2017年08月23日

7月18・19日 音更町(北海道) 7597ー7617

群馬の茂木さんからの紹介で、音更町のお菓子屋さん「アマムエクル」へ行きました。車から降りると、いきなり保育園の先生から「いらっしゃーい」と言われ??? 一体ここはどこ? なに? とにかくチャンスだ!種蒔き、種蒔き、、7597番〜7615番
1.JPG

2.JPG

やっと落ち着いてお店の方へ。シックな作りの貨物車を再利用したらしいアマムエクル。
3.JPG

中もシンプルで、何だか宝石店のような
8.JPG

オーナーの岩本さん
3.JPG

岩本夫人。
アマムエクルは以下 http://www.amamuekle.jp/index.html
4ー7616.JPG

翌日の朝食に美味しくいただきました。ありがとうございました。
3ーお菓子.JPG

実は岩本家の二階が保育園になっていました。皆さんに種の話をしました。
7.JPG

翌日、子供達にわかるように絵付きの種袋を準備しました。
1.JPG

保育園で働いていた方達に
6.JPG

5.JPG

保育園に安全安心の野菜を提供しているあすなる農園の日置さんに7617番。
5ー7617.JPG

木酢液を取るための大きな釜を自作
6.JPG

様々な野菜類でいっぱいでした。
7.JPG

posted by 種まく旅人 at 09:03| Comment(0) | 種受取人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

緊急種蒔き予告 8月26・27日 オーガニックフェスタ in あきた 2017

8月26日、27日開催の「オーガニックフェスタ in あきた 2017」の会場で種蒔きします。興味のある方はぜひおいでください。

場所 セリオンプラザ
   秋田県秋田市土崎港西1丁目9−1
日時 8月26日(土)27日(日)
   9:30〜16:00
種蒔夫の特徴 ドーベルマン(五郎八)を連れた髭面、長髪

-e1503212139883.jpg

米と小麦の種を蒔いていますが、各地の農家で様々な種を頂いたので、それも蒔いています。秋田県内でさらに増えて、60種類近くになりました。種類の多い穀物系(米・小麦)は青系で、大豆は赤系でわかりやすくしました。
1.JPG

2.JPG

種は美しい
4ーー.JPG

16ーー.JPG

6ーー.JPG

10ーー.JPG

7ーー.JPG

14ーー.JPG

8ーー.JPG

15.JPG


posted by 種まく旅人 at 18:15| Comment(0) | 種蒔き予定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

7月17日 滝上町(北海道) 7588ー7596

森の子どもの村の徳村さんの長女御夫妻が七面鳥を飼育していると聞いて、見学に行きました。

お嬢さんとビニールハウスのアスパラガス
2.JPG

七面鳥のメス
7.JPG

8.JPG

オス
5.JPG

実に異様な風貌です。しかし、スモークにした七面鳥は美味で、毎年クリスマス時期には完売するそうです。
6.JPG

ミントの畑です。
10.JPG

ミントの原油を頂きました。虫除けには抜群の効果があり、重宝してます。ありがとうございました。
100.JPG

その後、NHKの深夜便に出演していた養殖園(庭園)の高橋さんに会いに行きました。しかし、この看板を見て落胆。
1 1.JPG

「帰りにはバック等を開いて見せてもらう」他人の敷地内とはいえ、これほど人を疑う看板を始めて見ました。
1 2.JPG

不快感がありましたが、せっかくここまで来たことだしと思って入って見ました。お客さんたちに種蒔き。7588番〜7595番
2.JPG

1.JPG

しかし、高橋さんと雑談をしていて話の流れで「輪廻転生」の話になった時に突然「そんな宗教的な話をするなら、出て行け!」と喧嘩腰で言われ「入場料を取っておいて、出て行けですか?わかりました。渡したタネ、大事にしてください」と言って退散しました。タネを差し上げた人の中で数少ない後悔した人の一人でした。

ガソリンスタンドで7596番
3.JPG

posted by 種まく旅人 at 08:22| Comment(0) | 種受取人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月21日

森の子どもの村

徳村夫妻が始めた「森の子どもの村」ー子どもたちが水道やガスのない森の中で二週間ほど生活しますーは今年の夏も200人ほどの子どもたちでいっぱいだそうです。
8.JPG

「生活力」という言葉がありますが、現代的な意味では、どれほど金が稼げるか、ということになります。しかし、実際の生活力とはどうやって安全な水、食、エネルギーを得るか、自然の中で自然の力を借りてどのように生きていくのか、ということだと思います。
7.JPG

全てがボタン一つの生活になった今では、それはあまりに煩わしい事ばかりです。しかし、自然とかけ離れた現代的生活の中で、本当の人間の生はあるのでしょうか。また、世界中の70億人が今の日本人のような生活をしたら、エネルギーも水も食料もすぐに尽きるでしょう。子供も、大人も、それが意識に上ることさえありません。あまりに贅沢すぎて、金持ち国の傲慢な生活でしかありません。
10.JPG

また、我々は自然無しにはあり得ないにもかかわらず、あまりに自然を知らずして日々を生きているという罪深いまでの無知。
11.JPG

そういうことを子どもなりに体で知る機会を与えてくれるのが、この「森の子どもの村」です。私は日本中の、特に都市部に生活している子どもたちに、ぜひここでそういうことを体験してほしいと願っています。しかし、徳村夫人に先ほど電話でお話ししたら、これ以上増えるのは森の許容量以上になるので、控えめに紹介してほしいということでした。実際、「森の子どもの村」に参加するための要項はネット上には出ていません。全てが口コミだからです。ただし、体験談はネット検索すればたくさん出てきます。
9.JPG

ということで、子どもの真の成長を願う人は、是非とも手紙を書いて希望を願い出てください。ただし、今年の夏のキャンプはすでに始まっているので、今冬か来夏です。
住所は以下です。

〒099ー5613
北海道紋別郡滝上町滝西
「森の子どもの村」
12.JPG

子供ばかりでなく、都会生活しか知らない親にとっても、新鮮な体験だと思います。



posted by 種まく旅人 at 13:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月19日

ストックホルム・アピール

7月に国連会議で核兵器禁止条約が賛成多数で採択されました。

賛成122カ国、
反対1カ国、
棄権1カ国、
不参加約40カ国(アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国・インド・パキスタン・北朝鮮・イスラエル・日本・イタリア・カナダ・デンマーク・ノルウエー・ベルギー・ドイツ・スペイン等々)

反対に等しい不参加国は核保有国とその軍事同盟諸国。ほとんどが大国、先進国、世界をリードする国ばかり。これでは、どうにもなりませんが、地球に住む人たち(全世界の人口)の多数決で決めたら、70億人の賛成、反対の割合はどうなるのでしょう。1950年にそれに近い署名活動が行われたことを、昨日紹介した「森の子どもの村」の徳村さんから聞きました。資料を調べつつ、その詳細を書いてみます。

徳村さんは戦時中、広島江田島の海軍兵学校の生徒でした。8月6日広島に原爆が落とされ、内部被曝しました。戦後は原爆関係の映画を作ろうとしていたグループに属していました。

その頃朝鮮戦争が起こり、アメリカ大統領トルーマンが朝鮮半島に再び原爆を落とすような動きがありました。それに対してキューリー夫人の娘婿であるジョリオ・キューリーが中心になって平和擁護世界大会委員会(のちに世界平和評議会)ができ、その動きを阻止しようとしました。

そのアピールの内容は

1、われわれは、人民にとっての恐怖と大量殺害の兵器である、原子兵器の絶対禁止を要求する。

2、われわれは、この禁止措置の履行を確保するための、厳格な国際管理の確立を要求する。

3、われわれは、どのような国に対してであれ、最初に原子兵器を使用する政府は、人道に対する罪を犯すものであり、戦争犯罪者として取り扱われるべきであると考える。

4、われわれは、世界中のすべての善意の人々に対し、このアピールに署名するよう求める。

―これらのアピールを採択、発表して、世界の人々に署名を呼びかけました。

その結果、世界中から5億人の署名が集められました。当時の世界総人口が25億人ですから約20%、70億人の今ならば14億人の署名です。日本からも639万人の署名が集まりました。当時の日本総人口8320万人の7.6%。今の人口ならば約1000万人になります。

1950年2月、平和擁護世界大会委員会書記局から日本の「平和を守る会」宛に委員会への招請があり、それを受けて大山郁夫・金子健太・川端康成の3人の派遣を決めパリの書記局へ返信をしましたが、連合国軍総司令部の渡航許可が得られず、出席は果たされませんでした。今回も同様ですが、アメリカの介入があり、日本の核兵器反対の意思表明は難しかったのです。

しかし、大山・金子・川端の代わりの人選が行われ、無許可であろうが、密航でもして日本から何人か送り出そうとしました。その一人として徳村さんが選ばれるのです。しかし、渡航許可がないので、徳村さん曰く「遣隋使、遣唐使の頃よりももっとひどい小さな漁船」での密航だったそうです。
16のコピー.JPG

最初に着いたのが中国でした。その頃毛沢東が主席になって3年目で勢力がある時期で、中国共産党がトラック部隊を作り密航を担当していたのではないかと。北京ではアジアと太平洋地区の平和大会に参加し、それを終えると北京から飛行機でモスクワに向かったそうですが、吉村さん曰く「小さな飛行機で赤とんぼのように羽根をバタバタさせて飛び、生きた心地がしなかった」と。今でも飛行機だけはダメだそうです。

モスクワからは汽車に乗りウィーンに到着します。世界中から2000人が集まった大きな大会だったそうです。吉村さんは「そのアピールや会の影響はなく、国際関係、勢力関係からいえば、落とすことはできなかったのだろう。広島長崎を各国知っているーそれを後押ししたくらい」と言われましたが、ウィキペディアには

「アメリカ合衆国国務長官などを務めたヘンリー・キッシンジャーは、『この運動のために朝鮮戦争で核兵器を使うことができなくなった』旨回顧録に記している」とあるので、こうした運動はかなりの影響があったのだと思います。

ただ、この平和擁護世界大会委員会は「東側諸国の政府とその意を受けた西側諸国の社会主義者の主導で常設されていた」とあります。しかしその後、その社会主義国のロシア、中国、北朝鮮が核を持ち始めました。右も左も核保有をしている現状はよりひどい状況になっています。

しかし、ネットで個人が世界とつながる今の社会ならば、右左関係なく、各国の市民レベルの総意で反対表明ができるのではないかと思います。10億20億を超える署名が集まり、その機運が高まれば我々の力で核をなくすことも可能ではないかと思いますが、皆さんどう思われますか?

お話を伺った部屋にあった木と水と土の「森」
17のコピー2.JPG



posted by 種まく旅人 at 09:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

7月16日 滝上町(北海道) 7578ー7587

久しぶりですが、種蒔きの記録の続きです。

7月16日の午前中は雨だったので、午後に再び「森の子どもの村」に行きました。幸運にも一人の男性が作業中でした。ここは人里遠い森の中です。この人に出会わなかったら、皆さんに会うこともなかったし、貴重なお話も聞くことはなかったでしょう。種の采配というか、その運の良さに感謝しました。

この方は子供の頃にこの村で過ごした経験があり、現在はこの周辺で生活している方でした。その日は次回のキャンプのための準備中でした。この村の代表の徳村さんに連絡してもらいました。7578番を。
14.JPG

風呂を炊くために徳村さんが来られました。7579番を。貴重なお話を聞いたので、後日紹介します。
2.JPG

その後、5、6キロ離れた皆さんが集まっておられた家屋に連れて行ってもらいました。皆さんに7580番〜7587番を。

徳村ご夫妻。
3.JPG

アットホームな皆さん。夕食をご馳走になりました。ありがとうございました。
18.JPG

19.JPG

20.JPG

この日は久しぶりにのーんびりとした家族的雰囲気の中で過ごしました。
ありがとうございました。

posted by 種まく旅人 at 07:48| Comment(0) | 種受取人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月17日

中洞牧場

昨年夏の水害で道が寸断されて、結局岩手県の中洞牧場に行けませんでしたが、昨日の斉藤牧場のビデオから、YouTubeで中洞牧場のビデオに行き着きました。興味深かったので、今日はこのビデオを紹介します。文字起こししたいところですが、時間がないので、ぜひビデオをご覧ください。日本の酪農の現実がどうなっているのか、アメリカの影響など、よく分かります。

3分くらいから、中洞さんの話が始まります。

こちらは30秒過ぎから。


ヤフーのニュースにも記事があったので、転載します。

牛乳1瓶千円! それでも売れる理由「そもそも牛乳はぜいたく品」 
牧場主の「這い上がり人生」

6/17(土) 7:00配信

 1本1188円(税込み)の牛乳があります。岩手県の山中で自然放牧を営む「なかほら牧場」の牛乳です。経済合理性を無視し、業界の常識に逆らって、30年以上。7年前からはIT企業と連携し、東京に店を出して、売り上げを伸ばしています。こだわりの味と、どうしてこんな値段になるのか、秘密に迫りました。(朝日新聞記者・岩井建樹)

あれ? 思ったより濃くない

 さっそく東京・銀座にある専門ショップで、1本(720ミリリトル)を購入し、飲んでみました。あれ? 思ったより濃くない。飲んだ瞬間は、さらりとしていますが、あとで甘みが口に広がりました。牛乳が苦手だという同僚にも飲んでもらうと、「嫌なしつこさを感じない」と言います。

 なかほら牧場は、アニメ「アルプスの少女ハイジ」のような世界が広がる牧場です。岩手県盛岡市から車で2時間。岩泉町の標高700〜850メートルの山中にあります。24時間365日、約100頭の牛が山を自由に歩き回り、気ままに暮らしています。

 牧場長は、酪農界のアウトサイダーと呼ばれる中洞(なかほら)正さん(64)。話を伺いました。

「ジュースと同じ価格のほうがおかしい」

――なぜこんなに高いんですか
 
 金額だけを見たら確かに高く思えるけど、食品の本質を考えたら、私は高いと思ってないよ。逆に問いかけたいのは、『生き物である牛がつくった乳が、ジュースと同じような価格で売られているほうがおかしいと思わない?』とういうことなんだ。

 一般の牛乳より高いのは、なかほら牧場では効率を求めず、自然放牧を営んでいるからだ。エサは山に自生する草や木の葉で、農薬や化学肥料は使っていない。受精や分娩(ぶんべん)も牛まかせ。糞(ふん)は、草や木の肥やしとなり、循環していくんだ。

「牛乳は工業製品じゃない」

――牧歌的な世界ですね

 同業者からは、「遅れている」「非効率だ」と、批判されてきた。でも、牛乳は工業製品じゃない。家畜であっても幸せになる権利がある。なにより、動物から乳や肉、卵というイノチをいただく以上、その家畜は健康でないといけない。人にとっておいしくて健康にいい牛乳は、幸せな牛から搾れるというのが私の信念だ。

 かつては、いまのようにスタッフがおらず夫婦で牧場を営んでいた。私の妻の陣痛が始まったときには「もう少し待っていろ」と言って搾乳が終わってから、1時間かけ車で病院へ向かった。病院に着いたら30分で無事に生まれたよ。

自然放牧、国内では極わずか

――牧場で草をはむのが酪農のイメージなのですが、普通の牧場は違うのですか

 自然放牧を採り入れている酪農家は、国内では極わずか。コスト削減を優先し、牛舎に牛を押し込み、乳量を増やすため、海外からの輸入飼料を食べさせる。人工授精で妊娠させ、多量の乳を搾る。その結果、1頭あたりの乳量は、なかほら牧場の牛の3〜5倍にもなっている。

30分かけ殺菌、大量生産は無理

――飲んでみると意外に濃くなくて、さっぱりしていました

 「おいしい牛乳=濃い牛乳」というわけじゃない。自然の草を食べて育った牛の牛乳はコクの中にもさっぱりしているから、ゴクゴク飲める。味も季節によって変わる。乳脂肪分は草の水分量が多い夏場は3.5%と低くさっぱりし、冬は4.5%まで上がってやや濃い感じになる。

 風味を失わないよう、殺菌にもこだわっている。低温で30分かけ殺菌するから、大量生産には向かない。でも数秒しか時間をかけない高温殺菌では、焦げ臭い味になってしまう。

売り上げは2億4800万円

――この値段で、売れますか

 食へのこだわりを持ったり、食と健康の関係に気づいたりする消費者が増え、徐々にではあるけど、私たちの牛乳への支持は広がっている。売り上げは、2012年度に7600万円だったけど、16年度は2億4800万円まで増え、今後も増える見込みだ。ネット販売のほか、東京・名古屋に常設店が4つ、協力店が1つある。

 「俺のBakery&Cafe」(東京・恵比寿)では、「こだわり抜いた最高の食パンを」と掲げ、材料になかほら牧場の脱脂乳を使ってくれている。

「牛乳はぜいたく品」

――でも、この値段だと毎日飲むことはできませんね…

 そもそも牛乳を毎日飲む必要があるのだろうか? 牛乳はぜいたく品、滋養食品として、週に何回か飲むくらいでいいんだよ。

――ほとんどの酪農家は農協系の団体に出荷します。団体経由で乳業メーカーに流れ、消費者に届きます。農協を通さない「なかほら牧場」は、酪農業界のアウトサイダーや異端児と呼ばれていますね

 自然放牧にくわえ、農協へ出荷せず、生産から販売まで自分でやってきた。農協からは「出荷をやめるなら、借金を一括で返せ」と圧力を受けたし、地域の同業者からは変人扱いされた。妻や子どもにもつらい思いをさせたよ。

買いたたかれた価格

――そこまでして、直売にこだわったのはなぜですか

 確かに農協に出荷すれば、売り先を開拓する必要がないから楽だ。補助金ももらえる。

 私は1984年、31歳の時に、今の牧場がある山に入植した。当初は農協に出荷していた。しかし、自然放牧だと、乳脂肪分がどうしても低くなる。価格は買いたたかれて、一般の半額にされたこともあった。

普通の牛乳に混ぜられるのが嫌だった

――農協の考える「普通の牛乳」ではなかった?

 半分の値段で出荷を続けるか、それとも自然放牧をやめ牛舎と輸入飼料に頼るか、迫られた。自然放牧を営む酪農家の多くは、後者への転向を余儀なくされた。だけど、私は山を利用する放牧の素晴らしさを知ってしまっていたから、転向する気はなかった。農協に出荷し、私のこだわった牛乳と、普通の牛乳が混ぜられて消費者に届けられるのも嫌だった。

 そこで1992年、私は農協への出荷をやめ、消費者への直売に挑んだ。はじめは、地域で口コミに広がっていった。都市部への宅配も広がり、2004年には、年商が1億円を超えた。

「でも、落とし穴にはまった」

――順風満帆な酪農家人生ですね

 そうだと思うでしょ? でも、そこから落とし穴にはまった。

 2005年、ある投資家から「私に販売を任せてくれれば、売り上げを2〜3倍にする」と声をかけられた。私も調子に乗っていたのだろう。その言葉を真に受け、出資を受けた。乳量を増やすため、第2牧場をつくった。だが、売り上げは増えなかった。

 牛乳製造販売会社の社長だった私は、責任を追及された。金を巡るいざこざに嫌気がさし、2007年、第2牧場と牛乳製造プラントを「9円」で手放した。

「金を考えるのは、向いていない」

――その後はどうやって生活を?

 もとからあった牧場は残ったが、製造プラントを失ったため、搾った乳を捨てる日々が2年ほど続いた。つらかったね。自然放牧のコンサルタントとして、食いつないでいた。

 そんな時、ネット販売を通し取引のあったインターネットサービス関連企業「リンク」(東京)が、支援に名乗りを挙げてくれたんだ。リンクの資金で、製造プラントを新たにつくってもらった。販売や宣伝、資金繰りなど経営面もリンクに任せた。

 金を考えるのは、私には向いていないから。牧場長として自然放牧だけやっているほうが、楽しくて幸せだよ。

――今後の目標は

 私のように、牛を山に放ち自然放牧する酪農を「山地(やまち)酪農」と呼ぶ。この山地酪農を全国に広げることが、私の夢だ。

 日本は、国土の7割近くが山林だが、放置され荒廃が進んできた。この山林に牛を放てば、人が入り込めない藪(やぶ)の中でも平気に歩き回り、林の下草や木の葉を食べ、大地を踏みしめ、そして糞(ふん)をする。藪は消え、土壌は豊かになり、新しい芽が出る。森が再生し、林業との協業にも可能性が生まれる。

大企業をやめ、飛び込んできた夫婦も

――山地酪農を担う人材の育成は

 今、なかほら牧場には、14人のスタッフがいる。みんな20〜30代と若い。中には、山地酪農に魅せられ、大企業をやめ、飛び込んできた夫婦もいる。研修生は年間200人にも及ぶ。将来独り立ちできるよう、山地酪農のノウハウから製造プラントの作り方、製品の加工、販売まで経験させている。

 芽も出始めている。20代の女性が今、神奈川県のある町で、山地酪農を始める準備を進めている。牛を2頭放ち、利益率の高いソフトクリームをつくれば、1人で生活できるくらいの稼ぎにはなるだろう。それ以外にも熊本から北海道まで6人のなかほら牧場の卒業生が独立し、山地酪農を始めている。

 私の志を継ぐ若者が1人ずつ独立してくれれば、日本の酪農界に大きなインパクトになると思っている。


posted by 種まく旅人 at 08:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

斉藤牧場 旭川市

旭川の斉藤牧場の斉藤さんには会えなかったのですが、まほろばの宮下さんからビデオの紹介があったので、転載します。


「斉藤牧場」ウイキペディアより

牧場主の斉藤晶(さいとう あきら、1928年-)が実践する独特の飼育方法「蹄耕法」が農業関係者から注目され、日本内外の研究者が数多く訪れる牧場となっている。敷地面積は第一、第二牧場併せて200ヘクタールあり、山の斜面に岩や切り株がそのまま残っていて、独特の風景が展開されている。立ち入りは自由で、市民に広く開放されている。

岩手県の中洞牧場の協力により、2004年に小さな牛乳加工プラントが出来た。 牧場で生産された牛乳はそのプラントで加工され旭川市旭山動物園などで販売されており、牛乳を使った杏仁豆腐やロールケーキといった製品も販売されている。
斉藤はモーニングに連載された菅原雅雪作『牛のおっぱい』の登場人物のモデルとなっている。

1946年 入植
1965年 ニュージーランドのロックハート博士が高く評価。 
1974年 北海道産業貢献賞 受賞
1976年 農林大臣表彰
1999年 化学物質過敏症(シックハウス症候群)患者の滞在実験施設が建設される
1999年 山崎記念農業賞 受賞 
2011年 斉藤晶が第45回吉川英治文化賞を受賞

ブログ内の斉藤牧場の記事は以下
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/452317727.html



posted by 種まく旅人 at 07:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

米軍と日本のエリート官僚の密約、並びに原爆投下に関する実話

種:昨日、ブログ更新した後に、ネットで以下のような記事を見つけました。青森県の核施設、米軍基地もこういう密約があるが故でしょうか。

一部転載します。情報源は http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52466

なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。(転載終わり)

種:この記事の矢部宏治氏の著書「知ってはいけない――隠された日本支配の構造」の内容紹介は以下です。

情報源はアマゾン https://www.amazon.co.jp/gp/product/4062884399/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=mo04-22&camp=247&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4062884399&linkId=8d0cc901c2a6d9951d2f779da56c4cc2

私たちの未来を脅かす「9つの掟」の正体、

最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」とは?

なぜ日本は米国の意向を「拒否」することができないのか?

3分で日本の深層がわかる四コマまんがつき!

みなさんは、世田谷区や中野区、杉並区の上空が
米軍に支配されていることをご存じですか?

あるいは、米軍に与えられた治外法権が
日本の国土全体に及んでいることを知っていますか?

「なにをバカなことを…」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、これらは公文書によって裏付けられた疑いようのない事実なのです。

じつは、私たちが暮らす「戦後日本」という国には、
国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない
「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めています。

そうした「ウラの掟」のほとんどは、
アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、
米軍と日本の官僚とのあいだで直接結ばれた、
占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。

3つの「裏マニュアル」ともいうべき
最高裁の「部外秘資料」、検察の「実務資料」、
外務省の「日米地位協定の考え方」を参照しながら、
日米合同委員会の実態と対米従属の根幹に迫り、
日本における「真の権力構造」を徹底解明します。
(転載終わり)

種:文中の「3分で日本の深層がわかる四コマまんが」がネット上にあったので、転載します。
1.jpg

2.jpg

3.jpg

4.jpg

5.jpg

6.jpg

7.jpg

8.jpg

9.jpg


種蒔夫:これらを読んでいて、7月8日に訪れた政田農場のおじいさんのことが思い出されました。政田さんは終戦直後に占領政策に反旗を翻した当時の日本人としてはとても稀で、勇敢な方です。詳しい話は以下へ
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/452138249.html

政田さんが占領政策のこととは別に言われたことがあります。「アメリカで余ったウランを日本は買わされて、原発ができたのだ」と。これが事実とすれば、密約と関係するかどうかは別にして、アメリカからの押し付け、アメリカの言いなりになる日本政府という点では似通っています。一体、日本政府は日本国民のために存在するのかどうか、疑問に感じるところです。

たまたま今日は終戦記念日ですが、広島原爆投下に関する貴重な実話をお話ししたいと思います。2010年にネット上で「日本の軍部はアメリカに協力して原爆投下の効力を見るために、子供達を投下に合わせて校庭に集合させた」というとんでもない情報を得ました。にわかには信じがたい情報でしたが、それを近所(島根県大田市温泉津町井田)の人に話したところ「似たようなこと(原爆投下を事前に知っていた)を言う人がいる」と言うので、その人を訪ねました。

角さんという80代半ばの穏やかな老人でした。早速その話をしました。すると、以下のような貴重な話を伺いました。

1945年当時、19歳だった角さんは広島の兵器学校の生徒でした。8月5日、兵器学校の校長は全校生徒を集めて言いました。「米軍が新型兵器で攻撃するらしいので、三次に避難する」と。その日のうちに数百人の生徒と教師は50キロほど離れた三次市に到着しました。そこには既に宿泊施設が準備されていたそうです。数百人分の宿泊所の準備ができていたということは、思いついてとか、偶然とかいうよりも、数日前から情報を得ていた可能性があります。翌6日原爆が現実に投下されました。数日後、救助のために全員が広島に向かい、その時に被爆され被爆者手帳をお持ちでした。将来兵器を創るであろう兵器学校の生徒たちは軍部にとっては貴重な人材です。一般庶民を救うことがなくても、生徒達だけは助けたのか?

戦後は、近くの工業高校で教師をしておられましたが、2016年9月に亡くなられました。
日向ぼっこする角さん
20140807135943a91.jpg

この情報を2011年8月6日に間に合うように、新聞社やテレビ局に連絡しましたが、何も返答がありませんでした。数年前にも、広島に本社のある中国新聞(広島県の代表的新聞)の知り合いの記者にも連絡しましたが、記事にするどころか取材さえしませんでした。こういう第1級の情報に何故マスコミは動かないのか。これもアメリカの圧力なのでしょうか。


posted by 種まく旅人 at 11:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月14日

山から抜け出した日 核施設と種蒔き

最後の夜になった11日夜中。「何故、抜け出せないのだろう?」と疑問に感じつつ、青森県に入ってからの日々をずっと思い出していました。その結果、種蒔きの新たな見方を感じました。それは種蒔きとその地との相性の問題です。勝手な想像を交えて書いてみます。

最初に入ったのは北海道に行く前に6月末から7月初旬の9日間。情報は矢島さんから八戸の中村さんを。中村さんからはアクアリウムをしている人を含め数人を紹介してもらいました。その後は青森県の日本海側にある原発関連施設を4箇所巡りました。人が集まる恐山にも行きましたが、何故か全く蒔く気持ちになれず、さらに大間港へ行き、そこから北海道へ。この間に蒔いた人数が50人。1日平均5〜6人。ノルマは1日14〜15人ですから、かなり少ないです。

この間に移動していたのは下北半島ですが、ここに原子力関連施設がいかに多いか。私は知っているつもりでいたのですが、実際に調べたり行って見たりして、異常な地区だなあと実感しました。北の果てで、日本人にとって関心も薄い地区に、戦後開拓に失敗した農家から農地を安く買い上げ、核施設を次々に建設していったのです。こういうところで安全安心の農業もあったものではありません。

以下の地図のように、核に関する危険施設が10箇所あります。さらに要注意施設として三沢基地や自衛隊の対空射場など戦争に関わる場所が6箇所。米軍専用、あるいは日米共用の施設面積は沖縄についで2番目に広い青森県。
下北半島.jpg

おまけに石油備蓄基地(日本第二位の備蓄量)もあります。

以前にも書きましたが「核」「軍隊」「石油」全てが現代的問題を抱え、戦争に突入するための発火点になる可能性のあるものばかりです。基地問題では沖縄ばかりが話題になりますが、総合的に見れば、この青森が最も危険性を帯びた場所ではないかと思います。もし仮に、北朝鮮が青森に数発のミサイルを撃ち込んだら、日本どころか、この世の終わりではないでしょうか。

人類にとって最も大切な農業で成り立っているのではなく、核、戦争、石油で成り立っている半島であり、青森県なのです。日本の(あるいは世界の)命運を握っている県ではしないかと思います。

詳しくは以下を
http://blog.goo.ne.jp/morinoizumi33/e/005f085f78542618b2e3fac86f51b687

ここからは全く個人的な話です。

青森に再度訪れたのが、7月31日でした。8月2日、とても暑かったので五郎八に海水浴を楽しませようと、海岸に行きました。野球のボールを海に投げては、取りに行かせていました。写真に撮る海水浴客もいるし「犬に触ってもいいですか」と言う子供はいるし、楽しく時間を過ごしていました。

そこに老人が現れて「孫が怖がるから、紐をつけろ」と言ってきました。五郎八はボールに夢中で人には全く無関心で、海水浴客は無数にいる中でその子の存在さえ知らないのですが、大型犬を見て怖くなったのでしょう。

仕方がないので「わかりました」と言って、五郎八を捕まえようとしますが、ボールをくわえて逃げる一方。それに苛立った老人は余計に怒り始めて「殺してもいいか!」などと言い始めます。酒も入っていたのでしょうが、あまりの激怒ぶりに(この人はまともじゃない)と取り合わないでいたら、その奥さんらしき人が来て、同じように文句を言います。「危険なのはこの老人の方です。この人にこそ紐つけてください」と逆に文句を言って、その場を離れていきました。無論、五郎八も付いて来たので、何事もなく終わりました。

その夜のことでした。「ねぶた祭り」を見に行きました。五郎八を脇に置いて、カメラのファインダーを覗いていると、近くにいた女性が「犬が串を飲み込みました」と言うのです。近くにいた酔っ払いが串ごと肉をやっていたのです。五郎八の口を無理矢理こじ開けてみると、大きな串が喉の奥に3本も突き刺さっています。慌てて引き抜くと、この老人に「殺す気か!お前が食え!」と言って投げつけて、ねぶたも見る気がしなくなり、駐車場に帰りました。この日、二度目の五郎八の災難でした。今回の旅の中で、五郎八がこれほど災難に遭うこともありませんでした。犬が遭遇した事件とはいえ、これも青森県と種蒔きの旅の相性が悪いように感じた原因の一つです。

そして、3日函館の人からの情報で白取農場へ行き、4日は木村さんのところへ行きました。それぞれいい出会いであり、充実した時間を過ごしましたが、青森情報は全くなく、それ以上の広がりはありませんでした。ここまでの4日間で32人。1日平均8人。

前後合わせて13日で82人、1日平均6人とノルマの半分以下。しかも情報無し。五郎八の度重なる災難、車が一週間も泥濘(ぬかるみ)から抜け出せない災難。これほどうまくいかない状態も旅始まって以来のことでした。もしかして、青森に種蒔きが歓迎されていないのかもしれない!不必要なのかもしれない!そんな気がしました。「青森に種は相応しくない」早々に退散した方が良いと思ったのです。予定は15日まででしたが、予定を早めて12日は秋田県に入りました。

オカルト的かもしれませんが、種が意思しているのかとも思いました。種が、と言うかこの自然界が、もし青森県に何かを言うとすれば、農業より先に、この地の核施設、軍事施設、石油施設を無くせと言っているのかもしれません。青森県の人には申し訳有りませんが、これが現実に起こったことであり、私の推察と判断です。

とにかく、下北半島は異常な地帯であることは間違いありません。くれぐれも注意してほしいです。しかし、注意して何とかなるものでもありませんから、政府に対して意思表示すべきだと思います。自分の地は、自分で守るしかありませんし、青森を守ることは日本を守ることにつながるような気がします。我々もこれらの事実をよく知っておく必要があります。



posted by 種まく旅人 at 16:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

山の中から抜け出した日ー赤い服を着た宇宙人

8月5日夜から8月12日朝まで一週間ほど山の中にいました。その間に心配のメール、励ましのメールを何通か頂きました。ありがとうございました。中には500キロ離れたところから助けに来ようとされたり、、、その気持ちだけで随分救われました。

しかし、一方でどうしてそんなに頑張るのか?と疑問に思われた方もおられたと思います。しかし、心配されるほど山の中での生活は大変ではありません。だいたい、今回の旅は山、川、海等自然の中で車を停めて宿泊していますから、それとあまり変わりません。ただ、「脱出」という課題があったことだけが異なることでした。ガソリンも満タン、食料、水も十分でしたし、心配することはほとんどありませんでした。

ただ、この課題は思った以上に難題でした。何故なら、タイヤの半分が地面に隠れ作業がしにくい上に、地面全体がぬかるんでいたので、ジャッキで上げようとしても、下にめり込んでいく状況でした。金槌と手で掘っていくだけでも大変なのに、最も作業しにくいところに大きな石があったり、また掘れば掘るほど、水が染み出して溜まる量が増えるのです。次々に難題が降りかかり、何だか試されているような気さえしました。
5.JPG

11日に最後の試みと思って、力を振り絞ってやった結果が再び徒労に終わりました。翌12日、もし天候が雨でなく、疲労度が軽ければ、最後の最後の試みをしようと思っていましたが、残念なことに左腕は上げることも難儀なほどで、しかも雨。断念するしかないなと観念して、保険会社に電話しました。

ところで、8月5日の夜に何故山に向かって行ったのか?

青森県の種蒔きは北海道に入る前の6月末から数日と、8月1日〜15日を予定していました。ところが青森は極端に情報がないところで、北海道に入る前に1件、8月に2件しかありませんでした。それでも訪ねた先で新たな情報も得ることもあるので、それほど心配はしていませんでしたが、それさえほとんどない状況でした。木村さんのところでも県外情報はあっても県内情報はありませんでした。

日本中に広まった奇跡のリンゴの木村さんの地元なのに、どうして無農薬農業や自然栽培や自然食品の情報がないのか?とても不思議でした。しかし、よくよく考えてみれば、福岡さんにしても、川口さんにしても、かなり知名度が上がった人たちの県や市でも、自然栽培が盛んになったと聞いたことはありません。単に自然栽培者の農地内で全国から集まった研修生たちによって盛り上がっているだけのような気がします。

青森はかなり保守性の強い地域だと思いました。それ故に、木村さんのやり方には相当批判的だったであろうし、今だにそれが続いているのではないかと思います。今でも木村さんの周辺農家はほとんど農薬農家だと思います。それほど保守性は根強いものがあり、おいそれとは変わり得ないものだと思います。

マスコミが騒ごうが、映画になろうが、健康によかろうが、やり方が確立されようが「みんなと一緒」が基本の日本の保守的農業なのかなあと思います。国が変わらない限りは、浸透していくことは難しいのかもしれないと思いました。

ですから、青森県は自然栽培農家は多くはないだろうし、在来種、固定種に対する興味関心も薄い。種交換も不必要。ならば、私の活動も難しいかもしれない。しかし、日程は8月15日まで。無駄にはしたくない10日余りの日々をどうするか。発想の大転換「そうだ!宇宙人に蒔こう」それは、木村さんに会った直後でもあるし、UFOが出るという岩木山を目の前にしていたからでもあります。

ネットから拝借した岩木山
Route_Aomori_04_Iwakisan_0102.jpg

それで、夜の9時頃に「岩木高原県立自然公園」を目指しました。「高原」「自然公園」の言葉につられて心地良い所と思って行ったところが、単なる砂利道の山の中だったのです。行き止まりになったので、引き返そうとアクセルを踏んだ瞬間にぬかるみ埋まってしまい、車から出て見た光景がこれです。得体の知れないダムのような建造物。UFOが出るには相応しいかも知れないけれど、怖いなあ、、、。
101.JPG

しかし、怖いも何も、そこからもう動けないのですから、留まるしかありません。簡単に飯を食った後に、怖々一夜を明かしました。翌日からの行動は以前にお知らせした通りです。こうして四苦八苦している間に宇宙人が来て、車体をフワーと浮かしてくれるんじゃないかと期待したり、抜け出た暁には「よくやりました」と出てくるんじゃないかとか、色々想像して作業していたわけです。だから、簡単には諦めきれなかったのです。

しかし、最後には赤い服を着た宇宙人が日本製の車で引っ張り上げれくれました。ありがとうございました。珍しい坊主頭に手ぬぐい姿の宇宙人と帽子を被った宇宙人に7923番と7924番。
1.JPG


posted by 種まく旅人 at 08:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

山の中から抜け出せず 5

結局、今朝保険会社に電話して車を手配してもらい、引っ張り上げたもらいました。その後、秋田県に入り一週間ぶりの風呂に入り、飯を食べ、やっと落ち着いているところです。昨日はネットにつなぐことが困難で、更新ができませんでした。詳細は明日に。
posted by 種まく旅人 at 20:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

山の中から抜け出せず 4

何故、タイヤにつけた棒が機能しないのか?有効なはずなのにと、前面のカバーを取ったり、車体の下を覗いているうちに原因がわかりました。多分、タイヤが穴を深く掘りすぎて、段差がひどくなって車の前部が引っかかるのです。前に行こうにも、後ろに行こうにも、それが邪魔をしているのではないかと思います。
2.JPG

抜け出すには、車の前の土を掘り返して斜面を作って石を敷き詰める、という作業をしなければなりません。相当な量の土(石混じりの土なので重くて厄介です)を掘り返す必要があります。金槌と手袋だけでこの量を掘り返すには時間もかかりますが、体力が問題です。休み休みして、二日くらいかかるでしょうか。今日は曇り、明日も曇りなので、この二日で何とかしたいと思います。
1.JPG

posted by 種まく旅人 at 07:48| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

山の中から抜け出せず 3

道具はこんなものしかありません。スコップがないのは痛いですが、金槌で地面を叩いて砕いて土と石を手袋でかき出す。それを姿勢を屈めてやるのが一番きつい仕事。
11.JPG

石を敷き詰めてこんな状態にしても、まだ空回り。
13.JPG

放っておくと、水が溜まります。  タイヤについたこの棒は、、、
14.JPG

以下のようなやり方がネットに出ていたので試しました。


しかし、棒が石に挟まっただけで終わり。車内のこの太い材木も使いましたが、同じ。しかし、これは衝撃的なアイデアでした。地面ばかりに気を取られていましたが、逆にタイヤを凹凸にする発想ですね。
15.JPG

頻繁にこのアブが来て、邪魔します。虫が減ったとはいえ、こういう虫はたくさんいるんです。嫌な虫だけが残る世界になるのでしょうか。
10.JPG

これからは、できるだけ大きな石を敷き詰める作戦で行こうと思っています。
12.JPG

問題はガソリンの量です。まだ半分ありますが、これが無くなるとパソコンとスマホも使えなくなり、救助も呼べなくなります。それでも歩いて町には出ることができるので、切羽詰まるわけではないです。

ところで、北朝鮮の核の脅威が増すせいなのか、以下のような記事がありました。一部文章を抜粋紹介します。

以下より抜粋 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170805-00010000-yomonline-life

高度上空の核爆発で起きる「電気がない世界」の恐怖

国全体で長期間、電力がまったく使えなくなると、どのようなことが起きるのだろうか。そのイメージをつかむのに、今年2月公開の日本映画「サバイバルファミリー」(矢口史靖監督)が参考になる。平凡な一家の視点から、現代人の生活がどれほど電力に依存し、それがないと、どんなことが起きるかがわかりやすく描かれていた。

普段と変わらないある日、原因もわからず電気が止まる。目覚まし時計もスマホもテレビも、冷蔵庫もガスコンロも水道も使えない。今何時かもわからないまま外へ出ると、エレベーターも信号機も自動車も電車も、何もかも止まっている。現金自動預け払い機(ATM)は作動せず、預金データも消えてしまっている。食料や水、日用品は次第に尽きていく――。(転載終わり)

以下予告編、ちょっとふざけてますけど、核でなくとも実際起こりうる話です。


これらの生活に困るであろう様々なことを都会でなく、田舎に住み、現代の生活の中に浸らないようにしていた場合にはどうなるかを考えてみました。

目覚まし時計=時間は太陽を見て決めます。
スマホや携帯、固定電話=連絡ができなくなるという点で困りますが、こうなったらお互い自分たちでやっていくしかないですから、放っておくしかありません。
テレビ=ない方が健全です。

冷蔵庫=あったに越したことはありませんが、無くても生活はできます。一時期、反原発で電気料金を支払わないでいたら、電気を止められました。電気なし生活が3ヶ月(春から夏)くらいありました。その時に困ったのは冷蔵庫でした。そこで、食えるものを探したら、山の中には山菜が豊富にあったので、毎日おかずは山菜にして、玄米は1年分くらいはあったので何とかなりました。肉食の人は、罠でも仕掛けて、猪でも取ればいいです。簡単じゃないですし、技術が要りますが、あえて食わなくてもいいでしょう。

電灯・パソコン=その時に、大家さんが一枚だけの太陽光パネルを用意してくれたので、パソコンと電灯は何とかなりましたが、パソコンは元々不必要ですし、電灯はローソクがあれば何とかなるし、夜は寝てしまえば、明日は明るいです。

ガスコンロ=山の木々があれば、煮炊き、風呂も可能です。

水道=地下水、湧き水があります。

エレベーター、信号機、電車=田舎にはありません。

自動車=動かなければ、要りません。のんびり家にいて、自然を満喫すればいいのです。

現金自動預け払い機(ATM)=ATMも遠いし、第一買う店がほとんどありません。しかし、いざという時のためにある程度は現金で持っておく方がいいですね。

食料=玄米と梅干しと、時には自家製の味噌もあります。山菜と。

日用品=洗剤とかですかね、手で洗えばいいし、熱湯注げば落ちます。
他に贅沢を言えばきりがないので、日用品はあるもので満足する。トイレットペーパーが無くなったら、インド式で水と手で洗う。

ということで、電気がなくなって困るのは、都会の人と、田舎でも都会並みに生活している人だけです。こういう事態になった時には、いつも現代的でなく、かつ贅沢をしていない人だけが、いつもと変わらず幸せに生活しているように見えるし、実際そうだと思います。それが元々の人間の生活だと思うのですが、それを電気と科学が一つずつ潰していったように思います。

映画の中の「人間がONになる」という言葉はいいですね。つまり、みんなOFFなんです。今、私はあえてONやってるわけです。でも、文明の利器ー車ーなんか使うからこういう羽目になるんですけど。

みんな分かったかな?トイレは外でもできるよ!
4.JPG


posted by 種まく旅人 at 11:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

山の中から抜け出せず 2

二日目

レッカー車を呼べば簡単なんです。しかも車の保険にはレッカー車の無料サービスがありますし。しかし、それじゃ面白くないなと。山中で、今ある道具を使って抜け出せるのか?刻々と迫るサバイバルライフの実験でもあります。
2.JPG

周辺はいいところなんですが
3.JPG

しかし、野生動物がいそうなので、五郎八に鈴をつけて散歩。
5.JPG

四苦八苦。普通の道路に見えますが、ここは行き止まりのところなので、誰も来る気配はありません。
6.JPG

幸い、すぐ下に川があるので五郎八と水浴びしたり、
11.JPG

洗濯したり、結構、この場に馴染んでます。
12.JPG

炎天下の作業に疲れると、水のそばに行きます。水は飲むために必要ですが、そればかりじゃなくて、洗濯も食器洗いもできますし、体も洗えます。しかし、一番の効用は水の音も含めて、水の存在には癒し効果があることです。それと山の中の環境は何か頂いている感じがします。そういう意味で不安感がないのです。とにかく水は一番大事ですね。それを実感してます。
100.JPG

ネットに繋がりにくいところなので、更新が途絶える可能性があります。


posted by 種まく旅人 at 07:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

山の中から抜け出せず、、、

泥濘に入ってしまい、抜け出られなくなりました。どうなりますやら、、、。明日をお楽しみに。
1のコピー.JPG
posted by 種まく旅人 at 20:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月05日

木村秋則氏に会った意味

昨日は、例の奇跡のリンゴの木村秋則さんに会いました。栽培の話をテレビで聞いたことが、木村さんに興味を持つきっかけでしたが、その後木村さんの本をいろいろ読むうちに、それ以外のことがより一層興味深く、今回はそのことについてお話を伺いました。それは、木村さんの龍に遭った話、宇宙人に連れ去られた話。それは我々の時空間はどうなっているのか?という問題でもあります。次元や意識の問題。

郡山の講演会の時にタネを渡したhttp://happyhillcontest.seesaa.net/article/450453226.htmlものの、住所も知らず、約束もせずに木村さんと一対一でお話ができるチャンスはそうそうあるものではありませんが、それは運の良さ、偶然の産物です。それ自体が次元や意識の問題でもあると思いました。今までの旅の間にも、単に種を蒔くだけの旅なのに、不可思議な人に何人も出会いました。飛躍した考え方をすれば、種=自然=宇宙=次元という風に関連を持っているのかもしれません。木村さんに会えたのも、そういうことを象徴するためだったようにも思えます。

この日聞いたことで目新しいことはありません。すでに本に書いてあることですが、本で読むのと実際に本人から聞くことは全く異なることです。この日のことをまとめるには時間がかかりすぎるので後日に回すとして、今日はネットで見つけた木村さんの記述(以前に本で読んでいた内容)を抜粋して転載することにします。木村さんを単に奇跡のリンゴを作った人とだけ思っている人には驚愕の話の数々です。最後は農薬の話に帰りますが、農薬とこの自然界は真っ向から対立しているのでしょう。
1.JPG
昨日、リンゴ畑で会った木村さん

以下より転載
http://ufoparallelworld.blogspot.jp/2015/10/blog-post_19.html

木村秋則著 『地球に生まれたあなたが今すぐしなくてはならないこと』 

 <わたしたちの想像を超えた世界が存在する?>

17歳の時に、わたしは「龍」を見ています。この時、周りの時間も空間も止まったような体験をしました。時間の隙間に紛れ込んだかのようでした。時間も空間もわたしたちが「ある」と思っているだけで、それをはるかに超えた世界(次元)が存在します。死後の世界も同時に存在しています。わたしたち人間が、この地球の生命体として頂点に立っていると考えるのは、どんなものか?

 <わたしの見た光景が地獄図絵の中にあった>

2歳のときに死ぬ予定だったのが生き永らえ、その後の人生で宇宙人や龍に遭遇するなど不思議と思われる体験を何度もしていますが、ひょっとしたら人に見えないものが見えるのは、地獄に行ったときに、頭の周波数のようなものが変わってしまったせいではないかと思います。

波長が合わないと見えない。波長が合うから見えるのです。見えないものを見ることのできる人がいたから、地獄だって、龍だって天使だとかも絵になったり、彫刻になってさ。世界中の美術館に残ってるでしょう。見えないものを見ることのできる人は、世界中にいるんだ。

 <気づいたときに大きなシャボン玉の中に包まれていた>

大人になってから、もう一度死後の世界をさまよいました。インフルエンザから高熱を出し、下着一枚で電気毛布にくるまっていたときのこと、寒くて震えながらいつの間にか意識を失っていました。気がついたときには辺りに大きなシャボン玉がいくつも浮かび、いつの間にかその中の一つに包まれていました。

室内で寝ていたのですから上にあるはずの天井がなぜか感じられず、そのまま3メートルほどの高さに浮かびあがって自分の身体を見下ろしていました。不思議なことに、横たわる自分の亡骸が、誰のものなのかわからないのです。

そのうちに女房が現れてわたしの身体を揺すっている光景を、ずっと「誰なんだ、あの人は誰なんだ」と思いながら自分自身を見下ろしていました。

 <生まれ変わる人の列>

その後も歩き続けて、6つ目の門をくぐると、肩まで髪の伸びた人が二人すっと現れ、「案内する」と申し出るのでついていきました。しばらくするとなだらかな斜面に家のような建物が無数に立ち並ぶ場所に出ました。どの家にも窓も戸もなく、一軒に一人ずつ、白いゆるやかな着物をまとった人が住んでいる様子です。そこで白い帯状のものが、はるか向こうの山まで糸のように続いているのを見ました。

近づくとその帯は白い着物の人々が、ずらりと並んで、何かの順番を待っているのだとわかりました。列は一本の川から伸びていて、案内人のように見える肩まで髪の伸びた人が、二人、川に入っていました。列に並んでいる人はみな同じような顔で、自分の順番が回ってくると川に背を向けて立ち、案内人の二人によって川に流されていきます。「何をしているんですか?」と聞くと、「生まれ変わる人たちです」という答えが返ってきました。

 <「23回生まれ変わっていますね」>

二度目の臨死体験には、後日談があります。一年ほどたったある日、わたしは講演を行っていました。話を終えたとき、わたしに会いたいという女性からの電話がかかってきたのです。時間に余裕があったので承諾をし、待つ間に駐車場で煙草を吸っていました。駐車場は車でいっぱいでしたが、車間の細い隙間を通して、一台の車が現れ、若い女性が降りるのが見えました。

驚いたことに、一面識もないその女性は、わたしの居場所を知っているかのようにまっすぐこちらに向かって歩いてきたのです。彼女の側からはわたしは物陰に隠れて見えないはずなのに、不思議でたまりませんでした。さらに驚くことには、その女性は、わたしがシャボン玉に乗って浮かんで行ったとき、別のシャボン玉に自分も乗って一緒にあの世に行ったと言うのです。彼女はわたしの体験した一部始終をすべて知っていました。

彼女は自分のことを「木村さんのあの世への案内人」と呼んでいました。わたしが自分自身を知らないということが、その女性がどうしてもわたしに伝えたかったことなのでしょうか。名前も連絡先も聞かなかった今では、知る術もありません。

 不思議な訪問者は、彼女だけではありませんでした。ある日ひょっこりとうちを訪ねてきた高齢の男性がありました。津軽弁の訛りがないところから、青森の人ではない様子です。ここは誰々の家ですか、と聞くこともなく、「ごめんください」と玄関を開けて入ってきました。

たまたまわたしが出たのですが、お互いに一言も口にすることなく、無言のときが流れました。その人はわたしの顔をじっとみると、「23回生まれ変わっていますね」とつぶやきました。記憶が確かではないのですが、23回生まれ変われば、死んだ後に自分がやらなくてはならないことをたくさん背負っていると、そんなことを言われた気がします。その人は、「ありがとうございました」とそのまま帰ってしまいました。

不思議な体験が、こうも重なり過ぎてしまい、「現在」も、「過去」も、「未来」も、わたしたちが、時間を区切って範囲を決めてしまっているだけで、本当は同時に存在していて、自由に行き来ができるのではないかと思うようになりました。

 <わたしは、青森県弘前市に住むリンゴ農家です。>

 リンゴ農家の常識では、リンゴの無農薬栽培は絶対不可能と言われています。ところが女房の農薬に弱い体質を少しでも楽にさせようと、リンゴの無農薬栽培を始めたばかりに、わたしのリンゴ畑は病気と害虫が蔓延し、荒れ果て、リンゴは一つも実らず、収入も途絶えて、家族を極貧の生活に陥れてしまいました。

家族には大変な苦労をかけ続け、わたし自身も何度も挫けそうになりました。岩木山に登って、首をくくろうと自殺を考えたこともありましたが、10年あまりの歳月をかけて、世界で初めて、リンゴの無農薬栽培に成功したのです。

誰もリンゴの無農薬栽培の方法は教えてはくれませんでした。10年近くに及ぶ苦闘の末にようやく実ったリンゴは、2年経っても腐らない「奇跡のリンゴ」と呼ばれるようになりました。リンゴが実をつけてくれるようになったのは、「本当に大切なことは目に見えない」と気づいてからです。

大切なものは、「目に見えない部分」にこそあり、そんな見えないものを見る心が、奇跡を起こす力になるのです。

 <宇宙からのメッセージを聞く>

わたしには、人に話してもなかなか信じてもらえない不思議体験がたくさんあります。それが「奇跡のリンゴ」に直接に結びついたとは思いません。でも、奇跡の一部を担ってくれたのは、宇宙のエネルギーだったのではないかと感謝しています。

 <なぜなのか?わたしによく起こる不思議な出来事>

2013年だけでも、わたしはUFOに3〜4回出会いました。どうしてなのだろうと、不思議でなりません。2013年11月中旬の夜7時ごろ、畑から自宅に戻ってトラックから降りたとき、空を見上げたら南方にUFOが飛んでいるのが見えました。

 わたしの家の周辺は、よくUFOが見える地域として有名なのです。このときのUFOはひさしぶりに見た感じでした。遠くで輝いていただけで、とくになにも話してくれませんでした。UFOはわたしに、なにかメッセージを発することもあるし、一瞬姿を見せるだけで、無言でさっといなくなってしまうこともあります。

 <北海道仁木町で出会った二本の虹とUFOの不思議>

今、わたしは北海道余市郡仁木町で、「自然栽培の塾」をやっています。「自然栽培」を広めるために、以前からわたしは地主さんたちに、耕作放棄地を貸してほしいと交渉しつづけてきました。その願いがかなって、わたしが訪れたその日、仁木町が耕作放棄地を協力しましょうということに決まったのです。

決まったと聞いたそのときでした。真っ昼間だったのに、太陽を真ん中にはさんで、虹が太陽のすぐ両脇に2本、まっすぐに立ち上がったのです。ほんとうに不思議な気持ちでした。そして、この日の晩にもUFOを見たのです。

リンゴ栽培の先行きがまったく見えず、日々の食べものにもこと欠くような生活をしていた頃のことですから、ずい分前のことですが、わたしはまったく口をきかなくなっていたことがあります。答えを求め続け、考え続けていたその頃、夜の畑で地球のものとは信じられないものを目にしました。月明かりの中、発光する丸太のような物体が、リンゴの木の間を高速スピードで移動して、突然消えてしまったのです。直感的に、これは宇宙人ではないかと感じました。

 <UFOで宇宙人に連れ去られたことがある>

それから畑で目撃した宇宙人に再び出会ったのは、リンゴがようやく生産できるようになった40歳のときでした。深夜にいきなり寝室の窓が開いたと思うと、黒ずくめの身体に二つの大きな目が輝く生物が二人、連れだって現れたのです。彼らはわたしの両脇を抱えると、二階の窓から外に連れ出してそのまま上空に上がって行きました。

気がつくとUFOのようなものの船内に連れ込まれていました。UFOの中にはわたしと同じように連れて来られたらしい白人の男女がいました。彼らは裸にされて観察されていましたが、わたしは観察されることなく、宇宙船の操縦室のような部屋に連れていかれました。宇宙船の内壁が、彼らが手を触れるだけでガラス張りのように透明になるのを目撃して、あっけにとられました。この動力物質を、彼らはKと呼んでいるように聞こえました。

彼らの説明では、地球人が知っている元素は120くらいで、そのうち使っているのは30にも満たない、けれども「我々は256の元素をすべて使っている」とのことです。地球人を極めて低能と言わんばかりでした。

宇宙人は、Kのことを「永久エネルギー」と呼んでいました。そして、「その物質は地球人には作れない、頭が悪いから」と、ちょうど人間が猿を見下げるような感じで話しました。

下等生物扱いはされましたが、彼らが熱を持たないエネルギーを取り出す方法を持っていることは確かです。彼らは熱のない、光だけは存在する世界に生きているのでしょうか。光そのものが彼らのエネルギーだったのか、それはわかりません。

(種蒔夫:地球人と宇宙人の間に密約ー宇宙人の技術提供ーがあった話はこのブログの以下に掲載しています。参考にどうぞ。
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/449042479.html

 <地球のカレンダーはあと何枚も残っていない>

宇宙人にカレンダーの見方を教えてもらい、最後の数字を確認しました。宇宙人からも、そして夢からも地球がなくなると告げられた、その問題の日。それがいつなのかは、しっかりと覚えていますが、人に言ったことはありません。

もし、わたしがそれを口外したら、大変なことになると思うからです。だから、地球がなくなる日を一日でも先に伸ばすために、わたしたち地球の住人はなにをしなければならないのか。それを優先して生きていかなければとわたしは思うのです。

 <宇宙人は「木村は今、なにをしているのか」を見ているのかな>

しばしば宇宙人と遭遇したという話をするためか、きっとわたしが宇宙人にお願いして力を借りているのだろうと言う人がいます。でも、そうではありません。奇跡と言われているリンゴ、コメ、野菜などの「自然栽培」に成功したからといって、わたしはこれまで、天や神仏や宇宙人などのお願いしたことはないのです。

あの、自殺しようと岩本山をうろついたときだって、「リンゴが一個でも実ってくれるように、答えを教えてくれませんか」とは言いませんでした。わたしが宇宙人を何度も見た、というのは事実です。でも、宇宙人にわたしがなにか願いごとをしたことは、一度もないのです。

逆に、彼らは、「木村は今、なにをしているのか」を見ようとして来ているのかもしれません。すぐ近くの星から彼らは来ているのではと、感じることがあります。

 <奇妙な体験が、脇目もふらずに働く原動力>

ソクラテスの夢の中で、そしてUFOの中で、わたしは地球のカレンダーが終わる日を確認しました。でも、それは気が遠くなるほど未来の話ではありません。

 <肥料のガス化がオゾン層を攻撃し生態系を破壊>

このようなフロンガスへの取り組みは、期待したほどの効果はなかったのです。さまざまやってみても、まったく大気汚染が修復されていないのです。米国大気圏局の研究者は、それについて本格的な研究調査をしました。その結果、世界中の農家が使用している肥料、とくに亜酸化窒素が原因だということが判明したのです。

<今という瞬間を感謝し、自然のままに生きる>

わたしは、無農薬はすばらしい、無肥料はすばらしいということを言っているわけではありません。無農薬でも無肥料でもできるのだから、今使っている農薬や肥料をせめて半分にしても、農業はできるだろうと提言しているだけなのです。

<農薬・肥料・除草剤はいらなかった>

私が提唱する農業は、農薬・肥料・除草剤をまったく使わない栽培法です。簡単に言えば、わたしの提唱する自然栽培農法の根幹は次のようなことです。

@ まず、大豆を植えなさい。

A それから、野菜などの作物を育てなさい。

B そして、雑草を育てなさい。

C 結果、雑草は邪魔物ではなく、土を作る基礎になります。

現代農業は、土を作るという大きな作業をしてこなかった。

<18世紀末にゲーテによって示されていた農法>

「大豆を植え、野菜を植え、雑草を育てなさい。そうすれば、永遠に農業は可能である」

このゲーテの言葉こそ、わたしがこれまで自分で悪戦苦闘してきた自然栽培の原点だったのです。その哲学がすでに18世紀の終わりに示されていました。

 <わたしもそれが当たり前だと思っていた>

リンゴは農薬で作ると言われるほど、栽培には農薬散布を欠かすことができませんでした。わたしの一家の収入はリンゴが頼りでした。リンゴの害虫は30種を下らないと言われています。

虫食いのない、甘くて、大きなリンゴを作るには、青森県で発行されているリンゴ用の防除暦を使わなければなりません。時期ごとに散布すべき農薬と濃度が設定されており、その使用すべき農薬の容量といったら大変なものでした。

妻は農薬の臭いで吐き気をもよおすほどで、散布中に畑で倒れたこともあります。その症状がだんだんひどくなっていったのです。妻の健康を考えると、農薬を防除暦通りに使うことができなかったのです。

<ムシが1匹、2匹出たら、すぐ農薬をまく農業はおかしいのでは>

一般の農家が殺虫剤もなにも使わなければ、リンゴの場合、90%減収するそうです。青森県のようにリンゴが基幹産業のところでは、「農薬なしに、リンゴは生産できない」というのは間違いではありません。でも、リンゴ以外のイネや野菜などは、30%程度の減収で済みます。だから、わたしが言いたいのは、ムシが1匹、2匹出たからといって、すぐに農薬をまいてしまう現在の日本の農業は、おかしいのではということです。

<日本の農薬使用量は世界一>

リンゴ栽培は、昆虫、カビ、ウィルスなどとの闘いで、防除暦に従ってやれば、それらの悩みから解放されるのはだれでもわかっています。でも、それには大量の農薬を散布する必要があり、人体へのリスクがあるのです。その大きなリスクを背負って栽培しなければならない。

リンゴ栽培の歴史は、ムシと病気との絶望的な闘いだったのです。「本当に現代農業は、リスクを背負わなければやっていけないのか」わたしの自然栽培は、そんな疑問からのスタートでした。実は、日本での農薬使用量は世界で一番多いのです。除草剤の使用量もまた、世界一です。

(種蒔夫:農薬によって虫がいなくなり、子供を壊し、精子を減少させ、、、、人間がいなくなる世界を作るのか、、。先日の記事「子供が壊れていく、、、」が農薬の怖さを物語っています。以下 http://happyhillcontest.seesaa.net/article/452371307.html


posted by 種まく旅人 at 15:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月04日

環境と、お尻にも優しい、奇跡のトイレットペーパー

東川町の塩谷さんに頂いた環境に優しいトイレットペーパーです。「痔にならない優しい紙」と言われました。
1.JPG

2.JPG

今回の旅では宿泊場所が河原や山の中になると、当然野糞をせざるを得ません。現代のウォシュレットに慣れたお尻は非常にか弱い皮膚に成り果てており、紙で拭くだけでは皮膚が悲鳴をあげて血の涙を流します。私もそれで悲しくも辛い野糞生活をしていましたが、塩谷さんの言葉を思い出して、この紙で用を足してみました。するとどうでしょう!本当に優しい触り心地で、全く傷つかないのです。環境とお尻にも優しいトイレットペーパー! お勧めです。
3.JPG

「僕は拭かなくていいから」「わかっとる!」
11.JPG



posted by 種まく旅人 at 14:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ビハインド・ザ・コーヴ

毎晩、子守唄代わりにNHKのラジオ深夜便を聞いています。寝入っているのに、自分にとって興味深いこと(インタビュー番組で)を言い始めると不思議と「お!」と目が覚めて聞き入るのです。そういうことがこの数年間で何度もあって、それは今の自分の血となり肉となり、励みにもなっているように思います。意図的なのか、農業や自然に関する人が結構出演するからです。

昨夜も「お!」と思って、暗闇でノートに記載した「ビハインド・ザ・コーヴ」「やぎけいこ」を今朝調べてみました。以下に紹介する監督のインタビュービデオが見つかりました。やや右傾化した面(監督がではなく、周りが)がありますが、そのことより、実際に日本人がもっと知らなければならないこと、するべきことを教えてくれていると思いました。

捕鯨問題に関しては日本と同じようなことをしている国は他にも3、4カ国もあるのに、どうして映画「コーヴ」は日本を標的にしているのか?それは戦時中にあった日本の残虐性が未だに海外の人たちには色濃く残っているかららしいのです。これは単に捕鯨の問題でもなさそうなのです。その他にも、いろいろ考えされられる映画をズブの素人が自費で撮った映画「ビハインド・ザ・コーヴ」はモントリオール映画祭に出品されたそうです。

日本の捕鯨問題を追求する「コーヴ」に対抗して作られた「ビハインド・ザ・コーヴ」は一見の価値がありそうです。日本人には珍しく「物申す日本人」の八木景子監督、その視点、行動性、いいぞと思いました。




posted by 種まく旅人 at 08:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月03日

青森情報ください

今、青森市内にいます。青森県内の無農薬農家、自然食、自然食品関係、その他諸々、個人的にご存知の情報があれば、教えてください。daiki8822@yahoo.co.jp まで。
1.JPG
posted by 種まく旅人 at 13:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする