2017年10月14日

不治の病の克服 9 保志場さん 復活した子宮

この写真がどれほど奇跡的なものか。実はこのお母さんー保志場さんーは18歳で子宮癌を患い全摘手術を勧められた人です。
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発端

18歳の時(12年前)に、ある日息ができないほど背中が痛くなり病院に行った。翌日には親も呼ばれ、検査結果は子宮癌。卵巣、卵管にも転移していた。医師には全摘手術を勧められ、一旦は家に帰った。しかし、再び自転車で病院に行き、医師にあらゆる疑問点をぶつけてみた。結果「腑に落ちない」=納得いかない。その結果、手術拒否の気持ちを伝えた。結局、卵巣と卵管の腫瘍のみを切除して、子宮、卵巣、卵管は残した。子宮には大きながん細胞が残ったままになった。故にそれ以降も痛みは続いた。

原因について

明確ではないものの、以下のような過去の体験が影響したかもしれない。小学6年の時に、持ち回りのいじめがあり、自分の番になった時にそのグループから離れたが、結局それが逆にストレスになり、それ以降月曜日から金曜日に便秘になり、週末に便が出る状態が続いた。それによって、腸が汚れ、血液が汚れ、体温も下がり(35度前後)、癌になりやすい体になったのかもしれない。それ以降中高時代も体調不良が続いた。

その後の病院の対応

病院内で医師と病院側の問題が起こり、産婦人科医は全員が辞めてしまい、産婦人科自体が消滅してしまった。しかし、個々の患者への指導や助言はなく、その無責任さに憤った。病院に行くと、紹介状を書くだけの役割を持った勤務医がいるだけだった。その無責任体質に嫌気が刺して、紹介状も拒否した。

改善・完治したきっかけ

ある日、ダイニングテーブルの上に「腸内細菌予防医学」と書いたチラシがあり、気になり母に尋ねると、母親の友人が「娘の病気に落ち込んだ友人を助けるために」勧めた治療法だった。母親は興味がなく、捨てるつもりでいたチラシだった。

早速、母親の友人に電話し、これに詳しい人の連絡先を教えてもらいすぐに電話した。すると偶然にも函館に来ているというので、ホテルに訪ねて行き、具体的な話を聞いた。この話は医師の話に比べてずっと「腑に落ちた」。

「腸内細菌は非常に重要で、善玉菌を増やし、免疫を正常化し、血液を綺麗にし、血管を元に戻すことで、身体のあらゆる組織が正常に機能し始める」
その善玉菌を「エンテロコッカスフェカリス」と呼び、その菌を増殖させるものがYK622。

服用後の結果

取り寄せて服用すると、翌日には便秘が治り、下血した。手術跡からはブツブツしたものが出て、手術中に使った薬品類の臭いが漂って来た。常時35度だった低体温が37度以上に上がった。通常は高すぎる値だが、体調は非常に良かった。

発病から3年経ち、結婚するにあたって再検査をした。本人は「がん細胞が多少でも残っているのではないか」と思ったらしいが、完璧に治癒していた。腫瘍マーカーも正常、血液も正常。念のため、他の病院でも検査したが、結果は同じだった。

そして、発病から4年後に結婚、5年後に出産。今に至っている。(終わり)

種蒔夫:YK622によって治癒した事例ですが、これを宣伝するつもりはありません。体験者でもないので、判断できません。ただ、事実として掲載しました。もし試してみたい方は、調べてみてください。本人が「腑に落ちる」という言葉を使ったので、そのまま書きましたが、「腑」とは、それこそ「胃腸」のことなので、「腸が納得しなかった」と取れば、そのままだなあと思います。

腸内細菌の大切さに関しては、最近話題になっていますが、「腑」つまり「腸」に訊いてみる、というのも一つかもしれません。「腸なんて意思を持ってない」と思われるかもしれませんが、意外な力を持っているかもしれません。人間の体は人によっては何十年も働いていますが、それってすごいことだと思います。胃腸は毎日毎日食べたものを消化してくれます。痛飲しても、2、3日すれば元に戻ります。たまには感謝しなくてはいけないし、愛おしく思ってあげないと、いつか破綻するでしょう。場合によっては感覚器官、直感器官かもしれませんし。

また、この保志場さんの特徴は、私から見てかなり直感的な人だということです。自分の感覚を信じることも大事かなと思いました。医師のいいなりになっていたら、保志場さんには子供がいなかったわけですから。危険な賭けではあるものの、いざという時には役に立つものです。そういう意味でも日頃五感を磨くこと、さらに第六感を持つことも大事なことかなと思います。コンピューターにはない、人間だけの第六感。




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2017年05月23日

不治の病の克服 8 和泉さんとその知り合いの話

4月13・14日 三日月荘・獏原人村(福島)

風見さんのところを退散し、隣の和泉さんの借家に行きました。この家は以前獏原人村にいたAさんという方が自ら作られたものでしたが、手作りらしい良い雰囲気の屋内でした。Aさん一家は子供さんが確か四人だったと思いますが、全員が学校に行かなかったそうです。両親が教師代わりになって教えたとか。

今回の旅では、ときどき学校に行かなかった人に出会ったり、話を聞いたりしています。旅に出なかったら、そういう存在も知ることはなかったでしょう。元教師としても、そういう存在はとても気になります。いじめ問題をはじめとしてたくさんの問題を抱えている現在の学校のことを思うと、そういう人達を訪ねる旅も意義あるものになると思います。できれば、いつか聞き書きしてみたいと思います。

泊めていただいた部屋。何も無い部屋ですが、落ち着くいい部屋でした。
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木に囲まれた空間は、それだけで心地いいです。
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屋外の写真はあまりありませんが、満月祭のためのステージがあったり、大小10個くらいの家屋がありました。話し疲れて、写真を撮るエネルギーが欠如してました。
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泊めて頂いたゲストハウス「三日月荘」
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ところで、和泉さんとは夜中の2時頃まで話し、さらに6時に起きて再び13時頃までずっと話していました。つきることのない興味深い話の数々でしたが、病を克服した人の話を聞いたので記録しておきます。
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和泉さんが出会った人の話です。この家屋に来た旅人だったと思います。その人は末期の癌で医師から余命数ヶ月と診断されたそうです。それで、治療を諦めて日本一周の旅に出たそうです。確か、歩いてだったと思います。そして一周をする頃には、癌が消えていたという話でした。さらに引き続き二周目の日本一周をしていたとか。

私は似た話を過去に聞いたことがあります。同じように末期ガンで不治の病宣言をされたある初老の大工さんは「死ぬんなら、大好きな温泉巡りをしよう」と思いついて、日本中の温泉を訪ねたそうです。その方も旅をしているうちに完治してしまったのです。

癌には旅がいいかもしれません。家の中に閉じこもっていては、気分が落ち込むばかりですし、家族がいれば、家族の思いが伝わって余計に気が滅入ります。旅立てば、毎日が刺激の連続ですから、気持ちが落ち込む余裕もなくなります。治療を諦めれば、あがいてもしょうがないですし、気分的にものんびりできるのかもしれません。それに計画のある旅ではないので、長居したいところがあれば、ずっといればいいのですから。

ところで、和泉さん自身も闘病体験がある人でした。この人の体験は信じがたいちょっと特異なものです。患ったのは糖尿病です。病気以外にもいろいろ悩みを抱えていた和泉さんは、経済的にも苦しい時期で、悶々とした気分で二泊三日車中で過ごしたそうです。そうしたら、奇妙な体験をするのです。体の中に魂のようなもの(女性的)が入り込んだそうです。「あなたに力があることを見せてあげよう」と言ったそうです。

和泉さんは試しにテッシュペーパーを空中にふわりと浮かせたら、それがひらひらと浮いたままの状態になったそうです。さらにそのテッシュを丸めて、投げ捨てると、その丸めたテッシュが変形をはじめて、猿の顔ができたそうです。その体験を経て、和泉さんは自信を回復して、今では糖尿病も心配のない状態まで回復したそうです。その特異な体験は、和泉さんを根底から変えてしまうような事件だったようです。

追加:このティッシュと似た話(物質が勝手に動く)は松江でも聞いたことがあります。以下

印象的だったのは部長さんのある禅僧との出会い。僧侶からハンカチを固く結ぶように言われました。何度も結び目を作り僧侶に手渡すと、僧侶はそれを投げ上げました。落下したハンカチを見ると、結び目はすべて解けていました。「何故、そんなことができるんですか?」「二年も座禅を組めば、これくらいできます」。
詳しくは以下へ
http://happyhillcontest.seesaa.net/article/423455860.html

獏原人村に関する詳しい記事を見つけました。以下
http://matsuken.hateblo.jp/entry/2016/11/15/001743
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2017年05月07日

不治の病の克服 7 善養寺さん

4月13日、五郎八のケージ掃除のために、河原の近くに車を駐車していました。車の前面のカバーが外れたので、それを修理していたら、一人の老人が石を拾いにやってきました。「さび石」という表面が石の成分のために錆びたようになった石です。石談義を聞いていたら、「実は4年前に、、、」と病と戦った話をされました。

4年半前に胃がんが見つかり、さらに大腸にも転移しており、胃の全部と大腸の三分の一を切除したそうです。そこまで取ると、1年後には植物人間になる可能性もあるといわれたそうです。たとえ意識はあるとしても、働くことは不可能だと診断されたそうです。

善養寺さんは当初から模範的な患者とは違っていたようです。まず、手術をして10日目にはタバコを吸い、今は1日一箱20本。「タバコやめてまで長生きしたくない」と思ったとか。ただ、酒は一滴も飲まないと。
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また、手術後に不幸なこともありました。四日後に闘病中の奥さんが肝炎でなくなったのです。

善養寺さんは三ヶ月後には石を拾って歩き回り「安静にしているのが一番良くない」と言われます。病人らしくしていると、病人になっていくと。

術後2年間は副作用の少ない弱めの錠剤の抗がん剤を服用したそうです。毛が抜けたりしたことはないそうです。胃を全部取ってしまったので、食事は日に5回、少しずつ食べるそうです。

最近、CTスキャンでの検査の結果、転移なしだったと。

善養寺さんはガンの原因が忙しさから来るストレスだと判断されたそうです。仕事は中華料理屋「香珍」を個人経営されてますが、席数を半分の25席に減らし、数ヶ月後には店を再開。

昼飯を食べに行ってみました。
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香珍 https://tabelog.com/gunma/A1001/A100102/10007618/
手打ち麺のちゃんぽん。善養寺さんの思いがこもった味でした。
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骨董趣味もあり、備前焼で最も気に入っているもの
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自作の一輪挿しの数々
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自作の木工芸品
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樹液が固まったものだそうです
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自信作の椅子
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関心したのが、このメニュー番です。一枚の木でできてます。最近見かけない立派なメニュー版でした。
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庭には山から採ってきた50本余りの異なった木々。
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黒い大きな石は富士山からわざわざ運んだ噴火石
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木と石の収集、木工芸、骨董品、、、とにかく、趣味の多い方でした。しかも、工芸品は一つ一つがかなり時間をかけた念のいったもので、専門家になられても成功されたのではないかと思いました。店内には茶系のものが多く、茶色に縁のある人だなあという印象でしたが、善養寺さん自身も石拾いのためか顔が日に焼けて茶色くなってました。病や死の恐怖に負けない強い心、また好きなものに徹底してこだわる追求心、好奇心も病を克服するのに一役買っていると思いました。
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2017年02月08日

病は気から 2

ブルース・リプトン(Bruce H. Lipton, Ph.D.)
アメリカの細胞生物学者。新たな生物学の提唱者であり、世界的な権威でもある。ウィスコンシン大学医学部、スタンフォード大学医学部で教鞭をとる。細胞膜に関する研究でエビジェネティクスという新しい分野の端緒を開き、科学とスピリットの架け橋となる。
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病は気から

「病は気から」と言われますが、この言葉を本当に信じている人は少ないと思います。僕は「慢性腎炎」を患いました。複数の医師から診察を受け、検査の結果「治癒しない病」という診断が下りました。紆余曲折あり、完治しました。「病は気から」の体験でした。今回の旅は、種蒔きもありますが、それ(病は気から)を証明するための旅でもあります。興味のある方はカテゴリー「不治の病の克服例」http://happyhillcontest.seesaa.net/category/24239113-1.html をぜひ読んでください。これらは、医師から「あと数ヶ月の命です」と言われながら、いまだに生きている人々(旅の中で偶然出会った)からの聞き書きです。あるいは病や人間の身体についての話です。

私は声を大にして言いたいのは、心が病に負けたら、すでに「勝負あった」ということです。医師の否定的な見方(死ぬとか重症だとか)を自ら否定し「絶対治してやる」と思った人は、どんな治療法であれ完治する可能性は高いのです。単純な話です。ただ、問題はそういう気持ちにどうやってもっていくのか?それは個々の葛藤であり、個々が自ら決定していくことです。

ネット上でも常にそういう話題を探していますが、今日も興味深い事例を見つけたので、紹介したいと思います。森鴎外がドイツ留学中に師事し、初孫の名前までこの人の名からつけたほど敬愛していた衛生学者ペッテンコーファーの実話です。彼は自分の理論を証明するために大量のコレラ菌を飲んだのです。以下転載。

情報源 http://indeep.jp/consciousness-causes-symptoms-and-all-human-states/

科学者は、遺伝子の「指令」による疾患を心の力で治したというような例を、奇妙な例外として無視するように訓練されている。だが、例外こそ大事にして研究すべきだとわたしは思う。例外には、生命の本質を理解するための、より強力な手がかりが隠されている。例外の背後に隠された原理を見出せば、それを切り札として、「真実」を打ち立てることができる。

残念なことに、往々にして科学者は、例外を大事にするどころか否定してしまう。心と身体のあいだに相互作用があるという真実を科学者が否定した例を紹介しよう。 十九世紀ドイツの医師、ロベルト・コッホにまつわる話で、二〇〇〇年に『サイエンス』の論文で紹介された。

コッホはパスツールとともに細菌説を確立した。これは細菌やウイルスが疾患の原因となるとする説である。現在では広く受け入れられているが、コッホの時代には論議の的となっていた。コッホはコレラ菌がコレラの病原体だと主張したが、それに反対するある科学者は、細菌説は絶対に間違っていると信じて、コレラ菌を入れたコップの水を平然と飲み下してみせた。誰もが驚いたことに、この学者は猛毒の病原体にやられずにすんだ。

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               ペッテンコーファー

(訳注:自飲実験を行ったのは、当時、衛生学の権威であったペッテンコーファー。科学的・疫学的にコレラを研究し、環境汚染がコレラの主因であるという説を立て、コッホと対立した。綿密な実験計画に基づいて行われた自飲実験では、ペッテンコーファーは、弟子と二人でコレラ菌を飲んだ。ペッテンコーファーは下痢を起こしたものの、脱水症状は現れなかったので、コレラ菌には感染しなかったと判断される。ちなみにペッテンコーファーは森鴎外のドイツ留学時代の恩師である)

彼は死ぬことなく、しかし、『サイエンス』によれば、彼の批判は「間違っていた」。これは、細菌説が満場一致で支持されていることを反映している。だが本当に「間違っていた」のだろうか。

ある細菌がコレラを引き起こす、という主張に対し、その細菌によって、自分は病気にならないことを示した人がいる。いったいどうしてその人が「間違っていた」ことになるのだろうか。その人がどうやって恐ろしい病気にかからずにすんだのかを調べようともせずに、科学者たちは、この事例や、その他、科学の理論をそこなうような「厄介な」例外を、無邪気にも捨て去ってしまう。理論というものには例外はあり得ない。例外があるならば、それはその理論が完ぺきではないことを意味している。(転載終わり)

この実験についてさらに詳しく調べてみると、「軍の一個支隊を壊滅させることができる」ほどの量を飲んだようです。以下転載

情報源 https://ja.wikipedia.org/wiki/マックス・フォン・ペッテンコーファー

 コレラ菌自飲実験は、「近代実験医学の父」とも呼ばれたペッテンコーファーらしい、綿密な実験計画に基づいて行われたものであった。実験の公正を期すために、コレラ菌は予めコッホが培養し送付したものが用いられ、発症に十分だと考えられていたよりも遥かに多く、10億個以上(軍の一個支隊を壊滅させることができると言われる)の生きた菌が存在していることを確認した上で用いられた。さらに実験に先立って重曹液を服用して胃酸を中和し、胃の殺菌作用による影響を除外するという点まで配慮された。

実験は10月7日から行われ、翌日にはペッテンコーファーには何の異常も表れなかった。10月9日午後から下痢の症状があらわれ、13日まで水様の便が続いた後、15日になって正常に戻った。しばしば誤解されることであるが、コレラとはあくまで激しい下痢だけではなく脱水症状を伴う疾患であり、ペッテンコーファーはコレラ菌によって激しい下痢を起こしたもののコレラは発症しなかったのである。さらに実験期間中の糞便は細菌学的な検査に回され、その中からコレラ菌が分離されることも確認された。

この結果は、コッホが提唱したコレラ菌=病原説の欠陥を指摘するものとなり、ペッテンコーファーはコッホの言うコレラ菌とは、コレラとは無関係な、あるいはせいぜいコレラに伴う下痢の原因にはなるものの脱水症状には無関係なものであるとして、自説への確信を一層強めた。(転載終わり)

その後、同じ実験をして危篤状態になった弟子(死亡はせず)もいましたが、問題は何故ペッテンコーファーは病気にならなかったのか?ということです。こういう問題(病気になるはずがならない、死ぬはずが死なない)に関しては、現代医学は常に無視しています。ここにこそ、本当の治療につながる重要なことがあるはずなのです。

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2016年05月11日

不治の病の克服例 6 吉井さん

今日のカテゴリーは「不治の病の克服」です。初めてこのカテゴリーを読む人のために、ちょっと説明をします。私は18歳の時に半年の入院生活の末に医師に「慢性腎炎になり、治らないから退院していい」と言われました。すぐに死ぬわけではないですが、一生の間、薬は欠かせない、激しい運動はだめ、食事制限あり、場合によっては尿毒症で死ぬ、症状によっては人工透析の可能性ありと、生きる上で厳しい条件が降り掛かってきました。

18歳といえば、大学受験を控えた大事な時期で、同級生は黙々と受験勉強をしている時に、私は「生死」の問題をつきつけられたのです。同級生に遅れをとるどころか、一生遅れを取り戻せないような悲壮感がありました。自殺しようと思ったこともありました。しかし、ある人の助言で一念発起、自力で直してみようと決心しました。今、よく言われる「自然治癒力」に頼りました。

薬を捨て、医師の助言を無視して運動をし、何でも食べました。激しい祈りもしました。典型的な逆療法で自殺行為でもあったと思いますが、カフェオレのような尿は徐々にきれいになり、数ヶ月後尿検査をしたところ、完治していたのです。不思議な体験でした。

長い月日の間に、あれは偶然だとか、たまたまだったのだとか思うようなこともありましたが、最近になり、やっぱりあれは現実に起こったことであるし、無視してはいけない、本当のことを探らないといけないと思うようになりました。それは、難病で苦しんでいる人々に希望を与えるものでもあると思いました。

それで今回の旅で、同じような体験をした人に巡り会うことがあれば、その体験談を聞いて記録していこうと思ったのです。1年間旅して、今日で5人目にしかなりませんが、種蒔きに忙しくなかなか手が回りませんでした。しかし、その一つ一つは大変貴重な実話であり、病気を抱えた人にはぜひとも読んでほしい内容です。

ところで、ホスピスという病院を聞いたことがあると思います。ホスピスとは末期ガンや難病にかかった人が医者に「あと数ヶ月の命です」と宣告された人だけが入院できる特殊な病院です。病院とは病気を治す所ですが、ここは死を迎えるための病院です。実際にホスピスに入院したり(常識的には入院したらお終いですが)お見舞いに行ったことのある人はあまりいないと思います。私もお見舞いに行ったのは人生の中で過去に一回あるだけでした。当人にも家族にも悲壮感がありましたが、「死」を隠さずはっきり意識してそれぞれ(病人と医師や看護婦や家族)が関わっている様子は逆に落ち着いていました。

それより以前に末期ガンで入院している人のお見舞いに何人か行きましたが、死を怖がり、拒否している姿勢があり、常に暗い雰囲気が漂っているのに比べたら遥かにいいように感じました。なので、ホスピスって悪くないもんだと認識を新たにしました。

今日の実話はそのホスピスに入院している人の話です。末期ガンにかかり、医師から「半年も持たない」と言われたにも関わらず、5年経った今でも入院中の方です。「死ぬと言われたのに生きている」この矛盾。医師も病院側も困惑しているのです。本人にはうれしい誤算ですが。

「生きているから良かった」それはそうですが、言葉の責任があるはずです。競馬の予想が外れたのとはワケが違います。だれに責任があるかといえば、医師です。彼が自分で診断して自分の責任で発言したのです。その責任は取らねばなりません。しかし、「治る予想が外れて死んだ場合」は責任も取らされる場合もあるでしょうが、「死なずに生を継続した場合」は責任は問われません。しかし、これは問われるべきだと思います。何故なら、死の恐怖に陥れた責任がありますし、「何故、死ななかったのか」を究明することも、医師としての責任であり、その後の治療にも多いに役立つことだからです。

こういう事例(死ぬと言われたのに生きている)はいくらでもありますが、担当の医師がそれを疑問に思って解明しようとすることはほとんどありません。医師は自分が診断した通りになってほしいだろうし、逆の結果は自分の信頼感が失われることになるので保守的な医師は「まずいことになった」と思っているかもしれません。これでは医師とは言えません。本当の医師ならば、それを心から喜び「自己負担しますので、完治した原因、進行しない原因を調べさせてください」と申し出るべきです。

医学部で学んだことや自分が医師として経験したことから来る自分の判断の間違いを何故究明しようとしないのか。前向きの姿勢が無い医師たちの何と多いことでしょう。もし重病になったら「もし、あなたの判断が誤った時には、いかなる場合にもその責任を取りあなた自身でそれを究明する覚悟はありますか」と問うたらどうでしょうか。「あります」と答える医師は少ないでしょうが、それこそが本物の医師だと思います。

しかし、もしこれに真剣に取り組んだら大変なことになるでしょう。つまり現代医学がひっくり返される、自分のやってきたことを否定せざるを得なくなる。そういう危惧があるからでしょうか。無数におられる末期ガンが治った人々を徹底調査するような話は聞いたことがありません。そういう貴重な方々が医師から無視されているところに、現代医療の怪しさを感じます。

それでは、今日は4840番の吉井さんの話です。写真は遠慮しましたが、素敵な方でした。これは高知のじんぜんじゅカフェでお会いした吉井さん(4811番)のお母さんです。息子さんに私の種蒔きの旅の別の目的(難病克服者の話を聞き歩く)を話したら「僕のお母さんもです」と言われて、早速お会いすることにしました。会話を録音したので、整理して文字起こしします。

種:いつ、発病したんですか

7年前の65歳のときでした。

種:最初はどういう状況でしたか

乳ガンです。

種:それは何でわかったんですか

もう、30過ぎの時から乳腺炎になったり、しこりはありました。何十年も悪性にならず、検診も行きませんでしたが、それが突然なったんです。突然むくむくと大きくなって、赤ちゃんの頭くらいの大きさになって、自分で見てもわかりました。私は乳ガンでも扁平上皮癌っていって、進行も見る見るうちに、早いんですよ。それを切除した後、さらに小さいのが二つ(ゴルフボールくらいのものとニキビくらいのもの)できて、それも切って、皮膚移植したりして、洗濯板みたいになって、えぐり取るような手術しかなくて、、、。

それから、首に出たんですよね。最初の乳ガンで入院中に、すぐさまできて。それも放射線で対応できたんですけど、今度は骨にいったので、それで下半身麻痺になりました。

種:骨のどこ辺にできたんですか

脊椎の何番目言うたかなあ。ちょうどミゾオチの裏側くらいのところ。それはその後、たまたま埼玉県の病院に生活上の指導を受けるために体験入院している時に突然なりました。その病院で放射線治療受けて、それでどうにかこうにか効果があり、喜んでいたら、突然麻痺が起こって、トイレに行ったのはよかったけれど、立ち上がれなくなって、、。足が麻痺してて、最初は麻痺したままで、他には何にもなかったから、病院内で車椅子でお話を聞きにいっても、平気だったんですよ。だけど、段々痛みが出てきて、全部に広がったんですよね。感覚も無く、排泄してもわからない、触られてもわからない、、。

種:それはいつですか

最初のガンができて三年目くらいですね。

種:それはどうにもしようがないものですか

先生にもいっぱい看て頂きましたけど、冒された神経は復旧しないというのが定説みたいで、他の先生が「復旧した経験があるから気長にやってみましょう」とやってくれているんですけど、まあどうなんでしょうねえ。
抗がん剤や放射線からいろんな劇物を身体に入れているし、輸血も何度もしているし、、、ボデイも全部放射線当てているし、、いろんな治療薬も使ってますので、その毒物が残っているせいかもわからない。

お腹が痛いという感覚はわかってきました。だから治るんじゃないかという期待はしているんですけど。

種:そもそもガンの原因は何だったんですか?

心の問題も大きいと思います。何か自分が気づかずに生きものとして不自然な生き方をしていたんですよね。食べるものもそうかもしれないし、人間関係もそうかもしれないし、ストレスの対処の仕方もまずかったかもしれない。気づいていることと潜在意識にあることもあるかもしれないし、なかなか大変でしたけど、やっぱり自分を見つめ直すところからスタートするというのがいいんじゃないですかね。

種:そういう点で何か思い当たることがあるんですか?

それがねえ、、なかなかわからなかったんですけどね、、。私は子供の時からどうもね、型にはめられた育てられ方をされてるから、泣き言も言えないし、わがままも言えないし、我慢するのが当たり前のように育っていたから、大分無理があったのかもしれない。親の期待にそう子供になろうとして、、、。だから大人になっても、自分がストレスに感じたり、辛いと思ったことはないんだけど、やっぱり無理があったのかな、、生き方にね

種:今はどうですか?楽ですか?

今は病院にいるからね。いろんな人間関係からも離れているから、世間のしがらみからね、、。この世とあの世の境みたいなところにいるでしょう。どっちかといえば、あの世のことを考えることが多いですよ。いろんな気持ちでいます。不安とかそういうのはありません。

種:ここはホスピスですよね、ホスピスにこんなに長くいる人はいないということですが。

そうなんです。肩身が狭いんです。(笑)

種:ここへ入られて何年ですか?

5年くらいかもしれない。

種:ということは5年前に(死の)宣告をされたんですか?
どう言われたんですか?

もう、時間が無いと言われました。ガンがもうじき脳にも転移するし、肺にも来るだろう、、、最初に私の手術をした先生に「もう時間がないから、家に帰してあげなさい」と言われて、「時間がないって、どの程度ですか、1年くらいですか」「そんなに無い無い、半年も無いだろう」って言われて。主人が「そんな重病人だったら、自分も自信がない、怖い」って言うので、ここに来ました。

もうその頃、視力もおかしかったし、顔を動かすこともできなかったし、自分で調べたら、脳転移の症状に合っていたから、「もう、来たかな」と自分でも覚悟していたのに、なかなかお迎えが来ないんですよ。(笑)

種:その医師はこうして長生きされていることをどう思っているんでしょうね?

ここにも来てくれましたよ。

種:何か言われませんでしたか。奇跡だと言われませんか?

特別な例だって。

でも、サバイバー(病気が治った人)の人、わんさといます。ガンが消えたっていう人。あのNHKのディレクターをしていた川竹文夫さんって方が「命の田んぼの会」ていうのをしていますよね。4巻まで本も出ています。

参考資料:川竹さん制作のNHK番組は以下  http://www.nicovideo.jp/watch/sm1675227
「命の田んぼの会」(ガンの患者学研究所)は以下  http://www.naotta.net

種:ガンはもう進行していないと思いますか?

ここの先生はね。この5年間私を診ていて、消えた、無いって言われました。だけど、私はまあどちらでもいいと思っているんですよ。ガンを道連れにして、まあ希望を保てる程度で、生きていければ、消えなくてもね。大きく悪さをしなかったら、消えても消えなくてもいいんだけど、、、足が立たないからね、、、

種:ホスピスに入って心が落ち着いて、それで進行が止まったという風には思われないですか。

それもあるかもしれません。それと、ここに来る前に埼玉の帯津三敬病院に行きました。外科医の帯津良一先生が、どんなに完璧に手術しても再発するのは何故だろうと統合医療を始めたのです。アメリカのアンドルー・ワイルさんとも友達ですけど、西洋医学と東洋医学を上手に使って、患者さんにもうダメですとは言わない医療で、気功もやっているし、、、、。私は元気な時から興味があって帯津さんの本を読んでいました。

帯津三敬病院は以下:http://www.obitsusankei.or.jp/index.html

種:よく本を読んでおられますね。

私はお医者さんの本とね、お坊さんの本読むのが好きだったんです。何というか、命と死の本当の姿が何だろうと、、関心があったからね。

最初の手術の時には間に合わなかったけど、終わってから帯津病院に生活上の指導を受けようと思って体験入院をしました。気功とか食事、玄米食とか、管理栄養士もいる病院だったので、二週間の予定で行ったんですけど、7ヶ月間お世話になったんですよ。そこの先生がいい方で、サバイバーも自由に行き来できるところだったので、みんなが体験談を話しかけてくれて、元気を貰ったのも良かったかもしれない。中国人による中国的療法や漢方薬も処方していたし、イメージ療法の先生もいたし、音楽療法の先生もいたし、精神科の医師もいるし、
(文字起こし終)

種蒔夫:補足してまとめれば、乳ガンから首のガンに転移し、さらに骨に転移し「死の宣告」を受けた。しかし医師から半年持たないと言われたのが、すでに5年も生存している。ガンの進行は止まったが、ガンが神経を冒したせいなのか、あるいは様々な治療の副作用のせいなのかミゾオチから下の下半身が麻痺してしまい、歩けない状態である。それ故に退院もままならない。病院側は「死なない人には出てほしい」ようだが、何とか入院の許可を得ている状況。ガンの進行が止まった原因はホスピスの気兼ねの無い生活や埼玉の帯津サンケイ病院の体験入院での経験が生きているのではないか。

アメリカでは1970年代からガンで死亡する人が減る傾向になり、その原因がガンの三大治療(抗がん剤、手術、放射線治療)をしなくなり、逆に東洋治療等の民間療法や音楽療法や精神療法等の代替療法が効果をもたらした話、WHOが三大治療は効果が無いと指針を出したのに日本はいまだに繰り返しているというような話等等、、そういう話もよくご存知で、自分自身も「手術や抗がん剤治療をするくらいならば、死んだ方がいい」と何度も言ったけれど、結局説得されてせざるを得なかったと。「こんな大きな、赤ちゃんの頭くらいあるガンを持って家に帰れないでしょう」と。

ガンといえば、日本では千島学説が有名ですが、そのこともよくご存知でした。千島学説を唱えた千島喜久男さんの息子さん千島明さん(1800番)にもお会いしてお話を伺いました。
千島さんにお会いした日は以下:http://happyhillcontest.seesaa.net/article/421320349.html
千島学説研究会は以下:http://www.chishima-gakusetu.com/about_chishima.html

また、病気のことより先にお話になったのは福岡正信さんのことでした。夫婦ともに「ワラ一本の革命」に共鳴し旦那さんは福岡さんの農園に見学にも行かれたそうです。私と息子の吉井さんとは福岡さんの縁でつながったのですが、吉井さんは親からの影響かと思ったら、その頃には無関心だったそうです。しかし、巡り巡ってこうして親子ともども福岡正信さんに関わるというのも不思議な話でした。

それにしても、ホスピスに入院して5年生存という事例も珍しいでしょう。笑い話のような本当の話。しかし、これからは心置きなく入院生活が送れるホスピスこそが長生きをするための病院、完治させるための病院になるかもしれません。(笑)吉井さんには神経も完治してぜひ退院して頂きたいと思います。ホスピスから生還した人として希望の星になってください!


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2015年08月08日

NHK教育「人間はなぜ治るのか」のビデオ

今日ブログで紹介した中にあるNHK教育「人間はなぜ治るのか 」の3本のビデオのうちの最後の1本がありました。

以下のアドレスへ。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm1675227

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無視され続けたガンの自然退縮に見る「病気を治せるのは自分だけ」という真実と「言葉の重要性」

In Deep より抜粋

情報源 http://oka-jp.seesaa.net/article/423748470.html

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さらに、この川竹文夫さんという方の著者経歴を抜粋しますと、

1946年、徳島県生まれ。NHK 文化番組部を経て、現職。1990年、腎臓ガンを発病。その体験をきっかけに、ガンの自然退縮や生還者の取材を始める。

1993年、NHK 教育テレビスペシャル『人間はなぜ治るのか』を制作。

自らの心の力によって絶望から生還し、真の健康と新しい人生を築いたガン患者たちの喜びに満ちた証言は、多くのガン患者の間でコピーが繰り返されている。

となっています。

「現職」というのは、現在やってらっしゃるガン治療に関しての NPO の代表の職のことですが、

> 多くのガン患者の間でコピーが繰り返されている。

という番組は、今は多分見ることはできません。

この NHK 教育テレビスペシャル『人間はなぜ治るのか』は、1993年に放映されたものらしいですので、一応、NHK アーカイブで検索してみましたが、まあ、ないです。

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「メディア」とは一体何か、と、ふと思います。

いや別に、この番組自体が取り上げられることはなくとも、他の番組でもいいのですが、「現実にガンの自然退縮」の人たちは数多くいるのに、なぜ、それをメジャーメディアは封殺するような態度で臨んでいるのか。

そして、いまだに一般人も著名人も含めて、三大療法で次々とガンで亡くなっている人が増えていることは事実なのに、少しも顧みられないのはなぜなのか。

「何だか、ガンの自然退縮の話題ってまるで《放送タブー》みたいなもんじゃないか」

と思います。

しかし、現実としては、ガンの自然退縮は、その 20年以上前から、なんら特別なことではなかったことが当時のアメリカの心理学者の研究でわかります。

これも、『幸せはガンがくれた』の中にある記述です。

川竹文夫『幸せはガンがくれた』より

自然退縮の400人

アメリカの著名な心理学者エルマー・グリーンは、ほかの二人の学者が医学文献の中から集めた4百例の自然退縮を分析、その生還に共通する要素を探り当てようとした。

結果はどうであったか……。

「全員に共通することは、必ず何かの方法を固く信じていたということです。ある人は、人参ジュースが、ガンを殺すと思い続けていましたし、ある人は、グレープフルーツジュースが、また別な人は、高山での生活が、ガンを殺してくれると信じていたんです」

「4千個のパンが、ガンを殺すと信じた人もいます。もちろん、4千個のパンに、ガンを殺す力はありませんがね。しかし、もしあなたが、心からそう信じることができるなら、きっと、そうなるに違いありません。パンでガンを殺すことができるのです」

「深く信じる心は、脳の中の視床下部を通じて免疫機能を左右し、高めます。病気に対する態度を変え、心を変え、感情を変えるなら、身体の免疫システムは、必ずそれに反応するのです」

「いいですか……。4百人が、それぞれに試みた方法は、実に様々でした。結局、一番大切なことは、どんな方法を試みるかということよりも、何かをどこまで信じられるかということなんです。信仰で治ることがあるのも、そのためなのです」

ガンはまさに、心の病。心で治すものだと言うのである。

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「治った」人の1000件以上の医学論文

寛解症例の研究に着手してまず驚いたのは、1000件超の医学論文において、2種類の人々がほぼ黙殺されていたことでした。

一つは、劇的に寛解した患者本人の一群です。大多数の論文では、患者自身が劇的な寛解の原因をどう考えているかについて一切言及していませんでした。(略)

医学論文で黙殺されていたもう一群は、代替療法の治療者たちです。

がんからの劇的な寛解は、当然のことながらほとんどの場合、現代医療では打つ手がなくなった患者に起きています。

それなのに、西洋医学外の治療者や代替療法の治療者たちががん治療にどう取り組んできたのかを誰も調べてきませんでした。この事実にわたしは驚きました。


ということで、つまり、おそらく数千などにのぼると思われる「自然退縮の例」は、

「なかったこと」

にされたまま今に至ります。

今の日本の医学界もそうだと思います。

そして、日本で 20年以上も前に、NHK で(3回連続)放映された後、果たして新聞でもテレビでも、メジャーメディアが本気でそのことに取り組んできたことがあったでしょうか。

もう少し、すべてにおいて、何というか「良心」のメカニズムが働いていれば、何かがすこしはちがったような気はするのです。

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台湾の荘博士の奇跡的な言葉

取材時に 78歳だった坂本やす子さんという方は、その 40年前の三十代の時にガンと宣告されたのですが、その後、ガンが自然退縮して 40年が経っています。

この坂本さんという方はいろいろと苦労した方のようで、病院では手術を勧められたのですが、経済的に手術や病院の治療は無理で、もうほとんど諦めて、毎日、自暴自棄になって生きていたのだそう。

ある日、荘淑キ(実際は漢字です)という、台湾で有名な若き女性医学者が東京で健康診断を行うことを新聞で知ります。

当時は、「荘博士に見てもらえるのなら全財産を持ってでも」と馳せ参じる人たちもいたそうなんですが、坂本さんにはお金はなく、「とにかく頼むしかない」と荘博士のところに行くと、診察してもらえたのだそうです。

坂本さんご本人による、その時の感想です。


『幸せはガンがくれた』より

「『治りますよ』って言うんですよ。きれいな女の先生が、私の目の前で『治りますよ』って言うでしょ。もう、その時の言葉のありがたいことと言ったら、もうそこで救われた感じがしたわね、私は」

「『先生、私の病気治りますか』って、聞いたら、『治りますよ』ってね、また優しく言うんだね。それで、じき先生はアメリカに行かなければならないっておっしゃったの。それで、『先生がアメリカに行く前に、私の病気治りますかしら』と言ったら、また『治りますよ』って、優しい顔で微笑んでくださって、もう本当に嬉しくて……」

「あの荘先生の優しい眼差しというものは、病めるもの、心の病めるものには、ほんっとうっに、救いだったね。救いそのものだった」

「優しい言葉でもって『治りますよ』って言われた時には、ここでしか自分は救われないという気持ちだったね」

「あの一言で治ったんだね。あの一言で、もう、治るーって思っちゃったのね。先生の言うことさえ聞いていりゃ絶対治るーって、信じた」


それで本当にガンは治っちゃったそうです。




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2015年07月25日

不治の病の克服 5 他ブログより転載

ガンに関する貴重な情報を一部転載します。全文読むことをお勧めします。読みたい方は以下のアドレスへ。

情報源 http://oka-jp.seesaa.net/article/422935752.html

ガンを自然治癒させるには

いつだったか「全身ガン転移」宣言をしていた樹木希林さんが、やはりいつの間にか「すっかり治っていた」ことを最近知ったのですが、全身転移ガンを知らされてからガンと向きあった際の樹木希林さんの「心情」を知りまして、

「ああ、まったくこれだなあ」

と思いました。
1505-kiki-1.jpg

樹木希林が全身がんを克服した治療法から学ぶことというページには下のようにあります。

がんを肯定的にとらえる樹木希林の発言

「私の考えでは、がんで死ぬっていちばんいいと思うんです。用意ができるじゃないですか。それぐらいの感じで生きています」

「ガンは有難い病気よ。周囲の相手が自分と真剣に向き合ってくれますから」

「がんに感謝よね。経験してなければろくに『死』にも向き合わず、主人の 内田(裕也)さんのこともちゃんと理解しようと思わなかったかもしれないし」

まあ、内田裕也さんのことを理解する必要があるかどうかは別として、

さらに、何と樹木希林さんは、抗ガン剤治療と並んで、もっともいけないと考えられる「放射線治療」をおこなっていたのですが、「望む態度」がちがったようです。樹木希林さんは下のような態度でガンの治療にあたっていったそうです。

樹木希林さんは当初、がんの手術に関しても、「先生のやりやすいほうで」というようなことで、医者に委ねていた感があります。

しかし、その後、がんに関して、勉強をしだしたといいます。そして知識を深めていくと、がんを自分が治すんだという、心構えに変化していきました。

「自分に合う医者や治療法、本などを、本気で探すことが大事。自分を知る勉強だと思います。自分の体のことですから、少し医者を疑うくらいの気持ちで良い治療法を探すことが大切。」

そして、全身にがんが移転したことを知ったのちに、樹木希林さんが選んだ治療は放射線治療でした。

そうして放射線を照射する場所に関しても、医者任せではなく、樹木希林自身が医者に対して、「ここから、ここまで」と命令したといいます。

というものだったようです。

この一連の樹木希林さんの態度のうち、

・ガンに感謝する

・治療法を自分で決める

ということは、ガンを自然治癒させた人たちに共通していることで、安保徹さんなども、

「ガンを自然治癒した人は、みなさん、ガンにかかって良かったって、ガンに感謝するんですよね」

と、何かの対談(思い出せないです)でおっしゃっていました。

アメリカでも日本でも、ムチャクチャ売れているガンの治療に関しての本がありまして、それは、アメリカの医学博士のケリー・ターナー博士( Dr. Kelly Turner )という方が書きました『がんが自然に治る生き方――余命宣告から「劇的な寛解」に至った人たちが実践している9つのこと』という本です。

ターナー博士もまたお美しい方ですが、「ガンの自然治癒」が医学界でその存在が放置されていることに気づき、日本を含む世界 10カ国(アメリカ、中国、日本、ニュージーランド、タイ、インド、英国、ザンビア、ジンバブエ、ブラジル)で自然治癒でガンが寛解した人と、その治療者のインタビューをおこなったのでした。

そして、ガンの自然治癒を体験した人々には

「9つの共通する実践事項」

があったことを見出したのでした。

それは、以下の9つです。

・抜本的に食事を変える
・治療法は自分で決める
・直感に従う
・ハーブとサプリメントの力を借りる
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・周囲の人の支えを受け入れる
・自分の魂と深くつながる
・「どうしても生きたい理由」を持つ

順序は関係ないです。

どれが重要とかではなく、ガンが自然治癒した人たちは、その「ほぼ全員」が、程度の差はあれ、この「すべて」を持っていたというのです。

さきほどの樹木希林さんは、自然治癒ではないですが、おそらくは、9つを持っていたと考えられます。

放射線治療という、一見、非常に良くないと思われる治療法を選択した樹木希林さんも、

・治療法は自分で決める
・より前向きに生きる

など、自主的で積極的な態度で臨んだことで、クリアに至ったのだと思います。

あるいは、樹木希林さんは放射線により治癒したのではなく、「自然治癒」だったのかもしれません。

いずれにしても、ターナー博士の「ガンの自然治癒における9つの鉄則」を見た時に、私は「これはガンにだけ当てはまるのではなく、すべてに当てはまる」と思いました。

つまり、上のうちの、

・抜本的に食事を変える
・直感に従う
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・自分の魂と深くつながる
・「どうしても生きたい理由」を持つ

などは、生活の上で、日常的に意識して生きていてよいことだと思うのです。

あるいは、どんな病気の際にもこの態度でいいような気がいたします。

・・・・・・・・

記事全文は http://oka-jp.seesaa.net/article/422935752.html



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2015年07月19日

不治の病の克服例 4 Sさん

Sさんの事例はかなり特異なものなので、より良く理解して頂くために私自身が知るうる事例や体験談を加味しました。

Sさんは元大学教授の女性。中学では、運動で優秀な成績を収めました。また、大学時代にはハードロックのボーカルをしたり、400ccのバイクも乗り回していた活発な女性です。

彼女は14歳から15歳にかけて、脳腫瘍を患います。そのため左目の視力が1.5から0.01に。手術日はすでに決まっており、そのためのカウンセリングも済んでいました。そして、ある夜夢を見ます。彼女は河川の土手らしき道を走っていました。目の前は暗く沈んだ色。しかし、後ろを振り返ると綺麗なバラ色です。行く方向に不安を感じ、きびすを返して来た道を戻りました。

翌日、いつものように目が覚めました。昨日までと違う身体の変化に気付きます。頭痛がありません。また不自由だった右手右足も自由に動き、文字も書けました。その後、Sさんは手術もせず、回復の理由も不明のまま病院を退院しました。中学時代のことで、無論今現在は問題ありません。

ちょっと超自然的な話で、信じられないかもしれませんが、同じような話を私自身の叔父が経験しているので、余談ですが、紹介します。叔父は50代のときにオートバイ運転中に駐車していたトラックにぶつかり、前部の頭蓋骨や脳を破損する大けがをしました。足も切断するか否かを迫られるほどでした。延命手術の後に10数時間の大手術をしました。手術室から出た医師は死ぬ可能性もあり、良くて植物人間だと言いました。数日後、幸い叔父は意識が戻りました。そのときに病室にいた別の叔父が訊きました。「臨死体験のようなことはなかったのか?」

叔父には臨死体験はなかったものの、不思議な夢を見ていました。夢の中で奇麗な紙吹雪の舞う中を歩いていると後ろから「お前の死の色はどれだ?」と声がするので振り返ると誰もいません。一生懸命自分の死の色(日本刀 の青く光る色でした)を紙吹雪の中から探しますが、どこにもありません。『ない』と答えるとその気配は止みましたが、歩き始めると再び同じ問いが何度も繰り返されました。しかし、何度探してもその色はありませんでした。同じ返答を繰り返すうちに意識が戻ったのです。叔父はその後リハビリに精を出し、職場復帰まで果たします。

Sさんがもしそのまま走り続けていたら、もし叔父が死の色を見つけていたら果たしてどうだったのか?

その後、Sさんは病気とは縁のない生活をしていました。しかし、2011年、胸の上部に紫色のできものに気付きます。そのできものはなかなか治らずとうとう病院で受診しました。乳がんでした。この時、同時に甲状腺がんもみつかりました。乳がんは放置していたこともあって、がんは大きくなっていました。最終的に手の拳ほどのガンを摘出します。胸の筋肉も取り、二枚ある腹筋の一つを移植しました。それほど大きながんであったにも関わらず、ステージ3で他への転移はありませんでした。手術後、抗がん剤治療をしますが、副作用はありませんでした。そして、翌2012年甲状腺がんの摘出手術を受けます。現在ガンの転移はないそうです。

彼女は不思議なことを言いました。(意識の中で)乳がんの程度を重いものから軽いものに入れ替えたと。また、抗ガン剤も副作用が出ないようにセルフヒーリングを行ったと。

その説明にあたり、彼女はマトリックス・エナジェティクスとかシーターヒーリングとかいう言葉を使いました。これを簡単に説明することはできませんが、つまり自分の意識の中で肉体的な状況に変化を起こすということだと思います。

この部分に関しては、知らない人にはさっぱり分からないところですが、私自身の体験も加味するとわかりやすくなると思うので、再度二つの事例をあげます。

私は18歳のときに慢性腎炎を患い、医師から不治の病を宣告されました。詳細は長くなるので省きますが、そのときに生まれて初めて「念じる」ということをしました。「念じる」ということは通常はしませんから、これも経験のない人には理解できません。しかし人間は切羽詰まると経験のないことでもやりますし、(内面的な)未開の地でもどこでも行きますから、そういう状況下でしか有り得ないことです。

私は「自分が健康体である」ことを強く強く念じました。毎日1、2回、強烈な念の力を出したのです。しかし、それは簡単ではなく、念じる、つまり健康体と信じるということがいかに難しいかを体験しました。人は「信じる」という言葉を簡単に使いますが、本当に信じることは非常に難しいのです。それまで病気の身体を持っていた人間がある日を境に「病気ではない、健康体だ」と信じるのですから、馬鹿馬鹿しいと言えば馬鹿馬鹿しいですが、馬鹿馬鹿しいと思うからこそ、とても難しいことなのです。

逆に言えば、信じる力が強ければ何でも可能だということでもあります。しかし、今、私にもう一度同じことを要求されても無理です。あの切羽詰まった、後がない状況だったからこそできたのです。火事場の馬鹿力と似ています。結果は三ヶ月後に自分の体調が良いことに気付き検査に行きましたら、既に完治していました。

さらに、30代のときに突然拒食症になりました。原因がわかりません。無理に食べると戻しそうになりました。一週間が過ぎ、二週間くらいになったときに、危機感を感じました。このまま食べられない状況が続くと死んでしまうのではないか。寝床の中で七転八倒しました。そして決断したことは、いや精神的に苦しんだ末に結論が出ました。

「人間は物質ではない」「肉体が精神を苦しめるはずはない」という突拍子もない考えでした。そして、その考えを強く念じたのです。

そして、友人に電話をして「実は二週間何も食べてない。何か作ってほしい」と。友人宅へ行くと、全く問題なく、二週間の出来事が嘘だったように普通に食べることができました。何だったんだろう?と今でも思いますが、「人間は物質ではない」というような思いを今、信じるかと問われれば、???です。

「念じる力」はけして馬鹿にできないということなんですが、だれでも決断すれば始めることができます。しかし、意識まで変えることができるか否かはその人自身の「信じる力」なのです。「命がけで信じる」くらいの気持ちがないととても難しいと思います。だれでもそういう力はあるのに、本来の力が出せずにいる人が大部分だと思います。それくらい私たちは、固定観念で固められているからだと思います。私も普段は固定観念でがちがちだと思いますが、命がかかると変わるのだと思います。

余談が長くなりましたが、Sさんも同じようなことだったのではないかと思います。ただ、話を伺った限りで思うことは、Sさんの場合は僕よりはずっと楽に乗り越えたのだろうと思います。固定観念が私ほど強くなく、かなり柔軟な方だと思いましたから。例えば、UFO体験も何度かある方なんです。

SさんのUFO体験で面白かったのは、友人と三人でUFOの母船を見たそうです。でも、その直後に一人はUFOを目撃したことを覚えていませんでした。もう一人の友人は一週間ほどで忘れてしまったといいます。人間はあまりに意外なことは信じてはいけないと思い込んでいるのでしょうか。それが固定観念なんだと思います。

「世の中何でもありなんだ!」と思うような人の方が、病気をしても治る可能性が高いのではないでしょうか。僕は自分の体験を病気の人に話して聞かせたいのですが、何が難しいかと言えば、その本人が持っている固定観念なんです。それが大きな壁で、あまりに強過ぎると話す気もなくなってしまいます。人は健康な時なら関心を持って聞きますが、病気になるとその深刻さ故に、医者から言われたことに執着して逆に頑固になってしまっています。

話を戻しますが、Sさんが言われたことで、さらに興味深かったことは「集団意識」のことです。つまり、だれと一緒にいるかは病気に影響します。集団の意識が暗ければ、病状は悪化するでしょうし、集団意識が明るければ、完治の可能性さえあることです。回りの人間の意識が自分の意識に反映するということです。家族の意識、病室の雰囲気、医師や看護婦の意識はとても大事です。医師は「必ず治る」と言って、いつも笑っている必要があるのです。しかし、医師の発言は責任を問われるため、安易にそれができないのです。医師にとって一番大事なことが法的問題のためにできないでいるわけです。我が身可愛さでしょう。もちろん西洋医学を学んだ医師は、その固定観念(ガンは一度できたら無くならない)でがちがちですから、それこそが問題なのですが。

Sさんの病はさらに続きます。2014年9月、耳性帯状疱疹発病。耳部を中心に症状が出て、今は後遺症を克服しようと努力されています。三半規管の異常や難聴、顔面神経の麻痺、そして、視力低下。日常生活はおろか歩行にも困難を生じているそうです。お話を聞いた日も辛そうではあっても歩いておられました。しかし、病気に対しては悲観的ではなく、また、これは病気ではないと思っているそうです。

「何故自分は、こんなにも病気で苦しむのか?」と疑問に感じないか尋ねました。それに対しての本人の答えは「動くべき時が来た」。つまり、この世のためになすべきことが迫って来ていると。大げさに聞こえるかもしれませんが、いろいろな形で様々な人たちが今動き出しているのは確かです。特にSさんがお住まいの愛知県、そして岐阜県では度々そういう方にお会いしました。それぞれの人々に今、何らかの役割があるのだと思います。

病の克服例を紹介するつもりが、今までの紹介例とは異なる特異な事例になりました。しかし、それほどこの方はどこか飛んでいる人=常識を超えた人ですし、そういう人が現れる時代なのだと思います。臨死体験者の木内鶴彦さんが言われるように「来るところまで来た」時代に相応しい人々が、Sさん以外にもあちこちに現れていることに、この人類も捨てたもんじゃないとワクワクしますし、勇気を与えられます。

愛知県、岐阜県に来て、様々な貴重な人々に出会い、その結論が「人間の意識が人間の身体も、この世界さえも変化させる。」ということでした。その最初の出会いが木内さんの講演会で種を蒔いたこのSさんでした。

お話を伺った日に、再度種をお渡ししました。
1675番 Sさん。
1675−3.JPG


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