2016年03月02日

種蒔きの原点

何故、私が種蒔きをすることになったのか?

栽培していた=米を作っていた
種や食の大切さを痛感している
自然への畏敬と感謝
耕運機の事故

これらが直接的な原因ではありますが、それ以前に社会的なことに目を向け、社会的な活動をすることになった原因に関しては、それほど多くの人に語っていません。それは私の人生を決定づけるものであり、長年私が思い悩んできたことでもあり、最も重要なものだと思うので、詳しく話してみたいと思います。

約30年前に私は中学校の教師をしていました。学生のときにアルバイトで専門学校の生徒に教えた経験から、生徒は教師の教え方一つで変わるという実感を得ました。画家志望であった私は突然教育に目覚め、教育の世界に入りました。しかし、実際の教育の現場(公立中学校)は理想とはほど遠いものでした。

池上彰氏によれば、「日本の小中高の先生の忙しさは、世界レベルでみれば尋常ではない」と言っています。授業や担任の仕事以外に生活指導、進路指導、部活、その他様々な雑用云々で、家に帰れば食べて寝るだけの生活。また、じっくり生徒と向き合い人間教育をする場所ではなく、受験のため、成績のための勉強でしかないこと、また学校自体が本質的な教育よりも学校という体裁を整える場所になってしまっていることが、学校を歪(いびつ)なものにしてしまっているのだと思います。それは今でも変わらないでしょう。

米や野菜を作るようになってから気づいたことは、我々は長い義務教育期間があったにも関わらず、何故これほど自然のことを知らなかったのか、大切にしなかったのかということでした。自然が無ければ我々も存在し得ないのに、どうしてその大切な自然に関してこれほど無知なのかと思いました。

本来はそれを基本にした上で、国語を学び、数学を学び、理科を学ぶべきなのでしょうが、その根本的なものを無視して教えていることがそもそも問題なのだとも思います。もし、自然を中心に据えたならば、これほど余裕の無い学校生活というもの自体が存在し得なかったでしょう。親も教師も、自然に対してどれほどの知識や経験があるでしょうか。自然を破壊し始めてからの人間の歴史や教育は自然から徐々に乖離していったのでしょう。

本題に帰りましょう。日に日に余裕がなくなり、遅かれ早かれ精神か肉体がボロボロになると危惧し、ロボット化した年配教師を見るにつけ、辞職を考えるようになりました。しかし、辞めるにあたっての直接的な原因が社会に対する目を開かせ、この種蒔きにつながっていったのです。

新任教師の年の11月「内申書会議」がありました。私は3年の美術教科担任として出席しました。そこで行われたことは内申書会議というよりは「内申書操作会議」「文書偽造会議」でした。当時、県立高校の進学に関して内申書が重視(8割)され、5段階評価のうち最低評価の1があれば、ほとんど不合格と見なされていました。それ故に、クラス担任は自分のクラスの生徒の最低評価の1を2に改竄していました。しかし、各評価数値のパーセンテージは決まっているので、変更するには逆に2の生徒を1にする必要がありました。就職する生徒や偏差値の低い私立高校のみを受験する生徒が犠牲になり、彼らの評価2は1に変更されました。

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例えば、クラス担任は私に「生徒A(県立高志望)は美術が1ですが、2にしてください。代わりに生徒B(就職組あるいは私立校志望)の成績を2から1に下げてください」と要求するのです。先輩先生たちは学級担任が要求することに反対することもなく、1から2へ、2から1へと次々に変更しました。私もそれに従いました。

会議が終わってからある先生が「もし、生徒Bが翌年県立高を受けようとすれば、評価1をつけられたために不合格になる」と耳打ちしました。私はそれ以降、成績を改ざんすることを拒否することにしました。

それから二年後、全校生徒30数人の小規模校に転任しました。3年生10数人の中でも内申書操作は行われました。その頃、私は美術と国語を担当していました。会議の中で担任は「生徒C(県立高志望)は美術、国語とも1なので、2にしてください。その代わり生徒D(就職組)の美術、国語を2から1にしてください」私は「生徒Cは課題の水彩画は白紙、国語の答案用紙も白紙。1をつけざるを得ません。できません」と断りました。

その数ヶ月後、高校入試の結果を見ると生徒Cは県立高校に合格していました。1が一つでもあれば、不合格と言われているのに、二つもあって合格ならば、何故内申書操作をする必要があるのか?これは教師間で議論になる結果でした。しかし、頭を傾げるのは私のみ。だれも、それに疑問を呈する教師はいませんでした。それから、私は学校に対する不信感で夜も寝られない日が続きました。

「私抜きで、再度成績改竄をしたのではないか?」そう考えるしかありませんでした。そうならば、私の存在価値はあるのでしょうか。生徒を裏切るくらいですから、同僚の教師を裏切るくらいのことは何でもなかったのかもしれません。

私は不眠症になり、とうとう一年間休職しました。その間に夜中に学校に忍び込み、校長室の金庫を開けて成績表を確認しようと思いました。しかし、二度三度と試みましたが、その年度だけが抜き取られていました。彼らは発覚を恐れてその年度の成績表のみ自宅に持ち帰っていたのでしょう。今、考えれば入試の合否が決まり、疑問に感じた時点で校長に断り金庫から成績表を見る権利は有していたし、それを実行できたはずです。何故、しなかったのか?

それほど校長、教頭、他の教師、、、学校全体、いやつまり教育界から受けるプレッシャーが強かったということでしょう。すでに彼らは成績改竄をしている輩(やから)ですが、同僚からも隠れて改竄するさらなる悪質さを持っており、我が身を守るために彼らも身体を張っているわけでーつまり教員生活がかかっている=辞職もありうるーそれに抗うということは、こちらも相当な圧力に対抗せざるをえないわけです。結局その圧力に負けたわけですが、それを覆すための深夜の侵入だったのです。

私はその証拠が得られれば、公にするつもりの決死の覚悟でした。しかし、その目的は敢え無く潰(つい)えました。そして、聖なる職という言葉とはほど遠い学校という職場で働くことに苦痛を感じ、辞職する決心をしました。3月下旬のある日、学校に別れを告げる日が来ました。全校生徒に挨拶を終えると、職員室で私は校長、教頭や担任に「最後にお願いがあります。生徒CとDの成績を見せてください」と願い出ました。すると、彼らは異口同音に「見せられない」

私は一言「あなた方は公文書偽造の犯罪者です」という言葉を残して、学校を後にしました。

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そして、私は内申書を抜き打ち検査する役割を担っていた元女性小学校長のところへ行き、事細かく話しました。彼女は「いままで、一度もそういうことはなかった」と言いました。当然です。示し合わせて、数合わせしているのですから。所詮、チェック機能の甘さ故ですが、そのことを問題視しない教育関係者の側にある欠陥に気づくべきなのです。形だけのチェック機能なのでしょう。その後この先生からは何も連絡がありませんでした。

さらに、教育長のところでも同じ話をしました。同様に教育長からも連絡がなく、結局は私の内部告発はもみ消されてしまいました。

最後に生徒Cが入学した県立高校の校長に面会を求めました。「生徒Cに責任はありません。ただ、本当の成績が知りたいので、入学時の内申書を見せてください」とお願いしました。校長は私の目の前まで成績表を持ってきました。「名前は?」と改めて問われたので「Cです」と答えると突然態度を変えて「見せられません」と成績表を閉じてしまいました。私が言ったように改竄が事実であったから、校長は見せるのを躊躇ったのでしょう。

こうして教育関係者は問題が発覚する事を恐れ、再度私から事情聴取もせず、徹底した調査もなく終わりました。教育会の圧力に抗して最後の抵抗を試みたのですが、彼らの中には正義を貫こうという意思のある者はいませんでした。

改めて考えると、この中で問題なのは「内申書操作すべきか否か」の議論が尽くされないことでした。毎年の年中行事のように、当たり前のこととして行われており、疑問を呈するものが誰一人いないことです。どんな新任でも1年目のこの会議に驚きますが、歳若い新任が異論を挟む余地はありません。それは校長に楯突く、他の教師全員に楯突くことになるからです。あるいはそういう体質を持った教育界全体に楯突くことになるのです。そんな勇気のあるものはいません。このときの私も同様でした。黙って従うしかありませんでした。

この場には正義などというものは微塵もありませんでした。そもそも正義とは何ぞや、という議論にまで発展しても良い問題でした。そういう問題を提起し解決するのが本来の教育者のはずなのに、全員が不正義をする状況は、すでに善悪の判断さえつかない異常な教師集団というしかありません。

彼らは言うでしょう。「ちょっと変えるだけで、合格できるならそれでいいじゃないか」と。果たしてそうでしょうか?

これは「ちょっとカンニングして合格できるならそれでいいじゃないか」と生徒から言われても反論できません。

本人はしてはいけないが、元締めならいいのでしょうか?

また、例えば教師の子供が当事者である生徒A、あるいは生徒Bの場合にその教師はどうするのか、また他の同僚教師はどうするのか。しかし、そういう面倒なことが起きないように、赴任先や担当まで配慮している可能性もあります。また、教師同士で自分の子供のためにお世話し合うこともあり得る。こうなれば私利私欲で行われることにもなります。

昨年同じ県で定年退職された女先生に内申書操作の話をしたら「私も新任のときに同じことを経験し、泣いて抗議した」と話されました。しかし、その後赴任した中学校では内申書操作は無く、抗議の涙を流すこと無く定年までつとめ終えたということです。こういうことになるとさらに問題は深刻です。何故なら、内申書操作する学校とそうでない学校があるということです。私は赴任した学校が二校とも内申書操作しており、どの先生も反対しなかった様子を見て、これは県下のすべての中学校で行われていると思っていたのです。

こういうことならば、中学校の先生は内申書を操作する学校ではそれに従い、操作しない学校ではまたそれに従っていることになります。間違いであっても、筋の通る一貫した教育姿勢もありません。まさに「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれる」生き方の見本です。

また、ある教育関係者が「2から1に改ざんされた生徒が翌年に県立高校を受けるときには、再び1を2に変えることができる。」と話していました。実際にそういう事実があるかは疑問ですし、毎年何人もの教師が転任する制度においては、内申書操作しない校長、教頭、教師が転任してきて、それに関わった場合は、それは不可能だと思われます。

仮に内申書操作しない稀なる校長が存在するとして、彼は校長に昇進するまでの約30年の間に内申書操作に直面しているはずです。何故、暴露できなかったのか。内申書操作せずに、何故校長まで上り詰めることができたのか?さらなる疑問が生じます。

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内申書操作は次の点で問題です。

犯罪であること。
生徒への裏切り行為であること。
被害者が出る可能性があること。
教師としての、あるいは人間としての資質を問われる重大な問題であること。

一人の教師が自分独自の判断でやるならば、まだこの犯罪行為は軽少ですし、責任の重さも知った上でやることでしょうから、まだましです。しかし、集団でやるとなるとこれは重大問題なのです。教育者による組織犯罪であり、被害者も多く出る可能性がありますし、「みんなで渡れば怖くない」式で、全員でやるから罪の意識からも解放されてしまうのです。いじめ問題のいじめる側の心理や論理と似ています。

被害者が出た場合の責任はどうして取るのでしょうか。被害者にとっては一生の問題です。しかし、それが表に出る事はまずあり得ないでしょう。鉄壁の教育界、口が避けても真実を明かさない教師集団ですから。

裏切り行為が信頼関係を損ねることに関しては「道徳」という教科で教えているはずですが、それを自ら犯すことの重さをわかっているでしょうか。果たして彼らに道徳の授業をする資格があるのでしょうか。

また、下駄を履かせてもらった(改竄後に良い点に変更になった)生徒が、その後どうなったのか、追跡調査をしたのでしょうか。果たしてそれが人生の中で良い効果や結果を生んだのかどうか。その点に関しても疑問に感じます。何故なら、自らが悪い成績と知りつつ(親書=進学希望先や就職先に提出するもので改竄されたもの、と書いてある封書を開けない限り、本人には本当の成績である通知表が提示されます)合格できたとなれば、世間を甘く見る原因を作ることになります。また、裏側を見なくともそのずるい生き方を学んでいるかもしれません。

教師が本当にしなければならないことは、下駄を履かせることではなく、目標が達成できなくても生きていけるたくましさを養う手伝いをすることではないでしょうか。受験に限らず人生は成功ばかりでなく、実際には失敗することは多いです。その度に下駄を履かせてくれる人はいないのです。現実に向き合うしかありません。それ故に、受験という人生初期の現実に真正面からぶつかるせっかくのチャンスを台無しにする行為でもあると思います。

私はこの種蒔きをしながら、この一連の事件に関係した教師や教育委員長に会い、種を蒔き、当時の話をしました。異口同音に「忘れた」「そんなことはなかった」と言いました。当時、関係した教育関係者を震撼させるこの事件を忘れるわけがありません。しかし、彼らはそう言うしかなかったでしょう。

私の体験を様々な国でたくさんの人たちに話しました。一様に驚かれますが、たまに平然としている人に出会います。「当然でしょう」という顔つきです。その一人は日本の大企業に勤める人でした。私の思惑は当たりでした。何故なら、日本において聖職と言われる教育者でさえ犯罪行為をするくらいですから、当然日本の組織の大部分は大なり小なり、こういう犯罪的なことをその閉鎖的な組織の中でやっているだろうと思っていたからです。それ故に日本という国がほとほと嫌になり、日本を出る決心をしました。その後、教員時代に貯めたお金を持ってフランスに行き、10年間ほど美術活動をしていました。

帰国してから日本の大企業や中小企業がスポンサーであったこともあります。経済的優位性を持つものの傲慢さを見せつけられ、我々アーティストの自由も金の下の自由でしかないことを思い知らされました。そして、東北大震災の時の福島原発事故にまつわる国や電力会社の対応の仕方は、日本の組織の閉鎖性や犯罪性を見事に見せてくれました。あの一件で我々が学ぶことは、日本の組織の閉鎖性であり、それはまたその人自身が所属している組織を改めて見直してみることだと思います。つまり、政府や電力会社の姿勢は我々の職場や組織の姿かもしれませんし、日本人一人一人の姿と言っても過言ではないからです。

911同時多発テロは未だに疑問が残る事件ですが、この事件を調べることで、私はさらに社会に対しての目が開かれました。それ以降、政治、経済、司法、医療、農業、食、戦争、政府、芸術、、、様々な分野の裏側を探っていきました。新聞やテレビに洗脳されている頭は日に日に変わっていきました。新聞やテレビ報道が企業から金を得ることで成り立っているならば、客観的報道は土台不可能だと遅ればせながら理解しました。教育界のように、すべての社会生活の中で裏側があると知り改めて愕然としましたが、その中でただ一人でできるささやかな抵抗が安全な作物を作ることでした。

そうすることで自然のことも徐々に理解し、その大切さも理解できました。この世界は様々な複雑な要素でできていますが、結局我々のこの世界を理解するには自然に触れることがまず最初であり、また最も重要なことだと思いました。人間社会のような裏切りもなく、真っ当でした。教育でも、芸術でもない、人間社会でもない、、、それは自然との関わりだと、、、やっと納得できる所に行き着いたのです。

栽培はせいぜい自分が食べる分くらいを作る程度でした。それでも何らかの影響は他者に少なからずあったかもしれません。しかし、今回の種蒔きは自然を理解する上で最も大切なものの一つである「種」によって人がつながっていく、人が栽培をする、人が自然を理解する、、、そういうことを目指しているのだと思います。この歪んだ世界を修正するには、人が自然を理解する以外に方法はないだろうと私は思っています。

より良い学歴を求めて公文書偽造するのも、結局は学歴=収入に繋がり、人間同士の中の欲の張り合いでしかありません。金や名声を求める人間同士の戦いを止め、自然と共存するという立場に立てば我々の愚かしい生き様に気づき目覚めるはずです。

教員時代に見た「長いモノに巻かれる」「寄らば大樹の陰」的生き方は日本人の最も典型的な生き方ですが、これと真逆な生き方をしている人々に、今回の旅で出会うことが多々ありました。それが311の福島原発事故を契機にして、都市部から田舎に、あるいは原発から離れた場所へ移住した個人、あるいは家族です。

彼らは周囲、あるいは親族の反対があったり、元の場所にはいろいろな人間関係や思い出や引っ越せない理由は様々あったであろうに、すべてを投げうって、移住を決意したのです。それは会社の転勤とは異なる並々ならぬ苦労があったと思います。しかも、移住した先でも必ずしも歓迎されたとは限らなかったでしょう。彼らが目指す無農薬による自給自足は慣行農法がほとんどの日本の田舎にあっては受け入れがたいものだったはずです。元の場所にも、移住した先でも様々な困難があり、それを乗り越えていった人々です。

多数派に依存的で無思考な人間であれば、到底やり通せないことだったと思います。そういう人々は日本全体からすれば圧倒的に少数派ですが、そういう未来の掛かった大切な自己主張を組織に依存せず、静かに個々で始まっていることに、一縷の望みを感じます。また原発事故に対する最もストレートなデモンストレーションをしたのは、彼らでしょう。

「寄らば大樹の陰」的生き方はそれで妥当な場合もあるでしょう。しかし、それは時に個の自由を奪うことであり、客観的視点を持たないようにさせることでもあり、思考停止にもなります。これからはさらに激動の時代を迎えるだろうと思います。どういう生き方を選ぶにせよ、今、一度良く考えて、より良い選択をし、後悔の無い生き方を模索し行動してほしいと願っています。

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posted by 種まく旅人 at 13:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 原点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする