました。何度も脅されるうちに、私は仕方なく前にいた3年生の女子部員を抜きました。案の定、私の後輪が彼女の前輪と接して、彼女は転倒。幸い怪我はなかったものの、その時に車が来ていれば大事故につながる危険な行為でした。断りきれなかった不甲斐なさ、「悪いのは俺じゃない」とは言えなかった悔しさ、そして彼への憎悪が残りました。

彼とは同じクラスになることはなかったので、いじめはその一回だけでしたが、彼の存在はまた別格なものでした。彼もそのミニヤクザの一員だったのです。今回、同窓会後に改めて彼の自宅に訪問しました。彼は留守だったので、彼の母親と玄関先で話しただけでしたが、当時その母親は多忙な小学校の教師だったと知りました。

実は、私の教員時代に「あれー」と思ったことが一つあります。教師の子供は優秀な生徒もいますが、中には校外に知れ渡るくらいのワルもいるという現実でした。また、担任をしていた女生徒の一人は私の給食に密かにチョークの粉を混ぜたことがありますが、その親は同じ職員室内の先輩教師でした。一体、どうなっているのか?と新任の私はその頃から教師の家庭教育に疑問に感じていました。

教師の子供を全て悪く言うつもりは無論ありませんが、教師の子供の家庭環境がどうなっているのか?これは見逃せない重要な教育世界の研究対象だと思います。そこから見えるものは、教師自体でもあるし、教育自体でもあるでしょう。

家庭教育も十分でない教師が学校では実力のある教師として認められている場合も多々あります。この矛盾は何でしょうか?実力とは何か、本当に実力があったのか、本質的問題を無視しての評価ではなかったか?

話を戻しましょう。その後、中学生になり成績が上がり自信もついてきて、エキスパンダーを毎日数百回伸ばすうちに筋肉質の体にもなって、美術部の私が腕相撲では運動部にも負けなくなり、前述の生徒の脅しに対して刃向かった日を最後にいじめはなくなりました。いじめ対策の一つは、得意分野を持ち自信を持つこと、あるいは肉体的優位を持つことだと思います。それだけで顔つきや普段の姿勢や雰囲気が変わります。しかし、とりあえず「歯向かう」ことさえできれば、脅しが容易にはできないことを悟り、脅しは減るはずです。力は無くとも、泣きじゃくってでも反抗する子はいじめられにくいです。

いじめる彼らに共通したことの一つは、弱いものを狙うこと、集団になりやすいこと。つまり、容易にやれる相手、容易にやれる状況を求めるのです。本当に強いものは一匹狼、強いものにしか興味がありません。個に対して集団になるのは、弱いものの常套手段。一人一人は実は弱いのです。

その実例は従兄弟の息子が教えてくれました。彼の体験は壮絶です。よく生きていたなと思います。以下、ドラマチックで貴重な体験談です。

高校に入学して早々の4月頃、いつも立ち寄るショッピングセンターのうどん屋から、近くのスポーツ用品店でクラスメートの3人が、剃り込みやパーマをしている他の高校の2人から絡まれているのが見えました。近づいて話しかけると喝上げ(カツアゲ=金品を脅し取る)にあっている様子。喝上げは一度やられると、二度三度と繰り返されるのを体験から知っていた彼は「友達だから、やめてくれ。何なら、俺から取るか?」と止めに入りました。

ここで「そんなかっこいいこと、本当にできるのか?」と思われるでしょう。ここで強調したいことは、彼の強い正義感は小学校の低学年時代からいじめの被害者だったことが発端であることです。喝揚げの被害にあっている人間を無視できないのは、過去に喝揚げされた悔しい思いからなのです。私はこのブログに何度か書いていることですが「正義感は被害者にならないと養われない」のです。彼も同様に、被害者体験のない正義感は偽善だとさえ言います。いじめられた体験のない教師のいじめ対策は偽善的になりやすい、形式に流れやすい、あるいはいじめに鈍いと思います。

ちなみに、助けた3人は単なるクラスメートなだけで、名前も知らず会話もしたことがない存在であったこと。にもかかわらず、助けた後に「ありがとう」とお礼を言ったのは一人だけ、他の二人はばつが悪そうに帰って行きました。正義に対して、味方が少ないこともすでに彼は学んでいました。

話を戻します。意外なことに、喝上げの二人は「わかった」と素直に言いました。しかし、駅に向かう彼を二人組はついて来て「打ちに行かないか?」(パチンコの誘い)とか「ここら辺を締めて歩いてるんだ。一緒にやらないか。」「ちょっと行こうぜ」等々誘いを受けますが断り、出身都市名と姓名を名乗り別れました。

彼の想像ですが「喝上げの二人組は彼の態度から上級生か同級生と間違え、一歩引いたのではないか。その後、情報網に優れる喝上げ組は都市名と姓名から、彼の素性を探る。その結果、高校に入学したての新入生とわかり、2年生だった二人に怒りの火が点いたのではないか」と。

数日後、うどん屋にいると「A高校のBさん、〜の前で◯さんがお待ちです」というアナウンスが、数十人分長々と流れました。変なアナウンスだと思いつつ、正面玄関から出ました。すると、リーゼントの男が

「おいおい、お前来い。」

N「何が?」

「◯君が呼んでるから、来い」

N「そんな男は知らん、自分から来るように言っとけ」

すると、乞うように「頼むよ、来てくれよ」

しょうがなしについて行くと、二人だったのがいつの間にか六人になり、フードコートに向かって歩いていきます。たどり着いたギャラリーには総勢50人が集結。エスカレーターの緊急停止ボタンを押し、人の移動を止めます。アナウンスは彼に復讐するために集められた高校生たちの氏名で、彼の存在を確認した誰かが集合を命じたのです。

狭いトイレに連れ込まれ、動きも取れない中で、殴る、蹴る、棒で叩かれボッコボコ。

「わびの一言もないのか!」

彼は信念で謝罪は一切しませんでした。ツーターン(二度目の暴行)の始まり。

ここで(悪くないのに)謝れば、今後もやられっぱなしになるのを過去の経験から学んでいた彼は、それでも謝罪はしません。

三度目の暴行が始まろうとする時に、ボス(喝上げ男)が

「お前、根性あるなあ!」

N「お前らの顔、忘れねえぞ!」

「ボコボコのツラで、おー、こわ!」捨て台詞とともに彼らは去って行きました。

骨折したのか、ヒビが入ったのか、あちこちの骨はガタガタ。顔は腫れ上がり、破れたほっぺたからは歯が見えました。弱みを見せたくない彼は、ボコボコ状態で再びうどんを食べに行きました。その後、彼は意地でも病院には行かず、学校も休みませんでした。日に日にフツフツと煮えたぎる復讐心。

しばらくして、中学校の卒業アルバムをあちこちから手に入れました。「忘れられない顔」の記憶を頼りに、誰がどこの中学で、どこに進学したのか調べ尽くしました。そして、自分に重傷を負わした主力の11〜12人全員の居所がわかった二週間後、彼は金属バットを持って一人復讐に出かけました。

学校に近い場所からの家庭訪問が始まります。1軒目、母親と小学生の妹が住んでいる貧しい家屋を見て「本当は優しいいい奴かもしれない」本来の優しい気持ちになるものの、初心に戻り「復讐決行!」を自らに誓います。仲間に電話連絡をしているのか、本人はなかなか出てきません。やっと出て来ると、観念したのか「悪かった」と自ら謝罪します。

N「お前が使った道具で、殴らせろ」と何発かお見舞いしました。

そうして10人程の家庭訪問を一人ずつ済ませますが、その荒(すさ)んだ家庭状況を見て「この環境じゃ、こうなるのももっともだ」と想定外の社会勉強にもなりました。最後に喝上げをしていた頭領格の男の家に向かいました。それまでの家庭が貧しい家ばかりだったのに比べ、彼の家だけは別格で裕福そのものでした。それがまた彼には許せず、さらなる闘志が湧きました。すでに襲撃の連絡が入っていたのか、インターホンを押しても本人は出て来ません。代わりに出て来たのはその父親でした。後で分かったことは父親は元暴走族総長。

「何事か!」

N「この顔見て、わかるだろう。大人数でボコられたから、仕返しに歩いてるんだ。」

「てめえ、この野郎!・・・」

N「お前の息子がボスだ。やらせろ!」

息子を呼び出すと

「タイマンだ!お前、逃げんなよ!」

やっと外に出て来た喝上げ男はひ弱く

「勘弁してくれよ」

N「勘弁せん!お前だけは絶対勘弁せん!」

金属バットで殴るフリをして、ひるむ隙にマウント(馬乗り)して何回か殴っている時に、父親が止めに入り

「もう、いいだろう」

N「よくねえ!」

「警察呼ぶぞ」

N「呼べ!毎日来てやるぞ!」

父親は(娘に向かって)「出刃持って来い!」と脅しますが、

ここで引いたら、これまでしてきたことが全部無駄になると、一切耳を貸さず
ボコボコにして帰りました。

突然にやってきた復讐男の襲撃は災害みたいなもので、準備も無し、心積もりもなし、頼みの綱の味方も無しで、彼らには一人としてやり返す力のあるものはいませんでした。

何故、誰も助けに来なかったのか?これは私の想像ですが、その時点では彼らには強いモチベーションがなかったと思います。最初の集団暴行の時には、面白そうだ(いじめの本質=集団暴行絶対勝利の至福感)と集まったのかもしれませんが、所詮「喝上げ」失敗の仕返しです。他人の悪事(しかも、他人の儲け損ない)に対しての共感にどれほどのモチベーションがあるでしょうか。また、集団で暴行したズルさも、自分たちで分かっています。二度目の助け舟を出すほどの動機もエネルギーも結束力もないのは当然だと思います。はっきり言って、面倒です。相手が一人とはいえ、その復讐心に恐怖も感じるでしょう。一人一人は家の中で縮こまっていたと思います。

殴った相手の中にはヤクザの従兄弟もおり、噂が流れたのか、ヤクザからスカウトの話もきたそうです。信念のある生き方や暴力はヤクザさえも認めるのです。彼は今、ヤクザの組長ではなく(笑)、某優良企業の立派な社員として日々黙々と働き、実績を上げています。

彼はいじめの対策として始めたのは、小学5年生頃から、腕立て伏せ、拳立て伏せ、素振り、走る、などなどして体力をつけ、中学ではバスケット部で俊敏生も身につけました。高校1年の時には、高三より重いバーベルを上げて上級生からも一目を置かれる存在になっていました。

彼も実践したように、いじめ対策には体力をつけることは非常に重要だと思います。結局自分の身は自分で守るしかないのですから。しかも、筋肉がつけば体つきが変わり、顔つきまで変わります。彼に言わせれば、人間も動物ですから、動物的勘で人の強さを感じればいじめる人間も近づかなくなるのです。

彼は「ネガティブな経験は絶対に宝になる」と信じていました。小学生の低学年時代からひどいいじめに遭い、橋から担いで落とされたり、ランドセルを肥溜め(肥料用のウンコと小便を溜めた大瓶)に落とされたり、ほっぺたをつねられたままの状態で登校したり、、、数年に渡り、様々ないじめにあっていました。

そのせいで自家中毒で入院もしたそうです。気持ちを安定させるのに役立ったのは、自然の中をひたすら歩くことだったそうです。そして結果的には、その悲惨な体験が悪を憎む心や正義感、弱者を思う心を養ったのです。

いじめ問題は周囲の人間が見守ることも大事ですし、相談できる人がいれば話してみるのも一つの解決策です。登校拒否もありです。しかし、もし可能ならば、自らを鼓舞して、たくましく前向きに生きることは将来の自分のためにも大事なことです。「たくましく前向きな生き方」の要素の一つが「体を鍛えること」です。しかし、いきなり腕立て100回はダメです。三日坊主で終わります。今日は1回。来週は2回でいいです。継続が大事です。継続していけば、いつの日か楽に100回できるようになります。その時には今の数倍の自信が付いていることと思います。1、2年続ければ、確実に人並み以上のパワーが身についているでしょう。誰でもN君のように屈強な人間にはなれなくても、いじめの世界から脱することはできるはずです。

追加:ここまで書いて、本人に文章を確認してもらいました。そうしたら、追加して欲しいことがあると、、。それは、復讐しても、孤独感はつきまとうこと、暴力を受けたトラウマからは逃れられないこと。復讐の連鎖は断たねばならないこと。そして、場合によってはどちらかに死が訪れる可能性があること。それ故に、復讐という決着のつけ方を薦めるわけではないと。ただし、前述しているようにネガティブな経験は自分の宝になり、受けた屈辱や肉体的痛み、死の恐怖が、その後の自分の人生にプラスに働いていると。

実は、その後の東京での人生はさらに凄まじいものでしたが、それでも死に至ることも無く、悪に走ることもありませんでした。人生の中に訪れる生活環境は必ずしも望むものになるとは限りません。また、正義を貫くことや、優しさを見せることが危険な状況を生むこともあります。実に矛盾を孕んだこの世界です。

自分の過去を文章にして読んだのは、彼にとって始めてのことでした。思わず当時の臭いさえ鮮明に漂い始めて、改めて自分の人生を振り返った様子でした。その彼が最後に気づいたのは、このストーリーに全く登場することのなかった「愛」でした。彼からのメールです。

「今ふと思いましたが、やはり僕の中でストッパーになったものは母親の愛情かもしれません。心から思っていてくれたのは、やはり母ですかね。いろんな回想しますが、チラッチラッと母の声やら表情やらが浮かびます。何かしてくれたとかでは無くて、母が死んでからより気づいたように思います。今、すべての人が存在できているのは父親も必要だけど、やはり理屈じゃ無くて母ですよね。産む方もそうだけど、産まれるこちらも繋がりは永遠にあると思います。生きてる生きてない関係ないですね。いないからこそ、より繋がりや有難味があるように思います。」




posted by 種まく旅人 at 09:59| Comment(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月29日

自殺する子供たち

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8月末から9月初めにかけて、学校へ行きたくない子供たちが自殺する状況が長い間続いています。 それが続いているのは、文科省も教育委員会も学校も無策だからです。常態化しているのがわかっているのに何もできない。

自殺する子供たちは、学校で何かシグナルを送っているはずですが、それを見落としている教師や学校側には、もはや何も期待できません。自殺よりも登校拒否を選んでほしいですが、それさえ難しいのかもしれません。

それは「登校拒否」からくるプレッシャーです。親、教師、いじめる子供たち、その他の子供たち、親類の目、世間の目、、、そういうものと戦わねばならないからです。自分は悪くないのに、自分が一番困る状況になるのです。

実に理不尽なことです。親か教師が良き理解者で、その負担を軽減できるようであればいいですが、そんな理解者ならば、そこまで問題は発展してないでしょう。

また親や教師からの影響で「学校はいかなければいけない」とか「学校に行かないと人生がない」とか、脅迫観念だけが身についているのかもしれません。

いま、学校に行かずに大人になった人々をたずねていますが、自由にのびのびと、あるいはコツコツ地道に、あるいは堂々と生きている姿を見ます。学校が人生を決めるのではなく、自らが決めるのだと彼らは教えてくれます。学校に行かなかったからこそ養えた感性や目的や思考を持っているので、とても貴重な人材だと私は感じています。

先日も世界中から応募者が来る最難関のドイツの映画学校に日本から初めて入学許可が与えられた知人は小中学校へは行かなかったそうです。並みの才能ではないその感性は、学校教育では到底養えなかったどころか、学校教育は邪魔でしかなかった、あるいは才能をつぶしていたでしょう。

学校教育は個性を伸ばすどころか、金太郎アメみたいに、同じような人間になりやすいです。学校を拒否したり、行くのが死ぬほど辛い人は、異常な人ではなくて正常な反応だと思います。逆に何の問題もなく学校へ行っている生徒に対して、学校生活で疑問に感じることは見過ごさずに、しっかり反応してほしいと思います。正常な人間になるために。

「いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか」 (講談社現代新書) 新書 – 2009/3/19 内藤 朝雄 (著)
という本がありますが、読者のコメントにこういう文章を見つけました。もっともだと思います。

「たいていの学校ではクラスのみんなが仲良くすることを目標とした標語が掲げられているが、そもそもこのような仲良くすることを前提とした人間関係を構築しようとするから、いじめが発生するのだという。

大人でも年齢以外になんの共通点もない相手と長時間空間を共有することが苦痛であるように、子供であってもそれは変わらない。

正直、人間はどうしても合わない相手というのはいるものであって、にも関わらずそのような相手と親密な関係を強要されることの理不尽さを考えれば、現行の学校のシステムがいかにおかしいものであるかが分かる。」
(転載おわり)

例えば、暴力団がいるような地区に住んでいる住民はどうするでしょうか。暴力団排除の住民運動をすることもできるし、何かあれば警察に訴えることもできますし、最後の手段は自ら引っ越せばいいことです。対処法はいくつかあるでしょう。

しかし、学校社会はそうはいきません。暴力団といじめる子供をいっしょにするのは、極端かもしれませんが、死ぬ子供からすれば、極端でもありません。

いじめる子供を排除できるでしょうか。不可能です。それでは警察の役割をする教師に言えば、解決するでしょうか。これが難しいのです。教師は警察ほどの力はありません。子供のことなので、何とか和解させようとするでしょうし、いじめる側のことも考えます。

つまり、暴力団を警察が懲らしめるほどのことができないのです。反省できるほどの罰が与えにくいのです。「こんな目にあうくらいなら、いじめをやめよう」とはなりにくいのです。逆に「ちくりやがって」といじめはエスカレートするかもしれません。

自殺するような子供は、最初から教師を見切っているのです。本当に信頼しているならば、相談するはずなんです。それがいじめ以前に「自分の命を救ってくれるほどの力量はない」とそれまでの様々な接触から判断しています。それは、親に対しても同じでしょう。

つまりは、大人と子供の人間関係が希薄なんだと思います。日頃から、命を守ってくれると感じ取れるような信頼関係が誰に対してもないのです。最近のストカー関連の殺人事件を見ていると、警察でさえ市民を守ってくれません。学校も同様なのです。

つまり、現代はお互いに信頼しあえる関係がどんどん希薄になっているのも問題だと思います。警察も教師も単なるサラリーマンでしかない。信頼関係がなくても、市民や子供を守れなくても、給料はもらえますから。

私の教師体験からしても、いじめ問題は給料がもらえるからできるような生易しいものではありません。心底いじめられる側の悲しみ、くやしさ、憤りが自分のことのように理解し得て初めて対応できます。それには教師のいじめられた体験が不可欠だと思います。

被爆者でなければ、原爆の恐ろしさはわからないし、反対運動の中心になっているのが被ばく者自身であるのは当然です。

本題に戻りましょう。

いじめる子供を排除できない。
教師に訴えても助けてもらえない。

となると、最後の手段。住民の引っ越しに当たる「転校」あるいは「不登校」はどうでしょうか。親に相談する必要があります。しかし、ここにも壁があります。親が子供のことを把握していない限り、「転校希望」「不登校」の理由を事細かに説明する必要があります。それはとても苦痛を伴うことでもあるでしょう。

いじめを受けていることを正直に話すこと自体が自尊心を傷つけることになります。絶対的信頼が無い限り、非常に難しいことです。絶対的信頼に値する人がいないことこそが問題なのです。ここで多くの子供は挫折するでしょう。しかし、仮に勇気を振り絞っていじめの事実を正直に話した場合はどうなるでしょうか。

たぶん、仲直りさせる方向に親も教師も動くでしょう。しかし、それが功をそうするかどうかはわかりません。知らないところで余計にいじめられる可能性もあります。100%信じられる方法ではありません。

「またいじめられるようならば、また訴えてこい」
と言ったところで、どうでしょう。だんだん泥沼に落ちるような気もします。大人でも実刑を受けてもなお同じ犯罪を犯すように、難しい問題です。子供の場合は実刑さえありません。せいぜい注意する程度です。

あっさり、早々と転校させる、あるいは不登校を認める方向がその生徒にとってはプレッシャーが無いし、安心できます。しかし、こうはならないでしょう。

教師もプライドがあります。いじめ問題に気付かなかった自分自身の力量の無さを反省するならまだしも、いじめを認めようとしない場合も多々あるでしょう。また、何とか自分の力で解決しないと力量を問われますから、自分のためにも「転校」「不登校」は避けたいでしょう。親も不登校児という世間体の悪い方向には持っていきたくない。

教師も親も子供中心に考えるより、自分の立場を先に考えるでしょう。また「それほど深刻ではない」ととらえたいこともあるでしょう。大人の立場優先や軽傷ととらえること、それらが彼らの信頼を得られない原因でもあり、自殺以外の選択肢を思いつかなくさせているのでしょう。

今現在、この瞬間に日本の国のどこかで9月1日が来ることを恐れおののいている生徒がどのくらいいるでしょうか。実際に自殺を実行する子供の数の何十倍、何百倍何千倍何万倍も存在するだろうと思います。そして周りの大人は誰もそれに気づかない。なにゆえに、そんな深い闇があるのか。

もし、生まれた瞬間から絶対に信頼ができる親子関係が築かれるならば、あるいは「私の命を守る人間がいる」と信じられる存在が一人でもいるならば、どんな問題が起きても安心して生きていけるでしょう。

自殺を考える子供たちー自覚しているかどうかは別としても、彼らはきっと小さい時から自分の命は自分で守らねばならないほど、他人との関係が浅いのだと思います。大人はみんな自分の仕事で精一杯なのです。お金のために、生活のために。

しかし、私が旅の中で深く心に刻まれたのは、貧しくても家族愛を大事にする人たちです。私自身も感じたことのない家族愛を見て感動します。お金はないけど愛はある。絶対安心、絶対信頼の子供の目、子供の表情を見ることができます。そういう人たちは、不登校も自宅学習もフリースクールにも何の抵抗もありません。世間体なんて、どうでもいいからです。それより子供の方に向き合っています。

いま、あなたが若い親ならば、有言実行してください。「何を捨てても、お前の命は私が守るから安心しなさい」と、子供の本当の信頼の目が見られるようになるまで、何度も言って聞かせること、実行することを。


いじめ問題に関しては以下のブログページも参考に読んでください。
なぜ、子供の命を救うべき教師のレベルが低いのかについても書いています。
「原発避難いじめ問題から、考えること」
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/444760760.html



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2018年08月17日

終戦記念日に

今、故郷の島根県大田市に帰っています。同窓会があったので、帰りましたが、同時に「学校へ行かない子供達」「学校へ行かずに大人になった人達」を訪ねたり、調べたりしています。考える事は様々ですが、まだ頭の中でまとまりません。また、同窓会で私をいじめていた同級生にも会い、当時の話をしました。それも興味深いです。後日、まとめたいと思います。

暑さのせいなのか、最近文章をまとめるパワーが出ないので、今日は終戦記念日の二日後ですが、過去の戦争関連の記事で私にとって最も衝撃的だったものを紹介します。

「ヒロシマ 世界を変えたあの日」ー広島原爆投下に関する番組を文字起こししたものです。投下前後の様々なことがわかります。まだ、読んでない方は是非読んでください。以下のページへ。

http://happyhillcontest.seesaa.net/article/440464494.html




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2018年07月31日

NHKスペシャル 人間はなぜ治るのか? 第二回 心がガンを治した その四(文字起こし)

東京A料理教室。肉を一切使わず、玄米と野菜を中心とした料理を指導しています
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この屈託のない明るさからは想像しにくいことですが、7人のガン患者を始め、生徒の多くが何らかの病気と戦っています。折に触れて語り合う中から、ガンになり病を得たことの意味に気付き、本当の自分、新しい人生を発見していくのです。

(東城)病院ってグズなんですよ、ああでもないこうでもないと下らない先のことを心配してね、過去のこといつまでもひきづっちゃってね、地に足がつかないしね、それで病気してんですよ。もう、ほんとに自覚しないとダメですよね。ここで色々勉強しているうちにね、また周りも変わって行くし、いろいろな人に助けられるし、ある時期にパタッと気がつくと、変わりますね。目に見えて変わりますよ。表情から何からね。
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(米沢)ちょっとしたことで、よく笑うようになって、だいたいガンの人は上向いてなくて、みんなこういう風に、、、それが上向いてゲラゲラして「ガンだわよ」なんて平気で言うようになるし、隠されなくなっちゃう。
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問い:一番変わられたのはどなたですか?

(米沢)そうね、鈴木さんは顔が変わってきた、片山さんはすごく変わったんですね。

(鈴木)私もすごく突っ張っていまして、自分で全てできると、自然療法も本を読んだだけでできると信念を持っちゃったんですね。1年間やったんですが、1年後にまた肺に陰ができるわけです。何でこんなに一生懸命にやっているのに、治らないんだろう、朝から晩まで自然療法やっていたんです。親のことも、主人のことも放ったらかしにしてやっていました。
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それで3度目に、今年の1月から6月までがんセンターに入院した時に、初めて主治医の先生から「あなたはこんな生き方では、ガンというだけでなくて、他の病気にもなって行くよ。生き方に無理があるんじゃないのと、おっしゃってくださった。その時に、一生懸命がいけないんだなと初めて気付きました。自分だけ一生懸命にやるという生き方で来たので、友達も作りませんでした。

ここにいる40人の皆さんが、ビワの葉っぱだとか、スギナの粉とか、全て自分のことのように助けてくださった。その時にビワの葉一枚頂いても、ここに命があるんだ、皆さんの祈りがあるんだと気づいて、ボロボロと涙が出て、私は今まで何て酷い生き方をしていたんだろうと、気づいて、その時にストンと落ちました。

自分を出すとはこのことだと思った。感謝も何もないと思った。試行錯誤しながら、皆さんを見習って自分を出すようにした。出したものに対して、皆さんがまた感謝してくれる。それがどんどん繋がって、友達が50人60人と増えていった。

何て素晴らしい世界があったんだと思いました。これはガンにならないと分からなかったと思いました。初めて感謝しました。主人に対しても心から謝りました。私のことばかり考えて、あなたのことは考えてなかったと。ご両親も辛かったのにと謝って、心から感謝しました。それで、主人も主人の両親もポロポロ泣くんです。

お料理教室の皆さんにはお礼を言ってくださいと、姑から言われました。「皆さんのお陰で、あなたはこんなに変わったのよ」って。「やっとね、鈴木家の娘になったね」て言われました。すごく嬉しくなって、主人に抱きつきました。

ガンになってよかったと思っています。片足なくなっても、それを支えてくれる人がいっぱいいるんです。

(安永・妻)病気になっても、その後の人生がバラ色なんですね。皆さんに分かって頂けるかわかりませんが、いつもどこ行くのでも夫婦一緒です。逆にお互い自立してないのかなと思いますが、お風呂も一緒ですし、寝る時にはお手手繋いで寝ています。ほとんど不安がありません。
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問い:ご主人はどうですか?

(安永・夫)薬は一切飲んでません。医者から早く検査に来いと言われていますが、一度も行ってません。だから、自分では病気しているという感じはありません。今は女房がいる限り、ガンで死ぬとは思っていません。
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(安永・妻)ちょっと、甘やかし過ぎたかなと。(笑)

(片山)最初は何で私がガンにならなくちゃいけなかったの、と辛い思いが先立ちました。ガンになるだけの理由が見つからないと、その時納得できない気持ちでした。必死になってガンの本を読み漁りました。そこで一番最初の段階でわかったことは、東城先生がおっしゃるモノ的なもので、食事がいけなかったんじゃないか、不規則な生活がいけなかったんじゃないか、、、、モノ的なもので原因を求めて行くのです。
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東城先生、米澤先生のおっしゃるように、それは目に見えるものじゃないんじゃないか、、、と徐々に気づかされて行くんですが、人間は傲慢ですし、自分がかわいいので、自分の精神面とかで間違っていたと認めるのは辛いんです。自分のように優等生で来て、自分の生き方は間違いない、人よりいい生き方をしていると自分で思っていたので、その時その時を精一杯生きて来たはずの私の生き方が間違っていたと認めるのは、辛かったのです。

それでも、先生のお話や本を読んで行くうちに、そうじゃない私の生き方がやっぱり間違っていたんだ、その心の有り様が間違っていたんだと段々と分かってきたんです。分かってきたら、自分がすごくかわいそうになってきました。

私は本当の私を生きてなかった。それには、生い立ちとかいろんなことが関係してくるんですが、私は頭で生きていたんです。周りの人ばっかり見ていたんです。どうしたら自分がいい子に思われるか、自分がいい人間だと思われるか、どうしたら自分が正しい生き方ができるか、どうあるべきか、そのべきの方が先立っていて、本当の自分が何をしたいかがどこかに置き去っていたんです。

実はそれが自分の中でストレスを生んでいたんだけど、私はそれをストレスとさえ思っていなかった。そういう生き方が間違っていない、人間として正しい生き方だと自分で思っていたんです。

ガンができたのはたまたまだったんだと、すごく思いたかった。しかし、先生は必然だとおっしゃる。自分にとって必要だから起こった、そう思った時に、病気に対する捉え方が180度転換しました。

必然で起きたのなら、ここから何かを学べということなんだなと、そう思った時に、さっきお話したような、自分を本当に粗末に扱っていた、体のことなんかどこかにうっちゃってた、この世には私という人間は一人しかいないのに、周りの人の目ばかりを気にして、その人たちの目に合わせて、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ、少しでもよく思われたいと肩肘はって、本当に何てバカな生き方をしていたんだろうと、

それに気づいたら、ふわーと肩から力が抜けて、私は何も周りの人の目なんか気にすることは無い、やりたいことをやればいいんだと、自分の体が楽になること、自分に嬉しいこと楽しいこと、そういうことを自分の体に味合わせてあげたいと、すごく思いました。

(西脇)発想の転換ですよね、それができるようになれば、みんな明るくなるんじゃないですか。なんでこんな病気になったのかと恨むんじゃなくて、この病気で私は何をしなければならないのか、っていう風に変わってくると、、、。私もそれで変わったと思う。
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(米沢)その前に、病気をさせていただいてありがとう。(笑)

(番組デイレクター)英語が大の苦手の私にも、一つだけ大切にしている言葉があります。
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weller than wel (ウエラーザンウエル)

病から真に回復したものは、病気になる以前よりもはるかに健康になるという意味です。体はもちろん、心も、そして人生そのものも。病を癒すということは、新しい人生を作り上げて行く心踊る創造的な営みなのです。多くの患者さんから、私はそう教えられました。

(ナレーター)この人たちはガンになってからの自分の方が遥かに豊かだと言います。この人たちは人生最悪の危機をこの上ない贈り物に変えることができました。
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weller than wel(ウエラーザンウエル)の言葉そのままに新しい人生を輝かせ、そのことで人をも癒す人たちです。そして今はベットの上のあなたもきっと。   (終了)

種蒔夫:これでNHKスペシャル番組「人間はなぜ治るのか?」の文字起こしを終了します。3回合計1時間半のうちの、最初の二回分(90分)でした。過去の文字起こしは下記の【関連する記事】から、選択してください。今日を含めて7回に分けて文字起こしをしています。

最後の番組3回目(45分)は動画としてネット上にありますので、見てください。アメリカへ取材に行ったものです。以下のサイトへどうぞ。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1675227



posted by 種まく旅人 at 12:04| Comment(0) | 不治の病の克服 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月27日

2月11日 北中城村(沖縄) 9761−10008

報告が遅れに遅れましたが、とうとう目標の種蒔き一万人達成の日の報告です。

2月某日、沖縄県の高江にある「ブロッコリーハウス」に滞在中、突然知らない人から電話がありました。2月7日にバスターミナルで種渡しした我如古さんの奥さんの職場の人からでした。

我如古さん
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知らない間に、種と手紙は人から人へ伝わっていました。その手紙を見た人ー上地さんーは私の活動に大いに感激されて、協力を申し出てくださいました。それで2月11日に開催される桜祭りに種を蒔こうということになったのです。
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高江からバスを乗り換えて、上地さんから教えてもらったバス停に着くと、上地さんが待っていました。1万人まで240人ほどになっていましたが、他県ほどには種蒔きが順調でない状況に半分あきらめ気分でしたが、上地さんのお陰で、この日一気に達成できました。本当にありがとうございました。
9761番の上地さん。
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桜祭りの訪問客や世話係の人たちに次々に手渡しました。9762番〜10007番。
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いよいよ一万人目!
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この坊やが一万人目になりました。ありがとうございました。
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そろそろお祭りも終わりそうなときに、さらに、、、、
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一万人を超え、この日は10008番が最後でした。沖縄のみなさん、ありがとうございました。

2月20日に「1万人に蒔き終わって」という文章を載せましたが、まだ読んでない方のために、転載しておきます。

「1万人に蒔き終わって」

今、やっと普通の状態に戻ってきました。沖縄滞在中はほとんど風邪気味で調子が悪く、下痢も10日間くらい続きました。一生下痢しているんじゃないかと心配になったほどです。沖縄の食事も体に合わなかったですが、それより風邪の症状だったと思います。

フェリーで鹿児島に着いた時に、冷たくてカラッとした風に当たった時に「これだ」と思いました。沖縄は常にジトッとした空気が流れていて、それが僕の風邪の症状を引き延ばすのに絶好でした。

目標の1万人が達成され、少し気が緩んでいたのもあるかもしれません。

あちこちから祝福の言葉を頂き、感謝しています。花火が上がるわけでもなく、ビール掛けが行われたわけでもありませんが、静かに「ああ、やっと達成した」とホッとしました。ただ、鹿児島県内で知り合った中(アタリ)さんが、自前のドブロクをくださったのですが、それを風呂上がりに飲もうとして、蓋を開けたら一気に噴き出して、せっかく綺麗になった体にドブロクをぶちまけてしまい、それが祝杯になりました。(笑)

2015年2月に出発して、ちょうど3年で終わりました。3年前と今とでは何が違うかといえば、私自身がすごく違うことです。これをせずに死ぬのと、やって死ぬのとでは随分違うと思います。大げさな言い方をすれば、体全体の細胞が代わってしまったような感じです。

そもそも旅自体が旅人に変化を起こすものだと思います。しかし「種を人に蒔く旅」はかなり違うと思いました。一つは1万人の人に出会った(人を介することもありましたが、基本的には私からの手渡しでした)ということです。普通の旅では、これほどの人に接しようとは思いませんし、なかなか難しいことです。

その全てが記憶にあるわけではないですが、私に刻まれたのは確かであり「いつ、どこで手渡された」と聞けば、記憶が蘇り、その場の雰囲気を思い起こすことができます。長い会話や印象的な会話をしていれば、なおさらのことです。その一つ一つが私の目に見えない財産になっていること。その集積したものが私だとすれば、やはりそれ以前の私とは違う私がここにいるのです。

また「そういう集積したものは、全て一つに繋がっているかもしれない」と気付かされました。世界のものは全て別々に存在しているように見えますが、ちょっとした拍子に、それが全て繋がっていることに気づかされます。あちらの人とこちらの人は距離的にはすごく離れているのに、実は隣にいたりするのです。

それは偶然の出会いがあまりに多かったことで、実感したのです。先日もこんなことがありました。次回の旅は「学校へ行かない(行かなかった)子供達を訪ねる旅」ですが、その中でもどうしても訪ねたい人がいました。それは富山県出身の人です。苗字のみわかっていて、住所も電話もわかりません。しかし、どうやってでもいつか会おうと思っていました。

すると、沖縄の北方で同宿した若者と会話している時に、彼がその人の知り合いだとわかり、住所と下の名前もわかりました。会話の流れで偶然わかったのですが、全く無名のこの人の住所を知っている人は沖縄県に一体何人いるでしょう。多分この人だけだと思うし、そういう人と同じ日に同じ宿に泊まる可能性は一体何%でしょうか。しかも、彼も他県からの旅人のような人だったので、一定の場所にいないことを思えば、捕まえるのは至難の技です。

「会わせてもらえた」と感じましたが、「会わせたもの」とは何でしょうか?これらをつないでいるものは一体なんでしょうか?

島根で定住して米を作っているときは、こういうことはほとんど想像もせずに生きていました。日々知り合いの範囲内で動いているので、遠く離れた人のことはほとんど無関係で生きています。人と距離の関係は切り離せない問題でした。

しかし、旅を通じてわかったことは、実は地球の裏側の人とだって、つながる可能性はあるということです。我々はその方法を知らないだけです。地球は一つだ、我々の意識は一つに繋がっていると思うことで、何か大きな変化が生まれるような気がします。

無論、この気づきに「種」が関わっていたことも、大きな印だったと思います。



posted by 種まく旅人 at 13:22| Comment(0) | 種受取人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月22日

暑い日々に

久しぶりにブログ更新します。

関東地方で一時的に留まっていますが、そこにはエアコンも扇風機もなく、風もほとんど入らず、この暑い夏の日々を満喫(笑)しています。頭はぼやーっとして何もできない状態です。更新できなかったのはそれが一番の原因ですが、パソコンの問題もありました。

昨年の7月は北海道で種蒔きしていて、それほど暑い夏の記憶はないのですが、場所的な問題より、今年のこの暑さは異常ですね。いままでの人生で、日本国内ではこれほどの長期の暑さの記憶はありません。

同じ暑さで思い出すのは、インドです。インドの聖地リシケシに3、4,5月頃の暑い時期にいたことがあります。リシケシは北の方ですが、それでもその時期は40度くらいありました。心地いいのは朝の5時前後だけで、それ以外の時間は常に高温で何もする気になれませんでした。

寝るときにはバスタオルをビショビショに濡らして、それをかけて寝ていました。しかし気が付くと完全に乾いており、また風呂場に行って濡らしてかけて寝ていました。

我慢できなくなって、とうとう電気屋に行ってクーラー(たぶん数千円でした)を買いました。しかし、今はどうか知りませんが、90年代のインドのクーラーはとても原始的な感じのもので、それがあってもちっとも部屋の中が冷えないのです。ついには、50センチ角のクーラーを抱きしめていました。

インド人自体は、熱い日々にどうしているかといえば、やっぱりぼーっとしているのです。我々よりは暑さには慣れていても、同じでした。

ぼ〜として何もしていないと怠けているようで焦りますが、インド人は無限に時間があるような感覚でいるので、焦る様子は微塵もありません。

ところで、パソコンの問題が度々起こって、とうとうwindowsを購入。Macとwindowsを比較して実感したのはMacの素晴らしさでした。プロとアマチュアの違い、作った人間の能力の違いを感じました。それで改めて創業者のことを調べたら、

スティーブ・ジョブズが17歳の時に出会った名言が「毎日を人生最後の日のように生きれば、間違いなく最高の人生を送れる」とあり、彼はこの言葉から大いに刺激を受けて、Macの様々な商品が生み出されるのです。それに私も助けられていますが、、

インド人にこの言葉を教えても、あまりピンと来ないだろうと思います。今日死ぬとわかっても同じ日々を過ごすでしょう。「無駄な時間を過ごさず時間は有効に使わなければならない」という思いは働き者の日本人か、成功者にあこがれるアメリカ人向きで、万人向きではないでしょう。

正反対なのがインド人ならば、その中間にいるのがフランス人でしょうか。フランス人はバカンスのために働いています。仕事は目的ではなく、バカンスのための金稼ぎの手段です。ですから、日本人のように職場での悩みで自殺するような人はほとんどいないと思います。

嫌なら辞めて他のことをすればいいわけです。目的(バカンス)は変えられませんが、手段は自由に変えられます。

「毎日を人生最後の日のように生きれば、間違いなく最高の人生を送れる」をフランス人が聞いたら、毎日バカンスの日々を送るでしょう。とにかく楽で楽しいことが一番なのです。金さえあればですが。

何かを成し遂げることと何もしないこと。暑い日々、何も成し遂げず、このことについてぼんやり考えていました。何かを成し遂げてきたのが人類ですが、成し遂げすぎたために、人類全体の寿命は短くなったと思います。

成し遂げた成れの果てが15000発の核爆弾ですし、原発はもとより、人間に害のある農薬農業、食品添加物、環境汚染、、、すべて人間が追求しすぎた、あるいは成功を夢見た結果だと思います。これからさらに加速するAIも加担していくでしょう。

しかし、この方向性は変えることは非常に難しい、あるいは不可能。人間として生まれたこと自体が、すでにその方向性を持っていたのだと思います。人間生活をより良くは、人類全体の歴史をより短くと同義でしょう。

暑い日々のインド人のように何もしないで、ぼーと生きるのは、実は生物として最高の生き方かもしれません。

逆に、ジョブスの様々な発明は、人間生活を一変させましたが、人類が行き着く場所に到達する時間を早めたように思います。と思いつつも、使い続ける種蒔夫。

福岡正信さんも科学の進歩に警鐘を鳴らしていますが、しかし今更だれが何を言っても無駄でしょう。人類とはあまりに愚かな高知能生物なのですから。

医療は進歩するほどいいと人間は考えますが、医療の進歩によって、この調子でどんどん人類が長生きして、全人口が地球の許容範囲を超えたらどうするのでしょうか。ほかの星に移住することも考えられますが、その頃にはもう間に合わないでしょう。

死に対抗するより、自然死に任せて、生物としての自然の成り行きに順応する方が、全人類的にはいいんじゃないかと思います。

水害もすごいことになっていますが、災害に抵抗して防波堤を作ったり自然の地形を変えたりするよりも、災害のある場所には住まないようにする方が長い目で見て賢いと思います。為政者や科学者が率先してそういう方向にもっていけばいいですが、金が動く方へ、あるいは科学信仰のために、人間の知恵が災害でも、何でも乗り越えると思っているようです。

今世紀に入って、異常気象や災害は頻繁で、すでに地球規模で異常事態を迎えていると誰でも感じていると思います。災害のレベルもまだまだ序の口で、これからが本格的なんじゃないかと思います。ボランティア活動も盛んですが、するよりもされる側の人がだんだんと増えていき、自分でせざるを得なくなるでしょう。傍観者だった人も「明日は我が身」と思い始めているでしょう。

自然からの恵みもだんだんと減ってきて、減少しているニュースは多いですが、増えすぎたニュースはほとんどありません。特に海の恵みは国際的に取り合いになっています。地元で取れるものを食べていればいいものを、珍しいもの美味しいものを求めて全世界グルメになっているので、消費も早い!

しかし、それも人間が勝手に捨てる廃棄物を食べて胃袋にビニールがあったり、ストローが、、、。彼らの寿命も短くなって、最後にはいなくなるかもしれません。豚鶏牛のように、海産物もすべて養殖になり、次には動くものは人間だけになるかもしれません。美味しいものは今のうちに食べておいた方がいいかもしれません。なんてみんなが思ったら、いっぺんにいなくなるかもしれませんが、、、

人間の勝手な振る舞いで、地球はどんどん疲弊して人間自体が住めなくなるかもしれません。

そこで提案は、植物や動物とコミュニケーションを取ること。昔、人間は黒人は差別され、人間と見なされない時代があったのが、今では大統領までになりました。今でも差別があるとはいえ、人間の意識は格段に上がりました。今は人間同士ではなくて、生物同士が理解しあう時代に入ったと思います。

彼らも地球に同居しているということであり、彼らにも生きる権利があるということ。彼らの権利を無視したら、我々自身が生きていけなくなるという意識が地球規模で芽生えない限り、限界は近い。

黒人が差別されるように「動物や植物が差別されている」なんて、だれも思いませんが、そういう意識が、黒人差別と同レベルで語られるようになれば、かなり人類としての成長があるし、次元の異なった意識レベルに到達するのかもしれません。そうなったときには、お金中心の人類の歴史も変わるかもしれません。

「もう人類の進歩を止めて、意識レベルを上げよう。」と言いながら、我慢の限界にきて、とうとう文明の利器の一つ、扇風機を買いました。涼しい!

「これ、何ですか?」
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「うまい!」
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「皮でもいいです!」「差別になるから、、、」
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「黙ってよこせ!」
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posted by 種まく旅人 at 14:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月08日

植物とは何か 3

「植物の神秘生活」

第二章 植物は人間の心が読みとれる

第二章では第一章で登場したバックスターの研究をさらに推し進めたマイセル・ヴォーゲルの話です。
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IBMの化学研究員のマルセル・ヴォーゲルはバックスターの研究に言及していた雑誌の中に掲載された「精神反応分析器」を組み立て、同じような実験を繰り返した。

植物は現実にちぎられたり、焼かれたり、その他の方法で実際に残酷な仕打ちをされるときよりも、「焼くぞ」とか「根こそぎにするぞ」という威嚇に対していっそう反応を示すことを立証した。

種蒔夫:ヴォーゲルは化学研究員ではありましたが、「少年時代は人間の精神の営みを説明すると思えるようなことには、どんなことにも関心をもった。魔術、心霊術、催眠術、、」とあるので、科学一辺倒な偏りのある科学者ではなかったようです。

霊媒能力のあるヴォーゲルの友人ヴィヴィアン・ウイリーはユキノシタの葉を二枚摘んで来て、1枚を自分のベッドの横のテーブルの上に、もう一枚はリビングルームに置いた。彼女はヴォーゲルにこう告げた。「毎日起きるときに、私は枕元の葉を見つめ、その葉が生き続けるように念じましょう。でも居間の葉には何の注意も払わないでおきましょう。何が起きるか見ましょう」

一か月後、彼女はヴォーゲルに葉の写真を撮るカメラを持参して家に来るように頼んだ。ヴォーゲルは目にした事実がほとんど信じられないほどだった。友人が注意を払ってやらなかった葉はぐにゃぐにゃになって褐色に変わり、腐り始めていた。

彼女が毎日注意を集中させていた葉は、輝くように生き生きとして緑色をしており、まるで庭から摘みたての葉のようだったのである。何らかの力が自然法則を無視して、葉を健康状態に保っているらしかった。

自分にもこの友人と同じ結果が得られるかどうか知りたくなったヴォーゲルは、ニレの樹の葉を三枚摘み取った。家に帰ると彼はそれらの葉を自分のベッドの近くのガラスの板の上に置いた。

毎日朝食前にヴォーゲルはガラスの上の外側の二枚の葉を一分間ほど集中的に見つめ、その二枚に愛情をこめて、生き続けるようにと熱心に説き始めた。まん中の葉は常に無視した。一週間もすると、まん中の葉は褐色に変わり、しなびた。外側の二枚の葉は相変わらず緑色で健康な様子をしていた。

ヴォーゲルにとってもっとも興味深かったのは、生きている方の切られた葉柄は木から摘み取られたさいに生じた傷を癒してしまったように見えたことである。ヴィヴィアン・ウイリーは彼女の実験を継続していて、あとで彼にそのユキノシタの葉を見せてくれたが、葉は彼女によって二か月間も緑色を保ち生き続けていた。他方、無視された葉の方は完全に干乾びて褐色だった。

技法の改良に成功したヴォーゲルは1971年春、新規の実験にとりかかった。植物が人間との記録可能な交信に入るその瞬間を立証できるかどうかを見ようとした。検流計をフィロデンドロンに貼り付け、その植物の前に立った。完全にリラックスして、深い息をすい、十分に伸ばした指を植物に触れなんばかりにして。同時に彼は、友人に注ぐのと同種の愛情のこもった感情をその植物にいっぱい降り注ぎはじめた。

彼がこうするたびごとに、一連の上昇振動がグラフ上にペン軸で描かれたのである。同時にヴォーゲルは両手に植物からある種のエネルギーが流出しているのを明確に感じた。

3〜5分たつと、ヴォーゲルの側から感情をさらに放出しても、植物からはもう何の反応も呼び起されなかった。植物は彼の付添奉仕に応答することで「全エネルギーを放出し」てしまったようにみえた。

ヴォーゲルにとって、フィロデンドロンとの相互反応は、恋人や親友同士が出会ったときに喚起される相互反応と同類のように思われた。彼らはエネルギーの急上昇を呼び起こす熱烈な相互応答のあとで、ついにはエネルギーを使い果たし、再充電しなければならない。ヴォーゲルと植物は歓喜と充足に満ち溢れた恋人同士のようだった。

種蒔夫:今日の話と似たような事実を山形県で見せて頂きました。ご飯が変化する現象です。以下のページです。
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/454516900.html
posted by 種まく旅人 at 14:25| Comment(0) | 植物の神秘生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする