2017年08月21日

森の子どもの村

徳村夫妻が始めた「森の子どもの村」ー子どもたちが水道やガスのない森の中で二週間ほど生活しますーは今年の夏も200人ほどの子どもたちでいっぱいだそうです。
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「生活力」という言葉がありますが、現代的な意味では、どれほど金が稼げるか、ということになります。しかし、実際の生活力とはどうやって安全な水、食、エネルギーを得るか、自然の中で自然の力を借りてどのように生きていくのか、ということだと思います。
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全てがボタン一つの生活になった今では、それはあまりに煩わしい事ばかりです。しかし、自然とかけ離れた現代的生活の中で、本当の人間の生はあるのでしょうか。また、世界中の70億人が今の日本人のような生活をしたら、エネルギーも水も食料もすぐに尽きるでしょう。子供も、大人も、それが意識に上ることさえありません。あまりに贅沢すぎて、金持ち国の傲慢な生活でしかありません。
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また、我々は自然無しにはあり得ないにもかかわらず、あまりに自然を知らずして日々を生きているという罪深いまでの無知。
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そういうことを子どもなりに体で知る機会を与えてくれるのが、この「森の子どもの村」です。私は日本中の、特に都市部に生活している子どもたちに、ぜひここでそういうことを体験してほしいと願っています。しかし、徳村夫人に先ほど電話でお話ししたら、これ以上増えるのは森の許容量以上になるので、控えめに紹介してほしいということでした。実際、「森の子どもの村」に参加するための要項はネット上には出ていません。全てが口コミだからです。ただし、体験談はネット検索すればたくさん出てきます。
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ということで、子どもの真の成長を願う人は、是非とも手紙を書いて希望を願い出てください。ただし、今年の夏のキャンプはすでに始まっているので、今冬か来夏です。
住所は以下です。

〒099ー5613
北海道紋別郡滝上町滝西
「森の子どもの村」
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子供ばかりでなく、都会生活しか知らない親にとっても、新鮮な体験だと思います。



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2017年08月19日

ストックホルム・アピール

7月に国連会議で核兵器禁止条約が賛成多数で採択されました。

賛成122カ国、
反対1カ国、
棄権1カ国、
不参加約40カ国(アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国・インド・パキスタン・北朝鮮・イスラエル・日本・イタリア・カナダ・デンマーク・ノルウエー・ベルギー・ドイツ・スペイン等々)

反対に等しい不参加国は核保有国とその軍事同盟諸国。ほとんどが大国、先進国、世界をリードする国ばかり。これでは、どうにもなりませんが、地球に住む人たち(全世界の人口)の多数決で決めたら、70億人の賛成、反対の割合はどうなるのでしょう。1950年にそれに近い署名活動が行われたことを、昨日紹介した「森の子どもの村」の徳村さんから聞きました。資料を調べつつ、その詳細を書いてみます。

徳村さんは戦時中、広島江田島の海軍兵学校の生徒でした。8月6日広島に原爆が落とされ、内部被曝しました。戦後は原爆関係の映画を作ろうとしていたグループに属していました。

その頃朝鮮戦争が起こり、アメリカ大統領トルーマンが朝鮮半島に再び原爆を落とすような動きがありました。それに対してキューリー夫人の娘婿であるジョリオ・キューリーが中心になって平和擁護世界大会委員会(のちに世界平和評議会)ができ、その動きを阻止しようとしました。

そのアピールの内容は

1、われわれは、人民にとっての恐怖と大量殺害の兵器である、原子兵器の絶対禁止を要求する。

2、われわれは、この禁止措置の履行を確保するための、厳格な国際管理の確立を要求する。

3、われわれは、どのような国に対してであれ、最初に原子兵器を使用する政府は、人道に対する罪を犯すものであり、戦争犯罪者として取り扱われるべきであると考える。

4、われわれは、世界中のすべての善意の人々に対し、このアピールに署名するよう求める。

―これらのアピールを採択、発表して、世界の人々に署名を呼びかけました。

その結果、世界中から5億人の署名が集められました。当時の世界総人口が25億人ですから約20%、70億人の今ならば14億人の署名です。日本からも639万人の署名が集まりました。当時の日本総人口8320万人の7.6%。今の人口ならば約1000万人になります。

1950年2月、平和擁護世界大会委員会書記局から日本の「平和を守る会」宛に委員会への招請があり、それを受けて大山郁夫・金子健太・川端康成の3人の派遣を決めパリの書記局へ返信をしましたが、連合国軍総司令部の渡航許可が得られず、出席は果たされませんでした。今回も同様ですが、アメリカの介入があり、日本の核兵器反対の意思表明は難しかったのです。

しかし、大山・金子・川端の代わりの人選が行われ、無許可であろうが、密航でもして日本から何人か送り出そうとしました。その一人として徳村さんが選ばれるのです。しかし、渡航許可がないので、徳村さん曰く「遣隋使、遣唐使の頃よりももっとひどい小さな漁船」での密航だったそうです。
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最初に着いたのが中国でした。その頃毛沢東が主席になって3年目で勢力がある時期で、中国共産党がトラック部隊を作り密航を担当していたのではないかと。北京ではアジアと太平洋地区の平和大会に参加し、それを終えると北京から飛行機でモスクワに向かったそうですが、吉村さん曰く「小さな飛行機で赤とんぼのように羽根をバタバタさせて飛び、生きた心地がしなかった」と。今でも飛行機だけはダメだそうです。

モスクワからは汽車に乗りウィーンに到着します。世界中から2000人が集まった大きな大会だったそうです。吉村さんは「そのアピールや会の影響はなく、国際関係、勢力関係からいえば、落とすことはできなかったのだろう。広島長崎を各国知っているーそれを後押ししたくらい」と言われましたが、ウィキペディアには

「アメリカ合衆国国務長官などを務めたヘンリー・キッシンジャーは、『この運動のために朝鮮戦争で核兵器を使うことができなくなった』旨回顧録に記している」とあるので、こうした運動はかなりの影響があったのだと思います。

ただ、この平和擁護世界大会委員会は「東側諸国の政府とその意を受けた西側諸国の社会主義者の主導で常設されていた」とあります。しかしその後、その社会主義国のロシア、中国、北朝鮮が核を持ち始めました。右も左も核保有をしている現状はよりひどい状況になっています。

しかし、ネットで個人が世界とつながる今の社会ならば、右左関係なく、各国の市民レベルの総意で反対表明ができるのではないかと思います。10億20億を超える署名が集まり、その機運が高まれば我々の力で核をなくすことも可能ではないかと思いますが、皆さんどう思われますか?

お話を伺った部屋にあった木と水と土の「森」
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2017年08月17日

中洞牧場

昨年夏の水害で道が寸断されて、結局岩手県の中洞牧場に行けませんでしたが、昨日の斉藤牧場のビデオから、YouTubeで中洞牧場のビデオに行き着きました。興味深かったので、今日はこのビデオを紹介します。文字起こししたいところですが、時間がないので、ぜひビデオをご覧ください。日本の酪農の現実がどうなっているのか、アメリカの影響など、よく分かります。

3分くらいから、中洞さんの話が始まります。

こちらは30秒過ぎから。


ヤフーのニュースにも記事があったので、転載します。

牛乳1瓶千円! それでも売れる理由「そもそも牛乳はぜいたく品」 
牧場主の「這い上がり人生」

6/17(土) 7:00配信

 1本1188円(税込み)の牛乳があります。岩手県の山中で自然放牧を営む「なかほら牧場」の牛乳です。経済合理性を無視し、業界の常識に逆らって、30年以上。7年前からはIT企業と連携し、東京に店を出して、売り上げを伸ばしています。こだわりの味と、どうしてこんな値段になるのか、秘密に迫りました。(朝日新聞記者・岩井建樹)

あれ? 思ったより濃くない

 さっそく東京・銀座にある専門ショップで、1本(720ミリリトル)を購入し、飲んでみました。あれ? 思ったより濃くない。飲んだ瞬間は、さらりとしていますが、あとで甘みが口に広がりました。牛乳が苦手だという同僚にも飲んでもらうと、「嫌なしつこさを感じない」と言います。

 なかほら牧場は、アニメ「アルプスの少女ハイジ」のような世界が広がる牧場です。岩手県盛岡市から車で2時間。岩泉町の標高700〜850メートルの山中にあります。24時間365日、約100頭の牛が山を自由に歩き回り、気ままに暮らしています。

 牧場長は、酪農界のアウトサイダーと呼ばれる中洞(なかほら)正さん(64)。話を伺いました。

「ジュースと同じ価格のほうがおかしい」

――なぜこんなに高いんですか
 
 金額だけを見たら確かに高く思えるけど、食品の本質を考えたら、私は高いと思ってないよ。逆に問いかけたいのは、『生き物である牛がつくった乳が、ジュースと同じような価格で売られているほうがおかしいと思わない?』とういうことなんだ。

 一般の牛乳より高いのは、なかほら牧場では効率を求めず、自然放牧を営んでいるからだ。エサは山に自生する草や木の葉で、農薬や化学肥料は使っていない。受精や分娩(ぶんべん)も牛まかせ。糞(ふん)は、草や木の肥やしとなり、循環していくんだ。

「牛乳は工業製品じゃない」

――牧歌的な世界ですね

 同業者からは、「遅れている」「非効率だ」と、批判されてきた。でも、牛乳は工業製品じゃない。家畜であっても幸せになる権利がある。なにより、動物から乳や肉、卵というイノチをいただく以上、その家畜は健康でないといけない。人にとっておいしくて健康にいい牛乳は、幸せな牛から搾れるというのが私の信念だ。

 かつては、いまのようにスタッフがおらず夫婦で牧場を営んでいた。私の妻の陣痛が始まったときには「もう少し待っていろ」と言って搾乳が終わってから、1時間かけ車で病院へ向かった。病院に着いたら30分で無事に生まれたよ。

自然放牧、国内では極わずか

――牧場で草をはむのが酪農のイメージなのですが、普通の牧場は違うのですか

 自然放牧を採り入れている酪農家は、国内では極わずか。コスト削減を優先し、牛舎に牛を押し込み、乳量を増やすため、海外からの輸入飼料を食べさせる。人工授精で妊娠させ、多量の乳を搾る。その結果、1頭あたりの乳量は、なかほら牧場の牛の3〜5倍にもなっている。

30分かけ殺菌、大量生産は無理

――飲んでみると意外に濃くなくて、さっぱりしていました

 「おいしい牛乳=濃い牛乳」というわけじゃない。自然の草を食べて育った牛の牛乳はコクの中にもさっぱりしているから、ゴクゴク飲める。味も季節によって変わる。乳脂肪分は草の水分量が多い夏場は3.5%と低くさっぱりし、冬は4.5%まで上がってやや濃い感じになる。

 風味を失わないよう、殺菌にもこだわっている。低温で30分かけ殺菌するから、大量生産には向かない。でも数秒しか時間をかけない高温殺菌では、焦げ臭い味になってしまう。

売り上げは2億4800万円

――この値段で、売れますか

 食へのこだわりを持ったり、食と健康の関係に気づいたりする消費者が増え、徐々にではあるけど、私たちの牛乳への支持は広がっている。売り上げは、2012年度に7600万円だったけど、16年度は2億4800万円まで増え、今後も増える見込みだ。ネット販売のほか、東京・名古屋に常設店が4つ、協力店が1つある。

 「俺のBakery&Cafe」(東京・恵比寿)では、「こだわり抜いた最高の食パンを」と掲げ、材料になかほら牧場の脱脂乳を使ってくれている。

「牛乳はぜいたく品」

――でも、この値段だと毎日飲むことはできませんね…

 そもそも牛乳を毎日飲む必要があるのだろうか? 牛乳はぜいたく品、滋養食品として、週に何回か飲むくらいでいいんだよ。

――ほとんどの酪農家は農協系の団体に出荷します。団体経由で乳業メーカーに流れ、消費者に届きます。農協を通さない「なかほら牧場」は、酪農業界のアウトサイダーや異端児と呼ばれていますね

 自然放牧にくわえ、農協へ出荷せず、生産から販売まで自分でやってきた。農協からは「出荷をやめるなら、借金を一括で返せ」と圧力を受けたし、地域の同業者からは変人扱いされた。妻や子どもにもつらい思いをさせたよ。

買いたたかれた価格

――そこまでして、直売にこだわったのはなぜですか

 確かに農協に出荷すれば、売り先を開拓する必要がないから楽だ。補助金ももらえる。

 私は1984年、31歳の時に、今の牧場がある山に入植した。当初は農協に出荷していた。しかし、自然放牧だと、乳脂肪分がどうしても低くなる。価格は買いたたかれて、一般の半額にされたこともあった。

普通の牛乳に混ぜられるのが嫌だった

――農協の考える「普通の牛乳」ではなかった?

 半分の値段で出荷を続けるか、それとも自然放牧をやめ牛舎と輸入飼料に頼るか、迫られた。自然放牧を営む酪農家の多くは、後者への転向を余儀なくされた。だけど、私は山を利用する放牧の素晴らしさを知ってしまっていたから、転向する気はなかった。農協に出荷し、私のこだわった牛乳と、普通の牛乳が混ぜられて消費者に届けられるのも嫌だった。

 そこで1992年、私は農協への出荷をやめ、消費者への直売に挑んだ。はじめは、地域で口コミに広がっていった。都市部への宅配も広がり、2004年には、年商が1億円を超えた。

「でも、落とし穴にはまった」

――順風満帆な酪農家人生ですね

 そうだと思うでしょ? でも、そこから落とし穴にはまった。

 2005年、ある投資家から「私に販売を任せてくれれば、売り上げを2〜3倍にする」と声をかけられた。私も調子に乗っていたのだろう。その言葉を真に受け、出資を受けた。乳量を増やすため、第2牧場をつくった。だが、売り上げは増えなかった。

 牛乳製造販売会社の社長だった私は、責任を追及された。金を巡るいざこざに嫌気がさし、2007年、第2牧場と牛乳製造プラントを「9円」で手放した。

「金を考えるのは、向いていない」

――その後はどうやって生活を?

 もとからあった牧場は残ったが、製造プラントを失ったため、搾った乳を捨てる日々が2年ほど続いた。つらかったね。自然放牧のコンサルタントとして、食いつないでいた。

 そんな時、ネット販売を通し取引のあったインターネットサービス関連企業「リンク」(東京)が、支援に名乗りを挙げてくれたんだ。リンクの資金で、製造プラントを新たにつくってもらった。販売や宣伝、資金繰りなど経営面もリンクに任せた。

 金を考えるのは、私には向いていないから。牧場長として自然放牧だけやっているほうが、楽しくて幸せだよ。

――今後の目標は

 私のように、牛を山に放ち自然放牧する酪農を「山地(やまち)酪農」と呼ぶ。この山地酪農を全国に広げることが、私の夢だ。

 日本は、国土の7割近くが山林だが、放置され荒廃が進んできた。この山林に牛を放てば、人が入り込めない藪(やぶ)の中でも平気に歩き回り、林の下草や木の葉を食べ、大地を踏みしめ、そして糞(ふん)をする。藪は消え、土壌は豊かになり、新しい芽が出る。森が再生し、林業との協業にも可能性が生まれる。

大企業をやめ、飛び込んできた夫婦も

――山地酪農を担う人材の育成は

 今、なかほら牧場には、14人のスタッフがいる。みんな20〜30代と若い。中には、山地酪農に魅せられ、大企業をやめ、飛び込んできた夫婦もいる。研修生は年間200人にも及ぶ。将来独り立ちできるよう、山地酪農のノウハウから製造プラントの作り方、製品の加工、販売まで経験させている。

 芽も出始めている。20代の女性が今、神奈川県のある町で、山地酪農を始める準備を進めている。牛を2頭放ち、利益率の高いソフトクリームをつくれば、1人で生活できるくらいの稼ぎにはなるだろう。それ以外にも熊本から北海道まで6人のなかほら牧場の卒業生が独立し、山地酪農を始めている。

 私の志を継ぐ若者が1人ずつ独立してくれれば、日本の酪農界に大きなインパクトになると思っている。


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2017年08月16日

斉藤牧場 旭川市

旭川の斉藤牧場の斉藤さんには会えなかったのですが、まほろばの宮下さんからビデオの紹介があったので、転載します。


「斉藤牧場」ウイキペディアより

牧場主の斉藤晶(さいとう あきら、1928年-)が実践する独特の飼育方法「蹄耕法」が農業関係者から注目され、日本内外の研究者が数多く訪れる牧場となっている。敷地面積は第一、第二牧場併せて200ヘクタールあり、山の斜面に岩や切り株がそのまま残っていて、独特の風景が展開されている。立ち入りは自由で、市民に広く開放されている。

岩手県の中洞牧場の協力により、2004年に小さな牛乳加工プラントが出来た。 牧場で生産された牛乳はそのプラントで加工され旭川市旭山動物園などで販売されており、牛乳を使った杏仁豆腐やロールケーキといった製品も販売されている。
斉藤はモーニングに連載された菅原雅雪作『牛のおっぱい』の登場人物のモデルとなっている。

1946年 入植
1965年 ニュージーランドのロックハート博士が高く評価。 
1974年 北海道産業貢献賞 受賞
1976年 農林大臣表彰
1999年 化学物質過敏症(シックハウス症候群)患者の滞在実験施設が建設される
1999年 山崎記念農業賞 受賞 
2011年 斉藤晶が第45回吉川英治文化賞を受賞

ブログ内の斉藤牧場の記事は以下
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/452317727.html



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2017年08月15日

米軍と日本のエリート官僚の密約、並びに原爆投下に関する実話

種:昨日、ブログ更新した後に、ネットで以下のような記事を見つけました。青森県の核施設、米軍基地もこういう密約があるが故でしょうか。

一部転載します。情報源は http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52466

なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟

私たちが暮らす「戦後日本」という国には、国民はもちろん、首相でさえもよくわかっていないそうした「ウラの掟」が数多く存在し、社会全体の構造を大きく歪めてしまっています。そして残念なことに、そういう掟のほとんどは、じつは日米両政府のあいだではなく、米軍と日本のエリート官僚のあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。(転載終わり)

種:この記事の矢部宏治氏の著書「知ってはいけない――隠された日本支配の構造」の内容紹介は以下です。

情報源はアマゾン https://www.amazon.co.jp/gp/product/4062884399/ref=as_li_qf_sp_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=mo04-22&camp=247&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4062884399&linkId=8d0cc901c2a6d9951d2f779da56c4cc2

私たちの未来を脅かす「9つの掟」の正体、

最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」とは?

なぜ日本は米国の意向を「拒否」することができないのか?

3分で日本の深層がわかる四コマまんがつき!

みなさんは、世田谷区や中野区、杉並区の上空が
米軍に支配されていることをご存じですか?

あるいは、米軍に与えられた治外法権が
日本の国土全体に及んでいることを知っていますか?

「なにをバカなことを…」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、これらは公文書によって裏付けられた疑いようのない事実なのです。

じつは、私たちが暮らす「戦後日本」という国には、
国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない
「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めています。

そうした「ウラの掟」のほとんどは、
アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、
米軍と日本の官僚とのあいだで直接結ばれた、
占領期以来の軍事上の密約を起源としているのです。

3つの「裏マニュアル」ともいうべき
最高裁の「部外秘資料」、検察の「実務資料」、
外務省の「日米地位協定の考え方」を参照しながら、
日米合同委員会の実態と対米従属の根幹に迫り、
日本における「真の権力構造」を徹底解明します。
(転載終わり)

種:文中の「3分で日本の深層がわかる四コマまんが」がネット上にあったので、転載します。
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種蒔夫:これらを読んでいて、7月8日に訪れた政田農場のおじいさんのことが思い出されました。政田さんは終戦直後に占領政策に反旗を翻した当時の日本人としてはとても稀で、勇敢な方です。詳しい話は以下へ
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/452138249.html

政田さんが占領政策のこととは別に言われたことがあります。「アメリカで余ったウランを日本は買わされて、原発ができたのだ」と。これが事実とすれば、密約と関係するかどうかは別にして、アメリカからの押し付け、アメリカの言いなりになる日本政府という点では似通っています。一体、日本政府は日本国民のために存在するのかどうか、疑問に感じるところです。

たまたま今日は終戦記念日ですが、広島原爆投下に関する貴重な実話をお話ししたいと思います。2010年にネット上で「日本の軍部はアメリカに協力して原爆投下の効力を見るために、子供達を投下に合わせて校庭に集合させた」というとんでもない情報を得ました。にわかには信じがたい情報でしたが、それを近所(島根県大田市温泉津町井田)の人に話したところ「似たようなこと(原爆投下を事前に知っていた)を言う人がいる」と言うので、その人を訪ねました。

角さんという80代半ばの穏やかな老人でした。早速その話をしました。すると、以下のような貴重な話を伺いました。

1945年当時、19歳だった角さんは広島の兵器学校の生徒でした。8月5日、兵器学校の校長は全校生徒を集めて言いました。「米軍が新型兵器で攻撃するらしいので、三次に避難する」と。その日のうちに数百人の生徒と教師は50キロほど離れた三次市に到着しました。そこには既に宿泊施設が準備されていたそうです。数百人分の宿泊所の準備ができていたということは、思いついてとか、偶然とかいうよりも、数日前から情報を得ていた可能性があります。翌6日原爆が現実に投下されました。数日後、救助のために全員が広島に向かい、その時に被爆され被爆者手帳をお持ちでした。将来兵器を創るであろう兵器学校の生徒たちは軍部にとっては貴重な人材です。一般庶民を救うことがなくても、生徒達だけは助けたのか?

戦後は、近くの工業高校で教師をしておられましたが、2016年9月に亡くなられました。
日向ぼっこする角さん
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この情報を2011年8月6日に間に合うように、新聞社やテレビ局に連絡しましたが、何も返答がありませんでした。数年前にも、広島に本社のある中国新聞(広島県の代表的新聞)の知り合いの記者にも連絡しましたが、記事にするどころか取材さえしませんでした。こういう第1級の情報に何故マスコミは動かないのか。これもアメリカの圧力なのでしょうか。


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2017年08月14日

山から抜け出した日 核施設と種蒔き

最後の夜になった11日夜中。「何故、抜け出せないのだろう?」と疑問に感じつつ、青森県に入ってからの日々をずっと思い出していました。その結果、種蒔きの新たな見方を感じました。それは種蒔きとその地との相性の問題です。勝手な想像を交えて書いてみます。

最初に入ったのは北海道に行く前に6月末から7月初旬の9日間。情報は矢島さんから八戸の中村さんを。中村さんからはアクアリウムをしている人を含め数人を紹介してもらいました。その後は青森県の日本海側にある原発関連施設を4箇所巡りました。人が集まる恐山にも行きましたが、何故か全く蒔く気持ちになれず、さらに大間港へ行き、そこから北海道へ。この間に蒔いた人数が50人。1日平均5〜6人。ノルマは1日14〜15人ですから、かなり少ないです。

この間に移動していたのは下北半島ですが、ここに原子力関連施設がいかに多いか。私は知っているつもりでいたのですが、実際に調べたり行って見たりして、異常な地区だなあと実感しました。北の果てで、日本人にとって関心も薄い地区に、戦後開拓に失敗した農家から農地を安く買い上げ、核施設を次々に建設していったのです。こういうところで安全安心の農業もあったものではありません。

以下の地図のように、核に関する危険施設が10箇所あります。さらに要注意施設として三沢基地や自衛隊の対空射場など戦争に関わる場所が6箇所。米軍専用、あるいは日米共用の施設面積は沖縄についで2番目に広い青森県。
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おまけに石油備蓄基地(日本第二位の備蓄量)もあります。

以前にも書きましたが「核」「軍隊」「石油」全てが現代的問題を抱え、戦争に突入するための発火点になる可能性のあるものばかりです。基地問題では沖縄ばかりが話題になりますが、総合的に見れば、この青森が最も危険性を帯びた場所ではないかと思います。もし仮に、北朝鮮が青森に数発のミサイルを撃ち込んだら、日本どころか、この世の終わりではないでしょうか。

人類にとって最も大切な農業で成り立っているのではなく、核、戦争、石油で成り立っている半島であり、青森県なのです。日本の(あるいは世界の)命運を握っている県ではしないかと思います。

詳しくは以下を
http://blog.goo.ne.jp/morinoizumi33/e/005f085f78542618b2e3fac86f51b687

ここからは全く個人的な話です。

青森に再度訪れたのが、7月31日でした。8月2日、とても暑かったので五郎八に海水浴を楽しませようと、海岸に行きました。野球のボールを海に投げては、取りに行かせていました。写真に撮る海水浴客もいるし「犬に触ってもいいですか」と言う子供はいるし、楽しく時間を過ごしていました。

そこに老人が現れて「孫が怖がるから、紐をつけろ」と言ってきました。五郎八はボールに夢中で人には全く無関心で、海水浴客は無数にいる中でその子の存在さえ知らないのですが、大型犬を見て怖くなったのでしょう。

仕方がないので「わかりました」と言って、五郎八を捕まえようとしますが、ボールをくわえて逃げる一方。それに苛立った老人は余計に怒り始めて「殺してもいいか!」などと言い始めます。酒も入っていたのでしょうが、あまりの激怒ぶりに(この人はまともじゃない)と取り合わないでいたら、その奥さんらしき人が来て、同じように文句を言います。「危険なのはこの老人の方です。この人にこそ紐つけてください」と逆に文句を言って、その場を離れていきました。無論、五郎八も付いて来たので、何事もなく終わりました。

その夜のことでした。「ねぶた祭り」を見に行きました。五郎八を脇に置いて、カメラのファインダーを覗いていると、近くにいた女性が「犬が串を飲み込みました」と言うのです。近くにいた酔っ払いが串ごと肉をやっていたのです。五郎八の口を無理矢理こじ開けてみると、大きな串が喉の奥に3本も突き刺さっています。慌てて引き抜くと、この老人に「殺す気か!お前が食え!」と言って投げつけて、ねぶたも見る気がしなくなり、駐車場に帰りました。この日、二度目の五郎八の災難でした。今回の旅の中で、五郎八がこれほど災難に遭うこともありませんでした。犬が遭遇した事件とはいえ、これも青森県と種蒔きの旅の相性が悪いように感じた原因の一つです。

そして、3日函館の人からの情報で白取農場へ行き、4日は木村さんのところへ行きました。それぞれいい出会いであり、充実した時間を過ごしましたが、青森情報は全くなく、それ以上の広がりはありませんでした。ここまでの4日間で32人。1日平均8人。

前後合わせて13日で82人、1日平均6人とノルマの半分以下。しかも情報無し。五郎八の度重なる災難、車が一週間も泥濘(ぬかるみ)から抜け出せない災難。これほどうまくいかない状態も旅始まって以来のことでした。もしかして、青森に種蒔きが歓迎されていないのかもしれない!不必要なのかもしれない!そんな気がしました。「青森に種は相応しくない」早々に退散した方が良いと思ったのです。予定は15日まででしたが、予定を早めて12日は秋田県に入りました。

オカルト的かもしれませんが、種が意思しているのかとも思いました。種が、と言うかこの自然界が、もし青森県に何かを言うとすれば、農業より先に、この地の核施設、軍事施設、石油施設を無くせと言っているのかもしれません。青森県の人には申し訳有りませんが、これが現実に起こったことであり、私の推察と判断です。

とにかく、下北半島は異常な地帯であることは間違いありません。くれぐれも注意してほしいです。しかし、注意して何とかなるものでもありませんから、政府に対して意思表示すべきだと思います。自分の地は、自分で守るしかありませんし、青森を守ることは日本を守ることにつながるような気がします。我々もこれらの事実をよく知っておく必要があります。



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2017年08月13日

山の中から抜け出した日ー赤い服を着た宇宙人

8月5日夜から8月12日朝まで一週間ほど山の中にいました。その間に心配のメール、励ましのメールを何通か頂きました。ありがとうございました。中には500キロ離れたところから助けに来ようとされたり、、、その気持ちだけで随分救われました。

しかし、一方でどうしてそんなに頑張るのか?と疑問に思われた方もおられたと思います。しかし、心配されるほど山の中での生活は大変ではありません。だいたい、今回の旅は山、川、海等自然の中で車を停めて宿泊していますから、それとあまり変わりません。ただ、「脱出」という課題があったことだけが異なることでした。ガソリンも満タン、食料、水も十分でしたし、心配することはほとんどありませんでした。

ただ、この課題は思った以上に難題でした。何故なら、タイヤの半分が地面に隠れ作業がしにくい上に、地面全体がぬかるんでいたので、ジャッキで上げようとしても、下にめり込んでいく状況でした。金槌と手で掘っていくだけでも大変なのに、最も作業しにくいところに大きな石があったり、また掘れば掘るほど、水が染み出して溜まる量が増えるのです。次々に難題が降りかかり、何だか試されているような気さえしました。
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11日に最後の試みと思って、力を振り絞ってやった結果が再び徒労に終わりました。翌12日、もし天候が雨でなく、疲労度が軽ければ、最後の最後の試みをしようと思っていましたが、残念なことに左腕は上げることも難儀なほどで、しかも雨。断念するしかないなと観念して、保険会社に電話しました。

ところで、8月5日の夜に何故山に向かって行ったのか?

青森県の種蒔きは北海道に入る前の6月末から数日と、8月1日〜15日を予定していました。ところが青森は極端に情報がないところで、北海道に入る前に1件、8月に2件しかありませんでした。それでも訪ねた先で新たな情報も得ることもあるので、それほど心配はしていませんでしたが、それさえほとんどない状況でした。木村さんのところでも県外情報はあっても県内情報はありませんでした。

日本中に広まった奇跡のリンゴの木村さんの地元なのに、どうして無農薬農業や自然栽培や自然食品の情報がないのか?とても不思議でした。しかし、よくよく考えてみれば、福岡さんにしても、川口さんにしても、かなり知名度が上がった人たちの県や市でも、自然栽培が盛んになったと聞いたことはありません。単に自然栽培者の農地内で全国から集まった研修生たちによって盛り上がっているだけのような気がします。

青森はかなり保守性の強い地域だと思いました。それ故に、木村さんのやり方には相当批判的だったであろうし、今だにそれが続いているのではないかと思います。今でも木村さんの周辺農家はほとんど農薬農家だと思います。それほど保守性は根強いものがあり、おいそれとは変わり得ないものだと思います。

マスコミが騒ごうが、映画になろうが、健康によかろうが、やり方が確立されようが「みんなと一緒」が基本の日本の保守的農業なのかなあと思います。国が変わらない限りは、浸透していくことは難しいのかもしれないと思いました。

ですから、青森県は自然栽培農家は多くはないだろうし、在来種、固定種に対する興味関心も薄い。種交換も不必要。ならば、私の活動も難しいかもしれない。しかし、日程は8月15日まで。無駄にはしたくない10日余りの日々をどうするか。発想の大転換「そうだ!宇宙人に蒔こう」それは、木村さんに会った直後でもあるし、UFOが出るという岩木山を目の前にしていたからでもあります。

ネットから拝借した岩木山
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それで、夜の9時頃に「岩木高原県立自然公園」を目指しました。「高原」「自然公園」の言葉につられて心地良い所と思って行ったところが、単なる砂利道の山の中だったのです。行き止まりになったので、引き返そうとアクセルを踏んだ瞬間にぬかるみ埋まってしまい、車から出て見た光景がこれです。得体の知れないダムのような建造物。UFOが出るには相応しいかも知れないけれど、怖いなあ、、、。
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しかし、怖いも何も、そこからもう動けないのですから、留まるしかありません。簡単に飯を食った後に、怖々一夜を明かしました。翌日からの行動は以前にお知らせした通りです。こうして四苦八苦している間に宇宙人が来て、車体をフワーと浮かしてくれるんじゃないかと期待したり、抜け出た暁には「よくやりました」と出てくるんじゃないかとか、色々想像して作業していたわけです。だから、簡単には諦めきれなかったのです。

しかし、最後には赤い服を着た宇宙人が日本製の車で引っ張り上げれくれました。ありがとうございました。珍しい坊主頭に手ぬぐい姿の宇宙人と帽子を被った宇宙人に7923番と7924番。
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2017年08月12日

山の中から抜け出せず 5

結局、今朝保険会社に電話して車を手配してもらい、引っ張り上げたもらいました。その後、秋田県に入り一週間ぶりの風呂に入り、飯を食べ、やっと落ち着いているところです。昨日はネットにつなぐことが困難で、更新ができませんでした。詳細は明日に。
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2017年08月10日

山の中から抜け出せず 4

何故、タイヤにつけた棒が機能しないのか?有効なはずなのにと、前面のカバーを取ったり、車体の下を覗いているうちに原因がわかりました。多分、タイヤが穴を深く掘りすぎて、段差がひどくなって車の前部が引っかかるのです。前に行こうにも、後ろに行こうにも、それが邪魔をしているのではないかと思います。
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抜け出すには、車の前の土を掘り返して斜面を作って石を敷き詰める、という作業をしなければなりません。相当な量の土(石混じりの土なので重くて厄介です)を掘り返す必要があります。金槌と手袋だけでこの量を掘り返すには時間もかかりますが、体力が問題です。休み休みして、二日くらいかかるでしょうか。今日は曇り、明日も曇りなので、この二日で何とかしたいと思います。
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2017年08月09日

山の中から抜け出せず 3

道具はこんなものしかありません。スコップがないのは痛いですが、金槌で地面を叩いて砕いて土と石を手袋でかき出す。それを姿勢を屈めてやるのが一番きつい仕事。
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石を敷き詰めてこんな状態にしても、まだ空回り。
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放っておくと、水が溜まります。  タイヤについたこの棒は、、、
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以下のようなやり方がネットに出ていたので試しました。


しかし、棒が石に挟まっただけで終わり。車内のこの太い材木も使いましたが、同じ。しかし、これは衝撃的なアイデアでした。地面ばかりに気を取られていましたが、逆にタイヤを凹凸にする発想ですね。
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頻繁にこのアブが来て、邪魔します。虫が減ったとはいえ、こういう虫はたくさんいるんです。嫌な虫だけが残る世界になるのでしょうか。
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これからは、できるだけ大きな石を敷き詰める作戦で行こうと思っています。
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問題はガソリンの量です。まだ半分ありますが、これが無くなるとパソコンとスマホも使えなくなり、救助も呼べなくなります。それでも歩いて町には出ることができるので、切羽詰まるわけではないです。

ところで、北朝鮮の核の脅威が増すせいなのか、以下のような記事がありました。一部文章を抜粋紹介します。

以下より抜粋 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170805-00010000-yomonline-life

高度上空の核爆発で起きる「電気がない世界」の恐怖

国全体で長期間、電力がまったく使えなくなると、どのようなことが起きるのだろうか。そのイメージをつかむのに、今年2月公開の日本映画「サバイバルファミリー」(矢口史靖監督)が参考になる。平凡な一家の視点から、現代人の生活がどれほど電力に依存し、それがないと、どんなことが起きるかがわかりやすく描かれていた。

普段と変わらないある日、原因もわからず電気が止まる。目覚まし時計もスマホもテレビも、冷蔵庫もガスコンロも水道も使えない。今何時かもわからないまま外へ出ると、エレベーターも信号機も自動車も電車も、何もかも止まっている。現金自動預け払い機(ATM)は作動せず、預金データも消えてしまっている。食料や水、日用品は次第に尽きていく――。(転載終わり)

以下予告編、ちょっとふざけてますけど、核でなくとも実際起こりうる話です。


これらの生活に困るであろう様々なことを都会でなく、田舎に住み、現代の生活の中に浸らないようにしていた場合にはどうなるかを考えてみました。

目覚まし時計=時間は太陽を見て決めます。
スマホや携帯、固定電話=連絡ができなくなるという点で困りますが、こうなったらお互い自分たちでやっていくしかないですから、放っておくしかありません。
テレビ=ない方が健全です。

冷蔵庫=あったに越したことはありませんが、無くても生活はできます。一時期、反原発で電気料金を支払わないでいたら、電気を止められました。電気なし生活が3ヶ月(春から夏)くらいありました。その時に困ったのは冷蔵庫でした。そこで、食えるものを探したら、山の中には山菜が豊富にあったので、毎日おかずは山菜にして、玄米は1年分くらいはあったので何とかなりました。肉食の人は、罠でも仕掛けて、猪でも取ればいいです。簡単じゃないですし、技術が要りますが、あえて食わなくてもいいでしょう。

電灯・パソコン=その時に、大家さんが一枚だけの太陽光パネルを用意してくれたので、パソコンと電灯は何とかなりましたが、パソコンは元々不必要ですし、電灯はローソクがあれば何とかなるし、夜は寝てしまえば、明日は明るいです。

ガスコンロ=山の木々があれば、煮炊き、風呂も可能です。

水道=地下水、湧き水があります。

エレベーター、信号機、電車=田舎にはありません。

自動車=動かなければ、要りません。のんびり家にいて、自然を満喫すればいいのです。

現金自動預け払い機(ATM)=ATMも遠いし、第一買う店がほとんどありません。しかし、いざという時のためにある程度は現金で持っておく方がいいですね。

食料=玄米と梅干しと、時には自家製の味噌もあります。山菜と。

日用品=洗剤とかですかね、手で洗えばいいし、熱湯注げば落ちます。
他に贅沢を言えばきりがないので、日用品はあるもので満足する。トイレットペーパーが無くなったら、インド式で水と手で洗う。

ということで、電気がなくなって困るのは、都会の人と、田舎でも都会並みに生活している人だけです。こういう事態になった時には、いつも現代的でなく、かつ贅沢をしていない人だけが、いつもと変わらず幸せに生活しているように見えるし、実際そうだと思います。それが元々の人間の生活だと思うのですが、それを電気と科学が一つずつ潰していったように思います。

映画の中の「人間がONになる」という言葉はいいですね。つまり、みんなOFFなんです。今、私はあえてONやってるわけです。でも、文明の利器ー車ーなんか使うからこういう羽目になるんですけど。

みんな分かったかな?トイレは外でもできるよ!
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posted by 種まく旅人 at 11:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする