2016年02月29日

桑原史成氏に関する放送

昨年11月14日に紹介した津和野出身の報道カメラマン 桑原史成氏に関する放送があります。当ブログの紹介記事はhttp://happyhillcontest.seesaa.net/article/429571808.html

放送は以下
NHKラジオ第1
2016年3月1日(火) 午前4:05〜午前5:00(55分)
報道写真家…桑原史成「写真に何ができるか?」 

桑原史成:1936年島根県津和野市生まれ。2014年 土門拳賞受賞。
写真集「水俣病」「病める大国・ロシア」個展「韓国激動の四半世紀」「ベトナム」等
EFBC91EFBC92-28570.jpg

               
桑原さんに関する記事の一つ

納屋の暗室 現像に熱中

 初めてカメラに触れたのは、島根県木部村(現津和野町)の木部中2年のころ。斎藤薫という写真が趣味の若い先生がいた。学校で、斎藤先生の蛇腹のカメラのシャッターを面白半分に押させてもらいました。

 斎藤先生の下宿は、うちの近所の商店。雨戸を閉めて部屋を暗くする「お座敷暗室」によく遊びに行きました。現像液の中から画像が徐々に浮かび上がると、先生が「おい、できたぞ」ってね。不思議だな、と関心を持ったのが始まりです。

 当時、カメラは高価だった

 村の収入役だった父は、田舎では珍しいサラリーマン。現金収入があったので生活は余裕がありました。「カメラを買って」とねだると、三田尻(防府市)のカメラ店で蛇腹のカメラを買ってくれたんです。メーカーは国産の「ペトリ」じゃなかったかな。6×4・5センチのセミ判だったと覚えています。牛小屋の隣の納屋に暗室を作りました。脱穀したもみ殻が暗室に飛んでこないように、仕切り板も手作りしました。

 ある日、父から依頼を受ける

 「中学校の運動会の写真を撮れ」と言うんです。おやじは写真に関心がない。「現像はしなくていい」「誰と誰が写っとればええなあ」と聞いて、不思議に思ったね。撮影済みのフィルムをどこで現像したか、後になって聞きました。警察署の暗室でした。

 共産党村政の余韻が残っていた時期。共産党シンパの村民の顔写真を警察は求めていたのでしょう。高性能の望遠レンズがある時代じゃない。怪しまれずに撮影するには、子どもが適役だったんでしょうね。当時を思い返すと、カメラを向けた何人かに顔を背けられた気がします。

 1952年に津和野高へ進学。柔道に熱中する

 ひょろっとしていたので、体を鍛えたかったんです。お稲成(いなり)さん(太皷谷(たいこだに)稲成神社)の石段のうさぎ跳びがきつかったな。写真部の部室にも出入りしていましたが、興味の中心は柔道。同級生のスナップを撮ったこともありますが、写真が生涯の仕事になるとは想像もしていませんでした。

情報源は  http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=31688
他の桑原氏関連記事は http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?m=2014&cat=127&paged=3

posted by 種まく旅人 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月28日

種が欲しい方へ

今、活動資金を得るため、種蒔きを中断しています。しかし、米の種蒔きは4月からなので、この3月は人に種を渡す絶好の月です。それで、もし欲しい方がおられたら着払いで送りますので、連絡をください。
連絡先は daiki8822@yahoo.co.jp 種蒔夫 まで。

これは昨年バケツ稲栽培から出来た種籾の芽出し実験をしたものです。バケツ稲栽培でも種採取できることがわかりました。
DSC_0226.jpg
posted by 種まく旅人 at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 種蒔き予定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月26日

疾走 五郎八

1 のコピー.JPG

1−犬1.JPG

8.JPG

1−飛行機2.JPG

11 のコピー.JPG

13.JPG

20.JPG

posted by 種まく旅人 at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 五郎八物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月24日

五郎八の出番です

この10日間ほどブログに書く文章を下書きしてますが、なかなか完成しないので、こういう時には彼に手伝ってもらいましょう。

産まれて二ヶ月、こんなにかわいいぼくちんも、、、、
3.JPG




3ヶ月経ち、、、





4ヶ月経ち、、、、





5ヶ月経ち、、、、





6ヶ月経ち、、、、





1年経ち、、、、





2年経ち、、、、





3年経ち、、、

とうとう馬面(うまづら)になりました。
2−2 のコピー.JPG




posted by 種まく旅人 at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 五郎八物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

4221番まで 出水市(鹿児島)

昨年2月6日に種蒔きしてからちょうど1年目の先日は、島根にいました。一つは松江のロータリークラブで話をするためでしたが、その他に田舎に残した大きなゴミがあり、その処理で労力を使い果たしクタクタになりました。が、この世界のゴミ問題に関して考えさせられる日々でもありました。他にタイミングよく「種交換会」があり、思いがけずたくさんの人に蒔けました。そんなわけで、更新が途絶えていました。

取りあえず、半分の5000人に到達したので、ちょっと休憩して、種を蒔いた人々(紹介していない人が1000人以上溜まってしまいました)をブログに紹介したり、印象的なことをブログに記録したり、気持ちを整理したり、これから先の種蒔きの資金作りについて考えてみたいと思います。先日、クラウドファンデイングのことを聞いたので、試してみようかと思っています。

さて、早速種蒔きの続きです。

1月2日 出水市 元旦の翌日は鹿児島市の作楽で紹介された出水市の福島さんご夫妻を訪ねました。そこに上田さんも来られて、三人の方に種蒔きしました。この部屋は真ん中に囲炉裏があり、それを囲むようにして座れるようになっており、シンプルで団らんしやすい理想的な空間でした。沖縄の大豆の種を頂きました。ありがとうございました。

4219番〜21番 福島夫妻と上田さん(左側)
4119−21ー福島・上田・出水市 のコピー.JPG
posted by 種まく旅人 at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 種受取人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月08日

4218番まで 姶良市(鹿児島)

新年 2016年 1月1日 姶良市蒲生八幡神社

大晦日は出水市に向かっていました。朝になり元旦なので、近くの神社に行き種蒔きをしようと思い、ナビで近くの神社を探して行った所が、偶然にも先日福崎さんに案内して頂いたクスの大樹のあった「蒲生八幡神社」でした。

4194番〜96番 車を見て、早速声をかけて頂いたのは青木さん
4194−5−6ー青木 のコピー.JPG

さらに、穂山さん一家に声をかけて頂きました。先日も紹介しましたが「穂山」=穂の山という名字に、2016年の元旦から種蒔きに際して幸先いい感じを受けました。(左側の男の子は五郎八を見ています。)
4197番〜4201番 穂山一家
4197−4201ー穂山 のコピー.JPG

4202番 五郎八に声をかけて頂いたおじさん
4202 のコピー.JPG

4203番 巫女さん
4203 のコピー.JPG

続々と参拝者が来られました。並んでお参りする行儀の良いみなさんでした。
6 のコピー.JPG

4204番と05番 親子
4204−5ー親子 のコピー.JPG

4206番〜09番 家族
4206−9 のコピー.JPG

4210番と11番 おしるこを食べたお店の巫女さん達
4210−11 のコピー.JPG

4212番〜15番 家族(写真無し)

五郎八と境内を歩いていたら、モアイ像が!
1 のコピー.JPG

表に行ったら、、、
2 のコピー.JPG

関ヶ原合戦以降の記念碑群でした。
3 のコピー.JPG

お参りを済ませて、車で移動中に珍しい正月犬を発見!
7 のコピー.JPG

4216番 老人ホームで
4216ー老人ホーム のコピー.JPG

4217番 出水市に向かう途中の小さな神社
4217.JPG

4218番 親切だったコンビニの店員さんに
4218.JPG
posted by 種まく旅人 at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 種受取人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月07日

4193番まで 桜島(鹿児島)

12月29日 桜島
1 のコピー.JPG
一昨夜桜島が火山爆発しましたが、昨年末は桜島を訪ねていました。「火山爆発している島にいて心配ではないのか?」と尋ねてみました。火山爆発する場所は決まっていて、そちらの方向にはほとんど人は住んでおらず、大部分の人は反対側に住んでいるそうです。反対側はほとんど火山爆発の音さえ聞こえないとか。とはいえ「それで安心なのかなあ」と外部の人間は思いますが、長年の経験からそういう判断があるようです。

道の駅で「桜島大根の種」を見つけました。レジの人に「これF1じゃないですか?」と尋ねたら「それなら、これを」と別の袋を渡されました。裏を見ると岩元と名前が書いてあったので、早速尋ねることにしました。
1 のコピー.JPG

4191番 レジの坂元さんに。
4191ー坂元 のコピー.JPG

岩元さんの畑は桜島を中腹まで登ったところにありました。種は毎年採取しているということなので、在来種に違いありません。それどころかF1種をご存知ありませんでした。
2 のコピー.JPG

種も直接頂きましたが、大根もお願いしました。
3 のコピー.JPG

3、4キロはあるので、掘り出すのも力が要ります。
4 のコピー.JPG

4192番 岩元さん。翌朝、コンビニに駐車している私の車を探して差し入れてくださいました。本当に親切なおじいさんでした。
4192ー岩元 のコピー.JPG

レジの坂本さん(4191番)の旦那も桜島大根を栽培していると聞き、訪れました。4193番 坂元さん
4193ー坂元 のコピー.JPG
posted by 種まく旅人 at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 種受取人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月06日

人生を幸せにするのは何?

先日、松江のロータリークラブの人たちの前で種の話や旅で見聞きしたことを話しました。後で、あることに気づきました。旅で出会った自給自足している人々と、極一般的な人々との違いです。それは自給自足生活者は「金と名声を求める生活」を止めたことです。私自身も同様ですが、栽培をするようになってから金と名声に対する欲が薄れていきました。それに代わって、自然や人間との楽しい交流を大事にするようになったように思います。

そんなことを思っていたら、似たような論旨のビデオがありましたので、文字起こしされたものを紹介します。できれば、元のページも紹介しますので、ぜひビデオも見てください。
e850cb00471e6dc1172e2fdd29933bc003d969e8_2880x1620.jpg

ビデオは以下。
http://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20160202-00002399-ted

一生を通し、私達を幸福で健康にするものは何でしょう?名声や富 ―そう考える人はたくさんいます。しかし、心理学者ロバート・ウォールディンガーに拠ると、それは間違っているのです。75年に渡る成人発達に関する研究のディレクターであるウォールディンガーは、真の幸福と満足感に関する無類のデータを基に、この研究結果が私達に教える3つの重要な教訓と、昔からの知恵、幸せな長寿の秘訣を、このトークで語ります。 ( translated by Reiko Bovee , reviewed by Masami Mutsukado and Kacie Landrum )

ロバート・ウォールディンガー: 人生を幸せにするのは何?最も長期に渡る幸福の研究から

翻訳

一生を通して私たちを 健康で幸福にしてくれるのは 何でしょう? 最高の未来の自分に 投資するなら 自分の時間とエネルギーを 何に使いますか? 新世紀世代を最近調査し 最も大切な人生の目的は 何かと訊ねました 80%以上の答えは 主な人生の目的は 富を蓄える事で その同じ若者の50%の もう1つの大きな目的は 有名になる事でした

(笑)

働き 更なる努力をし もっと成果を出すようにと 常に求められている世の中です 良い人生を送る為には そうする必要があると 誰もが思わされています 自分の全人生を― 自分の選択がどう人生を 描いて行くかを予測するなんて 殆ど不可能です 人の人生に関しての凡そは その人の過去を 思い出してもらう事で分かりますが ご存知のように それは あまり頼りにはなりません 過去に起きた内の 膨大な量は忘れ去られ 時には完全に創作された 記憶さえあります

では ある人の全人生が 展開されるのを 観察しながら 記録できないものでしょうか 人々を10代の頃から老年まで追い 幸福と健康の持続に 本当に何が必要なのか 探索しようと始めたのが 我々の研究です

ハーバード成人発達研究は 史上最も長期に渡って 成人を追跡した研究です 75年間724人の男性を追跡し 休むことなく 仕事や家庭生活 健康などを記録しました 勿論 その期間中 我々は 彼らの人生がどう展開するかは 知る由もありませんでした

この様な研究は非常に稀です こんな計画は10年もしない内に 頓挫してしまいます あまりに多くの人が途中で プロジェクトを降りてしまう 研究の資金が不足して来る 研究者達が他の事で忙しくなったり 亡くなってしまう などが原因で 進行が止まってしまうからです 我々の場合は運が良かった事もあり 数世代の研究者達の 根気強さのお陰で この研究は生き残りました 元の724人の内の約60人が 未だ健在で 今も研究に参加しています その殆どが90歳代です 新しく研究に 2千人以上の彼らの子供達にも 参加してもらっています 私は4代目の研究責任者です

1938年以来 男性の2グループを 追跡しています 1番目のグループは研究が始まった時 ハーバード大学の2年生で 第2次世界大戦中に大学を卒業し 殆どが戦争に行きました 2番目のグループには ボストンの極貧環境で 育った少年達が この研究の為に選ばれました 1930年代のボストンで 最も問題の多い貧困家庭出身の 人達だからという理由からです 水道設備もないような安アパートに 彼らの殆どが住んでいました

研究が始まるとすぐ 10代の彼らをインタビューし 健康診断を受けさせました 我々は彼らの家に行き ご両親達もインタビューしました その少年達が今大人になり 様々な人生を歩んでいます 工場労働者や弁護士 レンガ職人や医師になったり 1人はアメリカの大統領になりました 中にはアル中になった人や 統合失調症になった人もいます この様に社会の底辺から這い上がり ずっと上まで登り詰めた人もいる一方 それとは反対の方向に人生を 辿って行った人もいるのです

この研究の創始者達は 思いもしなかった事でしょう 75年後 今日ここに私が立って 研究は未だに続いている事を こうして話しているなんて 1年おきに我々の仕事熱心な 忍耐強い研究スタッフが 参加者に電話をし 彼らの生活に関しての 質問表を送っても良いかと訊ねると

ボストンスラム街の 男性の多くはこう問い返します 「なぜ俺を研究し続けたいんだ? 俺の生活は面白くもないだろう」 ハーバード群からは 決して出ない質問です

(笑)

彼らの生活をしっかり把握する為 質問表を送るだけが 仕事ではありません 参加者の居間でインタビューしたり 彼らの医者から 医療記録も手に入れます 血液検査をし脳画像を撮り 子供達からも話を聞き 彼らが妻と最も気がかりな事に関して 話し合っている所を撮影します 約10年前 参加者の妻達にも 研究参加をとお願いすると 彼女等の多くは こう言いました 「そう言ってくれるのを待ってたわ」と

(笑)

これから分かった事は 彼らの人生から得た 何万ページにもなる情報から 分かった事は何でしょう? それは富でも名声でも 無我夢中で働く事でもなく 75年に渡る研究から はっきりと分かった事は 私たちを健康に幸福にするのは 良い人間関係に尽きるという事です これから人間関係に関して 3つの大きな教訓がありました

第一に周りとの繫がりは 健康に本当に良いという事 孤独は命取りで 家族 友達 コミュニティと よく繋がっている人程 幸せで 身体的に健康で 繫がりの少ない人より 長生きするという事が 分かりました 孤独は害となるという 研究結果が出たのです 孤立化を甘んじて受け 生活している人は あまり幸せに感じていないのです 中年になり健康の衰えは早く 脳機能の減退も早期に始まり 孤独でない人より 寿命は短くなります 悲しい現実ですが これから先 いつでも アメリカ人の2割以上は 孤独だと回答するでしょう しかし 群衆の中や 結婚生活の中でも

孤独を感じることはあります つまり ここで重大な事は 友人の数だけが ものをいうのではなく 生涯を共にする相手の 有無でもないのです 重要なのは 身近な人達との関係の質なのです 争いの真っただ中で暮らすのは 健康に悪い事が分かっています 例えば愛情が薄い 喧嘩の多い結婚は 健康に悪影響を及ぼし 恐らく離婚より悪いでしょう 愛情のある 良い関係は 人を保護します

我々は参加者全員を追跡し 彼らが80代になった時 中年の彼らを振り返り 誰が健康で幸せな80代になったか 予測してみたかったのです 彼らが50才の頃に得た 彼らのデータを全て 集めてみると 中年のコレステロール値等とは 関連性はなく どの様な老年を迎えるかは 当時の人間関係の満足度で 予測される事が分かりました 50才で最も幸せな人間関係にいた人が 80才になっても一番健康だったのです 親密な良い関係が クッションとなり 加齢過程での様々な問題を 和らげてくれてるようです 中でも特にパートナー共に 幸福だと感じていた人達は 80代になり 身体的苦痛があっても 精神的に幸福だという 報告が出ています しかし不幸な関係にある人達は 身体的苦痛がある日には 精神的苦痛でその身体的苦痛が 更に増幅されていました

人間関係と健康に関して 分かった3つ目の大きな事は 良い関係は身体の健康だけでなく 脳をも守ってくれるという事です 堅固な良い関係をしっかりと 80代にまで持ち続ける人は その関係に守られています そういう関係にいる人― 何かあった時 本当に頼れる人がいる と感じている人の記憶は はっきりしています 一方 パートナーには 全く頼れない と感じている人には 記憶障害が早期に現れ始めます 良い人間関係といっても 波風がない訳ではありません ある80代のカップルは 明けても暮れても小言を 言い合っている かも知れませんが お互い頼り合える と感じている限り 彼らが苦難に遭遇した時 口論しても後々まで残る という事はありませんでした

この教え― 親密で良い関係は 包括的に 私たちに益となっているという教えは 今に分かった事ではありませんね 何故そんな関係は築き難く 無視され易いのでしょう 誰もそうですが 私たちは手っ取り早く 手に入れられる 生活を快適に維持してくれるものが 大好きです 人間関係は複雑に込み入っています 家族や友達との関係をうまく 維持して行くのは至難の業です その地道な努力は地味で その上その仕事は 死ぬまで続きます 75年間に渡る研究で 定年退職後 一番幸福な人は 仕事仲間に代わる新しい仲間を 自ら進んで作った人達です 最近の調査での 新世紀世代のように この研究の参加者の多くは 彼らが青年期に入った時 名声や富や業績が 良い生活をするには 必要なものだと 本当に信じていましたが 75年もの間 我々の研究で 繰り返し繰り返し示されたのは 最も幸せに過ごして来た人は 人間関係に頼った人々だという事した それは家族 友達や コミュニティだったり様々です

あなたはどうですか? 今 あなたが25才 40才 60才なら あなたが人間関係に頼るとは どういう事なのかでしょうか?

あなたに出来る事は 実際 無限にあります テレビやPCの前の時間を 人と過ごす時間に充てる 新鮮さを失った関係を活気づける為 何か新しい事をパートナーとする 長い散歩とかデートなどです また何年も話していない家族に 連絡を取るのも1つの方法です よくある家族の いざこざは 遺恨を抱く人々に ひどい悪影響を及ぼすからです

最後にマーク・トウェインの言葉を 引用して終わります 一世紀以上むかし 彼は人生を振り返り こう書きました 「かくも短い人生に 諍い 謝罪し 傷心し 責任を追及している時間などない 愛し合う為の時間しかない それが例え一瞬にすぎなくとも」

良い人生は良い人間関係で築かれます

ありがとうございました

(拍手)

種蒔夫;昨日365日目にして5000人に到達しました。みなさん、ありがとうございました。

posted by 種まく旅人 at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月05日

4190番まで 水上村(熊本)鹿児島・鹿屋(鹿児島)

番号が前後しますが、慌てて順番通りに渡していないときがあり、先の番号を渡したりすることがあります。悪しからず!

12月25日 水上村(熊本)
旅中でも最も個性派の二人、水上村で出会いました。半坊主の吉田さん(4127番ーアーティスト)と山口さん(3980番ーヒンドゥー語の使い手)。以前にも紹介しましたが、山口さんは口永良部島から来ており、吉田さんと別れて両親が避難している屋久島に帰るというので、鹿児島まで乗せて行くことにしました。友情熱い二人は別れが惜しそうで、最後はとうとう戦いが始まりました。
9 のコピー.JPG

14 のコピー.JPG

15 のコピー.JPG

山口さんと出発すると路上に夫婦を見かけたので、早速種蒔き。散歩かと思ったら、ここで人を待っているとか。それがNHKBSの「日本二百名山ひと筆書き」の田中陽希氏と聞いて、車を走らせて探すことにしました。4141番と42番 ご夫婦に。
4141水上夫 のコピー.JPG

4142−水上妻 のコピー.JPG

4159番 見つけました。田中さん!
4159ー200名山 のコピー.JPG

この人の旅の内容は以下です。過酷です。ご苦労様です。後日、桜島を見ながら220号線を走っていたら、再会しました。またもや種蒔きした人に遭遇。その時に写真を撮らなかったのが無念。

全行程:日本二百名山(2014年未踏の100山)
歩行距離:お よそ8,000km(現在調整中)
日程:約7か月(現在調整中)
出発日:2015年 5月下旬(予定)
出発地:北海道 宗谷岬
最終到達地:鹿児島県 佐多岬
移動手段:陸上・徒歩 海上・シーカヤック
http://www.greattraverse.com/info/「日本二百名山ひと筆書き」プロジェクトについ.html

4160番 そば屋のおばさん
4160ーそば屋 のコピー.JPG

12月25日 鹿児島市
その後、鹿児島に着き、山口さんの知り合いのところを訪ねて種蒔きしました。

4143番と44番 居酒屋「のら」。

「のら」さんの種はその後、栽培できる人の手に渡りました。それは不思議な縁で繋がっていました。年を越えて1月も鹿児島県内で種蒔きをしていましたが、その中でも某氏の家では随分お世話になり、飲み食いして宿泊までさせて頂いた翌日のことでした。あるお店で食事をしていたら女性が入って来たので種を薦めると「もう、もらいました」「だれからですか?」「鹿児島ののらさんから」。後で同席していた人から、あの人は某氏の別れた奥さんだと聞いて、またびっくり。これまでに渡した人は日本人口3万人に一人しか手渡っていません。種のいたずらでしょうか。こんな不思議なことがよくあります。

4145番 山口さんがお母さんと再会したゲストハウスで働くみずえさん
4145ーゲストハウス受付みずえ のコピー.JPG

4146番 ゲストハウスのお客さん
4146ーゲストハウス客 のコピー.JPG

4147番と48番 山口さんのお母さん、知人の村井さん。
4147−8マッサン母・村井 のコピー.JPG

4181番 山口さんのお父さん分は息子から母親へ
4181−43−44ー山口英昌 のコピー.JPG

4149番と50番 山口さんの知り合いの自然食レストラン「作楽」(さら)。ここで様々な人を紹介して頂きました。ありがとうございました。
4149−50作楽 のコピー.JPG

4161番〜4180番 根津耕昌さん(3689番)の本に種を付録としてつけることを提案されて、快諾。根津さんに送付。詳しくは以下https://www.facebook.com/aranonohito?fref=ts
P2053909.JPG

12月26日 鹿児島市

4182番と83番 屋久島在住の家族(鹿児島市の港にて)
4182−3ー屋久島家族 のコピー.JPG

4184番 川口農法の福崎さん
4184ー福崎 のコピー.JPG

福崎さん方の珍しい形のストーブ。北海道の骨董品で暖かいというより、熱いほどでした。鉄瓶もシンプルで絶品!
3 のコピー.JPG

福崎さんの田んぼ
4 のコピー.JPG

日本一の巨樹に案内して頂きました。
1 のコピー.JPG

2 のコピー.JPG

4185番 福崎さんが御馳走してくださったおしるこ屋さん
4185ーおしるこ屋 のコピー.JPG

12月27日 鹿屋市

4186番〜88番 酒屋で
4186−7−8ー酒屋.JPG

4189番と90番 大田市久手海岸で出会った日本一周中の土井さん(2843番)に鹿屋市で再会。土井さんの旧友の城さん夫妻に。御馳走さまでした。
4189−90ー城さん.JPG

posted by 種まく旅人 at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 種受取人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月03日

市房山ー人間の感性

2020年には東京オリンピックがありますが、私が種を蒔いた予言者や神が降りて来た人たちは「開催は無理だ、不可能だ」といいます。私自身は不可能というよりは「何故オリンピックが日本で?」と思いました。それはたぶん大部分の日本人の思いじゃないかと思います。

オリンピックが必ずしも良いものばかりを運んで来るとは限りません。熊本県球磨郡の「くまオーガニック祭り」で出会った3925番の阿部さんは長野オリンピックの前は長野県にいたそうです。しかし、オリンピックのために開発されていく長野を見て、失望し移住を決意したそうです。今でこそ私は納得が行きますが、その頃の私はオリンピック直前の会場へ行き、競技場で嬉々としてスキーをしていました。同じ時期に何という感性の違いでしょうか。

そういう感性鋭い阿部さんが気になり、阿部さん宅を訪ねました。長野を離れた理由がオリンピックならば、この熊本県の水上村に住む理由は何だったのか?
1−市房山.jpg

阿部さんは20年ほど前に水上村に来たそうです。市房山という山があるのですが、この山に登った際に、1000年杉を前にして何故か止めどなく涙が流れたというのです。さらに、急かされるように山の尾根を走って縦走したとか。そして、この地に留まることを決め、大工でもある阿部さんはここに自ら家を建て住み始めたのです。
2 2.JPG

人が住む場所を決めるのは、単に転任先だったり、知り合いがいたり、住居が気に入ったりといろいろですが、その土地やその山が自分を呼んでいるように感じて決める人は稀だと思います。阿部さんは、その山の悲しみを知り、その山を守ろうとしたのです。

山は「もう人に来てほしくない」というのだそうです。それは人間が自然の声を聞かず、自分勝手に自然を使いたい放題に使い、穢そうが、汚そうが、崩壊させようがおかまい無しの姿勢に怒りを覚えたのでしょうか。

この山には神社がありますが、コンクリートでできた寒々した神社で、人の気配もなく、窓も閉め切ったまま。大事にされているとは言いがたいです。4158番 市房山神宮。
4.JPG

3.JPG

どこの神社に行っても大きな杉が1本か2本あります。その大きさに驚いたりしますが、しかし、この市房山にはそれが50本もあるのです。それはこの山が特別な山である証だと思います。
直径2mほど。
12.JPG

14.JPG

双子杉
18.JPG

雷等で倒されたものは直径が3mくらいあります。
5.JPG

また、この重い石でできた階段はどうでしょうか。こんな重い石を運び、階段として設置するのはどれほどの思いがあってのことか、また機械類の無い当時としては大変な労力を必要としたと思います。私は阿部さんのような霊的な感性はないものの、当時ここに住んでいた人たちの思いを感じ取ることができました。
6−2.JPG

8.JPG

7.JPG

6.JPG

何故、今の時代に大事にされないのか?阿部さんほどの感性がある人がいなくなったのでしょう。当時ならば、阿部さんのような感性豊かな、自然の声を聞くことができる人が多くいたのではないかと思います。

神社で思い出すのが、熊野本宮のことです。元々あった場所に立て直さず、移築してしまったのです。この熊野本宮の元の場所も特別な意味があったはずなのです。明治期に始まった近代化が産んだ負の遺産でしょう。詳しい経験談は以下へ
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/419215325.html

昨日尾道で出会い、種を蒔いた山本さんという方は、子供の頃からあらゆるものとコミュニケーションが取れると自負される方ですが、この熊野本宮に訪問されたことを話されました。元の場所である大斎原に行くと四方の山に神を感じたそうです。「何故、そこに本殿がないの?」と疑問に感じたとか。

山本さんと会話していたら、不自然に笑われるので???と思っていたら、種と話をしていたとか。この種達はとても楽しい性格をしているようです。その他、自然の中にある不自然な話で盛り上がりました。

荒唐無稽な話と馬鹿にする人もいるでしょうが、今回の旅では何故かそういう人たちとの縁が多いのです。それも種が運ぶ縁だと思っています。私が種を蒔いているのではなく、「私が種に蒔かされている!」と日に日に感じさせられています。

阿部さんのところでの年4回のイベントに参加する人たちは、ぜひ市房山に登ってほしいと願っています。イベントも、より意味深いものになっていくと思います。
市房山より。
3 2.JPG

明日は松江のロータリークラブで60人の方を前にして話す機会を与えられました。1年分の話をどうまとめるか、この数日四苦八苦しています。それが終われば、更新を一気にするつもりです。

posted by 種まく旅人 at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする