2016年01月29日

現在、4850人目

今現在、種を蒔いた方は4850人目まで来ました。ときどき、話が尽きない方に出会ったりして当初よりずっと濃いーい旅を続けています。九州、四国は一日が長くて、会う人会う人が個性的です。それ故に更新がなかなか進まず、約700人分がまだ未紹介のままです。今、整理中なのでしばらくお待ちください。

昨日は高知県の仁淀川町長者丙の新井さん宅にいました。90歳代の方が、雪やら、低温やら、断水やら、、、これほどの経験は初めてだそうです。100年に一回の異常気象と言ってもいいかもしれません。これからどんな世界になるやら、期待と恐怖が伴う未来です!と言っても、ここにも移住者が60人とか。静かな民族小移動が始まっているのでしょうか!
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それにしても高知の人と話していると、坂本龍馬がたくさんいる感じで「〜ちゅうきに」とか「しょうろうが」、、男っぽくて思わずしゃべりたくなります。こんな顔している人もいまだにいそうな頑固で個性派ぞろいの高知です。
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2016年01月28日

2391番の方よりの報告

8月19日に御岳山でお渡しした方からメールが来ました。短い文章ですが、こういう方がおられるので、種を蒔いていくことの大切さを改めて感じています。2391番さん、ありがとうございました。以下、転載します。

私は、2015年8月に長野県木曽町で2391番目にこの袋を頂いた者です。この袋を頂いて、お米などを大切に思うようになりました。本当にありがとうございます。
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その日の様子は以下です。
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/424649375.html

いつも思うことは、種を蒔かれたそれぞれの方がその種をどうしたのか、どう感じたのか、考えたのかということです。それが捨てられたとしても、大事に育てられたとしても、それぞれの捉え方があり、それがそれぞれその生き様を反映しているのであり、それが一つ一つのドラマを生んでおり、それを想像する日々です。



posted by 種まく旅人 at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | みなさんからの栽培報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月26日

種の話 コメントに答えて

兵庫の青山さんから以下のようなコメントが来たので、種の保存の話など。

こんにちは。
シリアルナンバー4598のハッピーヒルを頂いた、兵庫県の青山です。18日の最後にお声かけした者です。私は今、畑がないので、大切にとっておきたいのですが、冷蔵庫で大丈夫なんでしょうか??寒くないんでしょうか???温度設定は高い方がいいのでしょうか?普通に、味噌の横でも凍えないでしょうか!!
ではでは、宜しくお願いします!(転載終)

種蒔夫より

種は高温多湿を嫌うので、冷蔵庫(野菜室)がいいと思います。余談ですが、ビルゲイツ主導でノルウエーに種の地下貯蔵庫がありますが、零下18度〜20度。目標450万種で現在50万種収集。1品種500粒。20年毎に種子の入れ替えをします。「種子の箱船計画」と名付けられ、「今後さまざまに予想される大規模で深刻な気候変動や自然災害、(植物の)病気の蔓延、核戦争等に備えて農作物種の絶滅を防ぐとともに、世界各地での地域的絶滅があった際には栽培再開の機会を提供することを目的としている。」とありますが、いざとなったときに我々の手元まで届くのかどうか?1品種たったの500粒ですし、ビルゲイツは怪しいし、、。

野口種苗の野口さんから直接聞いた話ですが、30年前にタイムカプセル(町主催か、学校主催か)に種を入れたそうです。タイムカプセル中の空気を完全に抜いた状態で土中に埋めて、30年ぶりに開封したらほとんどは発芽しなかったのに、一つだけ発芽したものがあったそうです。それは缶詰に入れた種だったそうです。野口さんは缶詰の中のわずかな空気が救ってくれたのではないかということでした。種も生きているので、空気が必要なのでしょう。

他に豊後大野市の米澤さんの話では、10年間小屋の中でほったらかしてあった缶(米を入れる昔の大きな缶)の中のライ麦と小麦の種が発芽したとか。麦類はよく乾燥させた上で缶の中に入れ、小屋は適度な温度、適度な湿度だったようです。とはいっても、夏はかなりな高温にはなるでしょうけど、持ち堪えたようです。

椎葉村の椎葉クニ子さんの話では、アワは蔵の中で100年保存できると言われました。

種の種類によって、また保存状態によっていろいろでしょうけど、我々一般の人間にできる範囲ならば、冷蔵庫が最適だと思います。いつも出し入れするものではないので、保存していることを忘れないようにしてください。ときどき出しては「長生きしてね」と優しく声をかけましょう。温度は普通に使用する温度でいいと思います。昔の人は蔵の中に貯蔵していたでしょうから、高温にならない限り大丈夫でしょう。味噌の隣ですか?まあ、お友達というか、ご先祖様(大豆や米の)みたいなものですから、いろいろ教えを受けたりして、より良いのではないでしょうか。(笑)

福岡正信さんの町、伊予市に行ったら市役所でタイムカプセルのイベント情報を得ました。期限が過ぎていましたが、無理を言って仲間に入れて頂きました。10年後にハッピーヒルや伊賀筑後オレゴンは生きているのか?
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posted by 種まく旅人 at 08:53| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

「妙なる畑の会」に参加して その5

再び、「妙なる畑の会」に参加された方からメールが来ました。改めて今回の会がセンセーショナルなものであったと感じています。会に属している人にとっても、初めて参加した人にとっても考えさせられること多々であったという点に関しては、非常に意義深いものであったと思います。以下匿名で許して頂きました。全文転載します。
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こんばんは
先日の「妙なる畑の会」で種を受け取ったものです。
ブログを拝見して、面白く意義ある活動をされていると思いメールさせていただきます。
 
「妙なる畑の会」の記事については、共感する部分が多くありました。わたしも今回初めて参加したのですが、やや期待外れでした。三日間を通して感じたことは、自然農の活動はひとつの分岐点にあるのではないかということ。川口さんが数年前に隠居され、また一方で巷の関心の高まりもあり、これから自然農をどう進めていくのか模索している状況を感じました。

この会自体も研さん会というよりは、企業の株主総会のようでもあり、有力メンバーが一同に会して方向性を見いだす場であったのではないか、さらには川口さんの後をだれが継ぐのかという跡目争い、あるいは責任の押し付けあいであったのではないかと推測しております。そう考えると初日の雲をつかむような対談の意味もわかるような気がします。
 
鏡山さんが「芸術」と言い出したとき、ずいぶん唐突だなと感じましたが、あとで考えると意味がわかってきました。開会前の控室で鏡山さんから沖津さんに「今日はバトルですね」という言葉があったとのことですが、私なりに解釈すると、沖津さんのカネに対して鏡山さんは芸術で対抗すると決めていたのではないでしょうか。

沖津「カネ」vs鏡山「芸術」のバトルが初日のテーマだったとするとわかりやすいと思います。自然農でカネを稼ぎ、生計をたて、社会的に認知され、末は慣行農法に代わるべく野心を持とうという沖津さんに対して、従来のように自給自足による自然に寄りそった生き方をしようとする鏡山さん。

芸術を志した鏡山さんはかつて個人のエゴが前面にでたような展覧会を見ていると吐き気がしていたが、自然に親しむようになって落ち着いた気分が持てるようになったと話していました。私はそれを聞いていて、放送大学で聴いた美学講座を思い出していました。芸術作品に作者の名前が入るようになったのはここ数百年のことにすぎない。資本主義、個人主義が進んだ近代では他との差別化のためにオリジナリティが求められるが、長い歴史の中では芸術は個人を越えたもっと普遍的な美の本質に根ざしたものであった。その美の本質は何かというと、それはアリストテレスのいうミメーシスであると。

ミメーシスとは自然の模倣、つまり、たくまずして素晴らしい調和を保って存在する自然の似姿を再現することこそが芸術である、と講師は主張していました。おそらく鏡山さんが言おうとした芸術とはこのような意味での芸術だったのではないでしょうか。そのような美意識、自然に対する感性がなければ、自然農をやったところで、目の前に少し札束をチラつかされたらフラフラとあらぬ方向にいってしまうのではないか。
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鏡山さんは太陽の塔を作った岡本太郎についても何か言おうとしているようでした。私が聞き読むところの岡本太郎は、縄文土器を高く評価したり、未開の原住民の祭りで使う仮面に興味を持っていたといいます。やはり個人の枠を越えた人間の根源的な美意識といったものを問題にしていたのではないでしょうか。おそらくそれもミメーシスと言ってもいいようなものだったのかもしれません。

わたしは、渋谷の地下に設置された岡本の「未来の神話」という壁画のことや、それに爆発したフクシマ原発が描き加えられた落書きのことなどにも話が及ぶのかと思っていましたが、沖津さんにはあっさりスルーされました。
 
種蒔く旅人さんは、現代美術では美の意識は個人に細分化され、それぞれの美意識でしかなくなっており、芸術もヒトとともに滅びつつあるのではないか、といった旨の発言をされていたかと思います。たしかに個人がそれぞれの美意識で生きるなら、デパ地下で売られるきれいで甘い高価なトマトや、あるいは自然農で作った1000円の米の中に美を見いだす人がいてもおかしくありません。

そういえば種蒔く旅人さんのブロック積みのエピソードも私にはなかなか印象的でした。世界なのか地球なのかを模したブロック積みで、最後にブロックを積もうとした直前にブロックの地球が崩壊したとき、「わたしじゃない」と叫んだ女性のエピソード。私たちは普通の日常を過ごすうちに意識することなく崩壊のブロックを積んでしまっていることの象徴であり、ひとりひとりが意識しないと流れは止まらないという警鐘ともとれます。

以上、私は芸術は素人であり、芸術を専攻された種蒔く旅人さんからみればトンチンカンな解釈かもしれませんが。

 しかし、私は沖津さんをあまり責める気持ちにもなれません。川口さんの呪縛に一番苦しんでいるのが沖津さんではないかと思えたからです。沖津さんも鏡山さんが言うような美意識は十分意識しており、それが「覚める」であったり「畑の上に立って考える」であったりという言葉ではなかったでしょうか。

最初から沖津さんとしての結論を持って臨んでおり、それがゆえにその言葉を何度も繰返し口にすることになったのだと思います。ただ、沖津さんの目指す方向と川口さんから譲り受けたと思われるその言葉が沖津さんの中で消化しきれずせめぎ合った状態にあるような印象は受けました。

会のあとの農園見学で自身の農園に立って説明したり質問に答えたりするときの沖津さんは生気を取り戻したように元気で楽しそうでした。沖津さんの中のとまどいは自然農全体の抱えるとまどいであり、その負担を沖津さんに背負わせるのは少し酷なのではないかと思います。
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 「妙なる畑の会」が株主総会だったとすると、今回は株式を公開し、一般の人も総会に参加したような状況であり、今までとは違う質問や意見なども飛び出し、それで混乱した面もあったのではないでしょうか。静岡の高橋さんなどは「まだ自分で説明できるだけの言葉がみつかっていない」とか言って一歩引いて構えているようですし、富山の石黒さんなどはエキセントリックに我が道を行っているようでもありました。

「妙なる畑の会」も今までは結束を強める場だったのかもしれませんが、これから一般世間にたいしてオープンになっていこうとしたら、結束を強めることは逆に排他性につながることになる恐れがあるかもしれません。

具体的に私が思うのは、石黒さんが外国語を話しているようだといった川口さん的言い回しをひとまずは置いて、わかりやすい一般の言葉で説明したほうがいいのではないかということ、また科学に対する不信感をひとまずは置いて、科学的知識は知識として活用したほうがいいのではないかという2点です。はたして自然農がこれからどういう方向に進むのか見守りたいと思います。
 
以上、私自身、傍観者、評論家のごとく述べましたが、我が身を振り返れば、そんな呑気にしていられる状況にもなく、ひとりひとりとしての意識にも欠けていることに気付かされます。私は私で自分のできることは何なのか改めて考えたいと思います。

つまらぬ思いつきをつらつらと書きましたが、これもひとつの縁ということでご容赦ください。種蒔く旅人さんの今後の活動に期待しております。(転載終)
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以上ですが、「妙なる畑の会」のみなさんはどのように受け取られたでしょうか。この方のように感性鋭く、批評眼のある方があの日には結構おられたのではないかと推察しますが、そういう方の意見が出やすいような会にすることがまず大切なのではないでしょうか。そういうことができてこそ、会が発展し、自然農もより良く理解されると思います。オープンで、自由で、平等な会の発展を望んでいます。


posted by 種まく旅人 at 09:52| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月24日

「妙なる畑の会」に参加して その4

沖津さんのところで畑を見ていたときに、雨が降っていたのですが、突然虹が出てきて、みんな一斉にその方向を見て写真を撮っていました。
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その後、よく覗くブログに「完全に円を描く虹」の記事が出ていました。非常に珍しいものです。1月15日に出現したようです。
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ブログページは以下 http://indeep.jp/perfect-circular-rainbow-appeared-in-33rd-parallel/

沖津さんの畑観察時に見たのは、珍しい二重の虹でした。
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同じブログにやはり二重虹の記事があります。2015年9月11日に、同時多発テロが起こったその場所で、またその同じ日に二重虹がかかったそうです。
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また、そのブログには円形虹は北緯33度に出たことが解説してありました。
以下のページには
http://indeep.jp/afganistan-before-after-and-what-our-hope/
こうあります。

「 33度線上にある何か(物質ではなく、精神的なものに関係する何か)を破壊しようと歴史は進んできたのかもしれない」というような、やや陰謀論的な考えも浮かばないでもないです。そこには何らかの意図があるのか、やはり偶然なのか。(転載終)

旅で通過した地点である、福岡正信さんの実家(伊予市)、伊方原発(西宇和郡)、おまけに私のじいさんのお父さんの故郷(八幡浜町)まで、北緯33度線上にありました。そして今滞在中の高知には33度33分33秒の地点があります。地球33番地の公式ページまであります。以下http://chikyu33.net
33度線上を渡り歩いているような四国の旅です。何かオカルトの旅をしているような気分になってきました。(笑)

ところで、これから高知城で開かれる歴史ある市(いち)に行き、種蒔きをします。種をお望みの方はぜひおいでください。


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2016年01月23日

「妙なる畑の会」に参加して その3

「妙なる畑の会」体験記には続きがあります。「ヨハネの黙示録」を解読した人の家で二泊しました。この方の田畑は見事でした。ただ、自然農の方からすれば鶏糞、人糞、生ゴミを使う点で「自然農ではない」という人もいるかもしれませんが、畑は見事でしたし、田んぼに放すというコイ、フナ、貝の養殖も創意工夫があり、タンパク源も自給自足。調味料以外は買う必要もなさそうでした。しかも、近くに温泉があるにもかかわらず一回も行ったことがないと。毎日薪風呂。必要なもの以外はほとんど無さそうですが、お金が無いわけでもなくすべて貧しい人たちのためにとってあるとか。安全米を作っているにも関わらず、沖津さんのようにキロ1000円ではなく、160円ほど。高くすればするほど、それは金持ちの食べ物になり、貧しい人の口には入らなくなると。やることなすこと、立派なことばかりでした。

ただし、その家庭生活は「妙なる畑の会」の中での沖津さんの支配的な様子と何ら変わらず、時間が経つほどにそれが露になってきてとうとう三日目の夕食を食べている時に「ここは沖津さんと変わりません」と一言言って、出ました。

どうしてなんですかねえ。この時代にどうしてこういう支配的な人が現れるのでしょうか。支配したがる人がいることも問題ですが、支配されたがる人がいることこそが問題じゃないでしょうか。もっと自立的になればいいと思います。どこかで長いものに巻かれたいと思っているのか。

種蒔く旅は本拠地に帰っては出直すことを繰り返していますが、今回は11月に島根を出て九州の阿蘇に向かいました。阿蘇で行われる集まりがあり、農業も大切に思っているグループと聞いて、しかも100人くらいは来るということだったので行きました。ところが「グループの趣旨を理解しないものには種を蒔かせない」と主催者に言われ断念しました。どう考えてもおかしいです。主義主張する団体というのは極端になればそういうものなのでしょう。また、取り込まれるとそのおかしささえわからなくなり、そのトップの言いなりになってしまいます。

グループに属している方もそうでない方も、そういうことには敏感であってください。そうでないと諸共に崩壊します。あるいは日に日に歪になっていきます。

今日は高知のオーガニックマーケットで種蒔きです。高知近辺の方、ぜひ種を受け取りに来てください。住吉池の近くです。高知市池 2311−1 です。

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2016年01月22日

「妙なる畑の会」に参加して その2

先日の文章の中に一部変更があります。

「都市部の人は田舎へ」
「逃げるならば、四国へ」

の部分です。翌日、その人に再度確認しました。そうしたら、四国でなくとも「田舎ならいい」ということでした。「武士に二言は無い」といいますから、聖書には精通しているかもしれませんが、この人武士的ではないなあと思います。(笑)しかし、「都市部は避けて田舎に引っ越そう」という助言は賛成です。私も以前からそれを言っていますし、そう思って移動した人もいるし、その予備軍(思っていても動けない)も相当数いると思います。私の勝手な試算では、移動した人10万人、予備軍100万人と思っています。予備軍の人は、そう思い続けることが大事ですし、縁を大事にしてください。この文章を読んでいること自体も縁ですから。

また、そういう類いの情報を収集したり、話を聞いたり、うらやましがったり、実際に田舎に行ってみたり、このブログで紹介する人に会いに行ったり。住所がわからないって?その町に行って人に訊いたりうろうろすることでもいいのです。私の経験では、住所も電話番号も知らず、その町へ行って「だれそれさんは、どこに住んでいますか?」と散歩している人に尋ねたら「その家だよ」と真ん前の家を指し示されたこともあるし、ホームセンターの駐車場で訪ねたい人が隣に駐車したこともあります。ほんと!世の中不思議さに満ちています。

まあ、そんなに不思議なことがなくとも、何らかの縁が生まれますから。生まれなかったら、縁がなかったと思ってまた他を当たったり。今回の旅もそういうことの繰り返しです。縁のないところでは種は蒔けません。そう、偶然で生まれることを信じてほしいです。欲張らず、流れに任せて。あなたが住む家は、すでに用意されているのでしょうけど、まだ見つかっていないだけだと思います。

田舎に移住した人で理想的で快適な家に住んでいる人もいれば、そうでもない人もいます。しかし、問題は、その人が作る空気感です。ひどい家でも、その人がいるだけで、あるいはその家族がいるだけで、訪れる人を引き込んでしまう!それが理想の家です。あなた次第だということです。家が不満ならば、許される範囲で自分で手直しすればいいのです。地下室ではないでしょうから、日は当たるでしょうし、部屋なんて作り方次第で、イヤーな空間が一変します。

ところで、「妙なる畑の会」での私の発言に、以下のようなメールが来ました。本人の許しを得たので、掲載します。特に「妙なる畑の会」の方に読んでもらって、次回に生かしてほしいと思います。

初めまして。突然夜分に失礼いたします。ブログを拝見し、会場にいらした方と思い、メールを差し上げました。もし人違いであれば申し訳ありません。どうぞ速やかに本メールは削除願います。

会場で言葉を、と思ったのですが、お顔を拝見しておらず、でもせめて感じたことを申し上げたく書かせていただきます。「旅人」さん(と仮に呼ばせていただきますね。)と、その前の80歳の男性の方の意見は内心もっともなこととお聞きしていました。
 
というのも私自身初めての参加で、まったくこれまでの様子や内容を知らなかったからです。私自身は自然農自体は10年以上経験はありますが、サラリーマンとの二足のわらじかつ諸事情でなかなか実のある取り組みができず、こういった全国規模の会に参加することにためらいがありました。しかし、今回のテーマが、日常嫌がおうにも向き合わざるを得ないお金の問題とあって興味深く参加した次第です。
 
お二人の指摘にあるのは
・シンポジウム?パネルディスカッションとしての体をなしていない
・上位下達の感があり、意見の押し付けのように見受けられる
・閉鎖的で他者の意見を取り入れようとしていない
・あまりにも川口由一ありき、教祖のようにあがめたてまつるのはいかがなものか
 
このような内容でなかったかと思います。
 
実は私自身も似たような感想を持っており、正直期待とは異なっていたという面ではがっかりしていました。ですので、よく勇気を出して発言していただいたと、と一言お伝えしたかったのです。
 
ただ、仲間に尋ねると、もともとこの全国の会は1年以上の実践者を対象としていた、と聞き、ある程度自然農や理(ことわり)を理解した者が集う場だったようです。であれば、もともとが今回のような状況に違和感を持たない方々の集まりであったのだろうし、24回という回を重ねてこの内容であれば、従来の様子もこのようであったのかなと推測できます。

つまり、「予定調和の集まり」だったのだろうと。
 
そもそものこういった「大会」としては
・議事進行の未熟さ
・打ち合わせの決定的な不足
・具体的なビジョンのない行き当たりばったりの内容

すべては経験とスタッフの力量の不足から起る問題かなと思っています。ただ、もし、あの場の大多数が満足しているのであれば、それはそれで成功だったと言えるのかもしれません。
 
私自身全国の皆さんの取り組みが聞けたことは有意義でしたし、所詮「疑問は己に問うて解決すべし」というメッセージをいただいたと捉えています。このことで自然農を否定するつもりは毛頭ありませんし、私自身自然の中に身を置き田畑と向き合う時間の幸せを痛感しています。自給自足で極力エネルギーを使わない生活を始めようとも思っています。自然農を実践している人たちも千差万別です。

不快な思いをされたこと、自然農の場で残念な思いをされたこと、とても申し訳なく、悲しくも思っています。未熟な私が言うことではないですが、こんな考えのものもいるということで(おそらくあの中では特異な存在でしょう)書き連ねました。大変長文になってしまい失礼いたしました。最後までお読みいただきありがとうございます。

(掲載のことを話したら、さらに、以下の文章が来ました)
 
川口さんの自然農は、「生き方としての自然農」という言葉があるように、自然農を通して人としての生き方、在り様を考える部分が根本かと考えています。農の部分はあくまできっかけにすぎないと。
 
となると当然、実践者の皆さんの深めたい内容というのは、私たちはどのようにあるべきか、どう生きたらよいのか、という部分になるでしょう。昨今は様々な出版物等により、農法の一つとして広く認知されるようになりました。技術的なものに興味関心を持つ方も大変増えてきたのではないかと思います。
 
「研さん会」と銘打った先の会では広く様々な方がいらっしゃったと思います。そんな状況への配慮も必要であったかもしれません。(もしくはもっと「実践者の会」と限定するか)ただ、少なくとも、あのような場では会をより良いものにしていこうという建設的な姿勢と、互い(聴衆も含めての「三方」とも言えますね)を尊重する姿勢が不可欠ではないかと思います。山川さんの1日目の発言は共感することも多かったのですが、双方に上の二つの姿勢が不足していたのでないかな、と思います。
 
私は自然農は現代社会の「もっともっと」への答えの一つと思っています。循環の中で無理のない、なるべく負荷をかけない自然の理に沿った姿、営み。多すぎず少なすぎず、ほどほどに。まさに「足るを知る」です。そんな生き方をしていきたいと思っています。(掲載終)

以上です。冷静な判断、バランス感覚の取れた素晴らしい助言だと思いました。ありがとうございました。

会場での種交換会は盛況でした。私も93人の方に種を蒔きました。約250人の参加だと聞いたので、その割に「蒔けなかったなあ」と思いましたが、本格的に栽培している人が多くて種に対する好みがあったことと、交換だからと思って遠慮された方もおられたようです。あちこちの種交換会に参加しましたが、金銭が介入していなくても、お店の形を取ってきちんとやらないと、随分と乱暴な交換会になるように思いました。種交換会を主催する方は、その辺を予め考えておかれることを望みます。秩序を持って、平和に、自由に、平等に!
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2016年01月20日

「妙なる畑の会」に参加して その1

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1月16日〜18日は徳島県で行われた「妙なる畑の会」に参加しました。川口由一さんの農法を基本にした会なのですが、川口さんを神格化したような「川口教団」とも言うべき宗教性を帯びた会だったので、非常に閉口しました。三日目の最後の時間に挙手して、そのことをはっきり述べて帰りました。それに対して、3割くらいの人が拍手をしてくださいました。発言後にわざわざ近づいて「気持ちよかった」「来て良かった」と声をかけてくださった方も数人おられました。「妙なる畑の会」の方々はそのことを十分に理解して頂きたいと思います。

川口さんの前に「自然」があること、自然に感謝することを忘れていると思いました。私も川口さんや福岡さん等の本を参考に栽培しましたが、何と言っても田畑で自然から学んだことが、最も大きなことであり、自然こそが師だと思っています。

もし、これから農を志す人がいるならば、とにかく田畑に出ること、そして観察することを薦めます。いくら本を読んでも田畑に出ない限りは何も進みません。自分で自学自習するつもりでやっていれば、人から教わるより身につきます。時間はかかるでしょうが、何年も続ける自信があれば、第二第三の川口さんが生まれることさえ可能です。まず、自然ありきです。実は人知れず「無名川口」「無名福岡」は日本全国に散らばっていると思います。

「お金と自然農」というテーマでしたが、取り立てて参考になることはありませんでした。しかし、北村さんの助言から勝手に解釈すると「金が無くなれば、動き出す」ということでした。確かに、その通りだと思いました。農業と営業は別物で、なかなか重い腰が上がらないものですし、金の世界が嫌だから田舎に行ったのに、どうしてまた金の問題を抱えるのか悩みます。しかし、結局金が無くなれば、やらざるを得なくなるのです。野菜を金にしたいのであれば、残る金を使いきるか、金が無くなるまで待っているか。そうすれば、無い知恵も生まれ、今回壇上に上がっていた川口さんのお弟子さんたち以上のことも可能でしょう。それができない、アイデアが出ないとなれば、やっぱり向いてないと自覚すべきでしょう。向いているとすれば、やっぱりお金の世界が好きなのかもしれないですし。

しかし、それで成功したとしても、大変だなあと思いました。出荷することの大変さは想像できます。それならば、金を使わない方法を考えた方がいいんじゃないかとも思いました。食の自給自足は無論のことですが、太陽や風、水を使った電力を生み出したり、火力は山の木を利用したり、、。残るは車、携帯、ネットくらいでしょうか。そうすれば、週に1、2回のバイトで済ますことも可能でしょう。その方が出荷に追われるより楽かなあと思いました。自然農での純益は沖津さんの文章からでは、年に200万くらいでしょうか。しかし、そのために使うエネルギーや精神的負担はどうでしょうかねえ。「田舎はいいなあ」という気分が吹っ飛ばないといいですが。

ところで、別件ですが、これも種蒔く旅人の役割だと思うので、お知らせします。今回の旅で、あちこちで話されることは未来に関することです。今回は初めて「ヨハネの黙示録」に関して言及される方に出会いました。以前から知ってはいても、気に留めていませんでしたが、今回は「ヨハネの黙示録を解読できた」(降りて来た)とはっきり言われ、みんなに伝えてほしいと言われたので、一応伝えることにします。ただし、詳細に関しては口止めされ、忠告のみを、ということですので、悪しからず。

「都市部の人は田舎へ」
「逃げるならば、四国へ」

何じゃ!これは四国への勧誘じゃないか。と思われるでしょうね。僕も若干そう思います。四国の人が言うわけですし。しかし、それはさておき、私もだんだんと胸騒ぎがしだしており、何かが近づいているのかなあと思わなくもないです。とにかく、何かが起これば都市部は危ない、特に大都市は危ないと思うし、それだけでも回避してほしいと願っています。何も感じない人はいいでしょうが、何か感じるならば、感じるままに動いたほうがいいんじゃないでしょうか。自己責任で。

しかし、そうでなくとも自然の中に帰り、自然の中で生活するのは、地球に生まれた人間としては「最高の生」であることは間違いないと思います。世界がどうなれ、田舎にいるほうが何かと安心です。


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2016年01月13日

4157番まで 水上村(熊本)

12月22日 水上村

この日、水上村の阿部さんのところであったイベントに参加しました。集まる人がそれぞれ個性的でとても印象的な日でした。33人参加中の17人はすでに種を配った人でした。既配率約52%。20キロほど離れた道の駅での「くまオーガニック祭り」で配った人が多かったので当然かもしれませんが、それ以外の人も4人いました。

種蒔きした人が集う場所のキーワードが「自然」「農」「食」等であることが、そういう現象を起こさせる理由ではないかと思います。本州でも同じですが、種に興味を持つ人は共通認識があり、そういう点では移住者を中心に日本中が様々な種(在来種・固定種)でつながっているともいえます。

たぶん、世界中がそうではないかと思います。言葉が通じなくても種に反応しただけで、同士を得たような気持ちになるのではないかと思います。そこにはまた自然を大切にする気持ちも共通します。こうして人に種を蒔いている私自身も、種に反応する人とはその個性や出身地、国籍や男女差や年齢差を超えて話が通じるので、楽しくやりがいのある日々です。

4127番 大分(元関西)からの吉田さん
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4128番 大阪からの西田さん
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4129番 福岡からの西野さん
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4130番 字城からの徳永さん
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4131番 湯前町からの村井さん
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4132番 宇城からの徳永さん

4133番と34番 神戸からのタンゴさんと奈良からの井上さん
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4135番 宇土からのマークさん
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4136番 鹿児島(元千葉)からのタカ子さん
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4137番 宮崎(元カナダ)からのマリーズさん
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4138番 大久保さん
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4139番 松本さん・既配の3689番根津さんと
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4140番 ガーナのジェフさん

4151番 屋久島からのせいこさん
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4152番 宮崎からの山口さん
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4153番 田崎さん

4154番〜56番 水俣からの村尾さん一家
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4157番 カナさん
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すでに渡した人たち 

3295番 澤田さん
3689番 根津さん
3924番 阿部さん
3930番 平山さん
3932番 斉藤さん
3952番と53番 ゆんさん親子
3977番 浅村さん
3980番 山口さん
3982番 斉藤さん
3987番 谷口さん
4000番 鎌田さん
4026番 ひょうたんさん
4061番 青木さん
4062番 阿部さん
4065番 白仁田さん
?番    渡辺さん
?番    平山さん

二日目に半分残った人々。種蒔きの旅をしているとこういう面々に出会うことが多いので、私自身はあまり違和感はないのですが、都市部に住んでいる人から見ればちょっと変わった面子に見えるでしょうね。関西在住の人に感想を求めたら「この辺では見ない人たち」「中国の農村地帯の人」とか「無駄な肉がなくてみんな痩せている」「笑顔が貧しさを感じさせない」等々
この中に交わらないとわかりませんが、一言で言えば、自由感、平等感というか、そういうもので溢れています。
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三日目。移住組とまだいた居候組。水上村の移住組はたくましい人が多くて、これからが楽しみです。真ん中の青い服の人は3980番の山口さん。口永良部島の住民で、両親が避難している屋久島に帰るというので、鹿児島まで一緒に行きました。
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ところで、この近くには市房山があり、そもそもこの山がこの集まりを生んだとも言えるので、次回はその山を紹介します。


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2016年01月10日

4126番まで 人吉市、多良木町(熊本)

12月21日 人吉市

4106番 市内の無線LANに関して調べて頂いた役所の方。ありがとうございました。
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4110番と11番 人吉城歴史館の受付の方

4112番 人吉歴史館の掃除のおばさん

4113番 株式会社トラストの有馬さん。
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同じ日に早速以下のようなメール頂きました。

本日は、お米と麦の種ありがとうございました。コメと麦の字に気持ちが入っていると思いました。とても、素敵な字ですね。ところで、ここ人吉球磨は、ご先祖が作っていただいた、百太郎溝、幸野溝のおかげで隠し田があり、お米を焼酎にして出していたところです。「日本で一番豊かな隠れ里」と司馬遼太郎におっしゃったところです。 お米のことですが、以前TVでアジアの農薬被害の番組でIRRIのことを知りました。あのロックフェラー財団が出資していますので、「緑の革命」と言っていますが種と肥料と農薬の占有しかないと思っています。
自立した安心、安全な農業が出来る日本でありたいと私も強く思っています。気付かせていただき感謝申し上げます。種蒔く旅人様の思いが達成できますよう、祈念申し上げます。4113番 有馬 宏昭

種蒔く旅人:ありがとうございました。百太郎溝、幸野溝のことを初めて知りました。今回は行けなかったので、次回は見学に行こうと思っています。

4114番 物産館のレジの方
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4115番 物産館のレジの方
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4116番 ガソリンスタンドのお嬢さん、バックを気にして「ここでよかですか」「よかよか、よかですよ!」。ここは偶然にも12月7日に立ち寄ったガソリンスタンドと同じで、4051番の彼も顔を見せてくれました。
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4117番と18番 タイヤの空気圧に気になり、再びガソリンスタンドに入りました。
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4119番 同じガソリンスタンドにて
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4120番と21番 12月8日にエンジンオイルを入れて頂いた車の整備会社にタイヤの相談に行きました。
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タイヤに釘がささっていることがわかりましたが、タイヤの溝も無くなっており一大決心。タイヤの会社に行き、タイヤ4本を新品に変えました。
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五郎八の目の手術、タイヤ交換で12月の出費は大きくなりましたが、長旅にはそういう月もあるかなと。ここで支払いをするときに、会計の女性に渡そうとしたら「もう、もらいました」「え?」12月6日のくまオーガニック祭りで一番最初に渡した3915番秋山さんでした。種を渡した人に再会したのはこれで何度目でしょう。
きれいな新品になりました。
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4122番〜25番 タイヤ交換して頂いた方々に。ありがとうございました。
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4126番 12月12日に水俣市で出会ったライダー北崎さんを訪ねました。訪問中の方に。
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猫と鶏が仲良く暮らしていました。
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北崎さんの田んぼ前で
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北崎さんの家は風変わりな建て方で、左側は普通の家なのに、右側は校舎風。昔、右では蚕を飼っていたとか。
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オートバイが趣味の北崎さん、4台ありました。
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珍しかったのはこの小屋でした。石作りです。
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フランスの田舎では普通の光景ですが、日本の田舎ではほとんどみかけません。多良木町では地震が少ないのか?ただ、住居には使わないそうです。石の建物は夏はひんやりして過ごしやすいとか。
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2016年01月08日

椎葉村の椎葉家 その3

ところで、種に関してはクニ子ばあさんに問いかけることを忘れていましたが、他のブログで以下のような発言があったようです。この言葉に関して書いてみたいと思います。

「種というのは、もらって植えても育たない。1円でもいいから、自分でお金を払って買わなければうまく育たないものだから。あなた達が、育てたものをゆずるときも、必ずお金をもらいなさい。」

数日前に、同じ発言を出水市の上田さんからも聞きました。栽培する年配の方にはそういう考えが浸透しているだなあと思いました。そこで、反論!

長い間、人間生活が金との関係の中で成り立って来たがために、こういう焼き畑をしている農村でさえ、金の価値が高いでしょう。特に労働(時間、手間)と金が関わるので、農村では100円を得るのにどれほどの労働しなければならないかを身体が知っています。これは特にそういう労働をして来た人に言えることであるし、農村に住む人たちの関係者の中での話だと思います。金の貴重さとその手間や時間はイコールであり、ほとんど無駄なものや贅沢品がない生活の中ではきちんとした価値をお金が持っていると思います。

しかし、現代生活においてはその金が常に良い価値を生むわけでもありません。金に価値があるがゆえに、それを逆手に取って儲ける商法もあります。例えば、サプリメントとか健康食品と言われる類いのものが良い例です。種を蒔いた(渡した)人の中でそういうものを扱っている人に出会いました。万病に効く液!わずか50ccほどの液が4000円なのです。では、実際にその液を作るのにどれほどの金がかかるのか?たったの250円と聞いて、あきれました。しかし、それだから売れるのです。

人はその商品を買うというよりも、その値段を買うのです。「高いから効く」つまり「高いものには価値がある」という思い込みが、買う決断をさせてしまうのです。それが100%効果があるのか?ないでしょう。あれば、万人が使っているでしょう。ただ、プラシーボ効果が発揮された場合はよい結果を生む可能性もあります。種を蒔いた別な人の中には、こういう類いのいろいろな商品を30年も商っている人がいました。その人は「結局、どの商品も必ずだれかがガンで死ぬんだ」と悩んだのです。悩んだ末に「治癒するかどうか、それは人間の意志の力が決めるのだ」と、ある賢人から助言を受け、その商売から足を洗ったそうです。

食べられない高価な雑草の種を売る人があったとして、雑草を売る人が「これは、美味しくて、栄養があって多収穫です」と言って売れば、騙されて買う人もいるでしょう。そういう人は無料の米の種は捨てるか、忘れ去られるでしょう。

そういう心理を知って、何故無料配布しているのか?金額からの判断でなく、自分で判断する力を持ってほしいということです。金額や言葉に惑わされること無く、自分で考え、自分で行動している人だけが理解できることなのです。そういう人が一人でも多くいてほしいという願いでもあります。

人はそのモノをその値段で、その人の価値をその経歴で判断しがちです。しかし、それが本物かどうかは、そこにはありません。私は自分の名前さえ手紙に書かないのは、そのためです。私の真実は私の名前にも経歴にもないし、ただ「種を蒔いている」ということだけが真実なのです。それをわかってほしい。

それから金の価値への反発もあるかもしれません。高いものだけが良いものではなく、無料でも無限の価値あるものもあるという、価値観の転換。

お金はその人、その時代、その場、その関係性により、様々な価値を生みますが、種はいつの時代も非常に重要なものです。

私は自ら新たな名前を名付けました。           種 蒔夫

椎葉勝さんと青木さんから頂いた焼畑のそばの種・出水市の福島さんから頂いた沖縄の大豆の種・桜島の岩元さんから頂いた桜島大根の種
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さらに、宮崎の一心園(甲斐)さんからの地元のトウモロコシの種
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2016年01月06日

鹿児島弁

1月3日、阿久根市脇本海岸の「鬼火」に参加しました。
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この数日にも、興味深い人たちに次々と出会い、さらに報告する内容が増えました。それはさておき、先日の鹿児島弁の意味ですが、阿久根市で19問のうち一人目で16問わかり、二人目でさらに2問わかり、残る一つ(びびんこ)は三人目でもわからず、日置市に行き、よくやく判明しました。以下、答えられた通りに書いてみます。

ずんばい=たくさん

てげてげ=何事も完成されない。中途半端。いい加減。適当

よかにせ=美男子(ちなみに、美女=よかおごじょ)

おやっとさ=お疲れさま

たまがっ=びっくりする(ひったまがっ=とてもびっくりする) 

びんた=頭

へ=灰、ハエ

ぐらしい=かわいそう。同調、同情する気持ちを込めて。

ちんがら=壊れる

もぜ=かわいい   

んだもしたん=私は何も知らない。どうする?どうしょう?

てせ=しんどい。疲れた。

あまめ=ごきぶり

はんとくっ=こける。ころぶ。=すっころんだ

げんね=失敗する。申し訳ない。恥ずかしい。 

びびんこ=肩車

おかべ=豆腐

あったらし=もったいない

べぶ=牛。   

以上です。生まれも育ちも鹿児島の人によれば、鹿児島弁は言葉を短縮化するそうです。短く話して、早く伝えようとするのか、気が短いということなのか、、、。これまでの旅では方言を聞くことがあまりなかったので関心が向きませんでしたが、こうして調べてみるととても興味深いです。これからの旅に「方言収集」も入れもみようかなと思いました。


 
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2016年01月04日

椎葉村の椎葉家 その2

翌朝、わたしが宿泊した隣の部屋に仏壇と神棚の部屋があり、そこへクニ子ばあさんが朝の礼拝に。
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今日も朝から元気!
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久しぶりの和朝食
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8時頃に五郎八と焼畑を見に行きました。
昨日紹介した焼畑の体験場を過ぎて、さらに道を上がって行くと
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焼畑が見えてきました。
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地面を見ると、大きな岩のような石が見えました。全面ではないでしょうけど、まだこういう地面もあるのです。土になるまでには相当時間もかかります。
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正面の山に日が当たり始めました。
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しかし、下を見ると霜が3センチくらい立ち上がっていました。かなり高所なので、気温も低いところです。
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たくさんの木が植林してありますが、栗を植えているそうです。これは人間ばかりでなく、イノシシのためでもあるのです。イノシシの害を無くすには、イノシシが食べるものも作ってあげるという発想が、勝さんの素晴らしいところです。しかも、その数は数千本です。
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五郎八が下を向いて何をしているかと思ったら、山から出る水を飲んでいました。さぞ、美味しいことでしょう。
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再び、椎葉家に戻りました。この日はご夫婦は日向市に行かれたので、クニ子ばあさんと二人になりました。「昼飯を食べて行け」という言葉に甘えて、めったに食べられない野菜豊富な田舎の食事を頂きました。
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せっかく二人の時間ができたので、いろいろ訊いてみました。そのときのビデオの声を文字にしてみます。クニ子ばあさんはとにかくよくしゃべる人で、記憶力抜群(固有名詞をよく記憶しています。50数人の子や孫の名前や電話番号を覚えているというので、試しに訊いてみたら、見事にピタリの電話番号!)でどんなことを訊いても答え、しかもサービス精神旺盛で、表情動作が豊かなので、聞いていて楽しいのです。日本最後の焼畑をしている人として有名ですが、この芸人のような話し振りも大いに人を引き付けるのだろうと思います。詳しい話になるとだんだん理解できなくなりますが、方言の好きな人は想像して楽しんでください。
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楽しかったことは?

「人生で楽しかったことは何ですか?」
「楽しかったこと?楽しいちゅうことはあんまり無いねえ。山ん中じゃ、もう。」
「そうですか」
「うん」

それからしばらくして
「楽しいことがないなら、悲しいことは何でしたか?」
「はあ?」
「山ん中じゃ楽しいことがないって、さっき言ったじゃないですか?」
「ははは、そうね?ばあちゃんがそう言うた?」
「はい」
「い・つ?」
「今さっき」
「ふうん」(短期の記憶は苦手みたいです)

干支

「おばあさんは何年ですか」
「ねずみ。なんでネズミが先か知っとる?その意味が」
「知りません」
「知らん? 子(ね)丑(うし)がおっでしょうが、牛がモーちゅて「おれが一番よーって、言うたら、ネズミが牛の耳の穴におって飛び出して「おれが一番」ちゅって、だから干支が子、丑じゃ。」
「はあ」
「わははは」
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昔話

「昔話で覚えているのがありますか」
「福岡の西南学院の山中幸作先生(どこそこのだれそれという名詞がいつも迷わず出てきます)が来て、「クニ子さん、昔話聞かせてね、ちゅて、生徒連れて来たから、そのとき7種類の昔話話して聞かせた。そしたら、また「もう、クニ子さん知らんね?」て、また来たからそんとき四種類の昔話、全部で11種類。いまでも教育委員会に残っとーとよ。」
「こんにゃくの夜這話」「へびの夜這話」の題名等は出ましたが、聴衆が多くないと話す気にならないのか。結局話さずじまい。


見合い?

「旦那さんとは見合い結婚だったんですか?」
「どうせ、もう、一門だから」
「一門?」
「ひいばあちゃんたちが兄弟じゃけえ。」
「じゃあ、名字も同じですか?」
「わたしは、、、その広い三叉路から来(く)っでしょう。ちょっと降りたところにショウセンボウちゅうお寺があるけえ、私はお寺の和尚の弟の一門。何百年前の話よ、それも。うひゃひゃひゃひゃ。」
「じゃ、元の姓は何と言うんですか?」
「甲斐姓、藤原家の方。椎葉姓は桓武天皇の方」
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お父さん

「お父さんは仕事は何をしておられましたか?」
「ここらへんはみんな百姓。百姓も焼畑せんと、田んぼは水が無いとでけんとよ。だから、田んぼは少なくて、畑と焼畑でないと生きて行かれんかったから。」
「じゃ、焼畑をやっておられたんですか?」
「そりゃもう、だから私は小学校の三年生からお母さんと夏休み、行て草むしりして植物を500以上識別できたとじゃけえ。それも昭和22年で、昔は数えじゃったから、23歳でここへ、、、。私、5軒から財閥からもらわれたとよ。馬鹿のごと働くから。ひゃひゃひゃ、、。
ものすごい働き者じゃから、ばあちゃん。ただ、売ることが好かんのじゃけえ。実家におっとき。だから牛も馬も自分で仕込んで使いおった。」
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「5軒の家から嫁候補になった」ことは自慢の一つらしく、何度も出てきてこの回は詳しい話が聞けました。

「5軒から財閥からもらわれたとよ。まだ、ここより財閥の、ここの姑お父さんと従兄弟の下ちゅうところの、もう山もいっぱい持っとって、あの、山持たん人には三一作りってあったから、この山を作らせて、こう薮切って、焼畑して、10俵できたときにゃ、3俵といっとうは地主さんにやる、三一作りちゅうとがあったたい。もうそうして全部山も人に作らせるごと、田んぼも一町以上あるけど、今度旦那になっとが、ちょっと足が悪かった。奇形児、ちょっとこうしてこうして、ちんばするひとじゃったから、私が牛も馬も使って、田んぼも何ぼでも一人ですっから、10回来てもらおう、実家に。そしたら、もう今度は本腰に、なかうど(仲人)を立ててぴしゃっともらいこむ、、あさって来るちゅう、言うたとき、ここの主人のヒデユキじいさんが『矢切の渡し』たい。」
「はああ?」
「わかる?矢切の渡し?」
「歌でしょ?」
「はあはは」
「違うんですか?」
「連れて逃げていう歌たい。わははは、、、はあ、、、はあ(大笑い)」
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「はあ?」
「ついておいでよ、、ちゅうとの歌が矢切の渡し。わはははは。
したら、ここの主人とそのウテノウ言うところの財閥はあのう向こうのお母さんのここの姑と従兄弟になっとじゃけえ。だけど、もうその一旦もらわるりゃ、あさってもらい来りゃあ、いけって、向こうへ、、、、。そして、何かの理由で、出れっちゅて。と、ここがもらうちゅうて。言うと、主人が。あのう、お父さんがそういうちゅうて。そんな人おば得手勝手なことはでけんって。どうせなかうど立てて、、ぴしゃともらわれたなら、向こうでぴしゃとするよ。旦那がちょっと不具者でも。ちょうたら、あんた主人は来んとよ、弟。私の実家に。そうたい、明後日もらいくちゅうとだけ。ここに連れてきて、ここから泊まっとって「矢切の渡し」たと。わはははは。うひゃひゃひゃ。私のお父さんのおとと(弟)が、熊本、、今多良木ちゅうなっとるけど、クロイギ村大久保ちゅうところに私のおとうさんが行っとったから、そこに二人峠越しして、歩いてよ、それも、、それも今のような車無いときじゃけ、そうたい。まだ、70年前以上の話、しおっとじゃけえ。」

13歳の頃に大阪に就職した話

「何が、私は小学校卒業したおりや、昔は大阪。紡績があって、おねえさんたちが行くところで、私の近くのおばさんが、ぼっしゅうにん(募集人)じゃったけ。後追いして、大阪に。そうがく(小学)卒業した歳。着ていく着物もないぞ、何が行くかちゅう、親達が言うけえ、お父さんが反物も買うて、昔ゃ反物じゃけえ、今のような、仕立てたって売ってない。それを自分で夜業で、縫うて、それ着て後追いして。あの頃から湯の前から汽車が出おったから。二泊三日かからんと大阪にゃ行かん。そうたい、あのポッポ、ポッポの今、静岡も観光で、いまのSLが通るもんね。ポッポ、ポッポで行く時は。帰る時は電気機関車じゃったが。
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今でも知っとう。大阪泉南郡ニッシンタチ村岡田センロッピャクハチジュウキュウ番地ちゅう大和紡ちゅう、紡績に1年行っとった。したら、それはもう外国からドロメン(泥綿?)がいっぱい。ぼし(帽子)も被って、顔、、、  もうドロメンの、あれでもう、そぎゃんとこおればね、長いことおりゃ肺病にかかるけえ、もう会社宛に、実家のお父さんが電報打って、『今日も甲斐クニ子さん、お父さんから今日も電報が来ましたよ。』帰りゃにゃあ。たった1年おったたい。でも、あの1年は一生の宝じゃった。」
「何でですか?」
「そうたい。あの土曜は午前中仕事して、午後からお姉さん達が、あの食べ物とか、いぇいが(映画)見に行こうやとか、連れて行って、、  してこんだあ、食べ物屋に行けば、やあ親子丼とかきつね丼とか、はあきつねが入っとる丼じゃろうかとか、、、わはは、、、、子供の頃思いおったら、きつね丼ちゅうたら、天ぷらかけた丼ね。親子ちゅうたら、鶏と卵、、、それがまだ13、4歳じゃけ、わからんとよ。」
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「大和紡ちゅう、糸作る会社じゃけえ。身体がちいさいけえ、モッカンつける、モッカンちゃ、こうして刺して、機械でちゃんと、あれすっと、私は身体は小さいけど、さっさとせな好かん、モッカンつけて二本ずつ、こうして、、、ここに箱置いて、こうして、こうして、この心棒のところに、二本ずつこうして、そして玉上げちゅうと、機械が糸をいっぱい巻いたら上げて、そのモッカンをこうしてすっと、ほんとは6台が決まりじゃったげなかった。私は8台つけおったたい。すっとりばやくちゃんとして。だけえ、宣伝の時、今でもわすれやせん。亀川先生ちゅうとと、井上先生ちゅうとが、ものすごー私を誉めて、その会の時に。」

栗はイノシシのため?

「栗はイノシシに食べさせるためでしょう?」
「じゃない」
「でも、息子さん言っとられたよ」
「ひひひ、それが逆たいだよ。イノシシがそんな栗ばっかり食うて、生きられんたい。栗は刺があるけえ、わろうて(割れて)落ちらんと食われんけえね。ははは。」
「じゃ、やっぱり食べるためですか?人間が」
「う〜ん、食ぶるためと、木がタイセン木になったらあ、鉄道の枕木。あれは栗でないとできんとだから。」
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都会と田舎

「都会に行って住みたいと思ったことはないですか?」
「ぜんぜん思わん」
「田舎の方がいいですか?」
「だけえ、昔からどっちが良ければ、どっちが悪い。都会は便利もええし、金がないと生きられんでしょうが。山ん中、お金がなくても山さえ持っとりゃ生きていかれるけ。都会に住みゃ便利で、金さえありゃ、なんも動かさんで、生活できるけど、山ん中なんぼ金かるーとっても、働かんと生きて行けん。前、東京の魚河岸の社長、600軒ある魚河岸の社長のお嬢が、小児ぜんそくで、もう東京におったら毎日のように発作が来て、病院に行かんと生きて行けん。ちゅう人がわたしんとこへ1年、置いてくれちゅうて来たら、1年さんだんね(1年も経たずに?)1ヶ月おったら、もう小児ぜんそく、ぜんぜん病院に行かんと。
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うちの湧き水はまたイオンが6割あるげなけえ。イオンがいつ検査しても6割くらいあるいうて。そしたら、その都会の、その子はひろこちゃんちゅう子じゃ。うち来たぎりたい、その病院に一回も行かんと。ほっさもなんも来んで。そうしとったら、夫婦づれじゃったから、前の村営住宅に宿借っとって、毎朝「おはようございます」私たちといっしょに仕事して、したらあんたきれいに小児ぜんそく治って、1回も病院に行かんまま。そしたら子供までできてね。ふん。だから、ほんとやっぱり山ん中のおる人は、長生きもでくるはずと思うよ。だけ、年寄りが多いとよ。山ん中ねえ。わははは。」 (文字おこし終)
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内容もさることながら、方言の面白さがあり、面倒で時間もかかりましたが、文字に直してみました。日本中を旅していると、どこにいってもみんなわかりやすい標準語を使うので、旅には困りませんが、異国に来た感じは言葉からはほとんど受けません。先日ガソリンスタンドのお嬢さんに種を渡して写真を撮ろうとしたら「ここでよかですか?」と問われ、その配慮といい、方言といい何だかうれしくなって、僕も「よかよか、よかですよ!」と言ってしまいました。標準語が浸透しすぎた日本で、方言を聞くことは外国語を聞くような距離感を感じます。

先日地元紙に方言について記事がありました。鹿児島県には「鹿児島弁検定」があると知りました。無(亡を使いたいところ)くなろうする方言を救う面白い方法だと思いました。ぜひ各県で「方言検定制度」を作ってほしいし、その師範格が道の駅にいたら、さぞかし楽しいでしょう。

鹿児島弁の正答率(たぶん地元の子供たちの)が高い順に列記してみます。地元の人以外ではほとんどわかりません。正解が載っていたページを捨ててしまったので、実際に地元の人に訊いてみます。場所は阿久根市。明日正解を載せます。

ずんばい (44%)
てげてげ
よかにせ
おやっとさ
たまがっ (31%)
びんた

ぐらしい
ちんがら
もぜ   (10%)
んだもしたん
てせ
あまめ
はんとくっ
げんね  (7%)
びびんこ
おかべ
あったらし
べぶ   (0.8%)

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2016年01月03日

椎葉村の椎葉家 1 

12月7日8日に訪問した、宮崎県椎葉村の椎葉家に関しては長いので三つに分けて、紹介します。

その一 

日本で唯一の焼畑農業で有名なおばあさんであり、家族ですが、焼畑のことよりも「クニ子おばば」という方と焼畑を続ける家族がどういう人たちなのかがとても興味がありましたので、そのことを中心に書いてみたいと思います。椎葉家に着いたのが、午後5時頃でかなり暗くなっていました。ミチヨさん(息子勝さんの奥さん)が離れのクニ子さんのところに連れて行ってくださいました。
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クニ子さんは大正13年(西暦1924年)3月11日生まれですから、現在91歳。本人は余り気にもしていない様子でしたが、生まれた時から予言者なのか?!東北大震災の日の生まれです。今は畑仕事はしていない様子でしたが、まだまだ元気一杯でした。ただ、手が思うように動かない様子でした。長い間体中を酷使されたのですから、当然ではあります。

部屋に入るといきなりいろいろな話が始まって、質問しなくても延々と話が続きました。その一つは古い広告紙で作る鉛筆立ての作り方について。畑仕事をしなくても、常にこうして手を使う仕事をしているので、ボケもせずお元気なんでしょう。とにかく、仕事にしても話すにしても一時も休まない感じでした。ミチヨさんから風呂に入り食事をするように言われていたので、途中で話を遮って母屋に行かざるを得ませんでした。ところが「風呂に入ってきます」と言っただけで、
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「風呂ちゅうとはね、言うたら悪いけど、薬じゃないとだから」
「薬じゃない?」
「よっぽど汚れた仕事とか、汗かいたりしたした時より他に、、、子供が育つ頃は、運動会前には一週間風呂入れたらだめじゃ。」
「どうしてですか」
「筋が緩んで、昨日おとといまでは一等、二等ちゅうのが、風呂にいったばかりに、三等四等にしか、飛びきらんと、」
「へえー」
「筋が緩むちゅうてから、だから私たちは子供も十人育てたから、もうあのう、運動会前にはけして風呂にはいれんかった。」
「へえー」
「いまのこと、シャワーもないとよ。五右衛門風呂だから。かけて、こうして洗うだけ。風呂釜に行って、あのゆたっとったら、筋が緩んでしもうて、明日の朝運動会に行っても、その走る力がなくなる。」
「明日は運動会もオリンピックもないので、風呂に入ってきます。」
何とか切り抜けて風呂へ。

熱い風呂に入り、旅始まって以来の御馳走を食べました。有料宿泊も初めての贅沢な一夜でした。
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ミチヨさんの料理は量も多くて、美味しかった!
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満足して食べていると息子さんの勝さんが焼酎を片手に入って来られました。私は大好きな新潟のにごり酒「五郎八」(愛犬の名前はここからです)をたまたま酒屋で見つけ飲んでいたので、それで杯を酌み交わしつつ、いろいろな話を伺いました。
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僕が島根から来たと聞いて何かうれしそうにされたのですが、勝さん夫妻は17年間も島根県の出雲市の神西湖の近くに住んでいたとか。子供さんにとっては成長期が島根だったわけです。みなさん、今でも出雲がなつかしいそうです。
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島根近辺と縁があるのか、この椎葉村に移住した人も4061番の青木さんのように広島とか中国地方からの人が二人と、さらに愛知出身島根経由の4060番の三井さんも移住されることを検討されているそうです。

勝さんは椎葉村が復活するように、いろいろと活動しておられました。
その一つ、焼畑の体験場
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トイレの中
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出雲の頃はJAのトラック運転手として日本中を旅されたそうなので、日本の地理のことなら何でもご存知でした。また、外の世界のことをいろいろ見聞きし、体験されたことが、椎葉村を客観視したり、復活させるのに役立っているようでした。地元民とは異なる視点が摩擦も生むでしょうが、逆にバネになっているようにも見受けました。

帰村して、まず取り組まれたのが、家のすぐ裏にある神社の改築だったそうです。自分の人生があるのはこの神社のお陰と、村民のだれも関心を示さなかった荒れ果てた神社を、勝さんが音頭をとって復活させたとか。こういう見捨てられた寺や神社が日本の農村には無数にありますが、移住して住む人たちはまずそういうものから大事にしないといけないのだろうなあと思いました。過去には神社や寺こそが村人を支え、それを中心に人は集い、喜びを分かち合っていたのですから。
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クニ子さんと勝さんとではパワーとパワーのぶつかり合いですから、けして和気あいあいの仲良しというわけでもなさそうでした。お互い意志の強い者同士というのはそういうものだと思います。お二人に共通していることは、意志の強さと人間的優しさが同居しているような個性。

秋篠宮が訪問されたときの写真がありました。マイルドセブンをお吸いになっていたので、記念に灰皿と吸い殻を貰おうとしたら、お付きのものが「持ち帰ります」。難儀な皇室生活を垣間聞きました。
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部屋にはクニ子ばあさんが旦那さんと仲良く働いている写真が数枚ありました。
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その1 おわり

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2016年01月02日

新年の挨拶に代えて

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種の袋に入れる手紙の内容を変えようかと思って準備しました。変更するかどうかはわかりませんが、伝えたい内容ではあるので、新年の挨拶代わりに掲載します。

今年の2月から初めた「人への種蒔き」は先日4000人に達しました。4000人の中には都会の人もたくさんいますが、わざわざ山深い農村に行き、都市部から引っ越して農業をし始めた家族にもたくさん会いました。そういう人たちの地味で、真摯で、飾らない生活は、便利で効率的で先進的な日本人の生活からはかけ離れています。自ら安全な作物を栽培し食を満たし、エネルギーもそれぞれが工夫して作り出し、ゴミを出さず、できるだけお金のかからない生活を心掛けています。欲しい物はすべてお金と交換している生活とは全く異なる生活です。そしてその中で彼らは質素でありながらも、地に足がついた生活をしています。何よりも、そこには本当の家族愛があるし、周りの人間と協力し合うという助け合いの精神もあります。人間にとって、本当に必要なものはお金ではなく、美味しい水と新鮮な空気と安全な食と愛だと教えてくれます。高度経済成長に浮かれてすっかり忘れていたものばかりです。それまで大事だと思っていた物をすべて投げ捨てて、都市部から田舎に引っ越した若者達がそれを教えてくれます。

人間が作り出す都市はとても便利ですが、とても歪(いびつ)です。それは自然の中で本来の人間の生活をしないと見えてこないものです。高いビルは不自然さの象徴に見えます。自然を想定内でしか見ていない人間の愚かさと甘さの現れでしょう。自然の脅威がそれを超えれば簡単に崩壊します。しかも、そこには自然がありません。せいぜい自然界にあるものを移動させて鑑賞しているだけです。しかも、そんなに高いところにいれば被災したときには、どうにもなりません。エネルギーも食も水も止まり、たとえそれが供給されても、果てしない階段を上り下りするはめになります。そこには何も便利なものも効率的なものもありません。そのときに、都会生活とはすべてのエネルギーと食と水を依存して成り立っていることに気づくのです。しかも隣近所との付き合いが薄い生活の中では、どれほどの助け合いができるでしょう。人との協力のかわりにお金に依存していたエゴイスティックな生活をしていたことに気づくのです。

我々の変化は精神的なものと同時に、すでに肉体的にも変化を起こしています。昔は無かったと言われるアトピーなどのアレルギー体質は増える傾向にあり、異常児童も増えています。また、それ以前に精子の形の異常、精子の減少。また、母親が吸収する化学物質(農薬や添加物、放射性物質等々)の多くがへその緒を通して、胎児に供給されます。我々は人類という存在を維持できるかどうかにかかっているのが、今の時代、いやすでに数十年前から始まっているのだと思います。

経済優先の生活を見直し、自然を優先し、そのためには、それぞれが何をしないといけないかを問いかける時代だと思います。それが自分の子供どころか、自分の子孫を繁栄させることにつながり、永続的な地球上での生活の維持にかかわっていると思います。津波がそこまで来ているときに、のんびりとお茶を飲んでいる人がいるでしょうか、ゲームに興じている人間がいるでしょうか、そういう差し迫った別次元の危機が迫っていることを感じる感性があるかどうかが、これから生き延びることのできる人間としての、あるいは生物としての質を問われているのではないでしょうか。

この米と小麦の種を見ながら、それを考えてほしいと願っています。お金は生物ではありません。何かと交換できる道具に過ぎません。しかし、種はじっとしているので無生物のように見えますが、水や温度や日光、土質の条件さえそろえば、芽を出し成長し、あなたを助ける糧になります。その成長の様子がそのまま自然に直結しています。一粒は小さなものですが、それを育て続ければ、5年後には世界の70億の人が食べることができるほど増やすことができます。地球上で最も貴重で不可思議なものです。(終)

先日、種を蒔いた数百人分を一気に紹介したのに、再び溜まってしまいました。それ以上に、大きな出会いの紹介がたくさん溜まっています。また、今回の種蒔きのきっかけになるのは30年前のある出来事でした。それは1万人に蒔くというエネルギーの根源でもあります。そのことを書こうと数ヶ月前から文章を練り直しているのですが、それは私には重い内容で慎重を要することなのでなかなか掲載するに至りません。また、岐阜での知阜集会のこととか、とにかく掲載すべき内容がたくさん溜まっていますが、追い追い紹介したいと思います。また、2月には一旦種蒔き休止して、金稼ぎをしなければならないので、そのときに溜まった内容を紹介するつもりです。

Facebookも使っていますが、どうもFacebookには馴染めなくて、またどこか不信感というか、受け入れがたいものがあります。携帯やプロバイダーはいろいろあるのに、これだけはほとんどすべての人が使っていることに、どこか怖さがあるのです。一人が1000人を超えるような友人がいたりしますが、一体何のためにそういうことをしているのか?効率を求めれば、これ以上のことはないかもしれませんし、確かに、たくさんの人と繋がると良いこともあるのでしょうが、それがすべてとは思えないし、こうして種蒔きをしていると、繋がるべき人とはちゃんと繋がっている様子を見ていると、あまり必要とも思えないのです。偶然という不思議なネット以上の存在を確信してもいます。便利なものはほどほどにして、わたしにはブログの範囲で十分だと思っています。

種を蒔いた人の中には、いっさいこういう類を使わずに活動している人もいますが、そこに集まる人たちは非常にユニークで面白い人たちだったりします。すべてが口コミで広がり集まってきます。それはとても原始的かもしれませんが、そういうものの方が実は本物じゃないかと思います。

また、ブログは皆さんへの報告でもありますが、自分のための記録でもあり、たくさん見ればいいとか「いいね」が多ければいいとも思いません。結局は大事なことや必要なことは手段はどうあれ、伝わるだろうと思っています。というわけで、近いうちにFacebookは使わなくなるかもしれませんので、Facebookを頼りにしていた人たちは、直接ブログに来られることを薦めます。
posted by 種まく旅人 at 11:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

あけましておめでとうございます。

今日は鹿児島の蒲生八幡神社に行き、参拝客に種蒔きしました。その中で穂山さん家族に会いました。元旦から「穂の山」家族と出会うとは、縁起が良い年になりそうです。ありがとうございました。
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穂山さんに連絡です。お話しした the family は以下のページです。ぜひ、御一読を。
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/423857920.html
さらにお薦めの安達家族は
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/430331216.html
posted by 種まく旅人 at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする