2016年07月27日

「ヒロシマ 世界を変えたあの日」

日本・フランス・イギリスの国際共同制作ドキュメンタリー映画「ヒロシマ 世界を変えたあの日」を私なりに文と写真でまとめてみました。福島原発事故以降、原爆にも関心を持ち、広島の原爆資料館やアメリカが建てた広島放射線研究所(元ABCC)を訪ね、またネットでも探り、知らなかったいろいろな情報を得ましたが、このドキュメンタリー映画はそれらを網羅し、また新たな事実も知りました。

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1、原爆投下をめぐる動き

原爆の投下は「天皇の存続を許さないポツダム宣言に日本が応じなかった」ことにあるが、
カルフォルニア大学准教授 ショーンマロイ
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「天皇制存続を条件に入れなかったのは、原子爆弾を使ってアメリカの力を保持するためとの見方もあります。」

ロイ グラウバー マンハッタン計画に参加した物理学者
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「我々の多くは二発目のプルトニウム爆弾の必要性を疑問に思った。プルトニウムの破壊力が広島のものと同じものだと確認するだけが目的なら、やらないほうがいいと考えた」

8月9日。広島原爆投下後、東京では最高戦争会議が開かれ、第二の原爆についても言及された。陸軍の梅津参謀総長は言った「果たしてアメリカがどんどん原爆を用いるかどうかは疑問だ」
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会議が続く中、午前11時2分二発目の原爆が長崎に投下され、アメリカの推計では投下直後4万人の命が奪われた。
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元陸軍特殊情報部員 長谷川良治
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「当時長崎に向かっていたB29は5時間前から電波を追跡しており、その情報は軍部の上層部に伝えられていた。何故、止められなかったんだろうか?誰が命令を出さないのか、、、、」

陸軍の参謀が残した備忘録には、軍の中枢が「敵機が接近中である」ことを事前につかんでいたことが記されている。迫り来る危険を察知しながら、参謀本部は動かなかった。
陸軍参謀が残した備忘録ー「キャッチしたが処置なし」
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当日、長崎の飛行場にいた飛行士 本田稔(B29の撃墜経験あり)
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「軍の中枢が敵機が接近中であることを事前につかんでいた」ことを今回の取材で初めて知った本田さんは「わかっとった!ほんで、何で命令出さんですか?5時間もあったら、十分待機出来たですよね。(呆れて)それが日本の姿ですかね」

二発目の原子爆弾に天皇宛てのメッセージを書き込む兵士
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2、原爆投下後の広島市民

山田玲子
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「その日、6年生のけいこちゃんのお母さんは帰ってこなかった。次の日に五人が待っているところに、黒い四つん這いになったものが飛び込んできた。犬だと思ったら、子供達の眼の前で亡くなったのはお母さんだった。」

当時進駐軍として入ってきた兵隊は広島の人には何にもしてくれなかった。自分たちの生きる道を探していくしかなかった。農村部に疎開していた子供達が戻り、路上は孤児で溢れた。何にもない焼け野原で、夏服一枚での生活。地面を這うようにして生きる孤児達だった。

川本 省三「あの時ね、生きるためにはね、目に付いた人誰でもよかった。食べ物を持っている人を見つけるとね、その人を倒して持っているものを奪って生きた。憎いからじゃない。とにかく生きるのに必死だったから。だからみんな口を閉ざしているんですよ。今、どうして生きているかということが言えないんですよ。」
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「孤児は三千人。農家のおばさんたちが、週に二回粥を炊いてくれた。しかし、500〜600人分しかなかった。5、6年生の大きな子が食べてしまう。3、4年生が食べる頃には、空っぽ。食べれなかった子はね、鍋を洗った水に自分のタオルやハンカチを浸して、それをしゃぶってる。」
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「冬が近づくと食べ物はますます減り、ついに炊き出しもなくなった。孤児になった子がどんどん亡くなっていった。ゴミと一緒に川に捨てられた。死んでいった子はみんな口に石をくわえて死んでいった。石を舐めるのは口の中に何か入っていると落ち着いたんだと思う。」
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田辺雅章
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「被曝直後は、今まで黙っていたんだけども、人間としての良心とか全くなかったね。現に、死んだ人の金歯をね、焼けた頭蓋骨から外すのを僕は見た。原爆の影で行われていた犯罪行為はみんな知ってても口にしてない。」

食糧難が続く中、闇市がたった。警察に行っても取り合ってくれない。一ヶ月後、広島の街にヤクザが入り込み、闇市を取り仕切った。広島は無法の街のようになっていった。ヤクザが闇市にたむろする孤児達を取りまとめる。
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川本 省三「孤児になった子供達に靴磨きの道具を貸してくれたり、屋台の手伝いをさせてくれたり、アルコール売らされたり、麻薬売らされたり、ヒロポンというね、薬売らされたりしたんです。生きる道はそれしかないんだから。」
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親を失った少女たちには別の運命が待っていた。

川本 省三「女の子は餓死した子はいないんです。女の子はね、ちゃんと食料を与えられていた。着るものもちゃんとヤクザのお兄さんたち、まあおねんさん方がね、世話をしてくれて、だけど年が明けてから、その女の子の姿を見なくなったんです。8歳から11歳。二百人ばかり。おそらく、色街というか、男の歓楽街に売られていったんじゃないかと思う。」
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3、放射線の影響

しばらくすると、それまで元気だった人たちの間でも、謎の症状が見られるようになった。

肥田舜太郎医師(被爆者を診断したため、米軍に3回逮捕された)
詳しくは https://ja.wikipedia.org/wiki/肥田舜太郎
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「火傷とは思えない、別の症状で死んでいく。出血をする、血を吐く、何にもできない。何で死んでいくのか、私にはわからない。」
見る見る蔓延していく原因不明の病。肥田医師の診療所も患者であふれた。「広島へ後から入った人が、原爆と関係ないのにかったるくて、動けないという状態がたくさん起こっていると、おんなしだと。」

米澤
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「朝目が覚めてみると、枕に黒ものがいっぱい付いているわけですね。見たら、髪の毛だったわけです。それで「お母ちゃんえらいこっちゃ。髪の毛抜けてるよ」と言ったら、母も同じで、、、」
「熱が出ると同時にですね、嘔吐が始まるわけですね。広島から離れていたはずの妹が発症し、10月に死ぬ。母親のおっぱいのせいではないかと言い出した。今日元気だったのが、次に日には死ぬとかいうことがあった。」

体調を崩すのは日本人だけではなかった。広島に来たアメリカ兵も同じ症状を訴えた。

アメリカ兵ーオステン・サウグスタッド
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「広島から帰って10日ほどしてから具合が悪くなりました。横須賀にある病院で診てもらいました。しかし、何故痙攣が起こるのか、何故髪の毛が抜けるのか、何一つ説明がありませんでした。」

4、被爆者の就職と結婚

さらに被曝者は様々な不利益に生涯苦しめられることになる。

坪井直
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「いつ、身体が悪るなるやら、いつ死ぬのかわからん様なものをね、雇うことはしません。皆。就職ではね、隠していた。労働が辛いからね、休んだり、遅れたりね、そうしたら、どうしたんだろう、、あれは原爆受け取るんだと、言われてね、その人は『そんなもの首じゃ!』言うてね、嘘言うて入っとるんじゃから、」

いつ発病するかわからない中、広島の人にとって結婚は大きな試練となった。

坪井直「向こうの両親が、そいつは被爆者だったんじゃないか。怒り出してね、うちの子と今後一切会うことあいならん。」

川本 省三「結婚断られた。もう、悔しくてねえ。」

近藤紘子「婚約者の叔父が家族全員に言いました。絋子はダメだ。まともな子供が産めない。」

5、軍事機密にされた放射線障害

広島長崎の放射線障害の惨状のニュースはマンハッタン計画の責任者だったグローブス陸軍少将の耳にも入る。グローブスはうろたえ、この情報をもみ消そうとした。彼には不都合な真実だった。
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日本は占領下に入り、ある指令が届いた。「これに関することはすべてアメリカの軍事機密である。何人といえども、このことについて、一切研究してもいけない」と。被曝に関する情報が外に漏れたり、日本の医師たちが治療法を見つけたりすることを、アメリカは嫌がっていたという。

肥田医師「手榴弾を持っていたので、そこ行って3〜4個ぶち込んで、俺も死んでやろうと思った。腹が立った。」

6、暴露したジャーナリストたち

外国人ジャーナリストの立ち入りが制限される中、9月2日、オーストラリア人記者 ウイルフレッド・バーチェットが広島に入る。原子の伝染病という衝撃的な記事がイギリスの新聞に掲載された。
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アメリカ人ジャーナリスト ジョン・ハーシーが新聞「ニューヨーカー」に詳細な記事を発表。著書「hiroshima」は戦後最高傑作の一つと評された。
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7、責任回避

アメリカでは原爆投下への疑問の声が一部で出始めていた。これに反応する形で、元陸軍長官スティムソンが論文「原爆使用の決定」を発表。原爆投下の正当性を主張する。
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カルフォルニア大学准教授 ショーンマロイ
「論点の設定の仕方が極めて巧みでした。原爆投下の是非を単純な二者択一に落とし込んだのです。日本での本土上陸作戦で100万人の兵士を犠牲にするか、それとも原爆を落とし、戦争を早期に終結するか、二つの選択肢しかありませんでした。

原爆投下に反対することは、100万人の兵士が犠牲になることを望むことに等しいとしたわけです。誰も批判できなくなりました。」

論文は日本との戦争を終わらせるため、原爆は必要悪だったとし、原爆投下に対する世論をつくる上で決定的な役割を果たした。占領下の日本は検閲体制下にあり、被爆者に対する特別な救済はなかった。広島はその他の空襲を受けた都市と同じ扱いでしかなかった。重大な関心を示したのは唯一アメリカの科学者たちだけだった。

8、賞賛された原爆投下
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アメリカでは原爆投下を礼賛するキャンペーンが大々的に行われた。グローブスもあの手この手で自分たちの功績を広めようとした。ハリウッド映画でグローブス本人も出演し、マンハッタン計画の科学者たちが、当時を再現した。

また、原爆を投下した隊員たちは帰国後、一躍英雄になった。

原爆投下に参加した元米軍少尉・ラッセル ガッケンバック
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「あれほど注目を浴びるとは思いませんでした」

マンハッタン計画に参加した物理学者 ベンジャミン ベダーソン
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「自宅のブロンクスに戻ると、有名人でした」

アメリカの異常性と残忍性の象徴ー原爆ケーキ 
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7、人体実験

肥田「初めからモルモットだ。」
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被爆死の噂が広まり、グローブスは「原爆投下での死亡件数は多くない。しかも安らかな死に方だ」と証言したが、原爆投下による被曝の影響はすべて事前に分かっていた。マンハッタン計画の一環として、投下以前に米国内で様々な実験が行われていた。末期の患者にプルトニウムを注射し、人体への影響を探る実験が行われていた。
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そして、さらにグローブスは広島と長崎を実験の場にしようと考えた。

山田玲子「広島の一つの小高い山の上にいきなり大変美しい白い建物ができて話題になりました。」
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それは病院ではなく、ABCC「原爆傷害調査委員会」という研究機関で、原爆の人体への影響を長期に調べる目的で、多くの医師や研究者が派遣された。
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亡くなった人は解剖され、生き残った人は隅々まで検査された。すべてが研究目的だった。
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元ABCC遺伝学部長 ウイリアム・シュール
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「研究の狙いは発病の仕方と症状の度合いを調べることでした。」

坪井直「行って、いろいろ見てもらったんですねえ。そりゃ、全裸の写真も全部取られましたよ。背中もみな火傷ですから、、、、だからね、なんだこの野郎だわ。我々をモデルにしとるという、、。検査はすれども、治療はせずと。こんな医療があるもんかと、」
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近藤紘子
「ABCCには幼い頃から通わされました。年に一回か二回定期検診を受けるのです。子供の体への放射能の影響を調べるためでした。13歳か、14歳の時でした。医師に部屋を移動するように言われました。そこは広い講堂でした。壇上に上がるように言われました。スポットライトがまぶしくて、何も見えませんでした。すると医師が着衣を脱ぐように言いました。その時、纏っていたのは、検査用の簡易な下着。それだけでも耐え難いことでした。なぜこんなことをさせるのか!怒りに震えました。医師の指示で右を向いたり左を向いたり。壇上にいた時間がとても長く感じられました。」
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元ABCC遺伝学部長 ウイリアム・シュール
「これはどこでもやっているごく普通の検診でした。それはおそらく発育影響調査というものだったと思います。あれはいくつか困った問題がありました。子供の成長と発達に関するデータを集めていたわけなんですが、子供を全裸にしなければならなかったのです。少女たちは全裸で立たされることに抵抗感を示していました。」

解剖の際、多くの遺体から臓器が摘出され、標本としてアメリカに送られた。怪我や火傷のあとは、くまなく撮影された。その映像は機密扱いとなり、その後30年間、公開されることはなかった。
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山田玲子「父の遺体を私の家に連れて帰りました。お経をあげている時に、電話がなりまして、解剖させて欲しいということだったのです。母がお断りしましたが、お経の途中で三度も電話がかかりました。父は3年間も腹を立てて亡くなりました。『原爆で傷つけられて、これ以上身体に傷つけないでください!』と母はお断りしました。」

注:治療はしなかったが、以下のような言葉がある。

元ABCC遺伝学部長 ウイリアム・シュール
「技術的には治療することはできました。比較的症状が軽い患者には抗生物質が効いたでしょう。そうしたら、多くの命を救うことができたはずです。」

8、不必要だった原爆

カルフォルニア大学 准教授ショーンマロイ
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「多くの人は原爆が必要悪だったと信じています。つまり何百万もの犠牲者を出すことなく戦争を終わらせるには、原爆を落とすしかなかったというのです。しかし、本土上陸がそもそも必要だったのか、疑問視する声もある。日本はすでに孤立していました。輸送船は破壊され、物資の補給も絶たれ、すでに瀕死の状態でした。外交的手段も残っていました。ソビエトの仲介を待ったり、日本への降伏条件を緩和することで、戦争の終結も図れたでしょう。あるいは海上封鎖を続けるだけでも、十分だったはずです。」

肥田医師
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「誰が考えても、日本のあの状態にあんなものすごい威力の強い恐ろしい爆弾を使う必要があったんだろうか。軍艦もないわ、飛行機もないわ、食べるものがないわ、黙ってたってもう降伏するでしょう。だって、原爆で負けたんじゃなくて、もうその前に日本の海軍はもう全滅してる」

元外交官・東郷和彦(東郷茂徳外相の孫)
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「日本の降伏には原爆もソビエトの参戦もどちらも必要ありませんでした。連合国側に少しの忍耐力と理解力があれば、日本はある意味、名誉ある形で降伏したでしょう。」

種蒔夫:このドキュメンタリー映画の中で私が注目した点は

1、原爆投下は戦争終結のためではなく、アメリカの力の保持のため、あるいは実験台ではなかったかー不必要だった
2、B29の接近を事前に知っていたにもかかわらず、日本の軍部は何もしなかった
3、被爆者に対して検査のみで、治療効果があるとわかっていても、あえて治療しなかったアメリカの冷酷さ
4、アメリカは自国民でさえ人体実験のために、末期患者にプルトニウムを投与したこと

アメリカにも日本にも共通するのは、国の上層部には一般市民の生命や健康への配慮が完全に欠如していることです。日本の軍部はB29の情報が入っているにもかかわらず、市民を避難させず多くの被曝死、被爆者を生み、アメリカは日本国民を原爆の実験台にし、日本の被爆者のみならず、自国の末期患者をもモルモット扱いしています。それは66年経って、福島原発事故直後の、あるいはその後の市民への対応の姿勢とダブります。国を問わず、政治家や軍人、それに従う科学者たち、何のための存在なのか、誰のための存在なのか。

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2016年07月19日

植物に触ると害虫駆除になる!

旅を中断して次回の旅の準備中ですが、同時に植物を育て観察しています。植物を見たり、世話をしていると興味が尽きません。面倒を見れば見るほど、それなりの成長もしてくれるような気がします。何よりも、植物を前にすると気分が変わります。

植物は常に成長したがっていますから、成長を邪魔するものを自分なりに想像しながら、取り除くことを日々しているわけです。水をやってみたり、土を変えてみたり、場所を変えてみたり、日が当たるようにしたり、害虫を取ってやったり、あるいは飼ってみたり(虫の生態を知ることは大事です)、土に籾殻を蒔いてみたり、雑草マルチをしてみたり、、、、。考えらることはできるだけやっています。食べるためというより、成長の手伝いをしている感じです。

ところで、以前に読んだ記事を紹介したいと思います。「植物に触ってやることで、虫の胃のむかつきを与える代謝物質の生産を増加させる」ということが証明された記事です。人間が触るからというよりは、虫が植物に接触すると「食べられる被害を避けるために、虫が嫌がる物質を自ら作り出している」ということです。

虫を完全に退散させるほどではない(そうなると虫が生きていけない)ので、虫の被害はあるのですが、それを人間が触ることでその手伝いができるということでしょう。しかし、植物からすれば、虫以上に人間は食べ尽くしますから、人間が嫌がる物質も作り出す可能性もありますが、まだそこまで発達していないのか、人間とは共存する姿勢なのか。

この中で印象的な言葉は「植物は自分で移動することができませんので、環境の変化に速く反応するために非常に発達した触覚を持っていることには大きな意味があるようです」

確かに、動けないことで異常に触覚が敏感になるのは、障害のある人がその障害以外の感覚が敏感になるのに似ています。そういう意識で植物を見ていくとさらに興味深い感じがしてきました。自分に近づいてくるもの、接触するもの、匂いを嗅ぐもの、見ているもの、危害を加えるもの、、、、気づいているかもしれません。目も耳も鼻も舌もありませんが、人間以上に敏感に察知しているかもしれません。

植物は鈍い(のろい)ように見えますが、例えばツルは数分で指を一周しますし、稲の葉が水不足で丸まってしまうことがありますが、水を土に撒くと5分で元に戻ります。根から水を吸収して葉まで行きつく時間が、自分の目で確かめられるくらいに速いのです。

それでは紹介記事を以下から転載します。

元記事はhttp://www.ineffableisland.com/2012/04/touchy-plants-plant-growth-and-defenses.html
教えてくれた日本のサイトはhttp://oka-jp.seesaa.net/article/266240367.html

デリケートな植物: 触れられることで成長と防御力が強化されることが明らかに

米国ライス大学の科学者による新しい研究で、植物が真菌(カビなど)の感染を避けるため、あるいは、昆虫を撃退するために「植物自身の触覚」を使用していることがわかった。

この研究結果は、生物学の学術誌「カレントバイオロジー」誌に、4月24日に掲載される。論文では、植物が「触られているとき」に防衛力が強化されることが明らかとなったことが記される。

研究をおこなったライス大学の生物学者であるワッシム・シェハーブ博士はこのように語る。

「以前の研究で、植物が触れられることによって成長に変化が出ることはわかっていたんです。しかし、その成長の変化がどういうものなのかということまではわかっていませんでした。今回、私たちはシロイヌナズナを使って実験を行いました。そして、触られることによって触発された植物の成長が、ジャスモン酸エステルと呼ばれる植物ホルモンにコントロールされているという推定を確認するための実験をおこないました」。

その結果、植物は触られることにより成長に影響を受けることがわかった、
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上の写真は、「毎日数回触れたシロイヌナズナ(右)」と「さわらずに放置したシロイヌナズナ(左)」だ。
(注:右の毎日さわり続けた植物(ペンペン草)は、姿形が乱れることなく、茎も曲がらず、まっすぐ育っている。左のさわっていない方は、背丈こそ伸びているが、茎も弱そうで、虫や病気にも弱い。)

毎日数回さわったシロイヌナズナは、放置されたものよりも茎を短く成長させる。この成長反応が、昆虫や真菌感染から植物を保護する植物ホルモンのジャスモン酸エステルによって制御されることを突き止めたのだ。

このジャスモン酸エステルは、植物を食べる昆虫に対しての防衛手段として重要な役割を演じている。たとえば、ジャスモン酸エステルの分泌レベルが上がると、植物は草を食べる動物の胃のむかつきを与える代謝物質の生産を増加させる。

いくつかの真菌(カビ)の感染症から植物を保護するジャスモン酸エステルは、トマトやコメ、トウモロコシなどを含む、実質的にすべての植物に含有する。

そして、今回の研究は、これら植物の防御力が触られることによって引き起こされるという最初の証拠を提示したことになる。

研究の中では、ライス大学の学生たちが毎日、実験対象の植物をさわり続けた。しかし、この研究の中では、植物は、人間だけではなく、「昆虫などにふれられる」時もジャスモン酸エステルのレベルが上がる反応が起動することがわかった。

研究者のひとり、ジャネット・ブラーム博士はこう言う。

「植物は自分で移動することができませんので、環境の変化に速く反応するために非常に発達した触覚を持っていることには大きな意味があるようです」。

ライス大学では以前から、シロイヌナズナの触覚がとても鋭敏であることを突き止めていた。そして、定期的に触られたシロイヌナズナが短く、遅く成長することがわかっていた。その中で、博士たちはジャスモン酸エステルと植物の成長反応の関係性の研究を続けていた。

「植物が繰り返し触られることにより、ジャスモン酸エステルのレベルを高い水準で維持し、それにより、昆虫と菌類に対しての防衛力を強化したことを実験は示したのです」と、ブラーム博士は言う。

そして、植物の葉を食べるような下の写真の毛虫(イラクサギンウワバ)に対しての防衛手段のシステムは、植物が触れられることによって起動することがわかったのだ。
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▲ 植物は、触られることにより、自身の葉を食べるこのような毛虫への攻撃力(食べると相手の胃を荒らす物質を分泌する)を持つようになる。

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▲ 米国ライス大学の生物学者ワッシム・シェハーブ博士(左)と、ジャネット・ブラーム博士。

また。ブラーム博士はこのように述べた。

「植物の触感はひとつですが、しかし、この反応が「植物の内部時計」、あるいは、24時間の周期リズムによって調整されていることも最近判明したのです。これはかなり複雑な構造なのですが、しかし、これらの反応をつなぎ合わせていくことによって、植物が抵抗力を獲得するシステムについて、さらなる理解を得ようとと思っています」

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2016年07月17日

プロの釣り師からの放射能汚染情報

昨日、偶然話しかけた人が、釣りのプロでした。技術も腕もかなりハイレベルで、日本中の海を知り尽くしている人でした。その人と雑談していたら、日本近海の魚が安全かどうかという話になりました。その人の話では、銚子沖から気仙沼までの海で取れた魚は食べない方がいいということでした。ただし、沖合18キロまでで、その向こうは潮が移動していて影響がないそうです。何故、わかるかといえば、そういう人たちの団体が放射線量を調べているらしいのです。無論、各漁協も調べているのですが、年に一回とか。しかも、悪い結果は排除。ついでに柏崎も危ないとか。

気をつけましょう。特に子供さんのいる家庭では、原発から離れた海で取れたものを食べさせてください。スーパーに並んでいるからといって、安全なものとは限らないのは、魚に限りませんが。どうしても食べたい人は、肉の部分だけ食べて、内臓等は食べないようにということでした。

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2016年07月16日

現実を知らない日本人

先日、NHKBSで原爆関係の番組を見ましたが、日本への原爆は戦争を止めさせるためではなく、原爆の威力を試すためだったというのは歴史的事実のようになってきたように感じました。昨年だったか、一昨年だったかオリバーストーン監督もそういうドキュメンタリー映画を作って話題になっていましたが、日本人はそれほど反応していません。そういうことを当事者であるアメリカ人が言っているのに、どうして日本人は反応が鈍いのでしょうか。本来なら、日本人自らアメリカに公式に抗議と賠償を求めるべきことのはずです。我々は、子供の時から教育されていて「日本人が戦争やりだした張本人だから、罰として原爆を落とされたんだ。しかたがない。」くらいにしか思っていないでしょう。また、教育と同時に、日本のマスコミの弱さも原因しているでしょう。オバマが広島を訪問した時には日本人に謝罪すべきだったと思います。日本人も謝罪を求めるべきでした。

ところで、1992年と2001年に二回、合計3回アメリカに滞在しました。それぞれ1〜3ヶ月でした。一度はグレーハウンドでアメリカを一周しました。その時の印象は、アメリカは若いということでした。それに比較すると、日本や10年住んだフランスは80代の老人に感じました。また、アメリカのどこへ行っても、落ち着ける場所がありませんでした。常に、どこか借り物の入れ物の中に住んでいる感じがして落ち着かないのです。それが多分歴史の長さというものなんだろうと思います。

とにかく、国としては15歳くらいの若者の感じがして「若者も老人もケツが青い」という印象でした。この原爆問題を取ってもそうだと思います。彼らはライダーが若気の至りでオートバイ事故を起こして、死者を出したようなものです。経済問題しかり、他の分野でも好き勝手してますから、多分、これからその報いを受ける時期が来るだろうと思います。どういう形でかはわかりませんが、とにかく衰退していくでしょう。それを経過して、国としてやっと20歳くらいになって、落ち着いていくのかもしれません。逆に、アメリカの国会議員の半分がアメリカインデイアンならば、全く違う国になっていたでしょう。老練な、尊敬すべき国だったかもしれません。

原爆の問題にはもう一つ重要な事が日本人に隠されていて、それに関してはなかなかマスコミも騒ぎません。日本のことであり、日本のマスコミだからでしょう。これがアメリカやヨーロッパならば、すでに問題になっているでしょう。

8月6日の原爆投下日も時間も場所も、日本の軍部は知っていた可能性があることです。鬼塚英昭氏の本の一部にそういう記述があり「本当かなあ」と思っていたら、ある日稲刈りを手伝った農家の人が「同じような話を聞いたことがある」というので、数キロしか離れていないその人の家に会いに行きました。

その人ー角さんは穏やかなおじいさんで、そろそろ90歳になる方でした。早速その話をしました。すると、以下のような貴重な話を伺いました。

1945年当時、19歳だった角さん(5121番)は広島の兵器学校の生徒でした。8月5日、兵器学校の校長は全校生徒を集めて言いました。「米軍が新型兵器で攻撃するらしいので、三次に避難する」と。その日のうちに数百人の生徒と教師は50キロほど離れた三次市に到着しました。そこには既に宿泊施設が準備されていたそうです。翌6日原爆は実際に投下されました。数日後、救助のために全員が広島に向かったそうです。将来兵器を創るであろう兵器学校の生徒たちは軍部にとっては貴重な人材です。一般庶民を救うことがなくても、生徒達だけは助けたのか?

私はこの話に驚いて、早速新聞社やテレビ局にメールで連絡しましたが、何も返答がありませんでした。中国新聞(広島県の代表的新聞)の知り合いの記者にも電話連絡しましたが、取材する気配がありませんでした。一般市民にこの話をしても「ええ?!」と驚きますが、彼ら報道の人間にはそうでもないようです。これが日本のマスコミなんだと納得しました。

話が変わりますが、18歳から投票ができるようになりましたが、愚かなことだと思います。何故なら、まだ子供だからです。他の国と比較しても、中学生くらいだと思います。しかし、それは彼らに限ったことではなく、日本人全体が幼い状態なのです。それは教育とマスコミの報道姿勢にあります。教育は創造力や想像力や思考力、分析力を鍛えるものではなく、記憶力が重視。独創性がない教師に教わるから独創性のある生徒は歓迎されない。文科省に言いなりの教育者たち。性犯罪が後を絶たない教育者たち。そうして大人になった人間が、今度は真実を暴かないマスコミに教育され、嘘を信じて生きている。こんな国にまともな投票者が育つでしょうか。だから、政府も役人もこんな状態なんだと思います。

イラク戦争に突入したアメリカを支持した当時のブレア首相が、最近イギリスの公的調査委員会から、その責任を追及されました。結局大量破壊兵器がなかったにもかかわらず、攻撃したわけですから当然です。しかし、イギリスの調査委員会が元首相の間違いをはっきりさせたのに驚きました。日本もアメリカの言いなりになったことを当時の小泉首相は責められて当然なのです。

ところでそのイラク戦争での自衛隊のことですが、彼らは35人も戦死しています。先日バングラデッシュで日本人が7人殺されて、遺体が日本に運ばれ仰々しく空港内に安置され、政府関係者が献花、黙祷しました。このように目立った死に方をすれば、国を挙げて手厚く葬るのでしょうが、35人の戦死者のことは日本人の99%は知らないのではないでしょうか。他の国ならば、どういう死に方であれ、戦死者は大きく報道されます。

元自衛隊員から聞いた話ですが、安全地帯と言われたサマワ地区は相当に激しい攻撃を受けたそうです。ほとんど武器を持たない自衛隊はまともな応戦も出来ず、オランダ軍が救援に行ったそうです。実際に攻撃で死んだ人はどれくらいか分かりませんが、数名の事故死とか不明死がそれに当たるのかもしれません。しかし、驚くべきことは自殺者が16名もいることです。私の想像では実戦経験のない隊員が恐怖から自ら命を落としたと思います。帰国後の自殺者も多いです。こういう事実を知れば、日本人の意識も変わるし、考えもするし、選挙にも影響します。

確か、今でもソマリアとかに自衛隊員は行っていると思いますが、戦死しても(していても)報道しない可能性があるし、これからアメリカと一緒になって海外派兵されて戦死しても報道しない可能性があります。日本人だけが「戦死者の出ない戦争」ばかりをしているという、戦時中の大本営発表のようなことになるのでしょう。

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2016年07月13日

「神の存在を証明した!?」加藤さんの事

旅が忙しくて、紹介できなかった人が何人かいますが、その一人を紹介します。
この人ー加藤康介さん。
加藤康介 のコピー.jpg

出会った日のブログは以下
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/419434674.html

子供が二人いる30代前半の青年です。出会った時から、意気投合して名古屋市内のお宅にも何度かお邪魔してご馳走にもなりました。お母さんと奥さんと子供二人の家族です。世界救世教の一家で、彼は三代目だそうです。今はあまり関心がなさそうでしたが、若い頃は熱心だったようで、その頃の話が大変興味深いものでした。その体験が、この種蒔く旅人と似ているというのです。

世界救世教は岡田茂吉という方が起こした宗教団体です。このブログには時々宗教が絡みますが、根源的なものの象徴である種だから、宗教も関わるのかもしれませんが、私自身は宗教には関心がありませんし、それを宣伝するつもりもありません。客観的に旅で起きたことを紹介したいのです。

彼は22歳頃に、救世教の方に「本当に神はいるのか?」と尋ねたそうです。すると「自分で確かめろ」と言われたそうです。その人から示された「確かめる方法」がユニークでした。行きの汽車賃だけを持って名古屋から大阪へ行き、自分の力で帰って来いと。ヒッチハイクをすれば誰でも簡単なのかもしれませんが、そういう方法でなく、自分で汽車賃を稼がなければなりませんでした。

大阪の梅田に着いた彼は、近くの公園で浄霊をしました。浄霊とは相手に手をかざして、霊を浄めるのです。幾つかの宗教団体がやっていることなので、経験された方もいると思います。浄霊をした後で、100円を頂くつもりでした。ところが誰も相手にしてくれませんでした。

疲れ果てた彼は道をトボトボと歩いていました。お金がないので、水も食料も買えません。喉はカラカラです。すると後ろから「あなた!」と呼び止める人がいます。振り返るとおばさんが「水を飲んで行きなさい」と言われ、水を提供してもらったのです。これだけでもちょっと不思議な話ですが、さらに続きます。

夜になって公園のベンチで寝ていました。そこへ浮浪者がやってきて「そこは俺の場所だ。どけろ」と言われました。「ベンチは誰のものでもないだろう」というと「ベンチの下のダンボールがその証拠だ」

浮浪者は浮浪者の決まりがあるのでしょう。渋々承知したものの、それが縁でこの浮浪者と関わることになりました。詳しい話を聞いた浮浪者は「それじゃ、腹が減っているだろう。欲しいものを言ってみろ。持ってきてやる」と。それで彼は言いました。「鳥の唐揚げが欲しい」と。すると浮浪者はしばらくして唐揚げを持って帰ってきました。腹ペコの彼はそれを夢中になって食べました。満腹になると、ふと「何で、この人は何でも持っているのだろう?」訊いてみました。

当時、コンビニやスーパーの食料廃棄物は浮浪者に手渡っており、毎日何でも手に入ったのだそうです。今年の2月にフランスは食料廃棄物ゼロにする法案が通り、フランスのスーパーでは無駄に食料を廃棄してはいけないことになり、貧しい家庭に配給されるようになったようですが、同じことが10年前の大阪では自主的に行われていたようです。多分、今はそういうこともできなくなっているでしょう。残念です。

さらに、浮浪者は言いました。「風呂に入りたいだろう。入れてやろう」彼を公園内にある水飲み場まで連れて行き、蛇口にホースをつけると彼に水をぶっかけました。無論冷たい水でしたが、身体を拭き終わるとポカポカと身体が温かくなりました。「なるほど」

そうして、腹も満たし、身体もきれいになり、ベンチも譲ってもらい、その日はグッスリ寝ることができました。とても満ち足りた気分の中で、彼は神の存在を確信したのです。

翌日、公園内で彼は自信満々で浄霊をしました。すると昨日とは打って変わって、人が行列を作るほど集まってきました。中には浄霊が効いたのか、車椅子の老人が歩いて帰って行きました。結局、彼は浄霊で金を稼いで名古屋まで帰ることができました。

見ず知らずの人に浄霊をすることと、この種蒔く行為が似ているというのです。確かにそうだなあと思うところがあります。知らない土地で、知らない人に話しかけることや、相手のために何かをする行為という点で似ています。相手に良いことをするのですが、知らない人に良いことをすることは、今の時代だからなのか、案外難しいことです。昨日も私の車を見て話しかけて来た人がいたので「無料で種を配っています」と言ったら「無料というのは気味が悪いなあ」と言って去って行きました。

浄霊して旅するのも、種を蒔いて旅するのも、結局修行的な感じがあって相手のためでもありながら、自分を鍛えているとも言えます。それは自分を殺さないとできないことで、羞恥心を捨ててこそやっとできます。断られると、それが頭をもたげてきて「ああ、、」とショックを受けます。断られる度に、少しずつ強くなっていきます。図々しくなるとも言えます。

それはともかくとして、加藤さんの体験談はとても意味深いし「神様いるんじゃないの」と思わせてくれます。私は神も宗教も持ちませんが、何でも無欲で一心にやろうとすれば現実化しやすいとは思っています。

「種蒔く旅人 ハッピーヒル」への寄付金を募っています。
詳しくは以下へ。
「寄付金集め 自己流クラウドファンディング」
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/439802350.html


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2016年07月11日

記事紹介 1

資金稼ぎのアルバイトと寄付金集めをしている期間は、種蒔きは休憩しますので、その間はこのブログの過去の記事の紹介、あるいはまだ紹介していない内容などを書きたいと思います。

最初は種の話や栽培、農業等々の記事を紹介したいところですが、その前に人間の身体に関してのカテゴリー「不治の病の克服」の記事に関してです。もし、あなた自身が病を抱えていたら、あるいは家族や知り合いで病気の人がいれば、ぜひ読んでほしい内容です。

カテゴリー「不治の病の克服」
http://happyhillcontest.seesaa.net/category/24239113-1.html

カテゴリーの中に九つの話を書いているので、時間がない人は病気の本質的なことにも触れている記事だけでも読んでください。それは以下の愛知県のSさんの話です。「脳腫瘍 乳がん 甲状腺がん 耳性帯状疱疹」と患った病気の数も多いですが、不可思議な話もあり非常に興味深いです。

Sさん 
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/422627477.html
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「種蒔く旅人 ハッピーヒル」への寄付金を募っています。
詳しくは以下へ。
「寄付金集め 自己流クラウドファンディング」
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2016年07月07日

寄付金集め   ー自己流クラウドファンディングー

2015年2月に始まった種蒔きは、1年を経過して5734人分蒔くことができました。当初は1年で1万人に蒔く計画だったので、資金が無くなってしまいました。後半はアルバイトをしつつ、自己流のクラウドファンディングで寄付金を募ることにしました。既存のクラウドファンディングを使わない理由は以下のページをご覧ください。
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/439660804.html

「種蒔く旅人 ハッピーヒル」への寄付金について

1、目的

47全都道府県を周り、米と小麦の種を1万人に渡す旅をする。

2、期間

集まった時点から1年間

3、目標額

100万円

4、リターン(寄付金の見返り)

◎リターンが不必要な方は下記の口座に1円でもいいので振り込んでください。

◎リターンを希望される方へ

aー寄付金500円に対して:無農薬米、無農薬小麦の種(各数十粒)を直接手渡します。配った順に番号が振ってあります。すでに通過した都府県で米と麦の種を差し上げた方には、福袋(固定種・在来種)を郵送します。その時により種の種類はいろいろです。郵送料金は負担してもらいます。
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米と小麦の袋と説明書が同封してあります。
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それぞれ二十粒〜四十粒の種が入っています。
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bー寄付金1000円:米と小麦に加えて、福袋(固定種・在来種)も差し上げます。

福袋は日本各地の種交換会で手に入れた様々な種が、数種類同封してあります。氏素性のわからない種がごっちゃになっています。栽培することで、その植物の姿がわかります。
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cー寄付金10000円:依頼主(寄付した方)の地域で講演会をします。講演の場を与えて頂ければ、個人あるいは複数の人に対してお話します。また、聴衆全員に米と小麦の種を渡します。講演会内容は以下のように色々ですが、希望によりその項目を重点的に話します。

Aー種蒔きの旅について=5000人以上の人に種を渡し、時に親しくなり様々な生き様を見せて頂きました。特に田舎に移住して農業を始めた方達の様子は興味深いです。

Bー米作りに関して=経験上知りえたことや、旅でお会いした米作をしている人からの情報等をお話しします。

C−植物の不思議について=植物は我々が考えている以上に不思議な生物です。体験談や知り得た情報をお話します。

Dー病、生命、死について。18歳で不治の病に冒され、自然治癒させました。その後、人間の身体、生命、死に関して考える人生になりました。今回不治の病を克服した人を訪ね歩いています。

Eー教育について=中学の美術教師として、内申書操作を内部告発して辞職しました。人生の原点とも言うべき貴重な体験談。

F−美術について=フランスの美術学校を卒業後、フランスに10年滞在。海外(7カ国)で美術活動した体験談や美術教育に関して。

G−種蒔く旅では、超能力者、予言者、霊視できる人、霊を見る人、臨死体験した人等々に出会うことが多いです。それらに関する不思議な話。

5、入金して頂く口座

ゆうちょ銀行

ゆうちょ銀行からのゆうちょ銀行への振り込みは
名前 種蒔く旅人(タネマクタビビト)
預金種目 普通預金
記号 14350
番号 87618061

他の金融機関(都市銀行や合銀など)からゆうちょ銀行への振り込みは
名前 種蒔く旅人(タネマクタビビト)
預金種目 普通預金
店名 四三八(ヨンサンハチ)
店番 438
口座番号 8761806

6、その他の援助

お金だけでなく物品や場所でもかまいません。以下、お願いします。

◎ガソリン
◎食事
◎風呂
◎宿泊
◎車修理
◎駐車場

注:車で寝泊まりしているので、駐車場を貸して頂くだけでも助かります。特に都市部では。

7、プロフィール 

元中学教師。その後渡仏し現代美術の世界に。帰国後、制作の傍ら農生活。耕運機事故でヘリで病院へ。治療中、最善の活動を模索し「種蒔く旅人」を計画

8、何故、人に種を蒔くのか?

我々の日々食している作物は種の段階で、すでに人工的に変えられて(F1種)おり、その身体への影響はよくわかっていません。その他添加物、農薬、化学的薬物等々以前には口にしなかったものを様々な形で吸収しています。それによって我々の身体も以前に比較してかなりの変化が見られます。食を見直すことは人類の存亡にかかわることです。食を見直すことにより、作物を作ること、すなわち農に関心が向き、さらに自然の何たるかを知るに至ると思っています。根源的な意味合いである「種」を手にすることによって、より多くの人に「食」について考える機会になればと思っています。

また、我々は科学を過信しすぎて薬物や医療に依存しがちです。しかし、本来、生物は生きていこうとする意志が常に働いており、身体を脅かすものに対して常に対抗するような自己治癒力を、認識するしないに関わらず持っています。さらに、自分の意志でそれを強固なものにすることも可能です。世の中には不治の病を克服した人は五万といますが、私はこの旅を通して、そういう人達を取材し情報拡散したいと思っています。

詳しくは以下の、種と同時に手渡す手紙を読んでください。

種に添える手紙ーおもて

これは、お米と小麦の種です。だれでも食べることには関心を持ちますが、種には無関心です。しかし、種がなければ何も栽培できませんし、何も食べる事ができません。家畜も作物がなければ生きていけません。食べ物はスーパーやコンビニに行けば、いくらでも手に入りますから、みんな安心していますが、もしこの地球から種がなくなれば、スーパーやコンビニの棚には何もなくなります。

遺伝子組み換え作物以前にF1問題があるのをご存知でしょうか。皆さんが、あるいは家畜が日常食べている野菜類はほとんどが F1種という種類です。F1種というのは 一世代限りの作物で、それから種を採っても同じようには実らず、異品種(奇形、異質)ばかりになります。種の会社が利便性のみを追求し交配した結果です。また、企業による種の支配は食の支配にも繋がり、果ては我々が自由に栽培ができなくなる可能性もあります。

ただし、良い点もあり、色や形が揃い均一な成長をし、保存性が良く、作る・運ぶ・売るのに便利です。問題は毎年買わなければならないので費用がかかること、多量の農薬や化学肥料が必要なこと、また一世代限りの作物を食べていて人間の身体に悪くないかどうか。男性の精子数は以前は平均1億5千万個/ccあったのに、今では4千万個/ccに激減し、将来的には無精子症(2千万個以下)に達する可能性があります。人間にとっての男性不妊(花粉が無い=精子が無い)と言われるF1種は、果たしてどういう影響があるのか?戦後の各国の核実験と原発事故での放射性物質の拡散、食品添加物、農薬、環境問題等々とその原因は多々考えられるとはいえ、F1問題も無視できない問題です。

F1種ではないものを在来種とか固定種といいます。これは以前のように、何世代にも渡って育てる事ができます。私はF1の問題を知るようになって以来、固定種、在来種を探して無農薬で育てていました。そして、昨年農作業中に事故に遭い、ヘリコプターで病院に運ばれ九死に一生を得ました。自分の人生を顧み、また将来を考えるのに良い機会になりました。それで一念発起、自分で作った種を日本中に撒いて旅することにしました。それがこの種です。この二種類は固定種でも特別な種です。

米の方は「ハッピーヒル」といいます。福岡(ハッピーとヒル)正信氏が食料危機に備えて、多収穫米として作られたものです。偶然手に入れ、無農薬栽培しました。福岡正信著「わら一本の革命」は、世界各国で翻訳されている名著です。福岡正信氏の孫、福岡大樹氏の協力で旅後半より大樹氏栽培の種になりました。小麦の方は幻の小麦「伊賀筑後オレゴン」。大正時代に交配して作られたものですが、パンにしても、うどんにしても大変美味しいそうです。この種はネットで探って手に入れ、無農薬栽培しました。

タネ一粒は小さいですが、実にパワフルです。例えば、通常の米一粒から一年目は1000粒(1000倍になります)できます。二年目にそれを全部撒けば20キロ、三年目は20トン、四年目2万トン、五年目2000万トン。それは日本人3億3千万人が1年食べる量に匹敵します。さらに、六年目は3300億人が一年食べる量になります。計算上のことではありますが、米一粒から計り知れない量に増える「コメ」は底知れぬパワーがあります。

興味があれば、育ててみてください。種まきは米は4月、小麦は11月。米はバケツに土と水を入れても育ちます。小麦は土に撒きます。どちらも芽だし時期は水をたっぷり。詳しく書けないので、農家の人に聞いたり、ネットや本で調べてください。農家の人は優しい方が多いので農閑期や時間がある時なら、丁寧に教えてくださるでしょう。

私の願いは昔からの在来種や固定種を無農薬で自家栽培する、つまり食の自己防衛です。食の安全が危ぶまれていますが、一番良いのは自分で作ることです。米は無理でも野菜類は可能です。自分で作ると自然のことも段々わかってきますし、我々の奇跡的な存在も奇跡的な地球のこともわかってくるかもしれません。栽培できなければ、このまま冷蔵庫にしまっておいてください。いつか食糧難になったときに、家族や周りの人々を助けることになるでしょう。

ブログ 「種まく旅人」 http://happyhillcontest.seesaa.net
メールアドレス     daiki8822@yahoo.co.jp
                           ー種蒔夫ー

種に添える手紙ーうら

種蒔きへの軌跡

私は30年前に中学の美術教師でした。そこで体験したことは社会に対する目を開かせました。赴任した公立中学校がやっていた犯罪ー内申書操作。就職する生徒の点数と公立高校に進学希望する生徒の点数を交換していました。全県下で行われていたであろう偽造文書作成ーそれはほとんど機械的でした。止むに止まれずと言うよりは、単に長いものに巻かれている教師の姿でした。5年後に内部告発して辞職したものの、教育委員会は何をすることもなく、人生を賭けての行動は徒労に終わりました。

教育の世界に対する失望は日本の国への失望でした。5年間で貯めたお金を持って渡仏し、美術学校を卒業した後、パリで美術活動をして10年ぶりに帰国しました。日本内外で活動が始まりましたが、大企業の協力による活動もまた失望に終わるものでした。結局、金が絡むことでアーティストも金の下の自由でしかないことを実感しました。お金中心の社会は、純粋と見られるアートの世界も例外ではなかったのです。

そういう世界に憤りつつ、島根の石切り場の近くで石を彫っていました。借家に土地があったので、トマトを作ってみました。実りが少なかったので、コンポストの土を混ぜました。すると、著しい成長を見せたのです。コンポストの土は残飯、つまり植物や動物の死骸です。死んだものが土に還り、それが植物の成長に不可欠である様子を見て、生と死の見事な循環を見ました。他の世界にはない深遠さがありました。

それが栽培にのめり込むきっかけでした。米を作り、小麦を作りました。それは自然との戦い、あるいは共存でした。天候、気温、季節、土壌、作物の性質、、、自然界の様々なことを知り、理解し、学習しました。また、身体を使うという意味では最も厳しいスポーツでもありました。いつか心身ともにすこぶる健康状態であることを自覚しました。それは、完璧な人間(生物)としての生活でした。

満足すればするほど、それを誰かに伝えたい想いが募り、2013年には無農薬米を賞品にして「バケツ稲栽培コンクール」を催しました。翌年、耕運機の事故でヘリコプターで運ばれ九死に一生を得たものの「限りある命」を強く自覚し、半年間考えた末に「日本一周の種蒔き」を決意したのです。最も根源的なものの一つ「種」を提示することで、人間が一歩でも自然に近づくきっかけを作ってほしいと願ったのです。

同時に、旅の中で不治の病を克服した人々を訪ね、聞き書きをしてブログに掲載しています。私自身が18歳のとき、医師から見放され苦悶の末に、禁じられた行為をしたことで逆に完治した体験がきっかけです。詳しくはブログ・カテゴリー「不治の病の克服」をご覧ください。人間は自然とともに生き、そして自らの自然治癒力を信じることが、生命を受けた人間が生きる本来の道だと私は伝えたいのです。

                               種蒔夫

以下の文章も参考にしてください。

「(2015年12月)今年の2月から初めた「人への種蒔き」は先日4000人に達しました。4000人の中には都会の人もたくさんいますが、わざわざ山深い農村に行き、都市部から引っ越して農業をし始めた家族にもたくさん会いました。そういう人たちの地味で、真摯で、飾らない生活は、便利で効率的で先進的な現代人の生活からはかけ離れています。自ら安全な作物を栽培し食を満たし、エネルギーもそれぞれが工夫して作り出し、ゴミを出さず、できるだけお金のかからない生活を心掛けています。

欲しい物はすべてお金と交換している生活とは全く異なる生活です。そしてその中で彼らは質素でありながらも、地に足がついた生活をしています。何よりも、そこには本当の家族愛があり、周りの人間と協力し合うという助け合いの精神もあります。人間にとって、本当に必要なものはお金ではなく、美味しい水と新鮮な空気と安全な食と愛だと教えてくれます。高度経済成長に浮かれてすっかり忘れていたものばかりです。それまで大事だと思っていた物をすべて投げ捨てて、都市部から田舎に引っ越した若者達がそれを教えてくれます。

人間が作り出す都市はとても便利ですが、とても歪(いびつ)です。それは自然の中で本来の人間の生活をしないと見えてこないものです。高いビルは不自然さの象徴に見えます。自然を想定内でしか見ていない人間の愚かさと甘さの現れでしょう。自然の脅威がそれを超えれば簡単に崩壊します。しかも、そこには自然がありません。せいぜい自然界にあるものを移動させて鑑賞しているだけです。

眺めのいい都会の高層ビルですが被災したときには、どうにもなりません。エネルギーも食も水も止まり、たとえそれが供給されても、果てしない階段を上り下りするはめになります。そこには何も便利なものも効率的なものもありません。そのときに、都会生活とはすべてのエネルギーと食と水を依存して成り立っていることに気づくのです。しかも隣近所との付き合いが薄い生活の中では、どれほどの助け合いができるでしょう。人との協力のかわりにお金に依存していたエゴイスティックな生活をしていたことに気づくのです。

我々の変化は精神的なものと同時に、すでに肉体的にも変化を起こしています。昔は無かったと言われるアトピーなどのアレルギー体質は増える傾向にあり、異常児童も増えています。また、それ以前に精子の形の異常、精子の減少。また、母親が吸収する化学物質(農薬や添加物、放射性物質等々)の多くがへその緒を通して、胎児に供給されます。我々は人類という存在を維持できるかどうかにかかっているのが、今の時代、いやすでに数十年前から始まっています。

経済優先の生活を見直し、自然を優先し、そのためには、それぞれが何をしないといけないかを問いかける時代だと思います。それが自分の子供ばかりでなく、自分の子孫を繁栄させることにつながり、永続的な地球上での生活の維持にかかわっていると思います。津波がそこまで来ているときに、のんびりとお茶を飲んでいる人がいるでしょうか、ゲームに興じている人間がいるでしょうか、そういう差し迫った別次元の危機が迫っていることを感じる感性があるかどうかが、これから生き延びることのできる人間としての、あるいは生物としての質を問われているのではないでしょうか。

この米と小麦の種を見ながら、それを考えてほしいと願っています。お金は生物ではありません。何かと交換できる道具に過ぎません。しかし、種はじっとしているので無生物のように見えますが、水や温度や日光、土質の条件さえそろえば、芽を出し成長し、あなたを助ける糧になります。その成長の様子がそのまま自然に直結しています。たった一粒を育てるだけで、年々驚異的な増加を繰り返し、5年後には世界の70億の人が食べることができるほど増やすことができます。地球上で最も貴重で不可思議なものです。」

以上です。この種蒔きの旅がたくさんの人の援助によって、成り立つとすれば、それは私一人で完結するよりずっと意味のある活動になると思います。ぜひ、ご協力ください。これから旅をする地域は、関東、北陸、東北、北海道、沖縄です。これらの地域に住んでいる人にはぜひコンタクトして頂きたいし、そこに住む人を知っている方は現地の方に「種蒔く旅人」の情報拡散をしてください。すでに旅を終えた九州(長崎・佐賀はまだです)・中国・四国・関西・中部・東海地方の方でも、機会があれば再度行く可能性はありますので、問い合わせてください。
 
追加:旅には犬の五朗八が同伴します。出発時に飼っていたので、一緒に連れて行ったのですが、意外にも五朗八はこの活動で大事な役割を担うことになりました。全国には犬好きな人が多く、各地で可愛がってもらいました。その度に、種も快く受け取って頂けたのです。多分、1000人から2000人くらいの人は五朗八が取り持つ縁だったでしょう。犬種はドーベルマンですが、吠えることはほとんどなく人懐こい犬です。現在、次回の旅に備えて芸の特訓中です。お楽しみに。
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種蒔夫への連絡は daiki8822@yahoo.co.jp まで。
電話は 090-7893-2175 
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2016年07月03日

既存のクラウドファンディングについて

「クラウドファンディング」をご存知でしょうか。寄付金を募って、その資金で活動するというものです。旅で出会った方々からクラウドファンディングを薦められたので、本格的に取り組んでみました。

基本的には自分で立ち上げることができるものですが、金が絡むからなのか、すでにそういう組織(金集めを助ける組織)が存在していました。クラウドファンディングをしている会社(組織)は「READYFOR」「CAMPFIRE」「Makuake」「COUNTDOWN」等々いくつもありました。それぞれを調べて、どういう企画に対して寄付が集まるのか調べてみました。

社会貢献的な企画だけかと思ったら、何かを商品化したいとか、儲けるための投資の意味合いのものがかなり多いように感じました。また、「リターン」(寄付の見返り)が必ず用意してあり、寄付した人には何か特典があったり、品物が送って来ます。寄付というよりギブアンドテイク的な感じです。どこも似たり寄ったりのやり方でしたが、「readyfor 」という組織は社会貢献の寄付集めが多かったので、これにしぼって問い合わせてみることにしました。

大まかな内容を書き込んで、申し込んでみると、その日のうちに電話が来ました。「お、関心を持ってくれた」と期待しました。係の人もよく話を聞いてくれました。数日して再び電話があり「詳しい内容をホームページの書き込み欄に書いて送ってください。三日後に再度電話します」ということでした。

申し込む欄には契約に関するものと、プロジェクトの内容(公開される内容)に関してのものと二種類あり、それに書き込んで行くのは結構大変でした。

いよいよ私の企画の担当者から直接電話がありました。「選ばれたみたいな気持ち」もあり、それだけで「金の心配が消えた」みたいにもなり、嬉々として電話を取りました。

ところが話し始めたことは「金をいかに集めるか」

(ええ?それってそちらがすることじゃないの?)と思いつつ、話を聞いてみると

集めたい金額の半分近くは、まず自分で集める。何故なら、それだけの額が集まらないと他の人が寄付をしない傾向が強いというのです。「誘い水みたいなもんですね」に「はい、まあ。日本人の場合はそういうものが必要なんです」と。その点は欧米とは異なる傾向があるようです。「人がしないとしない」ということでしょうか。人気に左右されるようです。

まず自分の親戚縁者友人知人に寄付してもらえないかお願いしてほしいと。集めたい総額が100万円ならば50万円くらいは最初の段階で寄付が集まらないと全額集まるのは難しいというのです。私は言いました。「一番したくないことをさせるんだね。それが嫌だから、クラウドファンディングに頼ろうとしたのに」「はあ、、、」

あるいは寄付のお願いのメールはどれくらいの人に送れるのか?を問われました。その数で総額も予想がつくとか。寄付する額は一人平均1万円くらいだそうです。高額なリターンを準備するからでしょう。つまり100万円ならば100人が寄付しないと集まりません。それに対してメール発送は10倍とは言わなくても、せめて5倍くらいの人ーつまり500人の人にメールを出さないと集まらないと。

それでは彼らは一体何をするのでしょうか。直接の金集めではなく、プロジェクトの内容を吟味して、寄付金が集まりやすい内容に変えて行くことだろうと思います。大事な仕事ではありますが、そのノウハウはいろいろな事例を見ればわかることです。他にはネット上で「希望額までに残りいくらです!」と急き立てる。

根底が「とても面白いプロジェクトなので協力させてください」ではなくて「金が集まりそうな感じがするからしましょう」という感じに取れるのです。

結局、彼らは汗水流して、プロジェクトを多くの人々に紹介してくれたり寄付を集めたりすることはなく、また「足長おじさん」を沢山知っているのでもなく、依頼者が最初の半分を集め、残り半分はネットに依存する。プロジェクトの紹介の仕方のノウハウを助言指導するということはあるでしょうけど、実際の寄付集めはほとんどを依存しているように感じました。「新聞やテレビで紹介される」とどこかで見たことがありましたが、そういうことはないそうです。しかも、それで自分(会社)の給料(利益)を得る。はっきり言えば、人(依頼者)に働かせて利益を得ている集団のように感じました。

話しているうちにふと「この人、こちらのプロジェクトのこと知っているのかなあ?」と疑問に感じて、それを問い質すと、ほとんど知りませんでした。つまり、お金のことしか頭になく、プロジェクトの内容に関しては全く関心がなかったわけです。関心の無いものに対してお金を集める気持ちになれるわけがありません。彼らはプロジェクトに対する情熱から仕事をしているわけではなくて、とにかく「金が集められる人」を募っているということになります。

その人に訊いてみました。「今、あなた一人でどれくらいのプロジェクトを抱えていますか?」「約30です」なるほど、いちいちプロジェクトを念入りに調べる時間なんてありません。

人の社会貢献に乗じて、そしてそのプロジェクトを立ち上げる人の人間関係を利用してまず金を集めさせて、あとはネットが何とかしてくれるという実に安易な仕事なわけです。ただ、抱える案件が多くて青息吐息で仕事をしている感じでした。

readyforの場合は期限内(最高90日)に目標額全額が集まらなければ返金されてしまい、不成立になります。寄付金が全額集まったとしても、彼らの収入(総額の17%に消費税8%)のためにもこちらは四苦八苦しなければならないとすれば、こんな馬鹿馬鹿しいことはありません。もし、彼らがその仕事に情熱を持ってやっている様子がうかがえるのならば、わからないでもないです。しかし、彼らの様子を見ていると、社会貢献には関心はなく、単に仕事としてやっている感じやお金のことしか念頭になり様子を見て失望しました。

次回の電話はいつになるのか?「金を集められるメドがついたら」つまり半分集まりそうになったら、ということで、それがないと次に進まないとか。

ただし、半分集まらなくても協力(サイトに掲載)はしないことはないけれど、お薦めはしないとのこと。自分たちが金集めするわけでもないし、ネットに依存するだけですから成功率は低いのでしょう。

これら既存のクラウドファンディングのやり方では、友人知人への寄付のお願いする苦労を思うと気が進みません。日本の場合は知っている人にお願いされると断れない傾向があります。それは恩義にもつながり、こちらが肩身の狭い思いをすることでもあります。無理強いせずに金集めができないものか。

本来のクラウドファンディングはそのプロジェクトに賛同した人が無償で金集めに奔走するというものでしょうが、このプロ化したクラウドファンディングはその行為への賛同ではなく、動機がお金なのだと思いました。「これはいい金儲けだ」と思った人が会社を立ち上げ、促成で社員を教育し、もり立て役にしているのでしょう。

結論ー既存のクラウドファンディングの組織は使わず、クラウドファンディングの手法を見習い私個人でクラウドファンディングをしてみたいと思います。後日、その詳しい内容をお知らせします。


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2016年07月02日

5230番まで 長生郡・茂原(千葉)

6月18日 長生郡白子町 ホタル祭り。さぞかし沢山のホタルが見られると思って行きました。が、広い屋内の中に浄化した水を引いてホタルを飼っているので、目をこらさないと見えないほど少なくてがっかり。意気揚々と種蒔きに行ったのに、蒔いたのは二人だけでした。意気込みというのは意外なことで意気消沈するものです。しかし、ホタルがいなくなった白子には貴重なホタル。27年間も飼い続けているそうです。
希少な「ホタルの光」
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外に出たら、屋台の明かりの方が綺麗でした。
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5219番と20番 ホタルを育て、祭りを主催したライオンズクラブの三橋さんと小山さんに。
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ホタルの館の前の丘に集う人たち。昔に戻ったような、懐かしい気分でした。
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6月27日 茂原

5221番 再び佐藤さん(5210番)の店に買い物に行ったら、佐藤さんの奥さんがおられました。ぎっくり腰を高橋呑舟さんに治してもらったそうです。
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先日、夕食中に奥歯の金属が取れてしまいました。「金かかるなあ、、、」とふと思い出したのが、四国で自給自足をしている山川さん(4526番)一家。驚いたことに、自ら歯の治療もする自治自療!歯や治療の勉強をして、携帯用の専門器具で自分と家族(奥さんと娘)の治療をするとか。その山川さんに「アロンアルファでくっつきませんか」と電話してみましたが、「それは歯科に行った方がいいよ」と言われ、また親戚の勝部歯科(428番)でも同様の返事だったので、仕方なく歯医者に行くことにしました。

5222番〜30番 治療を受けた石井歯科にて。旅中で保険に入っていない人が意外にも多かったー山川さん一家も同様ーので、私も役所に談判に行ったら、今年度に入って請求書が来なくなりました。それで保険無し。「一番安い接着剤でくっつけるだけでいいです」「そんなもんありませんが、、」と言いつつ、何とか3000円以内で治療して頂きました。ありがとうございました。歯科にお勤めの九人の方に。
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これでやっと今まで蒔いた人たちの紹介が終わりました。5230番までと、都内で蒔いた6001番から6504番まで。5734人分まで来ました。残り4266人分。アルバイトをしながら、寄付金を募って後半の種蒔きをしたいと思います。よろしくお願いします。


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2016年07月01日

5218番まで 長生郡・茂原市(千葉) 東京

5月28日 沼田さん(5153番)がさらにもう一人無農薬農家を紹介してくれました。

5208番 中村善則さん。
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6ヘクタールの広い田んぼで有機栽培をされていますが、長年安全で身体に良い米作を追求され、土に混ぜる有機物質等の種類が多くて特殊でした。その中でも目を引いたのは、ソマチッド(またはソマチット)という物質を使っていることでした。ソマチッドに関しては以前から知っていましたし、旅の中で何度か話題になりました。しかし、治療には有効だと知っていましたが、栽培にも役立つとは知りませんでした。ご存じない方は以下へ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ソマチット

植物との関係を記した文章を見つけました。以下
http://www.somatid-ai.co.jp/somatideview.html

ほうれん草の葉をすり潰して、位相差顕微鏡で見ると、ソマチッドが見えます。大きさは、80~200ナノ(1ナノ=1ミリの百万分の1)くらいです。タネをみると葉よりはるかに多く存在します。めしべや花粉にも大量にいます。生殖細胞に多くのソマチッドがいるということは、生命の誕生、増殖について大きく関与していることがわかります。我々の身の回りで、一番大きな細胞、即ち、ニワトリの卵にも多くのソマチッドがいます。そして、肝心なことは、細胞が死んでも、その宿主である生命体が死んでも、ソマチッドは生き続けるのです。土に戻れば、その場所に何万年も休眠することも出来るし、そこの土中菌を育て、あるいは、植物の根から植物に移り、その植物を牛や人間が食べることによって動物や人間にソマチッドが移動するというサイクルも成り立ちます。又、雨によって川に流され、海に流れて、プランクトンを育て、魚介類に食べられ、その魚介類を人が食べて、ソマチッドが人間に移動してくるサイクルも成り立ちます。又、沼湖や河川や海の水が蒸発して大気に上り、雨と一緒に地上に降り注ぐことも考えられます。ここに記したものは、大自然の中の循環サイクルと言うことになります。

注:まだ、科学の世界で公に認められていないようですが、私個人としてはソマチットによって病気が治った人を知っているわけでもなく、栽培に効果があったのを見たわけでもないので、何も断言できませんが、期待はしている物質です。また、千島学説とも関係があるらしく、千島さんの息子さんの千島明氏(1800番)からもソマチッドを顕微鏡で見た体験をお聞きしました。

5209番 中村さんのところに、買い物に来ていた中野さん
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なお、中村さんのコメが欲しい方は 0475−44−1020

5210番 佐藤さん。タバコと酒を売っている店「SATO」に入り、会話をしているうちに「この人違うなあ、、、」と感じて「実は、、、」と説明して種を渡しました。F1問題もご存知でした。
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アートテン農法という珍しい農法があり、旅中で何人かの実践者に会いました。不思議な農法なので、私はまだ半信半疑ですが、その代表理事 高橋 呑舟氏の弟子の弟子だそうです。自分では栽培はしていないそうですが、家族が高橋さんに治療を受けて良好だそうです。アートテン農法に関しては以下。 http://art-ten.or.jp/information.html

佐藤さんの話ではアートテン農法は誰でも成功するわけではなく、実行する人間が変わらない限り(思考や人間性?)効力を発揮しないとか。それと似たことが、前述のソマチッドにもありました。ソマチッドを調べていたら、以下のような記述がありました。「ソマチッドを発見したガストン ネサンが作った714-Xを使うためには、正しい使い方や使う場所があるそうで、それを間違えると、当然、効果は全くなし・・・・。さらに、さらに面白いのは、この714-Xを扱うには、医師自身も霊的な目覚めや、霊的な世界観も必要だそう。つまり714-Xは、身体と心と霊とがバランスがとれてはじめて威力を発揮するものらしいのです。」

つまり、アートテン農法もソマチッドも精神世界が関係するという、一歩間違えるとオカルト的になるところが似ていますが、しかし病気治癒も薬よりも精神状態の方がより重要であるのは、実体験からも言えるので、無視できない未知なるものだと思います。

6月4日 都内で種蒔きをした時に、会話ができた時だけは東京版(米一粒)だけでなく、全国版(米と小麦の袋)も渡しました。八人中三人が外人ですが、皆さん日本語が話せたことと、初対面の人に警戒心があまり無いのは外人の特徴です。日本人は用心深いです。受け取りを拒否され、しおれたことも何度かありました。

5211番 津川さん
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5212番 フランス人

5213番と14番 アメリカ人

6月5日 東京

5215番〜18番 早稲田大学
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posted by 種まく旅人 at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 種受取人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする