2018年01月20日

あんでるせん

一昨日、四次元パーラー「あんでるせん」に行きました。2ヶ月前から予約しないと店には入れない、と聞いていましたが、朝9時に電話したら、運よく予約日変更した人がいて、うまく滑り込みました。実は「あんでるせん」訪問は4回目なんです。20年くらい前には、二階の喫茶店の下にマスターの両親がやっている果物屋さんがあり、そこで時間前に予め整理券をもらっていたのですが、果物屋さんが無くなっていました。ああ、時間だけは過ぎていくなあとやや寂しい気がしました。

1時間前から、近くに車を止めて待ってました。しばらくして「まだ30分もある」と思っていたら、パソコンの上の時計表示が10:57! え、そんなバカな!と、改めて腕時計を見ると10:30。こんなときに限って、腕時計の電池切れ。行く前から、超能力でいたずらかなあ、、と思いつつ、慌てて店に。

すでに、ほぼ満席。奥さんがメニューを持って来ました。まずいと評判の「あんでるせん」ですが、ピザが美味そうな気がして注文しました。前回、前々回、その前も美味いも何も、見せられた(魅せられた)芸に頭が真っ白になって料理のことなど覚えていませんでした。

そして、これが運ばれてきました。
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見ただけで不味そうでした。料理はほとんど盛り付けで80%決まりますから、まずいのは一目瞭然。確かに不味かった。マスターは喫茶店を何十年やっても、料理の才は無さそうでした。料理の味に変化があった、うまくなったとか噂がありますが、一品くらいは努力してうまくなったものもあるかもしれませんが、超能力で味を変えたとか?考え過ぎです。天は二物を与えず。料理に関心が薄いのはこの写真で十分伝わりませんか?

でも、そんなことはどうでもいいのです。本人もそう思っているでしょう。だって、マスターは芸を見せたくて喫茶店をしていると思います。内装だって、50年間くらい変えてないでしょう。昭和40年代の喫茶店の雰囲気が十分に伝わります。タイムスリップしたみたいな空間です。とにかく、マスターの人生(時間と金と)は全てこの芸に注ぎ込まれていると思いました。この場では、大事なのは食ではなく、見ですから。800円(飲食最低料金)の入場料払ったら、食べ物、飲み物がおまけについて来た、と思った方がいいでしょう。
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ところで、この場も種蒔きのチャンスだと思い、食べ終わってから、厨房に行ってマスターに訊きました。「日本一周して、自分が作った無農薬米の種を配っています。ここで皆さんに差し上げてもいいですか?」一瞬キョトン!!、次に人の良さそうな顔で「いいですよ」。他人の時空間ではあるし、断られるかと思ったので、意外でした。芸の最中も思いましたが、このマスターは本当にいい人だと思いました。人を楽しませるのが無上の喜びの人です。

30人定員で僕以外が22人でした。この日は10人分の予定変更があったそうです。僕には運が良かったです。それで全員に手渡しました。超能力に興味のある人たちなので、種には縁がないかなあ、、と思っていましたが、しばらくして二人に声をかけられました。一人は山口から来た女性が「自分の家も農家なので、、、」と喜ばれ、他方は熊本から来た青年でみかん栽培農家で働いている人。二人に話しかけられたので、種蒔夫もホットしました。図々しい種蒔きとはいえ、場違いなところで、種蒔きするのはなかなか勇気のいることでもあります。

マスターの手!
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そして、始まりました。その芸もすごいのですが、今回気づいたのは、途切れないジョークと芸能界にすごく詳しいこと。芸能人のこともよく知っているし、狭いカウンターの中で歌もダンスも何でもござれ。テレビをよく見ている人だなあと思いました。僕みたいにテレビ無しの旅人には何を言っているのかわからないことが度々でした。芸能人になりたかった人かもしれません。しかし、注目を浴びるという点では、夢が実現していると思います。

それはいいとして、その芸はどうだったのか。芸といえば、猛反発されるかもしれませんね。「超能力の技」というべきかもしれません。しかし、僕も少し手品をするので、そういう視点から見ていました。すると手品に見えるんです。タネが全て分かるわけではないです。しかし、手品的だと思えるんです。

その理由の一つは、手品は道具が必要です。道具には我々一般人の想像を絶する仕掛けがあります。「そこまでするか!」というほど、すごい細工があります。その現実を知らないとみんな騙されます。それは実際に手品を自分でやらないとわかりません。

マスターは手品で使わないものでも、結構手の込んだものを作っていました。何時間もかけて作る折り紙(8時間とか10時間とか、折り紙たった一個に半日費やす人です)もそうですし、巨大なマジックペンやマジックペンの中身だけの透明なマジックペンも、、、みんなを楽しませるための手作りの小道具が色々ありました。「器用な人だなあ」とも思ったし、執念で何でも作る人だなあと思いました。これは手品の仕掛けを作るには絶対的に必要な条件です。それを十分に満たす人でした。

無論、客のものを借りてやる場合もありますが、怪しまれないように、あるいは盛り上げるために、他人のものでもできる芸も盛り込むわけです。例えば、客の指輪を使いました。マスターはそれを借りて、箱や袋に入れますが、いつの間にか無くなります。そして「(客の)財布の中に入っています」と言います。客は慌てて財布を探しに自分の席に帰り、財布の中を探します。ここで、客がそこから取り出せば、超能力です。

しかし、それを一旦マスターに渡します。これで、もう手品になってしまいます。自分の手の中にある指輪をそっと中に入れることなど、手品師にとっては朝飯前です。しかし、客は財布に戻ったのだとびっくりです。「やっぱり超能力だ!」

多分、一昨日一緒に見ていた人は、それでも疑うかもしれません。そこで、ミスターマリックに登場してもらいましょう。以下の手品をご覧ください。同じようなものもあるし、それ以外もありますが、どれも不思議なものばかり。これが超能力で行われていれば、ミスターマリックも超能力者です。彼は「ハンドパワー」(何だ?そりゃ)とか言っていますし、マリックとはマジックとトリックの造語です。










どうですか?「あんでるせん」とMr.マリックは違うと思いますか?

僕は以前インドに行った時に、サイババにも会いました。でも、近場で見る機会がなかったので、諦めて、現聖者、元サイババの弟子のプレマナンダのところへ行き、彼の欲深さを利用してまんまと奇跡の石「リンガム」をせしめました。無論、それは単なる石でした。彼も手品師でしたし、サイババもそうです。サイババは親族の一人が奇術師で、子供の時から見習っていたそうです。暴露本もすでに出ています。彼らのアシュラムに行った時に、驚いたのは、サイババやプレマナンダの芸よりも、それに群がる欧米の人たちでした。欧米の人たちは、サイババ以上の技を持つ奇術師、手品師をすでにテレビ等で知っているにも関わらず、聖者?がやる分には超能力として見てしまう浅はかさです。雰囲気に飲まれていくのです。「みんなこうして騙されるんだ」と納得しました。

実は、20年前に「あんでるせん」を訪ねた時に、近くの飲食店に行き「あんでるせん」の詳細を訊いたことがあります。そうしたら、マスターは大学では手品部、開店当初は手品だと言って見せていたとか。また、今から10年くらい前にネット上で、手品をよく知る人が、それぞれの芸のタネを明かし問い詰めたら、本人が認めていました。今はそのページは無くなっています。

今回、ここまで詳しく書いたのは、日本人の中でカリスマ的な人、あるいは指導的な人、影響力のある人までもが、「あんでるせん」のマスターの芸を超能力と見ていることに驚いたからです。奇術師を超能力者と断定し、宗教的なことや、精神主義的なこと、主義主張に利用することは間違いです。実際に超能力者はいるかもしれませんが、彼はそうではないということです。手品とは非常に奥深いことと多種多様であることを知ること、そして、「超能力」という言葉に騙されない(雰囲気に飲まれない)ことが本当のことが知りたい人には大事なのです。

超能力って、相当に精神性の高いことだと思うので、毎日やっていたり、金を取ってやっていると、その名誉欲や物欲によってその能力は落ちるはずです。ですから、見世物でやっている人は偽物と思っていいのではないでしょうか。霊的存在が目視できる人で、パリに来たこともないのに、僕(1991年パリ在住中)のアパートの間取りや知人のアパートの間取りを見たかのように話せる知人がいますが、彼にしてタバコ一本をやっと動かせる程度です。しかし、残念ながら私自身はそれを見たことがありません。

以下はさらに面白いですし、今回あんでるせんで見た芸と似たものも出てきます。最後のテーブルが持ち上がるのは、どうでしょうか?私の推察では、観客が助っ人として手伝いますが、彼ら(Mr.マリック側の人、サクラ、おとり)が手に接着剤(or 磁石)を塗って机を引っ張り上げているのではないかと思います。事実かどうかは別にして、種を推察するのも、楽しいものです。


以下はウィキペディアより、奇術の分類ですが、マスターが見せる芸はこの中に全て入ってないでしょうか。これらは昔からある、ある意味古典的手法の数々です。

現象による分類

移動
ある場所にあった物が別の場所に移動すること。

消失
コインなど特定の場所にあった物が消えてしまうこと。カードマジックにおいては、特定のカードに挟んだカードが消えたりと、間接的に消すものが多い。

出現
なかったはずのものが現れること。消失と対の関係にある現象。消失現象とよく組み合わされる。

変身
ライオンが美女に変わるなど、人物が別のものに変わること。変身にかかる時間が短いほど効果的。脱出術とよく組み合わされる。

変化
コインやカードが変化すること。ハーフダラーがペニーに変化したり、カードを弾くと一瞬で違うカードになるなど。特に物体の色を変化させることをカラーチェンジという。

復元
破いたり、燃やしたカードや紙幣を元通りに戻すこと。

貫通
コインにタバコを通すなど、本来通り抜けないはずの物同士を通り抜けさせること。

浮揚
ハンカチや紙幣、ケーン、ボール、人体などを空中に浮遊させ、自由に動き回らせる。

透視
目に見えないはずのものを言い当てる。人が思ったことを当てる場合は読心術となる。

念動
物体に直接触れずに動かす。

予言
これから起こる出来事を予知してみせる。

ところで、それでもまだ疑っている人は、例えばボルトとナットの芸が披露された時に「これでやってください」と言って、自ら持参したものでやってもらってください。(疑って相手を試す!和を重んじる日本人には苦手な分野ですが、これが壁を突破する要点です!)丁重に断られます。何故なら、細工をしていないものではできないからです。今回、僕は最後に一人一人挨拶した時に、プラスチック製のライターを差し出して「ビヨーンと伸ばしてください」とお願いしましたが、「色々問題があって、、」と断られました。ただ、前々回に持参スプーンでお願いしたら、見事に曲がったと記憶しています。それが唯一疑問点でした。しかし、前回から20年経ち、もしかして手品と超能力の両方を使っている可能性も考えましたが、今回改めて見せてもらった結論は手品でした。

しかし、みんなが「持参したものでしてくれ」というようになったら、喫茶店は閉鎖になると思います。それでは面白くないので、みんなずっと騙されて続けてください。その方が夢があって、楽しいかもです。(笑)

最後に日本の伝統的奇術「手妻」をご覧ください。超能力と偽って見せるのは疑問ですが、芸として美しく見せるのはなかなかいいですね!






最後に:僕は「あんでるせん」を悪く言うつもりはありません。ただ、僕には手品にしか見えないということです。人は、特に今の時代は超えたものを見たがるのです。超越したものが欲しいのです。だから、それに答えてMr.マリックにしても曖昧な言い方をせざるを得ないのだと思います。手品師には手品師の生活があるので、それはそれで理解できますが、現代人に必要なのは、現実を直視することだと思います。厳しい目を持つことだと思います。騙されたままでいいと思うのは、現代の政治経済社会の嘘の中で平気で生きていることとダブります。

しかし、自然界の中で超越したものは、やっぱり種だと思います。死んだようにジッとしているのに、温度と水で生き返るように動き出すのは不思議だと思いませんか。これこそ、超越した世界だと思います。自然界こそが、超越した世界、我々の存在こそが奇跡だと思います。その奇跡に気づかずに、他に奇跡を求めるのは大いなる矛盾であります。





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2018年01月12日

水はおそかった

歌謡曲(懐メロ)を聞いていると、時々「この歌に自然や環境や農業の詩をつけるといい歌になるなあ」と思うことが度々あります。昨日も昼のラジオで「花はおそかった」という歌を聴いた瞬間に、ある詩が思い浮かびました。

まず、下の歌詞を見ながら「花はおそかった」の歌を聴いてください。


「花はおそかった」
作詞 星野哲郎
作曲 米山正夫

歌詞
(セリフ)
こんな悲しい窓の中を 雲は知らないんだ
どんなに空が晴れたって それが何になるんだ
大嫌いだ 白い雲なんて!

かおるちゃん おそくなって ごめんね
かおるちゃん おそくなって ごめんね
花をさがして いたんだよ
君が好きだった クロッカスの花を
僕はさがして いたんだよ

かおるちゃん おそくなって ごめんね
かおるちゃん おそくなって ごめんね
君の好きな 花は 花は 花は おそかった

かおるちゃん 君の白い その手に
かおるちゃん 君の白い その手に
花を抱かせて あげようね
君と夢にみた クロッカスの想い出
花を抱かせて あげようね
かおるちゃん おそくなって ごめんね
かおるちゃん おそくなって ごめんね
君の好きな 花は 花は 花は おそかった

(セリフ)
信じるもんか! 君がもういないなんて…
僕の命を返してくれ 返してくれよ!
君の好きな 花は 花は 花は おそかった
バカヤロー!

この歌の替え歌には説明が必要です。今回の旅であちこちでキュウリのツルの話をしています。奇跡のリンゴの木村秋則さんの本に「早朝にキュウリのツルに指を近づけると巻きつく」と書いてありました。しかし、ツルは人を選ぶそうです。例えば、欲深い宗教の教祖には巻きつかなくても、熱心な信者には巻きつくとか、収穫して商売するだけの夫には巻きつかなくて、育てている奥さんには巻きつくとか、教師には巻きつかないけれど、純真な生徒には巻きつくとか、、、。それで試してみました。さすがにすぐには巻きつかず、やっと2、3週間後に巻きつくようになりました。キュウリは何を考えていたのでしょうか?試そうとする私が気に入らなくて、焦らしたのか、どれだけ辛抱するか見ていたのか、、、

これは私の指に巻きついたキュウリのツルです。
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そこで、以下替え歌です。曲をかけながら、歌ってみましょう。

替え歌「水はおそかった」
作詞 種蒔夫

(セリフ)
こんなに水気のない土の中を 雲は知らないんだ
どんなに雨が降ったって それが何になるんだ
大嫌いだ 雨雲なんて

キュウリちゃん おそくなって ごめんね
キュウリちゃん おそくなって ごめんね
水をさがして いたんだよ
君が好きだった地下水の水を
僕はさがして いたんだよ

キュウリちゃん おそくなって ごめんね
キュウリちゃん おそくなって ごめんね
君の好きな 水は 水は 水は おそかった

キュウリちゃん 君の細い そのツルに
キュウリちゃん 君の細い そのツルに
指を抱かせてあげようね
君と夢にみた 抱き合う思い出
指を抱かせてあげようね

キュウリちゃん おそくなって ごめんね
キュウリちゃん おそくなって ごめんね
君の好きな 水は 水は 水は おそかった

(セリフ)
信じるもんか キュウリが食えないなんて
僕のキュウリを返してくれ 返してくれよ!
君の好きな 水は 水は 水は おそかった
バカヤロー

現在、長崎県内で5人分蒔いたのみ。佐賀県は一人でしたが、長崎県もあまり縁が無さそうです。替え歌を作るほど暇なんです。しかし、長崎といえば旅先のあちこちで話題になった喫茶「あんでるせん」。そこだけは行こうと思います。報告、お楽しみに!

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2018年01月11日

ホームレス男性に心無い行為をした少女3人組に非難の嵐(英)

以下のアドレスからの転載
https://netallica.yahoo.co.jp/news/20180111-73434109-techinq

イギリスは慈善行為に手厚い国として知られているが、もちろん人によりその反応は様々だ。このほどホームレス男性に心無い行為を働いた10代少女3人組の姿を目撃した女性が、自身のFacebookに投稿すると瞬く間に拡散した。それを知った3人組の1人が反論に出たが、目撃者やユーザーらは激しい非難の声を浴びせている。英メディア『The Sun』『Metro』『Mirror』などが伝えた。

ある夜、ロンドン東部ウーリッジにあるチキン料理のチェーンレストラン「Nando’s(ナンドス)」で食事をしていた霊能力者のサリー・カドモアさん(46歳)は、我が目を疑う光景を目にし衝撃を受けた。現在は削除されているサリーさんのFacebookへの投稿によると、16か17歳と思われる騒々しい3人の少女がホームレスらしき男性を連れ立って店内にやってきて「夕食を奢ってあげる」と言ったそうだ。男性に席につくよう促した3人はカウンターへ向かい、スタッフと言葉を交わした後タバコを吸いにレストランの外に出た。

その後、ホームレスの男性が「何を注文したのか」と3人に尋ねるも、少女らは馬鹿にしたような笑い声を発していただけだったという。店内の客のほとんどが、この騒々しい3人に気を取られ見ていたようだ。少女らはそれぞれスマホを手にしてフラッシュを焚いた状態でホームレス男性の動画を撮影していたからだ。不審に思ったホームレスの男性がカウンターへ行くと、スタッフから「3人は注文などしていない」と聞かされ、不快感を露わにした。しかし男性はスタッフに謝罪し、レストランを出た。

期待していた食事にありつくことができなかったホームレスを見た3人組は笑いながら撮影を続け、男性の後ろをしつこくついて歩いたようだ。その一部始終を見ていたサリーさんは激怒し、Facebookにこのように綴った。
「3人には食事を奢ってあげるという意図など最初から無かったのよ。しつこく後をついて嘲り、ホームレス男性を恐怖に陥れていたわ。まったくもって最低の行為。3人は自分たちのした行為にさぞ満足していることでしょうね。男性が本当に気の毒だったわ。」

その後、男性に食事をご馳走したというサリーさんの投稿は拡散し、地元のアカウントにもシェアされた。すると少女らの名前を公表する者も現れ、少女への脅迫めいたコメントも数多く見受けられた。さらに複数の英メディアでも取り上げられたため、サリーさんは自分の投稿を削除している。
しかしそれだけでは終わらなかった。3人組のひとりである17歳の少女がサリーさんとメディアに反論し、このように語ったのだ。

「友人らとマクドナルドを出たら、ホームレスの男が近づいて来て『タバコを持ってるか』と聞かれたの。私はタバコを吸わないから代わりに飲み物を買ってあげたけど。でも男はもう1杯欲しがったので、私たちは無視したわ。すると友人の1人に卑猥な言葉を投げかけてきたので、男を追い払うためにNando’sに入って店のスタッフに『ホームレスの男がウザいから注文するふりをさせて』と言うとスタッフは分かってくれた。友人がタバコを吸っていたから私も店の外に出て、3人でその場を立ち去ろうとしたらホームレスの男が出て来て、私たちを『嘘つき!』と言って叫び出した。男は友人の1人に掴みかかってきたので、友人は自己防衛で男を突き飛ばしたわけ。男が不適切な言葉を投げかけてこなければ、食事を奢ってあげたのに。」

この反論にサリーさんと目撃者らは納得せず、3人の少女はホームレス男性を完全に冷やかしていたと主張している。
「私たちが目撃したのはそんな光景じゃない。3人はホームレス男性をからかって撮影していただけじゃないの。彼は凍える寒さの中で座っていたのよ。あなたたちに食べ物を与えてほしくて頼んできたんじゃない。あなたたちの行為は恥ずべき卑劣なものよ。自分たちの行いは巡り巡っていつか自分に帰って来るわ。」

サリーさん以外にこの光景を目撃していた人たちも「正当化して弁解するのは止めろよ。一部始終を見ていたけど、君たちの1人は男性に何かを投げつけていたじゃないか」「あなたたち、ずっと男性を追いかけ続けていたでしょう。男性は逃げようと駅のほうに去って行ったわ。本当に彼が気の毒よ」と非難し、Facebookのコメントにも「もし自分の娘がこんなことしたら、親として子育て失格だと自分を恥ずかしく思うわ」「この3人の親はいったいどういう教育をしているわけ」といった声があがった。

すると少女の姉という人物が「私の親は妹の行動とはなんの関係もない。妹は17歳なんだから自分の意思で行動している」と“大きなお世話だ”といわんばかりの反撃に出た。さらにサリーさんの更新されたFacebookアカウントによると、少女のおばや少女の家族の知り合いとみられる人物からもサリーさんに脅迫めいたメッセージを送っており、ますます非難の声が高まった。サリーさんは後日、Facebookで「嫌がらせにはもううんざり! 私は何も悪いことはしていない。これからも人としてなっていない行為を見たら投稿するわ!」と綴っており、怒りを露わにしている。

このニュースを知った人からは「名前と顔を公にすればいい」「最低な連中だ」「悪いことを理解できる年齢でしている行為だろ。それを弁護する家族も家族だよ。恥を知れ」「他人が苦しんでいる姿を撮影することのなにが面白いんだ」「いつかあんたたち3人もホームレスにならなきゃいいけどね」「しっぺ返しは絶対に来るぞ」「3人がどういうふうに育って来たかが一目瞭然だわ」といった声が寄せられている。(転載終わり)

種蒔夫:ホームレスの人達をどういう風に思いますか?彼らと話したことがありますか?種蒔く旅を始めてから、私には違和感がなくなりました。たぶん、同じ準出家者として同類だからでしょうか。(笑)それでも、当初はこわごわ近づきました。しかし、話してみるとそこに至るまでの過程が大変興味深く、数時間話し込んだりしました。長居しすぎて、彼らの野糞トイレを使わせてもらったり。

また、ある時にはホームレスが人の家に間借りしていて、ホームアリになっている人も見ました。その時に、意外な側面を見ました。彼らには品性が備わっていると感じたのです。家があるからではないのです。彼らの人生の歴史がそうさせていると思いました。出しゃばらない、わきまえている。昨日「心豊かな人は、創意工夫で金に代わるものがたくさんあることを知っている」と言いました。自然の中はその宝庫なんですが、彼らは都市部でそれをしています。人が捨てたものをうまく利用して生きています。彼らの金への依存度は通常よりずっと少ないでしょう。ただ、この世が金の世界だから、彼らにもその問題が押し寄せてくるのです。

もし、この世界から金がなくなったら、この世界が金の世界でなくなったら、どうでしょう?

普通の人は慌てふためくでしょう。悠然としているのはホームレスの人だと思います。元々がそういう世界に生きているのですから。立場が逆転してしまうかもしれません。そう言う意味では、ブッダが言うように、この世界は空蝉(うつせみ)、見せかけの喜びでできているように思えます。金のある世界は実際には、あるいは現実はそうかもしれませんが、真実の世界ではないように思います。見せかけの世界を人間が作り上げている。それに惑わされている。

金の世界が空蝉の世界だと知るには、豊富にある時にはわからず、無くなった時にじんわりとわかってくるのではないでしょうか。それなのに、何故金持ちの僧侶が多いのでしょう。世も末なのは、それが一番物語っているのかもしれません。

この記事の少女たち、あるいはその家族はこの空蝉の世界で翻弄されている哀れな人達であり、ホームレスをからかうなど、罰当たりもはなはだしい。

ながさきいは今日もゆきいだあったあ〜、さむーい!
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現在、長崎県大村市 9410番
佐賀県は不発で、たったの一人に蒔いただけでした。



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2018年01月10日

ブッダの話

年末に風邪で寝られなかった夜にNHKのラジオの「聴き逃し」を次々に聞いていました。その中で佐々木閑氏のブッダの話が興味深くて5回くらい繰り返し聞き、録音もしました。仏教には全く関心がありませんが、この旅にも関わるところもあり、プロの僧侶とは異なる見解かもしれませんが、私なりにこの時の講演の話をまとめてみたいと思います。

講演:佐々木閑氏の「より良く生きる」の内容、及び感想

ごく普通の家に生まれれば、子供は「良い人生を歩む」ように教育される。つまり、いい学校・大学を出て、いい会社に入っていい給料をもらって、裕福な生活をするように教育される。これは社会システムの中で決められた道を歩むことを意味している。大方の人はこういう生き方をしている。

しかし、これに反する生き方をすれば奇人変人と言われ、世間の評判はけして良くない。ブッダはこの道を選んだが、これを出家と言う。

何故、ブッダはこの道を選んだか?

2500年前、カースト制の2番目の地位であるクシャトリアに生まれたブッダは、ある夜の宴会が終わった後に、皆がゴロ寝している中で、ただ一人目覚めた。そしてそれまでのみんなと分かち合っていた喜びが空蝉(うつせみ)のもの、見せかけの喜びだと気付いた。

そもそも人間はやがて歳を取り、病を持ち、そして死んで行く。この老病死の苦しみから逃れることはできない。この苦しみから解放される道はないのか?それを探る旅に出るのである。

そして馬と御者を連れて旅だった。それは世俗を目的として生きる人生ではなく、本当に自分にとって役立つ、満足できる人生を見つける旅だった。

アッラーラという座禅(精神集中)の専門家のところで修行すると、やがてアッラーラと同等の極意を身につける。アッラーラは「共同で組織を立ち上げて、儲けよう」と誘ってきた。その欲深いアッラーラの姿を見たブッダは「座禅(精神集中)では苦しみを消すことはできない」と知り、次の師匠ウドラカのところに行くが、再び同じような体験をする。

そこでブッダは今度はただ一人で難行苦行を始める。肉体を痛めつけたり、断食を試みる。しかし、これでも老病死から自由になることはなかった。数年に渡る試みも無駄に終わった。

そこで、彼は心地よい菩提樹の下でひたすら時間を過ごした。そして悟ったのである。自ら心の中を変えることでしか、悟りを得られないことを知った。また、精神集中(坐禅や瞑想)や難行苦行では悟りを得ることはできないことも知った。

彼の悟りとは

「老病死」には奪われるという共通点がある。
「老」は若さの回復の見込みもなく、若さの持つ自由を奪う。
「病」は健康が持っている自由を奪う。
「死」は一生をかけて積み上げてきたものを全て奪う、

人間は生物の本能として、できるだけ多くのものを私という領域の中に取り込むことが幸せだと考える。「老病死」がそれを奪うとすれば、集め、取り込むことは自分の不幸の種を増やして行くことになる。ゆえに、取り込まないことでこそ、人間は自由を得ることができる。

その他に、

1、僧侶にとっては、財産や生産活動も我を強くすることにつながり、修行の邪魔になる。

2、年齢を重ねることや大病を患うことは、心の平安に向かう道でもある。心が磨かれるキーである。

3、「慚愧」(ざんき=自分の言動を反省して恥ずかしく思うこと)とは悟りに必要なことであり、無残無限(むざんむげ=戒律を破りながら、心に恥じないこと)は悟りから遠い。

4、他人の間違いに目を向けず、比較の基準を常に自分に設定しておく。一歩一歩歩んでいる実感が自分の幸せに繋がる。他人と比較することにより、悟りの道は崩れる。

5、六根ー五感は全て錯覚である。6番目の錯覚は心であり、心の錯覚とは「この世界の中心に私がいる」という意識であり、最も大きな苦しみを生む。「生きる」とは自分の生命を守るための防衛であり、生きるために奪うことだからである。自分が生きるために、他者を犠牲にすることである。故に、自分中心の世界をどれだけ客観的、相対的に見ることができるかが鍵である。
(講演まとめー終わり)

種蒔夫:いろいろ感じることがありました。

1、出家

ウィキペディアによれば「出家」とは、正確には「師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏教に入ることである。」とありますが、この講演の中で言われているように「社会システムの中で決められた道を歩むことをしないこと」とすれば、旅人になることもそうですし、学校に行かないこともそうです。無農薬農業を志すのもそうでしょう。金目的では無いアーティスト等になることもそうです。原発事故を境に単独(一人、一家族)で都市部から、あるいは東北地方から他の地域に引っ越した人たちもそうでしょう。

つまり、金、名誉、立身出世、世間に合わせる等々を目的としない生き方は、広い意味では「出家」であり、言葉が過ぎれば「準出家」とも言えるでしょう。

本当の出家ほど、厳しくは無いでしょうが、世間一般常識的生き方からすれば、厳しい生き方であるのは確かです。厳しいというのは、世間には常識的生き方をしている人が99%なので、彼らの中にいれば肩身が狭いからです。しかし、そこから離れたり、準出家者が多い中では、相当に自由で楽しいのです。

「相当に楽しい、あるいはすごく楽しい」と何故私は言えるのか?考えてみれば、私は教師を辞めてから、その道(アーティスト、無農薬農業、種蒔く旅人)ばかりで生きて来たので、実感として言えるのです。しかし、実家に帰ったり、親戚縁者の中では、相当に変人奇人になるので、「賞を取る」「絵が売れる」「マスコミが騒ぐ」等でなければ、乞食同然のような、それこそ「どこから来たかもわからないコギタナイ人」でしかありません。アーティストの時ならまだしも、「種蒔く旅人」は賞にも、金にも、マスコミにも無縁なので、それこそ「コギタナイおじさん」でしかありません。(笑)

今回、旅をしていて感じたのは、立ち寄る家やグループによっては、アーティスト仲間と一緒にいるように、すごく心地いいことです。彼らは何をしているかといえば、無農薬農業、自給自足的生活、移住者、ホームレス、学校へ行かない子供のいる家庭、旅人、世間や世界を憂えている人、、、などなどです。これ、すべて準出家者です。

これを読んでいるあなたも!もしかしてそうでしょう。あるいは、準出家希望者とか!そういう人しか、このブログを見ませんから。これからは「何をしていますか?」と問われたら「準出家者(希望者)です」と答えましょう。(笑)

出家で思い出すのは、子供の頃に、玄関に異様な声がするので出てみると、托鉢の僧が異様な出で立ちで堂々とお経を唱えている姿。出家の僧だったでしょう。「別世界からやって来た」感じでしたが、社会システムから外れているので、当然の衝撃だったでしょう。今でもごく稀に都会のビル街を歩く僧がいるようですが、昔に比べればはるかに少なくなり、そういう衝撃を受ける機会が少ないのは残念です。
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2、不幸の種

「人間は生物の本能として、できるだけ多くのものを私という領域の中に取り込むことが幸せだと考える。「老病死」がそれを奪うとすれば、集め、取り込むことは自分の不幸の種を増やして行くことになる。ゆえに、取り込まないことでこそ、人間は自由を得ることができる。」とあります。

聖書の中にも、こういう一節があります。

「金持ちが天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と。つまり「金持ちは天国に行けません」と遠回しに言っています。

東西の宗教のこれらの言葉は同じような意味合いだと思います。この話をすると、否定する人がいます。本人が金持ちだからか、わかりませんが、これは普通に考えば、当然のことです。

金があればあるほど、それを守らねばなりません。守るには、厳重に鍵をかけなければなりません。頑丈な鍵を探す努力をする。金庫をどこに置くか悩む、あるいは隠すか。現代ならば、それを金の延べ棒にするか、銀行に預けるか、株を買うか、為替か、不動産にするか、商売するか、、、、これだけで相当にストレスです。そしてそれにまつわる疑心暗鬼、あるいは増えたか減ったか日々悩みのタネになります。

世の中には悪い人間もいるので、気をつけないといけません。だから、やたらと友人になるわけにはいきません。人を疑う気持ちも人一倍持っていないと騙されます。友人知人は少なくなります。ほとんど家族だけになります。しかし、その家族が問題です。家族の不和の元は物欲だからです。財産の奪い合いになります。それで不幸になった家族は星の数ほどあります。

お金持ちで「いつでも誰でも家にいらっしゃい」なんていう人がどこかにいますか?いれば教えてください。種蒔きに行きます。そういう人がいれば、私にとっては生まれて初めての人ですし、もしかしたらブッダやキリスト以上の人ですから、崇め奉ります。それほど、財産からの自由は難しいと思います。

私は様々な人のところに訪問しますが、金がない人の家ほど自由です。いつ行っても大歓迎です。生活が自由、考え方も自由、とらわれない生き方を普通に、無理なくやっています。さらに接待も貧しいどころか、金をかけないで十分な接待をしてくださいます。貧しい生活は、成り行きでそうなったのか、自ら進んでそうなったのか、わかりませんが、それはともかくとして、それが事実なのです。その時にブッダやキリストの言葉を実感するのです。

また、こういう人にも出会いました。「無一文になった」体験をした人。銀行にも金無し、所持金も無し。わずかな持ち物だけが財産。あちこちで4〜5人出会いました。そういう人がどういう風になるのか?「飢餓で死ぬ」だろうと思いますよね。ところが、そういう人には逆に人が寄って来るのです。彼らは「助けて!」とは一言も言わないのです。その現状を知った人が、あちこちから救いの手を差し伸べるのです。不思議なところです。本人たちも異口同音にそれが不思議だと言います。

ただし、財布も貧しく、心も貧しい人もいます。これは、「金が全てだ」と思いつつ、貧乏人だからです。心豊かな人は、金に依存する生き方から距離を置いています。それがいかに卑しく、醜いことになるか、知っているからでしょう。金は道具でしかない、つまり金槌やクワと一緒です。それが必要な時に使えば、便利なだけだと知っています。必要以上には持たない。しかし、心貧しい人は、それで何でもしてしまおうとします。だから、金がない限りは何もできません。創意工夫で金に代わるものがたくさんあることを知っているのが、心豊かな人の生き方ではないでしょうか。

3、病

「年齢を重ねることや大病を患うことは、心の平安に向かう道」とあります。どちらもみんなが嫌がることです。できれば、避けたい。しかし、私が旅で出会った人たちで一目を置くのは、こういう人々がほとんどです。最近は歳を取ってもいつまでも若かったり、金があったり、便利なものがあったりして諦めが悪くなっているので、年齢による悟りはだんだんと難しくなっていますが、病は人間を変えて行きます。180度逆方向に行くことも多々です。

不治の病でなくても、農薬で体を壊した人が無農薬栽培に変わり、しかも生き方まで変わって行く人もいます。食品類で体を悪くして、自然農に目覚めたり、自然食品店、自然食レストランをする人などもいます。単に職業的な問題ばかりでなく、生き方そのものが変わることです。そして人への影響力があること。

準出家者のみなさん、これからも貧しく楽しく生きましょう。それが最善の道のようです。旅派、自然栽培派、自給自足派、病克服派、ホームレス派、アート派、不登校派などなど宗派はいろいろですが、求めるところ、行く着く先はほぼ同じでしょう。多分、それが地球や人類を救うでしょう。






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2018年01月07日

情報収集ー佐賀・長崎・沖縄

これから、九州に向かいます。佐賀県・長崎県・沖縄県が目標地点です。時間があれが、途中の県にも寄ります。タネを蒔くのにふさわしい人やグループがあれば、教えてください。
daiki8822@yahoo.co.jp

現時点;島根県出雲市 現在9398番



posted by 種まく旅人 at 20:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月28日

休憩中

年末の休憩に入りました。と同時に風邪を引き、寝込んでました。普段ならば、風邪をひいたら断食して治すのですが、休んでいるところが母と姉がいるところ。久しぶりなので、ご馳走は出ますし、一人食べないのは二人にも可愛そう。それで今回に限って、食べながら治すことにしたものの、36.7℃→37.2℃→37.6℃→38℃とドンドン上昇し、これが続くのも難儀だなあ、、、と思っていたら「解熱剤があるよ」普段は薬は一切飲まない私も、今回に限り「飲むか!」それでやっと落ち着いて来たのです。たまには薬も役立ちます。これで、五郎八の散歩にも行けます。
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2017年12月21日

コギタナイと言われたことに大反論

昨日紹介したビデオにおいて、種蒔夫は生まれて初めてコギタナイと言われたので、それには真正面から以下の事例により大反論をします。

1、種蒔夫はおしっこする度に、皇室御用達の褌(ふんどし)を替える。
2、種蒔夫はスーパー銭湯を毎回一人で貸し切って入る。
3、種蒔夫は目の消毒に塩酸を使う。
3、種蒔夫の耳掃除は長いブラシを右から差し込んで、左から抜いて掃除する。
4、種蒔夫は鼻に消防用ポンプを入れて、勢い良く鼻糞を取る。
5、種蒔夫は虫歯予防のために、総入れ歯にしてある。
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6、種蒔夫はウォシュレットを使う時には常に98℃の高温で熱湯消毒をしている。
7、種蒔夫の体清掃には業務用ステンレスタワシ以外は使わない。
8、種蒔夫は完璧な汚れ落としのために、週一でガソリンスタンドの洗車場を使用する。
9、胃腸の清掃の際は、開腹してママレモンでしっかり洗う。

これ以外にも他人が真似のできない清掃方法が様々ありますが、極秘なのでこれ以上は開陳できません。この事実を知った方は種蒔夫を「コギタナイ」と言ってはなりません。「薄気味悪い」が妥当です。

posted by 種まく旅人 at 09:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月15日

種蒔く旅人のビデオ

昨日は滋賀県内の「ひとつぶてんとうえん」と「たむたむ畑」に行きました。どちらも小さい子供と親が集まるような場所でした。「ひとつぶ」の方は、将来的にはフリースクールを作りたいとか。滋賀県は小さい子供さんがいる家族に種蒔きする機会がとても多いです。これも縁ですね。

12月20日に「たむたむ畑」で、再度タネに関心のある人を集めて種蒔きをすることになりました。種蒔夫がどういう人か気になる人は以下のビデオを見てください。このビデオをきっかけに滋賀の種蒔きが始まりました。ビデオ→井ノ口さん→そこから今現在で76人の方に広がって行きました。たった一つのビデオ、たった一人の人と言えども、一粒の種同様に、馬鹿にならないですね。

また、滋賀を出たら京都、兵庫、鳥取、佐賀、長崎、沖縄と行きますので、興味のある方は以下へメールを daiki8822@yahoo.co.jp



posted by 種まく旅人 at 14:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

再出発

しばらくご無沙汰してましたが、いよいよ再び種蒔きの旅に出ます。この1ヶ月は肉体労働的なこともしていたのですが、そのお陰で発見と進展がありました。

旅の間、食の量が減って来て以前のような食欲が無いなあと思っていたのですが、やっぱり労働不足だとわかりました。筋肉を使う生活になると、食べる量が増えました。当たり前かもしれませんが、実感しました。「あれ、こんなに食べれる!」とびっくりでした。

机上の仕事ばかりしている人には、何でもいいので肉体労働(筋肉を使うこと)薦めます。また、手を使う作業は脳を活性化させます。米作りしていたときも感じましたが、とにかく肉体労働は心身ともに健康になります。人間にとって大事なことだと思います。時代とともに便利なものが増え、面倒なことが減り、そして肉体労働が減るのは、人間の心身にとってどうかなといつも思います。きっと、ロボットは人間を退化させます。最後には生きているだけで、やることがなくなります。

「肉体労働をすると腹が減る」が発見ですが、進展は手を使うことで、日に日に血が騒ぎ出したことです。「血が騒ぐ」とは、元々の私自身が現れだしたのです。私はやっぱり作ることが好きなんですね。手を使うことで、手を使うことが好きなんだと自覚されられました。そうなると同時に、いろいろなアイデアが湧いてきて、創作物を作りたくなったのです。多分、種蒔きが終わったら、再び何かを作り出すと思います。できれば小規模に田んぼや畑をやりつつですが、手作りのものを作りたいと思います。この数年の体験と思いを生かして、素材はやっぱり植物関係です。米、もみ、わら、竹、葉、豆などタネ類などなど。

それでは、9122番から再度出発です。
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posted by 種まく旅人 at 11:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月28日

山澤さんとの会話

9月2日と4日にお会いした山澤さんとの会話(4時間のうちの2時間分)をまとめました。方言がわからず四苦八苦してやっと整理できましたが、わからない部分は割愛して、理解できた部分だけを紹介します。
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問い:山沢さんの夢は

答え:「タネとして残せるエネルギーのある植物を作ること」
つまり、在来種、固定種の栽培をすること。

問い:何故か。

答え:(種蒔夫)一例として「じゃがいも飢饉」という言葉が出ました。その場では聞き流しましたが、初めて聞く言葉だったので、調べてみました。これは、先日のブログ日記「飢饉2」でも、取り上げましたが、ジャガイモ飢饉に関わるジャガイモ栽培の問題点に関して転載します。ウイキペディアより。

ジャガイモは通常、前年の塊茎を植えるという無性生殖による栽培法を用いるが、当時のヨーロッパでは収量の多い品種に偏って栽培されており、遺伝的多様性がほとんどなかった。そのため、菌の感染に耐え得るジャガイモがなく、菌の感染がそれまでにないほど広がった。ジャガイモが主食作物であった原産地のアンデス地方では、ひとつの畑にいくつもの品種を混ぜて栽培する習慣が伝統的に存在し、これが特定の病原菌(レース)の蔓延による飢饉を防いでいた。また現代の大規模農業でも収量の多い品種に偏って栽培される傾向は強いが、種芋の段階で防疫対策が取られているほか、品種改良によって耐病性を獲得させている。(転載終わり)

旅をしていて、がっかりするのは北海道から九州までスーパーの野菜類がほとんど同じ種類であることです。耐病性のある種類かもしれませんが、もし将来それに対抗しうる病気が流行れば、日本全国に蔓延する可能性があるのです。そういうことを防ぐために、種が取れる在来種を複数の種類育てておく必要があるわけです。

ジャガイモの話になり「ジャガイモには種がある」と聞いてびっくりしました。調べてみると、確かに実がなり種が採れるようです。しかも、ナス科ナス属。
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問い:山澤さんが使う肥料は?

答え:鳥の糞を使おうと思ったら、鶏は家畜法でワクチンを打つ義務があると知り、断念。スズメは売っているところがない。それで昔エジプトでも使っていたという鳩の糞にした。フランスからオスを、ベルギーからメスを合計130羽購入し、今では4000羽に。鳩専用の小屋を三棟建て、それ以外にも1億数千万かかったが、鳩はレストランに1羽5万円で売れる。

問い:堆肥の量は?

答え:収穫の30%を堆肥にして畑に返さないと連作障害を起こす。

苗作りの土は?

答え:一番いい土は山の土(表土)。それを火入れ(山形弁でへえれ。大きな鍋で焼く)して使用する。

問い:水は?

井戸を掘り、無菌の地下水を使っている。井戸が掘れなければ、雨水を使うと良い。
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問い:害虫対策は?

答え:アブラムシを増やし、てんとう虫を呼び寄せる。てんとう虫が増えれば、アブラムシは減る。3年はかかるが、それで虫の害は防げる。てんとう虫は全てのアブラムシを食べることはなく、必ず2割残しておく。後先を考えずに、全部食べ尽くすのは人間だけである。
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問い:どれくらいの在来種を育てていますか?

答え:今現在、600種類の在来種を育てているが、目標は1000種類。
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問い:日本各地の作物全てがここで育つ理由は?

答え:水、温度、風に配慮すれば、どこでもどんな種類でも育てることができる。

問い:化学肥料について

答え:微生物が分解する過程を人間の文明が削除しただけ。化学肥料を使っても植物は困らないが、土壌の多様性がなくなる。アメリカの土地は劣化している。そのために、今後水耕栽培が主流になるだろう。

山澤さんの野菜だけのレストラン「土遊農」の一皿
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問い:これからの農業は?

答え:50年後、ディズニーランド化するだろう。大都会の建物の2、3階以上は、法律の規制で、ガラスハウスになる。海抜の低いところでは米を作り、半径200mくらいのところで全ての食料が得られる。

また、植物に1日を数日に感じさせるようにして、光合成を短期に行えば、早く生産できる。(山澤さんは実験済み)

種蒔夫:これらの答えには、どうして?どうやって?とさらなる問いが生まれますが、ここで実際に見て、実行して知るしかないなあと思いました。興味のある方は、誰でも受け入れるそうですから、行ってみてはどうでしょう。
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山澤さんにも何種類かのタネを差し上げ、山澤さんからは100年後も芽を出す蕎麦の種を頂きました。開封するとそれだけ寿命が縮まるので、瓶を開けないように言われました。開封と同時に、希望者にお分けします。一人数粒ずつですが、希望者は以下へ。
daiki8822@yahoo.co.jp

山澤さんとの出会いの日のブログ日記
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/454263648.html

山澤さんのインタビュー記事
https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/dango07


posted by 種まく旅人 at 08:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする