以下です。
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2024年11月15日
2020年09月13日
学校へ行きたくない100の理由
義務教育を受けずに大人になった若者たちのビデオインタビューを編集していますが、その中の一人が家族には「学校へ行きたくない理由は100もある」と言っていたことを知りました。インタビューではそんな風には言っていませんでしたが、身内には正直にそう言っていたのです。
それに衝撃を受けました。100という数字というより、そう言わざるを得ないほど嫌なことが山ほどある、我慢ならないというその気持ちです。しかし、自分自身の子供時代のことを思い返すと、確かに子供の我慢の上に成り立っているのが学校なんだなあと思いました。
わがままといえば、わがままかもしれません。しかし、子供にだって自由に考えたり、感じたり、行動したりする自由があって当然なのです。そういう子供の自由の権利はどうなっているのでしょうか。
我慢して我慢して、そしてやっと大人になれるのだと、大人は勝手に妄想してないでしょうか。
我慢しなくてはならないことはそんなに多くはないはずなんです。自分勝手に行動して、他人に迷惑をかけないことぐらいじゃないでしょうか。あとは、成績でも、運動能力でも、社会性でも、そして時間も、その子の自由じゃないでしょうか。
例えば、社会性、、
入学式から1週間だけ登校して、その後丸々9年間学校に行かず、今高校の教師をしている人が「今の、いわゆる社会性を身に着けるというのがみんな同じことができるように、という面が見える。それは要らない」と。
誰でも学校へ行かないと社会性が身につかないと勝手に思い込んでいます。しかし、、、
9年間完全不登校4人
7年間不登校1人
4、5年間不登校2人
中卒で就職が1人
の中で、社会性に問題のある人は一人もいません。結局、全員が社会に出てから学んでいくのです。例えば、学校へ行かないと日本独特の上下関係を知りませんから、当初は戸惑い(つまり、通常生意気に見られる)もありますが、段々とその空気感を理解していくのです。必要に応じて、人間は生きていくものです。(ちなみに全員が働いているし、家族持ちもいるし、それぞれの人生をしっかり歩んでいます。)
一般の学習自体も同様です。15歳で自分の名前が書ける程度しか国語力がなかった人が1年浪人して高校入学、さらに大学入学を果たす事例もあります。本人曰く、やる気になったり、必要に迫られた時のパワーはすごいと。不登校者の東大卒、医師、弁護士等が生まれるのは時間の問題だと思います。実は表に出ていないだけで、すでにそういう人も存在しているのではないでしょうか。元々彼らは繊細さ、敏感さ、優秀さ等々で優れている場合が多いからです。
しかし、重要なことは優秀な人間が生まれることより、自分の天性を知ること、方向性が見えること、天職と言えるようなものを見つけやすくすることなんです。そうなれば、自発的な強い動機が芽生え、時期的に少々遅れてもやるべきことはできるようになると言うことです。
学校内外のいろんな体験を経て、自分のやりたいことが見つかればいいのだし、それが少々遅れても、たとえそれが30代の時でも遅くはないでしょう。ピアノ、バイオリン演奏など、そういう特殊なものを除いては、遅すぎても挽回できるはずです。動機が強いものであればあるほど。
それを本人に必要かどうかも分からないのに、無理やりさせているのが、親や学校なのです。「一流幼稚園、一流小学校、一流中学校、一流高校、一流大学へ行かないと人生危うい」とか勝手に思い込んで、無理に勉強させますが、まったく本人には関係ないことです。洗脳されて「やらねば」と思っているだけです。
自分の適性など、なかなか見つかるものではないし、今の時代は分野や職種が多すぎるので、10代で見つかるのは稀で、20代、30代で見つかるのが普通じゃないかと思います。確か、スウェーデンでは高校卒業してアルバイトしたり、旅をして世間や世界を実感してから、職業あるいは進学先を決めると聞いたことがありますが、現代なら当然の、妥当なやり方だと思います。
インタビューの中で彼らが異口同音に否定することは「義務教育を受けなかったことの後悔」です。何の後悔もないのです。登校拒否の長い時間、それぞれが自分流に人生の大事なことを自然体で学び、体験しているということです。それは9年間遊び続けたとしても、それは主要5科目というような小さな世界ではないのです。親や教師からやらされた9年間ではなく、自らやり通した9年間の意味は深いのです。
親の一人は言いました。「子供は自ら学ぶ力を持っている」
他の親も同じようなことを言いました。「子供は自ら生きる力をもっている」
こう言える親は、不登校であっても子供への信頼感が絶大だったことです。
逆に、親が学歴や世間体を気にするあまり、我が子への本当の愛を失っている場合は、そのトラウマから逃れるのは容易ではないのです。
それに衝撃を受けました。100という数字というより、そう言わざるを得ないほど嫌なことが山ほどある、我慢ならないというその気持ちです。しかし、自分自身の子供時代のことを思い返すと、確かに子供の我慢の上に成り立っているのが学校なんだなあと思いました。
わがままといえば、わがままかもしれません。しかし、子供にだって自由に考えたり、感じたり、行動したりする自由があって当然なのです。そういう子供の自由の権利はどうなっているのでしょうか。
我慢して我慢して、そしてやっと大人になれるのだと、大人は勝手に妄想してないでしょうか。
我慢しなくてはならないことはそんなに多くはないはずなんです。自分勝手に行動して、他人に迷惑をかけないことぐらいじゃないでしょうか。あとは、成績でも、運動能力でも、社会性でも、そして時間も、その子の自由じゃないでしょうか。
例えば、社会性、、
入学式から1週間だけ登校して、その後丸々9年間学校に行かず、今高校の教師をしている人が「今の、いわゆる社会性を身に着けるというのがみんな同じことができるように、という面が見える。それは要らない」と。
誰でも学校へ行かないと社会性が身につかないと勝手に思い込んでいます。しかし、、、
9年間完全不登校4人
7年間不登校1人
4、5年間不登校2人
中卒で就職が1人
の中で、社会性に問題のある人は一人もいません。結局、全員が社会に出てから学んでいくのです。例えば、学校へ行かないと日本独特の上下関係を知りませんから、当初は戸惑い(つまり、通常生意気に見られる)もありますが、段々とその空気感を理解していくのです。必要に応じて、人間は生きていくものです。(ちなみに全員が働いているし、家族持ちもいるし、それぞれの人生をしっかり歩んでいます。)
一般の学習自体も同様です。15歳で自分の名前が書ける程度しか国語力がなかった人が1年浪人して高校入学、さらに大学入学を果たす事例もあります。本人曰く、やる気になったり、必要に迫られた時のパワーはすごいと。不登校者の東大卒、医師、弁護士等が生まれるのは時間の問題だと思います。実は表に出ていないだけで、すでにそういう人も存在しているのではないでしょうか。元々彼らは繊細さ、敏感さ、優秀さ等々で優れている場合が多いからです。
しかし、重要なことは優秀な人間が生まれることより、自分の天性を知ること、方向性が見えること、天職と言えるようなものを見つけやすくすることなんです。そうなれば、自発的な強い動機が芽生え、時期的に少々遅れてもやるべきことはできるようになると言うことです。
学校内外のいろんな体験を経て、自分のやりたいことが見つかればいいのだし、それが少々遅れても、たとえそれが30代の時でも遅くはないでしょう。ピアノ、バイオリン演奏など、そういう特殊なものを除いては、遅すぎても挽回できるはずです。動機が強いものであればあるほど。
それを本人に必要かどうかも分からないのに、無理やりさせているのが、親や学校なのです。「一流幼稚園、一流小学校、一流中学校、一流高校、一流大学へ行かないと人生危うい」とか勝手に思い込んで、無理に勉強させますが、まったく本人には関係ないことです。洗脳されて「やらねば」と思っているだけです。
自分の適性など、なかなか見つかるものではないし、今の時代は分野や職種が多すぎるので、10代で見つかるのは稀で、20代、30代で見つかるのが普通じゃないかと思います。確か、スウェーデンでは高校卒業してアルバイトしたり、旅をして世間や世界を実感してから、職業あるいは進学先を決めると聞いたことがありますが、現代なら当然の、妥当なやり方だと思います。
インタビューの中で彼らが異口同音に否定することは「義務教育を受けなかったことの後悔」です。何の後悔もないのです。登校拒否の長い時間、それぞれが自分流に人生の大事なことを自然体で学び、体験しているということです。それは9年間遊び続けたとしても、それは主要5科目というような小さな世界ではないのです。親や教師からやらされた9年間ではなく、自らやり通した9年間の意味は深いのです。
親の一人は言いました。「子供は自ら学ぶ力を持っている」
他の親も同じようなことを言いました。「子供は自ら生きる力をもっている」
こう言える親は、不登校であっても子供への信頼感が絶大だったことです。
逆に、親が学歴や世間体を気にするあまり、我が子への本当の愛を失っている場合は、そのトラウマから逃れるのは容易ではないのです。

