2017年07月02日

動物愛護と人類愛護

動物愛護に関わっている方を見ていて、いろいろ考えることがありました。「動物は守ってやらないといけない」ーもっともなことです。

見方を変えて、仮に宇宙人が実在して我々人間をペットにしたら、どうなるでしょうか。檻に入れてられて観察される側になるのです。セックスして子供の産む姿を見て喜ばれ、また子育てして喜ばれ、死んで悲しまれ、、。一生を面倒見てもらう。そういう存在になったとして、我々はそういう生活をどうしたいと思うでしょうか。

ずっとそういう生活が何百年も続いたら、慣れてしまって面倒見てもらうものだと、意識が変わってしまうかもしれません。完全にロボット化しているかもしれません。しかし、あなたは自分のペットを自然の中へ放してみたことがありますか?最初は怖がっても、しばらくすると彼らは普段とは違う様子を見せます。野生を取り戻します。いつまでも帰らなかったりします。その時我々は非常に心配しますが、彼らはどうなんでしょう。

つまり、ペットになった人間が元々の「自由」な世界に戻ったら、どうなんだということです。自分を取り戻すでしょう。それこそが「我々人間だったのだ」と思わないでしょうか。檻の中ではない生活。囲われていない生活。面倒を見てもらわない生活。自活する生活。

とすれば、動物愛護とは自然に解き放つことではないかと思います。無論、自然に返せば死と直結した世界が展開しますから、危険です。しかし、危険を顧みず、人間はそこへ帰って行こうとするでしょう。たぶん、動物も同じでしょう。

人間は動物に苦しみを与えないことだ。と勝手に思っていますが、宇宙人がそういう風に「人間に苦しみを与えてはいけない、死の恐怖を味あわせるのはかわいそうだ」と親切にも思ったとしたら、人間は「ありがたい」と思うでしょうか。逆に余計なお節介だと思わないでしょうか。

狼から、どんどん交配されて小さな種類までたくさん増えてしまった犬たちはほとんど自然界では生きていけない動物になってしまいました。もし、今の状況で全ての犬を自然界に返したら、大型犬だけが生き残って行くでしょう。あるいは小さくてもすばしこいものだけが残るでしょう。それが本来の自然の姿でしょう。

観賞用みたいな、小さな犬は死ぬ運命だとも言えます。人間あってこその動物だからです。もし仮に宇宙人が人間を交配して小さな10センチくらいの人間を作ったら、さぞかし可愛いだろうと思いますが、それは宇宙人あっての人間です。

まあ、とにかく本当の動物愛護とは、人間の手から離して、そして放してやることだと思い至りました。自分でできるかできないかは別にして。

しかし、また、我々はすでに檻に入っているのかもしれないとも思いました。我々は檻にはいませんが、まさにネットという網の中で生活しています。ネットの向こう側で誰が見ているのか知りませんが、観察されているでしょう。食、水、エネルギーを自ら生み出せない環境に住まわせて、その様子をうかがっているのかもしれません。我々はそれから逃れられないのです。

それから逃れるには自分で作物を栽培し、地下水を見つけ、自分で自然からエネルギーを生み出さねばなりません。それが出来た時に、自分たちが檻の中にいたことに気づくのです。

青森県・小川原湖にて
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posted by 種まく旅人 at 05:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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